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■第七三夜:侵略者の資格

         ※ 



「へくちんっ」


 可愛らしいくしゃみが、冬季用のコートに身を包んだアスカの口から発せられた。

 びっしりと刺繍がなされ、襟首と手首から黒テンの毛皮を覗かせたそれは、まとう者の身分をひと目で思い知らせる。

 オズマドラ帝国第一皇子:アスカリヤ・イムラベートル。

 ほんとうは皇女、と呼ばれるべき彼女が、男物の軍装で暖炉の前に座っていた。


「殿下? だいじょうぶですか?」

 

 側近のひとり、大剣使いの大女:コルカールが熱いバター茶を差し出しながら、訊いた。

 

「大事ない。寒いとか、そういうのではない」


 差し出されたバター茶を前に、しかし、アスカは盛大なくしゃみを二回、繰り返した。

 

「それは誰かが、うわさをしているのでしょう。神のご加護を(インララム・ラー)」


 迷信深い砂漠の民の出自らしくコルカールは笑うと、アラム教の唯一神:アラム・ラーに祈りを捧げた。

 

「おそらく、我々オズマドラの進軍に怯えるトラントリムの将兵たちでしょうな?」

「ふふ。だとよいのだが」


 志気の高さを証明するように太い骨相の顔の上でニカッと、と笑顔を作って見せるコルカールに、アスカは苦笑を返すしかない。

 きっと、噂の主は、シオン殿下かアテルイだろう、とはさすがに言えない。

 ほとんど確信といってもいい予感があれど、だ。

 

 ここはトラントリム国土の約半分を占める森林地帯、そのなかでも現在は伏流水と化してしまっているフィブル河流域、地図上ではバグラーシュの森と呼ばれる原生林に隣接するコテージだ。

 

 アスカ率いる砂獅子旅団精鋭たちは、アシュレたちとは異なる侵攻ルートを選択。

 目下、今次作戦における重要攻略拠点のひとつ、ギルギシュテン城攻略作戦の細部を詰めている最中であった。

 

「それにしても……遅いですな、あのふたり」

「敵状視察。それも強行偵察ではなく、交戦を避けつつのそれだ。思うようにはいくまいよ」


 焦れた様子で言うコルカールに、アスカが度量の大きさを示して見せた。

 ずっ、とバター茶を啜る。

 

 アスカリヤ旗下:砂獅子旅団がこのコテージを接収したとき、すでに住民の姿はなかった。

 いくさの気配を察したのか、それともあらかじめ、この事態を予想していたのか。

 ともかくも、家財道具の多くが持ち出されていることと宅内の整然とした様子から、トラントリム議会による避難誘導が行われた公算が高い、というのがアスカたちは意見の一致を見せていた。


 敵の小拠点をいくつか制圧しつつここへ辿りついたときのイズマとの会話を、アスカは思い出す。

 実はこのコテージこそはトラントリムにあって、アシュレとシオンとに再会した想い出の場所であったのだ。

 アスカは心中、密かにも、その場所が破壊を免れていたことをよろこんでいたのだが、同時に己が為政者であったならば、という比較に複雑な思いを抱いた。

 それを、思わずイズマに問うた。

 きっと臣下相手には、これほど素直になれなかったであろう、という言葉で。

 指揮官が心の弱さをさらけ出すには、なるほど、部外者のさらに異種族の、というイズマの立ち位置は適切であったのかもしれぬ。

 

「普通なら、軍事拠点化するなり、焼き払うなりなんなりするところだがな……敵に接収されるのが目に見えているなら」


 家財道具はともかく、外観も隣接する温泉の施設もそのままなコテージを前に、だれとはなくアスカは言った。


「民衆の忠誠に配慮して……ってとこかなあ。まあ、じっさいのところはわかんないんだよね。オーバーロードどもの考え方ってーのはさ」


 背後からイズマが歩いてくる。

 周辺の森に設置されていた狩猟罠の類いをひと通り解除してきたのだ。

 ただね、とアスカの問いに、コテージを接収にあたり、トラップの可能性などを検討・外観から値踏みしながらイズマは言った。

 

