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■第七四夜:のたくる地獄


 軍議は夕食の席でも通して行われた。

 

 料理は鍋だった。

 老ナジフが持ち帰ったシギが肉団子になっている。

 ソテーしても非常に美味な鳥だが、繊細な仕事をしているヒマはない。

 沸かした湯にくぐらせ羽根をむしり、表面を火で炙ってから、骨も内臓も一緒くたにして、両手に構えたナイフで丁寧に叩く。

 自生しているハーブ、ノビルやギョウジャニンニクと、軍用食として運んできた乾燥ジャガイモとともに鍋へ放り込めば、身体の芯から温まる肉団子汁の完成だ。

 そこにドライトマトとオリーブを油で練ったペーストを落とすのがティムールの工夫だった。

 さらに、シギの仲間は脳髄も美味として珍重される。

 ティムール風ヤマシギの軍鍋カザン——さしずめそう呼ばれるべき料理の隠し味には、クリームを思わせる濃厚なそれが溶き加えられていた。

 味付けは岩塩をやや濃いめに。

 これは軍事行動中であることと、寒さに対する配慮だ。  


「そんでさ、んぐ、さっきアスカ殿下には見てもらったんだけれども」


 料理を口いっぱいに頬張りながら、イズマがハシで図面を指す。

 ちなみにハシとは土蜘蛛たちの伝統的な食器で、二本の棒切れで料理を挟んで食べる風変わりなものだ。

 

「ここ、聖堂の窓。それから、城塞に十字に切られていた弩兵用の窓。ぜーんぶ、ふさがれて塗り固められちゃってんのよ」


 ばりばりと、これまた長期侵攻用によくよく水分をとばされた堅焼きのパンをむしり、鍋のスープにじゃぶじゃぶと浸してふやかしながら、イズマが報告を続けた。

 

「銃眼まで? どういうことだ。意味がわからん」


 訊いたのはコルカールだ。

 見てきたワシにもさっぱりわからん、と首を捻るのは老ナジフ。

 ティムールは敵の意図を探るように顎に手を当てて黙考している。

 

「ふつうに考えれば、城塞としての価値を半減させてるようなもんだからね」

「ただし、敵側に、夜魔の騎士たちがいなければ、ということか」

「そこね」


 アスカの洞察にイズマはハシを向ける。

 

「軍事侵攻ルートとして、ギルギシュテンを攻め落とす意味は、これを無視して侵攻した場合、トラントリム首都防衛軍との挟撃を許すことになって危険、というところに、まず第一義があるんですけれども」


 この「さあ、いかにも秘密がありますよ」ってやり口は、どういう駆け引きなんでしょかね?

 イズマですら首を捻る。


「加えて、領民を城塞内に保護しているわけだよな、奴らは」

「そこなんですよねー。たぶんだけれど、正規戦力として配されているのは数百人程度だと思うんですヨ、トラントリム側は。いま、場内に立てこもるおそらく半数以上が、地域住人たち」

「夕餉の煙の数がそれを証明している、と」

「だのに、城内の空気循環も兼ねる窓を塞ぎまくって……これってどういうことだと思います?」


 ごくり、と喉を鳴らしたのはティムールだ。

 

「まさか、とは思いますが」

「うん、意見はできるだけ自由に言ってね。可能性を検討する場だから」

「では遠慮なく。非常に申しあげにくいのですが……夜魔を増やしている、というのはありえませんか?」


 その……我々人間が、羊を繁殖させているのとおなじように。

 おそるおそる、という感じでティムールが口にしたのは、場に意見する緊張からではない。

 もし、己の想像が本当だったなら、というヒトとしての倫理観に、それは根ざすものだっのだ。

 そして、ティムールの意見に、だれも異論を挟まなかった。

 

「充分に……ありうることだ」

「トラントリム成立の歴史を鑑みれば、そりゃあ……あるかもなあ」


 アスカが頷き、イズマも同意する。

 

「こういう言い方をしていいのかどうかわかんないけど……牧場、か」


 人類たちが言いにくかった単語を、あえてイズマは口にした。

 

