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■第一〇一夜:戦旗を掲げて(2)

         ※

         

「運命というのは面白いものだな──そうは思わないか、真なる聖母、イリスベルダよ」


 テラスに立ち、すでにオーバーロードとしての姿=完成された騎士のいでたちでユガディールは問いかけた。

 息も絶え絶えに背中にすがりついてくるイリスの体温を感じながら。


「おねがい、おねがいです、すこし、すこしだけ、やすませてくだ、さい」


 涙と唾液とともにこぼれ落ちる小さな哀願に、ユガは首を巡らせた。

 イリスの全身を覆う青きイクスの旗は汗で濡れそぼっては、いる。

 しかし、その内側に隠された裸身はいまや光を発して、その姿をあらわにしている。

 そして、御旗の裾からは、無数の翼が覗いている。

 イリスの胎内──へそを中心として開きかけた次元の穴から、それは直接湧き出ているのだ。


「すまない、“再誕の聖母”よ。これでも、最大限の制御を試みているのだ。だが、数百年をかけてこの〈ログ・ソリタリ〉に溜め込まれた《ねがい》と、貴女あなたの胎内に宿る存在が呼び合い、引かれ合っているのだ。凄まじい引力に、抗えない」

「そんな……これでは、あふれてしまいます。《ちから》が、」


 途端に勢いを増す《ちから》の流入に、イリスは直立を強制された。

 馬上で身を反らす。

 苦痛に、ではない。

 おそろしいほどの「しあわせ」にだ。

 

「おねがい、おねがいです、もう、こんなにしあわせに、しないで」


 イリスの表面に張り付けられた「アシュレの味方」としての人格が抵抗を示すたび、〈ログ・ソリタリ〉の執行機関であるユガの肉体から《ちから》は注がれる。

 それは強烈な濃度の《ねがい》であり《そうするちから》そのものだ。


 いまイリスの胎内に宿るものは、その強烈な注入に歓喜している。

 赤子が母体の内側で存在を示すように、イリスの肉体を叩いて。


 裏腹に上限など存在しないのではないかと思われるほどの注入を受けるたび、イリスの表層人格は消し飛んでゆく。

 これまで無意識の側に隠されていた“再誕の聖母”としての、ほんとうのイリスが人間としての良識やためらいを打ち破り、萌芽してゆく。

 偽りの人格であるヒトとしてのイリスはその証拠を、胎内だけではなく背中にも噴き出し始めた翼として知覚するのだ。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

 

 まるで三位一体を讃えるような口調で、イリスの桜色の唇からは懺悔ざんげの言葉が漏れる。

 ひとつめは、強く“救済”を願ってしまったことへの謝罪。

 ふたつめは、これまでアシュレたちを偽ってきたことへの謝罪。

 みっつめは、これから行う、世界規模の“救済”への謝罪。

 

「そうだ、イリス。貴女あなたは、いま、確実に我々の希望なのだ。だから──もう偽りの生を生きてはならない。ほんとうの貴女あなたにいまこそ成らねばならない。準備は整っている。そして……その成就のためにこそ、ここで、まず貴女あなたは救わねばならないのだ。だれを? 決まっている。貴女あなたが心から愛した男を」


 すなわち、アシュレダウを。

 

「わたしでは駄目だった。だが、貴女あなたの言葉であれば、その神威に打たれれば、あるいは可能性はあるかもしれない」

「救済? わたしが? アシュレを?」

「そうだ、イリスベルダ。貴女あなたが、救うのだ。彼を」 

 

 朦朧もうろうとしてオウム返しに問うイリスにユガが示唆する。

 あああ、とイリスは理解とも法悦とも尽きかねる吐息を漏らす。

 全身を走る粟立ちを感じながら。

 

「救いたい。救って、さしあげたい。苦しみから──考え、迷い、懊悩おうのうする日々から。解き放ってさしあげたい。その身をひしがせるすべての苦役から。責任から。責務、から」


 その様子にユガは首肯で応じる。

 なれば、と促す。

 