「もし、ユガディールって男がさ、自作自演のものだろうと夜魔と人類が共生できる理想郷ユートピアを本気でこしらえようとしてたなら……自らの国土とそこに暮らす民草の生活基盤を焼き払う焦土作戦は、最後の最後までしないだろうね」

「耳の痛い話だ、イズマ殿」


 背後から現れた男を振り返りながらアスカは言った。

 ちょうど光を背負うように歩いてきたイズマの姿は、影絵のようで、表情はよく見えない。


「イズマでけっこうだよ、アスカ姫」

「姫、などと呼ばれると尻がむずがゆいな、アスカと呼び捨てで願いたい」


 ユーモアを含めて訂正を求めたアスカの声に、あっはっはっ、とイズマは笑い、こちらはウィットで返してきた。


「それは志気に関わるから、難しいなあ。軍事行動でしょ、これ。司令官が誰かはちゃんとしとかないと」

「ではなおのこと姫は困る。殿下、と」


 短いつきあいだが、アスカはすこしこの風変わりな男のことがわかった気がしていた。

 ふざけているようで、その実、相手の器の大きさを計ったり、振舞い方に指摘を入れたり。

 それは権力者に対しても無礼極まりない、とも言えるが、裏を返せば為政者としての資質を問われているようでもある。

 

 西方の宮廷では道化師をかたわらにはべらせるというが、それは単に無聊を慰め憂さを晴らそう、というのだけでないのであろう、とアスカは分析してきた。

 道化とは、すなわち為政者自身の鑑である。

 己が行ってきた統治と、民に対する感情がそこにはすべて反映されるからだ。

 そこに暗い愉悦を見出すか、強烈な風刺とともに教訓を見るか。

 あるいは、こころの底からの笑いに変えられるか。

 それこそまさに為政者の器の問題であろう。

 そして、さらには、外交にあって、笑いがあらわにさせる交渉相手のヒトとなりを見抜こうという深謀遠慮があるのやもしれない。

 

 そう考えると、その道化を生き方として選択したイズマという男は、おもしろい、とアスカは思うのだ。


 では、殿下、とそんなアスカにおどけてイズマは一礼、話を続けた。


「まあ、要するに、恐ろしいくらい自らの理想・信念の通りを貫き通すのがオーバーロードたちの特徴なんですよ」

「人類の王たちにはとてもマネできん話だ」


 イズマの生き方に感じていた密かな畏敬をこめて、アスカは言った。

 そーだねー、とイズマは相づちを打つ。


「《閉鎖回廊》っていうところはどんな荒唐無稽もまかり通る場所だって話は、前にしたっけ? そこに侵攻するっていうのは物語のなかに飛び込むのに等しい、って話もした? つまりさ、オーバーロードたちの封土である《閉鎖回廊》ってのは、彼ら彼女らの理想を貫き通すための結界でもあるのさ。一種の理想郷ユートピアなんだよ。人間では到底、実現不可能な、ね」

「アシュレたちが大軍勢をもっての侵攻に難色を示した理由が、よくわかる。しかし……そこだけ聞くと、なんというか、こうして攻め込むわたしたちのほうが悪役に思えるな」


 ふー、とため息をつくアスカに、イズマは左目の眼帯を掻きながら唇の端をゆがめて言ったものだ。

 

「たーしか、冷酷で知られたオズマドラの若獅子、って呼ばれてたよね、アスカ殿下って西側では。そんな弱音が出るなんて、もしかして、アシュレくんの影響を受けたのかな? でもさ、しってるでしょ。戦争そのものには善悪なんてないんだって」


 突然アシュレの名を出されて胸を突かれるカタチになったアスカに、イズマは言った。

 心なしか、そこにはいつもより底意地の悪い、いや、己の心の内側をのぞき込んだ人間が浮かべるあの自嘲めいた笑みが貼りついていた。

 

