■第八六夜:聖衣をひるがえす者
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ビュウォウ、と大気が焼かれて裂ける音がした。
アスカの手に握られた宝刀から爆発的に噴出したエネルギー流が、全長十メテル超の光刃となってイリスを打ち据える。
武神光裂断──強力なエネルギー刃により刀身の通過範囲内を一掃するその技を、アスカはためらいなく叩き込んだ。
常識的な感覚すれば、それは過剰殺戮とも言える《ちから》の無駄遣いだ。
生半可な刃物ではまずそもそもかすり傷すら負わせられない板金鎧を一瞬で溶解・蒸散させるほどの熱量と噴出速度をもつ大技である。
その威力を裸身同然のイリスへと向けることは、常識的には、非人道的な殺戮と判断されてしかたのないことだ。
刃の一突きで簡単に奪える命に、これほどの威力を用いるのは、足元を這うアリを踏み潰すのに象を使役するに等しい。
だが──ここはそんな常識や道徳の通じる場所ではない、とアスカは判断したのだ。
その判断はあまりにも正しい。
ギィン、と音が鳴り響いたのと、振り抜かれかけた刃がはじき飛ばされたのは、ほとんど同時だった。
「くっ」
アスカは続けて繰り出された攻撃をすんでのところで躱し、舞姫のように柔軟な動きで天地を逆転させると、自らに迫る脅威を蹴り飛ばしながら間合いを取った。
騎士、だった。
あの異形の騎士たちが起動し、恐るべきスピードでイリスへと迫る刃を撃墜したのだ。
エネルギー流を噴出させる刃が聖堂の柱を幾本か切り捌き、床面に巨大な亀裂を刻んでようやく停止した。
騎士たちは、あくまで無傷でアスカを捕らえようというのだろう。
させじ、と両脚を成す告死の鋏:アズライールが唸りを上げて旋回する。
その回転に包囲が緩んだ。
伸ばされてくる奇怪な騎士たちの腕を触れるなとばかりに捌き、その勢いを利用して、アスカは二階席、本来であれば聖歌隊のための席へと駆け上がった。
張り出したテラスの手すりを掴み、階下を睨む。
異形の騎士たちが掲げる武具に護られたイリスはますます完全な聖女に見えた。
さらに光背を広げながら、アスカを見上げてイリスは言うのだ。
天使像に対して懇願する乙女の顔で。
「おねがいです、アスカリヤ殿下。どうか、どうかわたくしたちとともに、来てください。そして、あのヒトを──アシュレダウの守護天使となってください」
もし、アシュレへの恋を自覚せず、また、真騎士の乙女としての純潔を捧げていなければ──もしかしたらアスカはその甘美な誘惑に屈していたかもしれない。
けれども、いまやアスカにとって己の恋とは、血肉と痛みとともにある現実に属するものだった。
なにより、アシュレ自身の決意を知ったいまとなっては、だ。
それは王者として、支配者として、ともに血塗られた道を歩んでいく、その先にしか成就しえない望みだ。
ひとたび王になると決意したものは、決して、聖なるもので報われてはならない。
ヒトの死や人生を己の《意志》で左右すると決意したものが、許しをねだるなど、あってはならない。
聖なるものでは贖うことのできないなにか。
それの答えに、アスカはすでに辿り着いていたのだ。
だから、イリスの呼びかけは──滑稽だった。
知らず、口元が嘲りのカタチに歪むのを止められない。
「なにを笑われるのです──さあ」
そして、イリスの呼びかけとは裏腹に、騎士たちがその頭部を開き隠された砲口に光を宿すのを見た。
「笑止」
「なんと?」
「笑止、と言ったのだ、イリスベルダ。たとえオマエがホンモノだったとしても、だ──アシュレダウは渡さない。わたし以外のどんな娘たちと、アイツとの人生を共有することになったとしても、オマエだけはダメだ」
「どういう……意味です?」
