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■第七〇夜:愛は無慈悲に(2)


 いつもは冷静沈着なシオンが声を荒げたことだけで、アシュレにはことの重要さは理解できた。

 だが、なにを指して言われているのかまでは、理解が及ばない。

 だから、訊くしかない。

 

「あれ……といいますと?」

「そなた、スノウを抱きすくめたであろう! さらには、その身に牙を立てることを許したであろう!」

「あ、えと、そうだったね。ただ……拘束具はまずい、と思ってさ。《フォーカス》をあんな風に、あんな子につかっちゃいけない……よね?」

「夜魔にとって、牙を立てることを許す、許される、というのはカラダを許す、許された、という意味だと教えなかったか?!」

「あ、あああ、なんだかそんな意味合いのことは……以前、おうかがいしました」

「おうかがいしました、ではないわ! そなたっ、わたしに首筋を捧げられたであろう! そのとき、言ったであろう!」

「あ、ハイ、たしかに」

「あ、あんな、あんな首筋の近く、肩を、そなたの肩に牙を立ておってからに、あの小娘!」


 たぶん、夜魔にとってのそれは恋人との秘密の場所に、他の女を勝手に連れ込まれたくらいの意味があるのだとアシュレは理解した。

 つまり、これはいま、ものすごい勢いでシオンはやきもちを妬いているのか。

 だとすれば、これは極刑に該当するのでは、とも。

 正解であった。


 ところで「やきもち」なる食べ物の存在は、アラムに来て初めて知ったアシュレである。

 火にかけるとぷくう、と膨らむその様は、たしかにいまのシオンの表情そっくりだ。

 

 実はアシュレはシオンが、このように悋気りんきを露にするところをあまり知らない。


 たとえば、どういう力学なのかわからないが、イリスとの関係にあっては、そんな態度を一度も見せたことがない。

 

 それはじつはイリスも同じで、ふたりは協力してアシュレに奉仕することを楽しんでいるようにしか見えなかった。

 シオンの性格を考えると、すこしでも無理があれば、決して我慢はできなかったであろうから、ふたりとも心から相手の存在を受け入れてのことだと思う。


 もういっぽうの例、アスカとの関係にしても、そうだ。

 

 関係を持ったことを、アシュレはシオンへ正直に告白した。

 消耗したアシュレが、ユガディールに捕らわれたシオン救出に赴けた理由。

 起死回生のための秘技:《ヴァルキリーズ・パクト》の秘密のことを。

 

 静かにすべてを聞き入れたシオンは、アスカにひざまづいて礼を述べたものだ。

 それから、聞いた。

 背筋を正し、正対して。

 愛しているのか、と。

 わたしの所有者を、アシュレダウを、と。

 その問いに、アスカは胸を張って答えた。

「心から想っている。愛しい」と。

 数秒、シオンとアスカは見つめあったまま動かなかった。

 だが、次の瞬間、シオンは爆発的な笑顔になると、アスカの手を取って言ったのだ。

「うれしい。貴君ほどの勇敢で聡明で美しき乙女が、我が主を、それほどに慕ってくれていること、ほんとうに、うれしく思う!」


 シオンの言葉に、今度はアスカが破顔一笑したものだ。

 

「シオン殿下、あなたにはかなわない。今日は修羅場を覚悟してきたというのに──こんな返し技があるか? では、正直に聞きたい。わたしは、今後も、真剣に彼を愛してよいか?」

「わたしから主を奪い去ろう、というのならば躊躇ちゅうちょなく刃を交える所存だが、わたしというものが主の隣にいて、なお。アスカ殿下がひたむきな愛を向けられる、というのであれば、むしろこれほど悦ばしいことはない」

「シオン殿下、あなたはとてつもない大人物か、さもなくば気が違っているに違いない」

「それは貴君もだ、アスカ殿下。世界に覇をとなえるオズマドラ帝国の第一皇子が、お尋ね者の元聖騎士パラディンが、唯一の、こんなにちっぽけな領土シオンを奪い返すという、そのためだけに、立場を超えて身を挺してくださった。正気ではない」