「それに——オーバーロードたちの《ねがい》は純粋だからこそ、正しいカタチでは叶わない。どこかで必ず矛盾とほころびが出る。それに、オーバーロードたちは領民相手にも、自らと同じ基準で要求するからね。理想を。はたして、理想の通りに生きることの困難を知る者たち、つまり《意志》ある者たちからすれば、一目瞭然だけれど、それは楽園じゃなくて地獄そのものだと思うよ」


 だから、つまり、ボクちんたちの戦争は、そういう歪んで実現された理想郷ユートピアの影との闘い、って話でさ。

 

「それとも……その理想に従いたいヒトビトには、違って感じられるのかねえ。だとしたら、たしかに、救いがないか」 

 

 唇の端をつりあげて言うイズマの顔は逆光になってよく見えなかったが、きっとひどく凄惨で虚ろだったに違いない、とアスカは思う。

 反射的に頬を撫でてやりたいと思い、そのように身体が動いて差し出した掌を、まるで光を恐れる闇の生物のようにイズマが避けたからだ。

 

「おっと、長話しすぎちゃったね。陽のあるうちに温泉使いたいから、調べてくるよ! なーんか妙なことされてないかどうか。あと飲み水もね!」


 長い手足を捌きながら去っていくイズマの姿に、今度はアスカが苦笑した。

 

 そして、いま、ギルギシュテン城の斥候に出向いているのはそのイズマと、アスカの側近で、砂獅子旅団のとりまとめ役:老ナジフであった。

 

 む、とコルカールがちいさく唸り、かたわらの大剣に手を伸ばす動作で、アスカは我に返った。

 戸口にヒトの気配が生じたのは、それから十秒以上してからだ。

 ココン、コンコンッ、と取り決めた符丁で扉がノックされた。

 

「砂漠の月は?」

「蒼い」


 形式ばかりの合言葉ののち、入ってきたのはギルギシュテン攻略部隊にあって兵站を担当する砂獅子旅団の内政の要:ティムールであった。

 

「殿下ッ!! 斥候に出ていたナジフ老とイズマ殿が帰還されました。ついては、殿下にご報告申しあげたいとのこと」

「うむ。ではすぐにこちらへ。温かい茶と食事を」

「いえ、イズマ殿が言われるには、敵状を見ながら殿下とお話したいとのことで、まず丘の上から、と」


 ほう、とアスカは提案に声を上げた。

 

「で、いま彼らはどこに?」

「丘の上に向かわれています。こちらへ」

「よい。ひとりでいける。というより、かつてこのあたりはわたしが単独行動していたテリトリーだぞ。まかせておけ。丘の上といえば、あそこしかない」


 それよりも夕食の支度を頼むぞ。

 アスカはそう言い置くと、ティムールを尻目に丘陵へと向かった。

 新緑の、というにはまだまだ弱々しい草地を踏みしめ登っていくと、丘の稜線の手前でイズマが待っていた。

 

「やー、どもども、ちょっぴりお久しぶり?」

「敵状偵察ごくろう! 首尾は?」

「あー、まー、それはちょっとおいおい説明しましょう。まず、基本戦術を確認したいんだよね。向こうのお城見ながら相談しようか、と思ってね」


 それでまー、御足労願ったわけですヨ。

 イズマの物言いは紙のようにペラペラだが、振舞いは熟練の斥候のそれだった。

 

「とりあえず、いま、いい感じにギルギシュテン城が見えるんで、こちらにドーゾ」


 と招かれた先には、すでに敷布がされている。

 寝転がって稜線から敵状をそっと覗け、という意味だとアスカは理解した。

 見通しのよい丘陵地帯に人影をさらせば、容易に発見される。

 かなり遠方からの裸眼でもそれが可能なのは、人間の目が動くものに反応することと、人型のものを素早く感知・検出する生物学的な理由による。

 木目や布地の染みにヒトの顔を見てしまうのと、根幹は同じだ。


 アスカはイズマにならい、斜面に身を預けると渡された遠眼鏡を使い、ギルギシュテン城を覗いた。

 遠眼鏡を光に対して影になる場所から用いるのも工夫だ。

 レンズの反射光はとんでもない遠くまで届いてしまう。

 偵察任務には心強い遠眼鏡も、場所取りによってはご法度だ。

 

