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■第八〇夜:選び取られた孤独

 

 《救済》は光によって行われる。

 

 まばたきを繰り返しても振り払えぬ輝きは、己の脳裏で起こっている事象なのだとアスカは理解した。

 アシュレが紐とき開示してくれた「ユガディールの手稿」によれば、それはこの世界に暮らす人々の内部に遍在へんざいする“接続子ハーネス”を介し、“庭園ガーデン”を経由して行われる改変なのだという。

 

 つまり、この巨大な神の似姿——偽神群たちは、不遜にも人々の心に裏口バックドアから侵入し、手を触れ、自分たちが信じる救いのカタチを流しこむ。

 

「もしかしたら——オーバーロードたちの行う侵食イントルード系の異能も、理屈は同じなんじゃないかな」


 アシュレは控えめに自説を付け加えたが、それは正しいとアスカは思う。

 不遜な——偽りの神でありながら。

 うぬ、とアスカは唸る。

 

 だが、《救済》の《ちから》は圧倒的だ。

 

 事実、アスカ本人も無意識のうちに流れ落ちる涙を止められなくなっていた。

 それは輝きのまぶしさからだけではない。

 この世界:ワールズエンデに暮らすすべての人類、そして、魔の十一氏族の肉体に知らず知らずのうちに埋め込まれているという“接続子ハーネス”が肉体へと作用し、アスカの意志に関わらず《救済》への歓喜を生理的反応として引き起こしているのだ。

 

 無意識のうちに屈してしまいそうになる膝に拳で鞭をくれ、アスカは立ち上がる。

 キンッキンッ、とそれに応えた両脚:アズライールが音を立てて展開する。

 よし、とアスカは思う。

 この強力な同調圧力に対しても、《スピンドル》は抗う《ちから》を与えてくれる。

 

「去れッ、偽神:〈ログ・ソリタリ〉よッ!! 我は——わたしは、オマエたちの《救済》を否定するッ!!」


 叩きつけるような光に抗い、膝立ちから飛び立つように身を起こし、アスカが叫んだ。

 びゅう、と展開したアズライールの周囲で風が巻き、翼を幻視させた。

 

 だが、己を見上げ《救済》を否定する小さな存在に対して〈ログ・ソリタリ〉の頭部を成す異形の天使像が微笑みを浮かべた。

 それは慈愛に満ちたものだったかもしれないが、アスカには人類への嘲笑ちょうしょうに見えた。

 

 なぜならば、背後を振り返ればそこに広がっていたのは、その偽神からの《救済》に涙し、膝を屈して祈りを捧げる者たちの群れが形成されていたのだから。

 

「殿下……これ、は」

「不覚……カラダが……いうことをききませぬ」


 左手からティムールが、右手からはナジフ老の呻きが聞こえた。

 さすがに《スピンドル能力者》、意識までを完全に引き渡したわけではないが肉体が引き起こした反応に抗いきれず、両膝、両手をついて這いつくばったふたりの姿がそこにはあった。

 

「ティムールッ! 爺ッ!! 心を強く持てッ!! 《スピンドル》を想うのだッ!! 《意志》を、わたしたちがわたしたちであることを手放しては、ならんッ!!」

「「御意ッ!」」


 アスカの一喝に、ふたりの忠臣は叫びで応える。

 だが、どうにもならない。

 ただ、この姿勢のまま、浴びせられる同調圧力に耐えることしかできない。

 

 哀れな、と天使像が瞳を細めたようにアスカには見えた。

 オマエの叫びは、オマエだけのものでしかない。

 見よ——圧倒的大多数を。

 

 膝を折り、我を見上げ、涙を流し、《救済》の歓喜に酔いしれる人々の姿を。

 

 これこそ真の救い。

 考えること。

 思索しつづけること。

 判断すること。

 そのすべてからの解放。

 

 すべての人々が望んだこの世の苦役・苦痛からの解放が、ここにはある。 

 

 それら圧倒的大多数の《皆》、その《ねがい》から、オマエは目を逸らすのか。

 否定するのか。

 

 言葉ではなかった。

 だが、〈ログ・ソリタリ〉から注がれる《救済》という名の同調圧力が、そう言っていた。

 アスカは指先で涙を拭う。

 ビュッ、と振り払えばそれは光の粒子となって飛散し、渦巻く風が水滴を切り捌いた。

 

