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■第八七夜:“善”はたくらむ

 

「ぐっ、あ、ぐ……なぜだ……アズライールの発振が……」


 敵を認めた猛獣のごとく激しい唸りを上げていた告死の鋏:アズライールが、イリスの投じた聖衣に包まれた瞬間、過ちを認めた飼い犬のように鎮まってしまった。

 展開していた内部構造が格納され、発光現象が収まっていく。

 アスカにヒトならざる《ちから》と体格を与えていた神器は、ついに完全に停止した。

 

 いや、本当に恐ろしいことは、ただ《ちから》を失ったというだけのことではない。

 告死の鋏:アズライールこそは、アスカにとっての両脚そのものだったのだから。

 あの凄まじい攻撃能力や超技の数々だけではない。

 アスカはこの瞬間に歩行能力さえ、奪い取られたのだ。

 起動時はいかなる超常の加護があるものか重量軽減がなされていたことをアスカは思い知った。

 両脚に恐ろしく重たい枷を括りつけられ、地に這わされる。

 王者としての生き方を学んだアスカにとってそれは耐えがたい屈辱だった。

 

「なぜだっ、アズライールッ!! 応えろッ! 応えてくれッ!!」


 アスカは懸命に《スピンドル》を励起させるが──神代の時代より受け継がれた神器は微動だにしない。

 両足全部が重荷に変じたアスカにとっては、いまや姿勢を入れ替えることさえ容易ではない。

 

聖務禁止インテルテッド──一時的に《フォーカス》の起動を禁じたのです。アスカリヤ殿下。おねがいです。わたしのおはなしをきいてください。貴女を……傷つけたくないのです」


 うつ伏せになり、両手で必死に上体を起こしたアスカに、歩み寄るものがあった。

 光を発する声で謳うように哀願するのは、もちろん、イリスベルダ本人に違いない。

 輝く裸身を惜しみなくさらし、しかも、恥じる様子すらなく素足のままアスカの眼前にひざまずいた。

 ぞぞぞっ、そこから発せられる圧倒的で絶対的で──だからこそ疑わしい“善”のオーラに怖気おぞけが走る。

 

 完璧だったからだ。

 物語のなかの、聖典のなかに語られる聖人や聖母のように。

 

 人間は「完璧」に遭遇したとき、感嘆や賛嘆ではなく、恐怖や違和感を感ずるものなのだとアスカはこのとき思い知った。

 なぜならば、完璧なものにはない・・からだ。

 

 根拠ルーツが。

 背景が。

 それを成立させるため、歩んできたであろう汚濁と悔恨かいこんの道程と、それは無関係だからだ。

 

 実践者をわらう達観者に対して、人々がうさんくささを感じるように、イリスの放つ“善”のオーラに、アスカは疑わしい匂いを嗅いだ。

 

 美しいぎょくは、本来、非常な圧力と高熱によって、ただの石くれから貴石へと姿を変える。

 荒々しい岩石の表情から、この世のものとも思えぬ輝きが生まれ出でるには、そのプロセスが不可欠なのだ。

 だからこそ、ヒトはその輝きに魅入られる。

 それが、艱難辛苦かんなんしんくとしか表現しようのない洗礼を、望もうと望まざるとの別に関わらず、潜り抜けたものだからだ。

 

 いま、眼前にひざまずき祈るようにアスカに降伏を迫るイリスベルダには、それが、ない。

 

 すべての手続きと過程を省略し、一足飛びで結果・・だけを手にした者に感じるあの信用ならざる気配を、アスカは誤魔化しようのない強度で感じていた。

 

「なぜだ」


 なぜ、なぜ、そうなった。

 そういう意味でアスカは問うた。

 だが、イリスはその問いを、どうして告死の鋏:アズライールは動かないのか、という意味に捉えた。

 答える。

 

「かつて、この世界にはいくつもの《救済》のカタチがあったのです」

「なにを……言っている?」

「たとえば、その告死の鋏:アズライールですが──それは無限生を《救済》と見なす派閥が作り上げたものなのです」

「無限生を《救済》と見なす?」

「永劫に生きることを追及する、と申し上げたらよろしいですか?」


 自らの問いかけに対して返された答えの破天荒さに、アスカは目を剥いた。

 

「夜魔……のようにか?」

「あるいは。むしろ彼ら夜魔は、その試みの被験者たちであり、被害者と言えるかもしれません」

「無限生を望む者どもが……どうして死の《ちから》を司る神器をこしらえたりする?」

「わたくしとともに見たではありませんか、アスカ殿下。あの廃神の漂流寺院で。廃神:フラーマは、告死の鋏:アズライールを用いて、なにを成そうとしていましたか?」

「《救済》という名の融合……まさか」


 アスカの洞察に、我が子の賢さを見出した母のごとき慈愛の表情を浮かべて、イリスは頷いた。

 

