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■第九六夜:変わること変えること


「すごい……」


 聖剣:ローズ・アブソリュートと影渡りシャドウステップによる驚くべき連続跳躍攻撃を目の当たりにした半夜魔の娘:スノウが、思わずつぶやく。

 と、そこへ、敵を殲滅せんめつし終えたシオンが帰還した。

 

「当然であろう」


 アシュレの肩口からスノウを覗き込み、驚嘆の色を隠せない彼女に答えた。

 

「わたしを誰だと思っている──夜魔の公女さまだぞ。それから、小娘……その男の腕のなかは、本来はわたしの居場所なんだからな。あんまり我が物顔で居座っているんじゃないぞ」


 シオンから先住権を主張されたスノウは、豆でもくらったハトのように目を白黒させる。

 常ならぬシオンの口調に、アシュレは思わず苦笑してしまった。

 

 どうやら、シオンはスノウをライバル視しているらしい。

 あるいは将来的に、そういう相手に育つかも、という危惧を抱いているか。

 

 それもムリらしからぬことか、とも思う。

 本妻というか側室というか、なんというべきかはアシュレにだってよくわからないのだが、アテルイとの契りをシオンは許諾してくれたわけで。

 本来ならば現出したであろう修羅場を「認めてやるぞ」と器の大きさを見せつけたまではよかったが、君主としての大器のふるまいと乙女心は別勘定なわけで。

 

 そこに来て、この半夜魔の娘:スノウの初体験はアシュレの血であったから──よけいにだ。

 

 ああ「初体験」について誤解がないように申し開きだけはしておかねばならない。

 それはつまり、吸血行為である。

 スノウによる、アシュレからの。

 そして、それは多くの場合、親にあたる上位夜魔が、下位種にたいして行う施しであり、己の血族になることを許すという儀式でもあった。

 シオンからすれば、それは新しい女をひとり、事後承諾で母屋に連れてこられたようなものであり、悋気を起こすなというほうが無理筋だったのだ。

 

「そなたも、あんまり甘やかすな。見ろ、この小娘、色気づいておるぞ」

「ななな、ち、ちがっ」

「嘘をつくな。瞳を蕩かしておったのを知らぬと思うのか。トランス状態にあっても、上位夜魔の完全記憶は働くのだからな!」

「ちがっ、ちがうし!」

「たしかめてやろうか?」

「わー、わー、やめろう」

「シオン、たのむから馬上での痴話喧嘩は勘弁してくれないかな。スノウもとりあっちゃだめだ!」


 ここが戦場であることを忘れていそうなふたりの会話を、さすがにアシュレもたしなめざるをえない。

 

「とりあうな、とはどういうことか。わたしはわたしの所有者がだれなのかはっきりさせているだけだぞ!」

「と、とりあってなんか、ないし! 色気づくとか、な、ないし!」


 だが、アシュレの言葉はどうも別の解釈をされたようだ。

 かしましいふたりの口論に手綱捌きを誤らないか、冷や汗が出る。

 見れば、ヴィトラの片耳がこちらを向いている。

 どうも興味津々の内容らしい。

 馬の意識がどこにあるかは馬首ではなく耳に現われるからだ。

 

 アシュレは別の話題を振って、戦隊の意志を戦場に戻そうと決めた。

 

「そういえば……シオン、ほんとに影渡りシャドウステップしながら、ローズ・アブソリュートを使えるようになったんだね」


 そして、アシュレの言葉は思ったとおりの効果を上げた。

 シオンの瞳が遠くを見るような色になった。

 

「わたし自身、まだ信じられぬが……ここまで確たる事実があるなるとな。やはり、変化があったという証拠に相違あるまい」


 我が身に起った異変にシオンが気がついたのは、塩鉱山の敵拠点を攻めたときのことだ。

 待ち受けていた獅子面馬人レオトールの陣地と地形を利用した狡猾な作戦に、アシュレとアテルイはすんでのところまで追い詰められた。

 そして、その状況を中継していた土蜘蛛の凶手:エレから知らされたシオンは、ふたりの救援に向かおうとした。


 だが、そのとき、両腕の聖なる籠手:ハンズ・オブ・グローリーが足枷になった。


 真の聖遺物は夜魔の特殊能力である影渡りシャドウステップによって持ち運ぶことができない。

 それは、聖遺物の本質が「輝き」であるからだと、シオンは理解している。

 あるいは《魂》と、それはなにか関係があるかもしれない、とも。

 ともかく、その制約によって、シオンは自らの足で走ってアシュレのもとに駆けつけねばならなかった。

 走破距離してすればせいぜい数キトレル。

 いやもっと短かったはずだ。

 