「そうとも」


 一瞬でも気を抜けば折れてしまいそうな膝に力を込め、アスカは言い放った。

 

「そうだ。否定する。オマエたちの救いなど——まっぴらごめんだッ!!」


 無知な、と〈ログ・ソリタリ〉が身じろぎした。

 おお、坊や——愚かなことを。

 そういう母親のように。

 

 それはいけない。

 さあ、いまからでも遅くはない。

 皆の列に加わりなさい。

 さもないと——オマエはひとりになってしまう。

 孤独であることはいけないことだ。

 

 だが、そう呼びかける〈ログ・ソリタリ〉に、アスカはますます胸を張り怒鳴り返した。

 

「オマエは、わたしの親かッ?! やかましいぞ、そして、押しつけがましいッ!! だれが頼んだッ?! すくなくともわたしのオーダーではないぞッ!! しらんのなら教えてやるッ!! わたしの母は、真騎士の乙女だった。それなのにニンゲンの男に恋をして、一族の掟をぜんぶ無視して、駆け落ちしたんだッ! わたしはその娘だぞッ?! 馬鹿めッ!! 孤独になるのはイケナイことだッ?! ふざけるなッ!! 彼女が孤独を選んでくれた——選んでくれたからこそ、いま、わたしはここに立っているッ!!」


 オマエの言うことが、たとえ正しいとしてもッ!!

 獅子のごとくアスカは叫ぶ。


 脳裏に浮かぶのは、アシュレの姿だ。

 初めてあったあの日、たしかにアシュレもそう言った。

 きみはひとりになっちゃいけない。

 だが、それは、信教も帰属する集団も家も家族も捨て、ただ、ともに戦った仲間たちのために尽くした男の言葉だった。

 

 それに比べたら——アスカは想う。

 オマエの、〈ログ・ソリタリ〉、オマエの言葉など女衒の甘言かんげんにも劣るわッ!!


 だから、はっきりと言い返せる。

 

「ヒトの心に介入して正そうなどと——すくなくとも《救済》を叫んでやるようなことではないわッ!! 最低でも、正々堂々、支配者としての名乗りをあげてから行えッ!!」


 だが、オマエの席捲せっけんをほかの誰もが認めようと——わたしだけは許さんッ!!

 なぜならば。

 

「なぜならば、わたしが王者だからだッ!! この見渡すかぎりの大地を征服し、人々をかしずかせるのが、わたしの生まれてきた意味だからだッ!! そうわたしが規定したからだッ!! 《皆》の総意だあ?! ふざけるなッ!!  自分の論理に従わない——《意志》を持って生きる者たちを排除しておいて、なにが《皆》だ。オマエたちの魂胆は丸見えだと言っているんだッ!!」


 わたしは、わたしの《意志》を、オマエには渡さないッ!!

 そう叫ぶアスカに〈ログ・ソリタリ〉は、ふたたび憐れみの表情を浮かべた。


 無益なことを。

 どれほど虚勢を張っても——ヒトは心の奥底では正解への服従・・・・・・を望んでいるというのに。

 アスカリヤ……オマエは、まちがいの側に属しているのだよ。

 

 同調圧力がそう言った。

 

「ハッハッハッ。だから、オマエは愚かだというんだ〈ログ・ソリタリ〉ッ!! まちがい——それが人間の本質だと、なぜ気づかいないッ!! だがだからこそ、ヒトは、人間は、そのまちがいの果てを目指すのだとッ!!」


 そして、オマエたちだって、だれかにこしらえられたものだろう?

 だとしたなら——。

 アスカは不敵に笑う。

 それから言った。

 

「オマエたちのまちがい・・・・が勝るか、わたしの信じるそれが勝るか——雌雄を決するほかあるまいな!」


 ゆっくりと〈ログ・ソリタリ〉が首を振った。

 それはあまりに頑迷な娘に愛想を尽かした母親のようでもあり、厄介な敵対者に対処法を切り替える装置の姿でもあった。

 

 そして、言葉の替わりに〈ログ・ソリタリ〉の輝ける指が、アスカを捕らえるべく襲いかかってきた。 






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