「そうです。まさに」

「では……あれは逆転的使用法ではなく……あれこそが本体としての」

融合変成アセンション施設プラントとしての、正しいありよう。そして、いざというときの安全装置として、それら融合変成体に対してもを与えることができるように──告死の鋏:アズライールは設計された」

「オマエがなにを言っているのか……わからない」

「いいえ、殿下。殿下はとても聡明でいらっしゃる。おわかりのはずです」

「かいかぶるな、“再誕の聖母”よ」

「それこそかいかぶりすぎです、殿下。わたくしはまだ、完璧ではない」


 だから、まだ、こうして貴女の助力をお願いしているのです。

 イリスは続けた。

 

「いったいどうしてそんなことが起こってしまったのか。わたくしもまだ、真相には辿り着けていないのです。さまざまなところに意識断層があって。これまで入手した権限とルートを使い考えられうるシステム的アプローチはもちろん、概念爆雷などの手段を用いての物理的破壊を試みてもいるのですが……力およばず」


 やはり《スピンドル能力者》たちによる、直接攻撃で突破するほかないのか。

 預言者めいたイリスのひとりごとに、アスカは戦慄を感じた。

 固唾を呑むアスカに、イリスは自分が思考にはまり込んでいたことを恥じるように微笑んで見せた。

 

「理由はともかくも、そうやって各地で無秩序に同時発生した《救済》の結果、その衝突でわたしたちの世界:ワールズエンデは現在の姿になってしまったのです」

「《救済》の結果が──わたしたちの世界だと?」

「はい。由々しき事態、そして、現実としての惨禍です」

「《救済》が衝突しあう、とは……どういうことだ」

「信じる神が違うだけで、ヒトは容易に争います」


 アスカの問いかけに、簡潔に、イリスが答えた。

 その言葉はアスカの胸に突き立った。

 それでも訊いた。

 では、その見地に立ったオマエはなにをしようというのか、と。

 

「わたくしは、そんな混乱から世界を救いたいのです。正しい導きによって。そのための手助けを、そして、わたくしの夫:アシュレダウの守護を──貴女に、貴女にだからお願いしたいのです」


 狂っている、とアスカは断定した。

 この女は狂人だ。

 いや、ヒトですらない。

 正しい導き。

 その言葉がすべてを証明している。

 

「ざんねんだが……遠慮するよ、イリスベルダ。わたしは過ちの側から来たんだ」

「なぜ、そんなにご自身を貶められるのです? 貴女がたとえ、お父上の血を引いてらっしゃらない──正確には真騎士の乙女と、それ以外の生命体との混成種ハイブリッドだとしても」


 涙を浮かべてイリスは言った。

 真騎士の乙女と、それ以外の生命体との混成種ハイブリッド──忌まわしき真実の刃を、慈しみとして振った。

 

「なん……だと」

「貴女さまは、だから、正確には人類ではない。次なる段階へ我々が進むための試み、その検体なのです。ですが、そんなことは問題ではありません。すべてが救われた世界では、そんな瑣末な差異など問題ではなくなる。どうか、どうか、わたくしたちとともに世界を導いてください」

「繰り言だ」

「アスカリヤ殿下……どうして、どうしてわかってくださいませんの? これが真実なのです。そして、真理の扉はもうそこまで来ているのです。どうか、ともに」

「断るッ!! 触れるなッ!!」


 イリスが振った刃が意識の根底を切り刻んでいく。

 おとがいに伸ばされたイリスの手を払うので精一杯だった。

 姿勢を崩し、床に這う。

 怒りと混乱に世界が赤く染まり、衝動に肉体が弾けそうになる。


 ワタシハニンゲンデハナイ?

 

 どこかで、そうかもしれないと疑い続け、おびえ続けてきた真相を、無遠慮に流し込まれた憤怒がアスカを突き動かしていた。

 《スピンドル》が唸りを上げる。

 このまま、自分自身を刃に変じ、聖母気取りの狂人を仕留めてやる──ハッキリとした殺意がアスカを動かした。

 

 だが、その試みは成就しない。

 アスカの肩を、両腕を、半壊しながらもイリスを護るべく再集結した異形異貌の騎士たちが取り押さえたからだ。

 

「しかたありません……では、直接的《救済》を、貴女のために施します。願わくば、自らの《意志》で、こちらにきてほしかった」


 ぽろぽろと涙を流しながら、しかし、恐るべき決断をイリスは告げた。

 

 そして、そんなときだったのだ。

 アスカの全身が光を発し──粒子に変換され始めたのは。

 

 ここが運命の岐路だった。




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