「バカなっ、自らすすんで夜魔に堕ちるなどとッ!!」


 激昂げっこうしたのはコルカールだ。

 誇り高き砂漠の民の血を引くコルカールにとって、ニンゲンであることをすすんで売り渡すなどという発想そのものが、まず相容れないことなのだろう。

 

「いや、ないことではないと思う。というか、このへんはやや変種入っているとはいえイクス教圏の国々なんだよ。そこと夜魔たちが共存してきたんだ。対外的なものは、ともかくね。ヘタをすると、夜魔たちのなかにさえ、イクス教徒がいるかもしれない。いやいるでしょう」


 イズマは自分の椀にさらに鍋の中身を移しながら、諭すように言った。

 

「そこへきて、残虐で鳴らしたオズマドラの軍団が侵攻してくる、って話が持ち上がれば、恐怖と信仰が結びついて、一線を超えてしまう、って発想はむしろ自然に思えるなあ、人間心理として」

「だからといって!」

「いやいや、だから、コルカールねえさん、ここはなにが起こってもおかしくない《閉鎖回廊》なんですって」

「だとすれば——人心をたぶらかす僭主:ユガディール、やはり討つべしッ!!」


 ごもっとも。

 イズマは頷くが、その瞳はアスカに向けられている。

 《閉鎖回廊》とは、オーバーロードたちの封土である。

 だが、彼らオーバーロードたちは、同時に、そこに暮らす者たちの《ねがい》を注がれた存在であることをイズマはすでに知っていたし、それをほのめかすような話を先だってアスカにはしていた。

 

 どういう判断を、このコはするだろうか。

 そういう試すような視線がそこにはあった。

 

「これは……確定なのか……住民たちが夜魔となったというのは」

「さあて。実際に侵入して確かめます?」


 やれと言われたらやりかねない調子でイズマが言った。

 あの、試すような視線のままで。

 数秒、アスカは目を閉じ、思考する。

 それから言った。

 

「いや。当初の予定通り、拠点攻撃で先制する。なにが潜んでいるかわからんところに、貴重な戦力であるイズマ殿を単独潜入させるようなリスクは冒せない」

「降伏勧告は行います? さもないと、あとで、地域住民の恨みを買うかも?」

「これは奇襲作戦だぞ? であれば余計に、だ。手心を加えて半端な数を残すと、流言飛語がどうなるか予想もつかん。ならばすべての口は封じる。城塞に立てこもった時点で、それは戦闘要員と見なす。死人に口無し、だ。数百名程度——掃滅せよ」


 さっすがあ、とイズマが笑みを広げた。

 アシュレくんにはまだできない決断だったろうかな、という苦笑もそこには含まれている。 

 冷酷非情さは統治者の絶対条件であり、そしてまた、これは戦争なのだ。

 

 それに、とアスカは付け加えた。

 

「それに、ここには、あの巨大な負の遺産:《ポータル》、〈ログ・ソリタリ〉の片割れが眠っている。一刻もはやく押さえねば——」


 それこそが、我々がこの城を攻め滅ぼす、真の理由なのだからな。

 噛みしめるように言って。

 

 そんなアスカをイズマは目を細め、見つめる。

 演技ではない微笑みが、珍しくその口元に宿っているのに気がついたものは、いない。

 アシュレたちを思う彼女の姿を、もしかしたら、イズマは好ましく思ったのかもしれない。

 けっきょくのところ、その真意はわからないのだが。

 それから、言った。


「そんでは、そういうしんどい決断をされた殿下に、ボクちんから——プレゼントがありまーす」と。


 いつものあののーてんきな口調で。

  

         ※


 イズマが周辺地域に張り巡らせていた警戒網が一斉に破られたのは、その日の夜半のことであった。


 翌払暁よりの攻撃開始を決め、床についたアスカたちを下級夜魔の群れが襲った。

 警戒網突破から、わずか数分後のことだ。

 殺到する夜魔の群れに、戸口が、窓が、次々に破られた。

 歩哨に立っていたティムールがまず喉を食い破られた。

 同じく当直であったコルカールも愛用の大剣を振るい奮戦したが、多勢に無勢、背後から襲いかかる爪牙に押しつぶされるように倒れた。

 ナジフは飼葉を掻くフォークで刺し貫かれ、掲げられた。

 追いつめられたオズマドラの皇子は、自刃を選んだ。


 襲撃者たちが違和感に気がついたのは、寝床でいびきをかく土蜘蛛の男に刃を突き立てた瞬間だった——。

 