「わからないのか。闇だよ。オマエのなかには闇がない。それどころか、染みも汚れもない。そんな人間がどこにいる? オマエはイカサマみたいな手段で人間の持つまちがいを真白に塗りつぶした怪物だ。人間の本質こそは闇から来たのに。まちがいの側を否定し、正解し続けたいという側に属し、しかもそれを、こんな──得体のしれぬ連中と徒党を組んで成そうなどと」
ニンゲンをバカにするのもたいがいにしろ。
アスカはハッキリとイリスのありようを侮蔑した。
「なぜ……なぜ、わかっていただけないのですか?」
これほどわたくしは貴女を必要としているというのに。
ふたたび、イリスが訴えた。
強大な同調圧力とともに。
それは物理的なプレッシャーとなって風を巻き起こした。
アスカは瞳を閉じ、身を守る。
ヒトの手のようにも感じられるほどの風が、アスカの剥き出しの肉体を嬲った。
だが、次にまぶたを開いたとき、アスカの瞳に宿っていたのは冷たく蒼い炎だった。
絶対の殺意。
もはや、言葉は必要ない。
だから、アスカは跳躍したのだ。
いま自身に持てる最大最強の技をもって、この怪物を葬り去る、と。
恋した男の愛する女をくびり殺す。
弑逆者の汚名を負うたとて。
コイツだけは世に出してはならぬのだ。
アスカは自ら一条の光の矢となってイリスへの突撃を敢行する。
世界を揺るがす轟音が鳴り響き、筆舌に尽くしがたい閃光が強力な光の粒子をともなって空間を焦土に変えて行く。
アスカの前に、立ちふさがったのはあの異形の騎士たちだった。
その肉体そのものを盾としてアスカの攻撃を直接受け止める。
幾体かを破壊したところで、拮抗が生まれた。
アスカの放った告死の聖翼は、邪神:フラーマの象徴とも言える異能:フラーマの坩堝を打ち破ったほどの絶技だ。
あのときはたしかにノーマンの帯びる浄滅の焔爪:アーマーンとの共闘があった。
しかし、それを差引いたとして、ただの武具では、それがどれほど強固なものであったとしても防ぎ止めることはできない。
事実、強固な城塞の防壁を貫通し消し飛ばしてしまうだけのパワーを、この技は秘めていたのである。
それを受け止め、破壊されながらも拮抗に持ち込むだけの《ちから》といえば、それはもうひとつしかない。
「……こいつら……《フォーカス》かッ!!」
それはほとんど正解だった。
そう、いまイリスを護る異形の騎士たちは、正確には《フォーカス》ではないが、その出自を限りなく同じとする者どもだったのである。
「だが──ならばッ!!」
アスカは叫び、さらなる《ちから》を技に与えるべく《スピンドル》を起動させた。
多大な消耗は覚悟の上だ。
それでも、この防御を突破できれば、必ず届く。
直撃を受けた騎士たちが破壊されたことからも、それは明らかだ。
アスカひとりの技に、騎士たちは総掛かりで防戦している。
それは、彼らがこの技を恐れているに違いないからだ。
勝負どころだ。
アスカの《スピンドル能力者》としての勘がささやいた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
ぐんっ、ぐんっ、ぐんっ、と《スピンドル》だけでなく、アスカは肉体にも深い捻転を加えていく。
人間をして奇跡に届かせる《ちから》=《スピンドル》の根源たる《意志》とは、精神の働きだけを示す言葉ではない。
《意志》の強さとは、肉体と精神、そして、それらの間に生じる心の強さ、そのすべてを指してなのだとアスカは理解に及んでいた。
きっとアシュレやシオンと出会わなければ、一生気づくことはなかっただろう。
それは、ヒトとの関わり合いのなかでなければ学べないこと──生き方に関わることだったからだ。
アスカの生み出した凄まじい《ちから》に圧され、騎士たちは破壊されながら吹き飛ばされていく。
形容しようのない轟音は、世界に満ちる理が裂断されていく悲鳴に相違ない。
そして、激突の瞬間──殺った、とアスカは確信した。
ふわり、と柔らかであまやかな感触が、アスカの脚を包み、そっと地面に降ろすまで。
イリスの投じた御旗の聖衣が絶命必至の一撃を、まるで蝶を優しくつかまえるようにして搦め捕ったのだ。