「ならば、やはり、いっそう早くに、完成されなければならない。完成へと──向かわれなければならない。貴女あなたは」

「完成へ──完成へと」


 すでにユガの制御を離れつつある《ちから》の流入によって、イリスの瞳はトランスへと向かいつつある。

 そして、その声も。

 ヒトの皮一枚を張り付けられた「向こう側」の存在めいて、殷々いんいんと響く。

 

「では……かれるがよい。我々もにできる限りの想いを──《ちから》を注ぎましょうから」


 ユガディールがそう言葉にするのと、これまで制御下に置かれていたたわめられし《ちから》が接続点を通じて、注がれるのは同時だった。


 それをイリスは光として認識する。

 感触を光として感じる、というのは人類的には奇妙な話だが、矛盾はない。

 なぜならば、すでにこのとき、イリスは人類という定義の枠から完全に踏み出した存在への階段を昇り始めたのだから。

 次なる存在へ。

 いと高き場所へ。

 ヒトの心から迷いと悩みを取り除き、人類を楽園へと導くための御旗そのものとしての道をき始めたのだから。

 

 だから、もうだれも思い出すことはできないであろう。

 人間としての、ヒトとしての、己の存在に悩み苦しみながらも必死にアシュレを愛してきたイリスベルダという存在を。

 その肉体と精神を構築するふたりの娘を。

 間違いなどあってはならないというように、正解の光が、これまでの彼女たちの足跡と痕跡をキレイに塗りつぶしてゆく。

 

 “接続子ハーネス”を介して。

 “再誕の聖母”の名のもとに。

 世界中の人々の記憶から。

 

 このレルム:ワールズエンデにおいて、真なる過去の清算は、このようにして行われるのだ。

 

 抗うものは、ただただ、《意志》だけ。

 《スピンドル》とそれに準ずるヒトの強い想いだけ。

 苦く、耐えがたい痛みさえも、己の一部として受け止め、変えられぬ運命に抗おうとする者たちだけ。

 

 だからこそ、彼女は、完成されつつある“再誕の聖母”は想うのだ。

 

 そのような苦役から、彼らを、《スピンドル能力者》をこそ《救済》せねばならないのだ、と。

 彼らの役目を終わらせるために。

 

 聖なる光のがイリスの背に、現れ出でる。

 それは繋がることを許された者の証。

 

 どこへ?

 決まっていた。

 

 “庭園ガーデン”へ。

 楽園の景色を保存された、この世と重なるもうひとつの世界。

 人類の《夢》がこごった場所へ、と。

 

         ※


『驚くべきかな。“庭園ガーデン”はかつて、この世界にあり、楽園の似姿として造営された来るべき未来の設計図であった』


 アシュレは騎乗したまま、ほとんど垂直な塔の外壁を登る。

 胸中に去来するのは、ユガディールが遺した手稿。

 そこに記されていた彼の研究と探求の記録だ。

 

『それがいかなる試みであったのか、いまとなっては想像するほかない。ただ、“接続子ハーネス”とともに案内役コンシェルジュである“義識グリフ”なる存在とを介して、旧世界の人々は“庭園ガーデン”に触れることができた』 


 驟雨しゅううのごとく射掛けられる矢も、下級夜魔の群れと化した人々も、局地戦に特化したインクルード・ビーストたちの迎撃も、一丸となったアシュレたちの装甲突撃の前にあっては、なにほどの遅滞ちたいも与えることはできない。


 塔の内部を踏破する、というような愚行をアシュレは選択しなかった。

 疾風迅雷ムーブメント・オブ・スイフトネスの加護を受けた彼らにとって、垂直に近かろうとも、そこは地面となんら変わりのないである。

 《スピンドル能力者》たちの戦闘、戦争が常識の外にある、というのはまさにこういうことだ。

 全高数百メテルに達そうかという巨大建造物を、いったい誰が外壁から踏破しようと考えるだろうか。

 常人はまず、その発想において、このレベルの戦いにはついていけない。

 白き翔翼ウィング・オブ・オデットの行使により自由に宙を舞うことを許されたアスカが先行し、露払いを行う。

 シオンが残敵を掃討し、スノウを抱えたアシュレはほとんど刃を交える必要すらない。

 仕上げにそれでも追いすがってくる敵勢力を、こちらも土蜘蛛特有の移動能力強化系異能雲猿風脚クラウドモンキー・ストライドで身のこなしに拍車をかけたエレが埋設型のトラップ系異能で迎え撃つ。