 びよよーん、ともげた首がバネ仕掛けで笑っていた。

 そして、それが、彼らがこの世で見た最期の光景だった。

 

 ドンッ! という衝撃とともに、真下から地獄ゲヘナの業火が吹き上がったからだ。


「あーはっはっはっ、どーよどーよ。だーれが、セオリーどおり技出してくるかってーの! オメーラ、ボクちんを誰だと思ってんの?! 土蜘蛛王:イズマさまだゼ? ワザと残してきた痕跡を一生懸命たぐってきたんだろ? バッカダナアァアアアアア??? この土地の利は自分たちにあると思ってたんだろ? アッタマワリイイナアアアー! 罠ってーのはね、自分が仕掛けてる側だ、って思い込んでるヤツほどよくかかるのよw よくできた人形と幻術でっしょ? オマエら、ボクちんに奇襲食らわせようだなんて、考えが甘ェーにもほどがあるヨン!」


 マントとストールをなびかせたイズマは、当然無傷で哄笑を上げて立っていた。

 

「ほんでもって、やっぱり夜魔化してやがったんだな? あーあー、もうかわいそうに。高位夜魔に転成できるのは、強い《意志》の持ち主だけなんだって。だから、こののたくる地獄クローリング・インフェルノを越えられない。燃えて終わり。影渡りシャドウステップでも、逃げられねーよ? 前にも言った? まあ、ざっくり数百ってとこかな、人数的に。みんなで渡れば怖くないってか? バッカだなああ。ボクちんにはそーゆー奴らに対する慈悲心なんてねーんでね、アシュレくんやアスカ殿下と違って。これって、あの聖堂に詰められてた全戦力でしょ? 一網打尽だね」


 はーはっはっ、とバカみたいな笑い声を上げるイズマだが、その背後ではアスカ以下、砂獅子旅団の構成メンバーたちが目を剥いてその光景に見入っていた。

 

「……とてつもない、攻撃能力だな」

「どーでしょー、ボクちんの有能さ、わかっていただけましたン?」

「相手の指し手の読みも、ドンピシャリだ」

「まーねまーね、そうでなければこれほど正確に技は仕掛けられませんからね?」

「わざわざ相手が追跡しやすくなるように、痕跡を残すとは」

「策ってのはこういうもんですヨ。野生動物もこの手は使うんだけど、これほど大規模な罠があるとは向こうだって予想外でっしょ? どーかな、こーのプレゼント、気に入ってくれかしたー?」

「ハッハッハッ、そなたの笑顔には今度から充分に注意を払うことにする——それで」

「もちろん、このあともちゃーんと考えてありますよ? さー、惜しみなくでかいヤツをみせるぞーッ!!」


 クライマックスにふさわしいヤツで、ドーンといきますよー!

 得意絶頂で笑いながら叫ぶイズマの指が恐ろしい速度で結印され、強力な召喚門を開くための多重立体召喚陣が構築されていく。

 まさに口と手は別物。

 イズマは哄笑を上げる。

 

 させじ、と丘を影渡りシャドウステップでショートカットしながら駆け上がってきた夜魔の騎士たちを認め、砂獅子旅団の面々が召喚動作中のイズマを守るべく、展開する。

 その嚆矢こうしを努めたのは、ほかでもない。

 オズマドラ帝国第一皇子:アスカヤ・イムラべートルが宝剣が放つ真紅の輝き。


「おおおおおおおおおおおおおおおお——レイディアント・アーダーッ!!」


 アスカの雄叫びとともに、ギルギシュテン城を巡る奇妙な攻城戦の幕は、たったいま、切って落とされたのだ。

 





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