 しかし、巨岩が視界を塞ぎ、浮き石に足をとられる急斜面での疾走は、夜魔の姫たるシオンであっても、かなり速度を減じねばならなかった。

 あのとき胸中に吹き荒れた焦燥感のことをシオンは忘れない。


 真っ黒な蛇が心臓に巻きつくような、あの圧迫感を。

 轟音が鳴り響き、火柱があがり、土煙がもうもうと立ちこめるたびに、胃の腑が縮み上がるような恐怖に駆られた。


 もちろん、敵と相対する際のそれなどではない。

 ひとたび斬り結べば、これを必ず斬り伏せる自身がシオンにはあった。

 たとえ、それがいかなる相手であろうとも、だ。

 己が所有者と認めた男、アシュレのためならば。


 だから、シオンが怯えたのは、戦いに対してではなかった。

 追い詰められ、いままさに死神の顎門あぎとに捉えられようとしているのが、他ならぬ主人:アシュレだったからだ。


 もどかしかった。

 なにもかも放り出して、駆けつけたかった。


 けれども、それはできない相談だった。


 両手におさまる聖剣:ローズ・アブソリュートがいかに強力な切り札であるかは、これまでの年月をともに潜り抜けてきた経験から、シオンは知り抜いていた。

 不死者、あるいはその不死者の血を注がれてそれに限りなく近づいた存在を相手取ったとき、この切札の有無が、生死をわけることになることも、また。


 もちろんその絶対的な切札を、同じく聖剣の威光によって葬られるべき不死者であるシオンが扱える理由──聖なる籠手:ハンズ・オブ・グローリーのことも。


 それでも。

 それでも、どうしても、アシュレのもとに駆けつけたかった。

 あのヒトを助けたい、と強く、つよくシオンは思った。


 そして、最後の瞬間──跳躍していた。


 それはちょうど、アシュレがアテルイの機転と異能により獅子面馬人レオトールに直撃を食らわせた直後。

 アシュレたちの位置情報を誤認した獅子面馬人レオトールが、跳躍攻撃を仕掛け、それを迎撃された瞬間。

 アシュレに限りなく近づいたシオンは、共有された心臓と血液の一部を介して、ことの一部始終を瞬時に獲得、理解し、反射的にもっとも的確な一撃を放っていた。


 光の──これまでのように影を渡るのではなく──なかを潜り抜けて。


「……じつのところ……わたしにも理屈はよくわからんのだ。正確には、な」 

 ことの子細を追憶しながら、シオンは言葉にした。

「ただ……」

「ただ?」

「まず間違いなく、これはそなたと我が肉体を犯し続ける魔性の具:ジャグリ・ジャグラによるものではないかと、推測しておるのだ」


 と、その声に応じるように、アシュレの肩越しに前方を覗き込むシオンの胸元から禍々しい細工のなされた件の品が一本、顔を出した。

 前方を睨むアシュレにはヘルムの陰で見えなかったが、スノウは目視したようだ。

 ハッ、と両手で口元を隠し息を呑む仕草をした。

 アシュレは見えないままにシオンに問う。


「ジャグリ・ジャグラが、キミを変えた?」

「あるいは」

「でも……この道具は……ヒトの尊厳を貶める邪悪な魔器だったんじゃないのか」


 アシュレの問いかけに、シオンは、ふむん、と唸り続けた。


「もしかしたら、なのだが……それは長い年月を経て、使い手の手を渡り続けてきた結果であって……本質的には他の《フォーカス》や道具と同じく……中立的ニュートラルな存在だったのでは、ないのか」

「つまり?」

「つまり……他者を改変するという行為を傲慢と呼ぶかどうかの議論はさておき……もともとは医療や先天的疾患を治療したりするための道具であったかもしれぬではないか、と言っているのだ」


