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■第八八夜:わすれないで

          ※

        

「ああああっ」


 アシュレの腕のなかで、アテルイの裸身が跳ねた。

 異変は明らかであった。

 前後するように天を光が貫き、遅れて雷鳴を一度に百本も落としたかのような音圧が轟き渡り、遅れて大地が揺らいだ。

 ぎしり、めきり、と建屋が悲鳴を上げる。

 けれども、眼前で進行する事態は外界の変化と同じくらい逼迫ひっぱくしていた。

 肌を離したシオンが、目を瞠る。

 アテルイの全身を呪紋が走っていた。

 それはイズマとエレが仕掛けた切り札。

 王の入城キャスリングと呼称される転移系異能の一種。

 

 その仕掛けはずっと以前に施されていた。

 時間軸の話をすれば、トラントリム侵攻作戦前夜、アテルイがアシュレたちとの同道を宣言した作戦会議のあとでのことだ。

 

 親密な関係にある互いのを条件として、いざという局面で互いの位置を入れ替えるこの技を、イズマはトラントリム攻略戦の切り札のひとつとして事前準備させてほしい、と願い出た。

 いざというときとは、と訊いたのはアスカだ。

 たとえば——すごいチャンスのときとかだよ、とイズマは答えた。

 説明を聞けば、この転移は一度限りだが互いが任意で発動できるというふれ込みだった。

 互いの状況の把握はどうするのか、と訊けば、それはアテルイさんの得手でしょう、との返答で、これも納得したアスカだったのだが。


 イズマがふたりには説明しなかったことがあった。


 あとで、こっそりと、アテルイだけに耳打ちされた事実。

 それは、 王の入城キャスリングのもうひとつの発動条件。

 アスカリヤの心身が極まって脅かされたとき。

 つまり、いざというとき、アスカの身代わりにアテルイがなる、ということだ。

 

「怒ってもいいよ」


 女体を直視せぬよう厳重に目隠しされていたイズマがそれを解きながら言ったとき、アテルイはしかし、怒りなどあらわさなかった。

 むしろ、逆だ。

 

「ありがたいことです。よかった。そうであればいいな、と思っておりました」


 深々と偽りのない礼が返ってきて、イズマは戸惑ったものだ。

 

「ねえ、もうちょっとなんというか……せめて嫌ってもらわないと、ボクちんがツライんだけども」

「なぜ……どうしてでしょうか、イズマ殿? アスカリヤさまのために命を捧げたのが、我ら砂獅子旅団。主のために命を費やせるならば、本望です」

「アスカちゃんって、ホントに人望あるのね。ソレ……本気でしょ」

「はい」

「でも……そんだけ?」


 そんだけで、こんなヒドイだまし討ちを許せちゃうわけ?

 イズマはそう訊いたのだ。

 なにしろこれは人命を釣り餌に使う、あきらかに人道を外れた秘策だったからだ。


 だが、アテルイの見せた反応は、イズマの予想の上を行っていた。

 

 なぜか、ぽろぽろとアテルイの頬を涙の粒が落ちていった。

 怒りや、恐怖、嫌悪からではない。

 心の底から嬉しかったのだ。

 そして、安堵していのだ。

 

 よかった。

 これで、わたしはともかくも、アスカさまだけは——あの方の恋だけは成就できる。

 その心の動きに戸惑っていたのは、ほかでもない、アテルイ本人だったのである。

 それが涙になって発露してしまった。

 

「もしかして、ホントに、喜んでるの?」

「はい。だって、だって——」


 アテルイはそこから先を言わなかった。

 己の恋は、いまはまだ秘めていなければならないとわかっていたからだ。

 それを次に告げるのは、想いびと本人でありたいと思ったからだ。

 

「わかった……それじゃ言っておくね。なんでもそうだけど、この術も万能じゃないんだ。転移系の異能には共通した弱点なんだけれど、互いの位置が世界上から観測不可能になっているときは、発動しない。これも……特別な例外があるっちゃあ、あるんだけれども」

「?」

「いや、わからなくていいよ。ただ、ひとつ、理解しておいて欲しいのはこの術は、効果対象であるふたりが相似形であればあるほど、強力に働く、ってことだ。もっというと、いろんな妨害を突破して、互いの位置を把握できるようになるってことでもある。アテルイちゃんが、アスカちゃんを想う気持ちや、アスカちゃんがアテルイちゃんを想う気持ち。それから……そうだなあ、同じ志を持つとか、つまりそういうことが似てれば似てるほど、引きあう《ちから》が強まるんですよ」


 だから、おふた方じゃないとダメだったんだよね。

 うんうん、とイズマは頷いた。

 

「アスカちゃんにこういうの説明しても、たぶんワケわかんないだろうし、ヘタすると説明の段階で、ボクちんの首が消し飛びそうだから……サ」


 遠隔通話とかの異能が得意なアテルイちゃんなら、わかってもらえるかなーってサ。

 すこしでもアテルイの不安を取り除くための効果説明なのだろう。

 事前に用意してあった告知内容を伝えながら、イズマが曖昧な笑みを浮かべた。

 

 こくりこくり、とうつむいたまま、泣き笑いの顔でアテルイは了解を告げる。

 

「もしさ……この技をネガティブな意味で使わなけりゃならないような事態が、万が一にも起きたら……ボクちんを恨んでくれていいよ。そのう……なんていうか」

「いいえ、いいえ。きっとわたしは喜んで逝くでしょう。だから、いま、言っておきます。ありがとう。ほんとうにありがとう。わたしに命の使い方をくださって」


 まいったなあ、とイズマは満天の星空を見上げて苦笑したものだ。

 それから言った。

 

「わかったよ。ボクちんも、そんな事態が起こらぬように、全力で戦う。すべてを成し終えて、もういっかい、アテルイちゃんの料理で宴会したいからネ!」

「ふふ……任せてください、そのときは、腕によりをかけますから!」


 ああ、とアテルイは想う。

 脳裏を駆け抜けた一瞬の回想に微笑む。

 

「なんだ——コレ! アテルイッ!! アテルイさんッ?!」


 説明もなにも受けていないアシュレが、当然のように驚愕し、狼狽していた。

 少年のような顔になっていることに気がついてもいないのだろう。

 一心に自分のことを心配してくれているのが伝わって、アテルイは泣いてしまう。

 うれしさで。

 よかった。

 このヒトに想いを告げられて。

 一瞬でも、このヒトの妻であれて。

 愛を告げ、告げ返されて。

 身体と心を——人生を重ねた。

 

 忘れない。

 わたしは、なにがあっても。

 

 みるみるまに、光の粒子に変換されていくアテルイの肉体をアシュレが必死で掻き抱き、腕に集めようとする。

 理屈を理解できないままに、しかし、手放すまいと。

 

 なんて、なんて愛しい。

 その様子をアテルイは見て、微笑んで、思う。

 それから、どんなにこのヒトのことを自分が好いてしまっていたのか——その感情が襲いかかってきた。

 

 いやだ。

 行きたくなかった。

 逝きたくなかった。

 このヒトとずっとずっといっしょにいたかった。

 ともに歩んで、年老いていきたかった。

 

 けれども、それを口に出すことだけはできなかった。

 

 だって、そんなことをしたら——このヒトを苦しめてしまう。

 心優しいわたしの騎士さまを。

 

 だから、せめて、こうお願いしたのだ。

 

「わたしのこと……わすれないで」と。

 





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