 

『入れ食い状態だな』

 念話の異能によってエレの思考が届けられる。

 それはそうだろう。

 通常は埋設に相当の時間を必要とする遅発型の罠の数々を、エレはほとんど腕の一振りと結印だけで完成させてしまうのだ。

旦那イズマ様にみっちり仕込まれたからな』

 ふふふ、とあの艶やかな笑みを想像させる調子だが、実際にはその一動作で現出するのは地獄絵図だ。

 

「す、すごい」

「スノウ、口を閉じていて。覗き込んじゃだめだ」


 アシュレは背後で巻き起こる爆光を伴う殺戮の饗宴ページェントから、スノウを遠ざけたかった。

 いくら己の意志での同道を志願したとはいえ、自国民の命が消し飛んでいく場面を、アシュレは子供たちに見せたくはない。

 たしかに自分は生まれ落ちた境遇によって、十三の時には戦場にあり、ヒトを傷つけ、殺めたこともある。

 そのときの苦痛を知ればこそ、この地獄を通過儀礼イニシエーションだなどと呼んで子供たちに体験させるようなことだけは、したくなかったのだ。

 甘い発想だ、と父には笑われてしまうかもしれない。

 イズマにはきっと呆れられることだろう。

 だが、それでも。

 たとえ笑われても。

 そのために、この役目は自分が背負わなければならないのだ。

 

『ただ、どうして、わたしはこれほど優れた技術を持ち、繁栄を謳歌おうかしたはずの旧世界の文明が“庭園ガーデン”などという楽園の似姿を造営しなければならなかったのか。そこに大いなる疑問を感じ続けているのだ。そしてそれは、研究を重ねれば重ねるほど、強くなっていく』

 

 アシュレはなぜか、また、ユガディールの手稿を思い出している。

 

『ヒトは嘘を言うことで本当のことを言う、と言ったのはだれだったか。ここが、“庭園ガーデン”が本当に楽園であったのであれば、どうしてそこに旧世界の人々は移住しようとしなかったのか? あるいは、もしかしたら、そういう試みはあったのか? そして、思うのだ。もしかしたら、なのだが──本当は、彼らが暮らした当時の世界・・・・・には、我々のこの世と同じ苦しみ・・・・・が満ちていたのではないか。だから、だからこそ──』


「人々は“庭園ガーデン”に希望を……いいや、叶えることはできない《ねがい》を託したのではないか。此処こここそは、人々が逃げ込もうとした場所だったのではないか」


 しらず、アシュレはユガディールの言葉に続けて、己の考えを口にしている。

 

「そして、どういういきさつでかわからないけれど──試みは失敗した。いや……成功したのか。とても歪んだカタチで。それが、ボクたちの世界。そうだと、言うのか」

「?」


 ヘルムの内側で呟いていた言葉を、部分だけ聞き取り、腕のなかのスノウが怪訝な顔をした。

 

「どうか、したの?」

「いや、なんでもないよ。それより、テラスについたら、できる限りボクたちから離れているんだ。隅っこで小さくなっていて欲しい。エレさんの指示をよく聞いて。守りの結界から出てはダメだ。いいね?」

「それは突入前になんども確認したし!」


 子供みたいに扱わないで! と唇を尖らしたスノウをアシュレは無意識に抱きしめている。

 だれも、だれも失わないで、帰還したい。

 させたい。

 ユガディールを、イリスを、アテルイを、こちらへと奪還したい。

 

 神よ──もし、見ておいでなら──助けてくださいとは申しません。

 

 ただ、ただ、どうか、勇気をください。

 アシュレは小さく祈る。


 眼前にユガディールが待ち受けるあの巨大なテラスがせまっていた。

 

 

 

 

 

          

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