 言い終えたとたん、ふたりの美姫は、あっはっはっ、と声をあげて笑った。

 

 たぶん、シオンにとってアスカは戦場を供にし、同じ旗を仰ぐ戦友なのだ。

 対抗心は燃やしても、そこに後ろ暗い感情が乗ることはない。

 同衾すれば、競い合うようにアシュレに愛を与えてくるふたりを見ていると、たぶんそうなのだろう、とアシュレには思える。

 どうにも、こういうとき、女は男にとって理解の範疇はんちゅう外にある生き物なのだ。

 もちろん、このふたりはそのなかでもスペシャル、特例中の特例だということだけはわかるのだが。

 

 だから、アシュレは、それ以外の女性と自分が接触を持ったときのシオンの反応を、これまでほとんど知らなかった。

 今日のスノウとのことも、やましい気持ちなど微塵もなかったわけだ。

 つい先ほどまで。

 しかし、シオンのこの反応を見るに、どうやらおおいに自分は、間違いをしでかしたらしい。

 

「それどころか、あの娘、そなたの血を口にしてッ!! どんなに、毎日、わたしが、自制しているか、わからんのか?!」

「あ、いやあ、それわ。そうなんだ」

「ものすごく、ものすごく蠱惑的なのだぞ、そなたの血は。研ぎ澄まされていく《夢》の

薫りが首筋の皮下からでも立ち昇ってくる。抗いがたい誘惑だ。引きずり込まれるような、そういう体験だ! いまのわたしが、一滴以上口にしてしまったら、狂ってしまうから……じっと我慢しておるのだ! それを、それを、あんなに無造作に!」


 己の血液の魅力についてこれまで考えが及ばなくとも、アシュレを責められる人類はいないであろう。

 しかし、夜魔の観点からは違うようだった。

 

「奇跡だ。そなたの血は。長い年月に奇跡的に耐えた、至高の赤ワインを凌駕するものなのだ」


 わたしの、わたしだけに許された、愉悦なのだぞ!

 

「だいたいだな、夜魔の血筋において、上位者が下位者に血や肉を与えるのは、その者を一族に加える、という意味があるのだ。これは単に儀礼的なものではない。血は糧となり、与えられた者の肉体を変える。ヒトの子を夜魔にするときも、吸血によって奪った分のそれを親たる夜魔は与えるのだ。ヒトの子の母が、乳を与えて子を養うように。そうして、はじめて、完全な夜魔への転成が成り立つ」


「あれっ。そ、それは……まずくない?」


 シオンの口から知らされた夜魔の秘密に、アシュレは硬直した。


「だーかーらー、怒っているのだ! そなたはいま、わたしと肉体の一部を共有している。上位種、真祖の娘、デイウォーカーのわたしと、だ。それがどういうことかわかるか?! そなたの肉体に流れる血液は、半端な貴族どもよりはるかに濃い、いいや、ハッキリ言おう。このわたしでさえ抗いがたい、強力な魔性を秘めているのだ、と」

「……それを……スノウは飲んだの?」

「わたしがカウントするかぎり、三口ばかしな。こくり、こくり、こくり、と喉を鳴らしてな!」

「それは……えーと」

「あの娘に流れる夜魔の血がどのくらいかによるが……だいたい、下僕になってしまうくらいには、飲ませたと思うぞ。血の渇きが襲ってきたら……胸を掻きむしるほどの切なさに襲われるはずだ。欲しくて、な」


 真顔で言うシオンに、ごくり、とアシュレは固唾かたずを飲み込まずにはおれない。

 いまごろになって、自分のしでかしたことの大きさに、血の気が引いた。

 