 夕日に照らし出された城塞は、その壁面を白く輝かせていた。

 あちこちから夕餉のための煙が上がるのが見える。

 

「相当数の人数が配されているようだな」


 立ち上る煙の数から察してアスカが言った。

 

「小国のわりには、って但し書きがつくけど……一〇〇〇は堅いと思いマッス」

「正面からバカ正直に攻めるのは、やはり避けたいな」


 アシュレのシヴニールでもあれば話は変わってくるが、と付け加えてアスカが感想を口にした。

 

「んー、それなんですけどネー。まず最初に一発ドデカイのでひっぱたくというのはどうでしょうか」

 アスカに身を寄せ、同じく城塞を見やりながら、イズマが提案する。

「ひっぱたく、というのは?」

「いや、こう、真下からドーンと、灼熱の炎で」


 遠眼鏡を目から外して、アスカがまじまじとイズマを見た。

 

「そんなものがあるのか?」

「あるます。のたくる地獄クローリング・インフェルノ。攻城戦用の地形級マップ攻撃が」


 下からドーン、という仕草をイズマは行い、アスカは数秒固まると、直後に笑いはじめた。

 

「なんだそれは。いまわたしは必死にあの城塞を内側から攻略できないか考えていたのに」


 イズマ、やっぱりそなたはケタ外れだな。

 そう言って苦しそうにお腹を押さえる。

 いっぽうのイズマは、笑うとこじゃねーんですけどね、と言いながらもいっしょに笑っている。

 

「いや、単純にぶっ壊すだけなら、楽勝なんですよ。むしろ、城塞に篭っていてくれるほうが的が絞りやすくて都合がイイ」

「なるほど、なるほど。いや、こんどから、対異能者戦における常識について考え直させてもらうことにする」

「まー、こんな能力を制御できる《スピンドル能力者》は、そうそういないンだけどね? このイズマスペシャルボディだからこそ可能な技で?」


 笑いながら片眉を吊り上げ言うイズマに、アスカはなにをどう突っ込んだらいいのかわからず、ついに転げ回る。

 大声で笑うわけにはいかないからだ。

 

「じゃあ、まあ、アスカ殿下的には地形級マップ攻撃で相手の出鼻と戦意を一挙にへし折る作戦には、わりと乗り気なんだね?」

「うん、相当な」

「もちろん周囲の地形もめちゃくちゃになるし、たぶん、環境もダメになる。もしかせずとも、大規模な森林火災を想定してもらうことになると思いますケド?」

「このあたりの地形を見るにいたるところに三日月湖がある。森林地帯はそこでいくつにも分断されている。それに雪解けの季節だ。風向きにもよるが、夏や秋のような延焼は起こりにくいのではないか?」

「ゲヘナの火は通常の手段じゃ消せないから、効果時間中はずっと火柱が上がりっぱなしなんですヨ?」

「城の東側は涸れ河になった岸辺に張り出している。かつて流れがあったころには水運に目を光らせ、いまでは唯一開けた地形であるフィブル河の川床に陣取った敵軍を叩くための城だからだ。ならば構造上からも戦術的にも、ここにもっとも兵が配されるであろう。そこを狙え」

「なるほど。城下直撃でなくていいなら、だいぶ状況がちがってキマスネ」

「効果時間は?」

「最小火力で二刻ほど」

「それでいこう」

「敵は全滅に近くなると思いますケド?」

「戦闘要員に容赦は必要ない」


 そこまで調子よく問答を交わしていたふたりだったが、イズマが、あー、と唸り額に指を当てて丸まった。

 

「やっぱ、そこかーッ」

「どういうことだ?」


 追いすがって訊くアスカに、イズマが敵状視察の詳細を語りはじめた。

 

 

 


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