 なるほど、と今度はシオンの仮定に、アシュレが唸る番だった。


「その発想はなかったな」

「《フォーカス》のこと、《ねがい》のこと、“庭園ガーデン”や“接続子ハーネス”、“ポータル”、そして《御方》──すべてが《そうするちから》に繋がっているのだとしたら……これら魔性の具たちも、もともとはなにかべつの目的のためにこしらえられたのではなかろうか、とな」


 たしかに、とシオンの説明にアシュレは頷く。

 制御のための竜皮の巻き布を手に入れて以降、この許されざる人体改変の魔具:ジャグリ・ジャグラはあの陰湿な暴走は起こさなくなった。


 ひとことで言えば安定したのである。


 シオンがふたたび影渡りシャドウステップを使えるようになったのも、そのおかげだ。

 けれども、毎夜のように改変をせがんでくる十三本の彫刻道具たちからは、変わらぬ邪悪な気配をアシュレは常に感じ続けてきた。


 冥府魔道への誘惑、とでも言えばいいのか。

 それら一本一本が、犠牲者であり、欲望の生贄としてのシオンの裸身に立ち現れては、囁くのだ。

 声ではなく、実際の《ちから》を示して。


 この女をどのように貶めるのも、オマエの自由だぞ、と。

 蹂躙してしまえ、と。

 尊厳という尊厳を踏み躙れ、と。


 それはたぶん、征服欲に似たなにか。

 そういう働きかけであろう。


 だが、だからこそアシュレは己を気高き飢えに導かねばならぬと思い続けてきた。

 欲望そのものを否定するのではない。

 ただ、それをこれら魔具の囁くとおりに任せてはならない。

 抗い、戦い、己の描く理想へと高めねばならない。

 研ぎ澄まされた自分だけの欲望でもって、シオンを変えなければならない。

 そう思うとき、アシュレの《意志》は、そしてその顕現である《スピンドル》は限りない高まりを見せたのだ。


「魔性の囁きに必死に抗い、己の《意志》でわたしを──つまり、そなたから流し込まれた《スピンドルエネルギー》が、繰り返された改変の結果として、夜魔という種族のくびきから、その外へ出してくれたのではないだろうかと、思うのだ」

「種族の……外へ?」

「うむ。たぶん、いまのわたしは、すでに生物としての夜魔というカテゴリの外にいるのではなかろうか」

「なんてことだ」

「だからこそ──聖なる籠手と聖剣を携えたまま、影渡りシャドウステップできた。いや……もうすでにあそこは影のなかではなかったな」

「でも、それじゃあ」


 アシュレはこのときはじめて動揺した。

 己の《意志》で行ってきた改変が、まさか、シオンという存在の生き物としての根幹を変更するまでに至ってしまっていたとは。

 種族として異なるものへと変ずる、というのは仮定の上だけのことほど、軽い話ではない。


 それは物理的で現実的で、直接的な疎外を意味するからだ。


 つまり、もう、シオンは夜魔の側には戻れない。

 かといって人間でも、ない。

 もちろん、いまこの世界に存在するいかなる生命体とも、種を違えるであろう。


「案ずるな。わたしの覚悟は決まっている。というか、最初にそなたを人外のものにしたのが誰だったか、忘れたのか?」


 わたしは、わたし自身の欲望から、そなたの爆ぜた胸郭に注いだ。

 心臓を、肺腑を、臓腑を──わたしの《夢》……理想郷の景色を。


「その男に同じくされるなら、それは本望ではないか。怖い? 見くびるな。逆だ。うれしい。快絶だ、と言っていいくらいだ」


 シオンのブッ飛んだ発言に、スノウが目を回している。

 アシュレはふたたび苦笑した。


「どうだ、スノウ、うらやましいか。これが相思相愛の仲というものだ」


 勝ち誇るようにシオンが言う。

 いや、たぶんそれ間違ってると思うし。

 アシュレは思ったが口にはしなかった。


『無駄口を叩いている場合か。──見えてきたぞ』


 先行していたエレから念話が届く。

 真っ赤な血の色を思わせる発光源。


 これまで世界から隠蔽されてきた場所──《テラ・インコグニタ》。


 トラントリム首都が遠景に見えてきたのだ。






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