「加えて、あの娘、支配ドミネイトの影響を受けていた節がある」

支配ドミネイト?」

「夜魔が下位者、とくに血族のそれに対して振う異能のようなものだ。意志の弱いものは、その言葉に隷従するようになる。その《ちから》をそなた、無自覚に振っていたのだ」

「え?」


 またまた予想だにしない指摘。

 アシュレは言葉に詰まる。

 無理もない。


「これまでは、そんなことはなかったハズだが、夜魔の血が肉体に馴染み始めたのだろう。体力を消耗し切っていたときと違い、そなたはその身に《ちから》を取り戻している。いや、肌を重ねるとわかるのだ。以前にもいや増して、そなたの《ちから》は増大している。それが今日、《閉鎖回廊》内での死闘によって、開花したのだろう。その余韻を残したまま、スノウと接触したから……」


 アシュレはまた唾を飲み込んだ。

 

「あの娘の心を──そなた、奪ったかもしれんぞ」


 ぐさり、と短剣で胸を貫かれるような衝撃とともに、シオンが飛び込んできたのは、アシュレが例のひな鳥みたいな声をあげるのより速かった。

 

「わたしというものがありながら! わたしの目のまえで! あんなに、あんなに与えて!」


 アシュレは目の前が真っ暗になるのを感じた。

 だが、逃避は許されない。

 涙目でシオンが嘆願してきたからだ。

 なぜか、命令口調で。

 

「もう、もう、めちゃくちゃに手折ってもらわねば、今日のわたしは収まらないからな! 

手加減なんかしたら、ゆるさないからな! レクチャはしたからな! 夜魔の女のめんどくささについては、教えたからなッ!」


 わかったか、このトンチキッ!

 浴びせかけられる罵声と、求められる内容のギャップが引き起こす強烈な潮汐力に引き裂かれそうになりながら、アシュレはシオンを抱きしめる。

 

 そのとたんに、泣かれたのだ。

 頼まれたのだ。

 

 だから、わたしから自由を奪ってくれ、と。

 束縛を与えてくれ、と。


 そなたの愛が──欲しいのだと。

 

 アシュレは、その要求に全身全霊で応じた。

 

 結果として、シオンは気を失ってしまった。

 いつもは頭頂にまとめられている美しく長い黒髪が解けて、大河のようだ。

 アシュレはその先端に触れるだけで、シオンの心を焼くことができる。

 湧き上がってきて止められない愛しさを、そこにありったけ流し込んでしまいたい、とさえ思う。

 なるほど、愛は暴力であり、引力だ。

 そんな悟りめいた言葉が脳裏を過る。

 

 だが、いつまでも、そこにハマり込んでいるわけにはいかない。

 

 肉体の回復と〈ジャグリ・ジャグラ〉の制御、そして、シオンの心に、アシュレの想いを注いで、過去との対決のための《ちから》を与えること。

 それはたしかに必須事項ではあったが、ほかにもしなければならないことが、アシュレたちには山ほどあった。

 

 なにしろ、いまは戦時なのだ。

 

 夜魔の騎士たちは、主であるユガディールに情報をもたらすため帰路を急ぐであろう。

 あるいは、戦力を補充し、拠点奪還のための反攻作戦をしかけてくるであろう。

 いずれにしても、デイウォーカーでない彼らにとってのそれは、夜間となるはずだ。

 

 遅くとも数日、あるいは今夜のうちにも、それは起こると想定しなければならない。

 予備戦力を持つ異能者集団を相手取った戦いというのは、つまりそういうレベルの進行速度なのだ。

 アシュレたちのアドバンテージは、だから、日中の時間の使い方に鍵がある。

 

 だから、アシュレは後ろ髪を引かれるような想いを振り切って、シオンを起こそうとした。

 そのときだった。

 

 ガコリ、と重い音がして、陣屋のドアが開かれた。

 アシュレは予備武器のグラディウスに手を伸ばしながら、身を起こした。

 

 そこに見慣れぬ女がひとり、立っていたからだ。




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