■第六八夜:頑張るお姉さんを応援するお姉さん
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「しかしまあ、心から好いた男の前では、かわいらしくなるものだな、女というものは」
アシュレによる献身的な治療行為のせいで、茹で上がったロブスターのごとく耳からつま先まで真っ赤になり、両手で顔を覆いダンゴムシめいて丸くなってしまったアテルイに、エレが言った。
さて、時間はアシュレたちの主時間を、すこし巻き戻る。
ちなみに、脚の火傷を除き、治療の必要な傷を見つけられなかったアシュレは、あまりのショックにフラフラと立ち上がり、陣屋を後にした。
どうしたって、これは、アテルイを力づくで組み伏せた……そういう絵面ではないか。
完全に固まってしまったアテルイにのしかかった状態で、こちらも硬直し、直立不働体(?)になってしまったアシュレの肩を、エレが叩いたからだ。
「もういいぞ。後始末はまかせておけ」
「え、と……これは」
「不幸な誤解だった。なにをしている。シオン殿下が捕縛した捕虜の取り調べが、おまえの仕事だ。それとも、わたしが替わろうか、尋問役は?」
土蜘蛛式のそれは、どぎついぞ、とエレが不敵に笑う。
「で、も、このままでわ」
「安心するが良い。あのダンゴムシ状態は、バッドステータスではない。むしろ、逆だ」
「?!」
「まかせておけ、というのはそういうことだ。おまえ、とんでもないスケコマシのくせに、そのへんがまったく無自覚なのな。なるほど、これはナチュラル・ボーンなレディキラーだことだ」
イズマさまが「昔のボクみたいだから、気をつけてね」と忠告されるはずだよ。
ふー、となぜか熱いため息をついて、エレがアシュレの背中を押した。
冷えるぞ、と上着を持たせてやりながら、
「見ているこっちが、不覚にも熱くなってしまったぞ」
と、冷やかしを忘れずに。
アシュレはそのひとことでいっそう傾いて、よろよろと、シオンの待つ隣の陣屋に向かっていった。
「いい気味だ。乙女心とそのカラダを無責任に翻弄したのだから、それぐらいのバツを受けるがいい」
傾きよろめきながら去って行く後ろ姿に軽口めいた諌言を投げつけ、エレは扉を閉めると、アテルイに向き直った。
「それで、こっちのダンゴムシは、いつまで可愛コぶってるつもりだ? 行ってしまったぞ、おまえの未来の旦那様(仮)は」
「にゃにゃなう!」
エレの呼びかけは劇的な効果をあげた。
それまで殻に閉じこもったように丸まってしまっていたアテルイが、甦ったかのごとく、エビじみた跳躍で起き上がったからである。
「なななななななな、なぜにそれを!」
「聞いた」
「どどどどどどどど、どうやって! だれに!」
「じぶんで言ってたじゃあないか、アスカリヤ殿下の信望厚い秘書官にして、情報分析官どの?」
はわわっ、と普段冷静なアテルイがあわてて唇を覆った。
「忘れたのか、あの晩、アスカリヤ殿下となにやら痴話喧嘩めいた話をしていただろうが」
「ききき、きいた? 聞かれていた? 盗み聞きされた?!」
「人聞きの悪いことをいうんじゃない。トラントリム攻略戦を開始する前夜、イズマさまは、おまえとアスカリヤ殿下に秘策を授けた。そのための手続きの助手に、わたしがいただろう。わすれたのか?」
「にゃにゃう! そ、そうだった、ま、まさか」
「全部はしらん。話の端を、わずかばかりな。しかし、おまえがアシュレダウという男に寄せる好意を毎日見てきて、気づかない女というのは……シオン殿下くらいのものではないのか。手ずからの料理をこしらえているときの、あのしあわせそうな後ろ姿。アシュレダウにそれをよそってやるときの丁寧な手つき。おまけに今日など、危険も省みず、騎馬に同乗したいときたものだ。うっかり死ぬところだぞ」
見ているわたしのほうが、あまりのいじましさに当てられたわ。
あきれたように額に手を当ててエレは苦笑する。
対するアテルイの反応は、見物だった。
「ウワアアアアアアアアアアアアア!!」
「なんだい大声など、いまさら。惚れたのだろう、どうしようもなく? そうでなければ身持ちの固いアラムの女が、いくら治療のためだといっても、無抵抗で組み伏せられるハズがない。妻になりたい、と願ってしまったのだろう?」
「ウボアアアアアアアアアアアアア!!」
本心を言い当てられ、羞恥心のありかをズバズバと射ぬかれ、アテルイがベッド上をのたうちまわる。
「ご主人様を、わたしのためなんかに危険にさらせません!」
アテルイの声色を真似て、クリティカルな発言をエレがした。
「キサマアアアアアア、なああああああぜえええええええ、それをしっているうううううう!!」
「いや、だから、アシュレとわたしは遠隔通話できるだろう? あれをかけるのには、肌や粘膜を合わせて関係を構築する必要があったわけだ。もうちょっと奥にアシュレが踏み込んでくれたら、視覚や聴覚も共有できるんだがな。そんなことできませんとかなんとかかんとか。ふふ、へんなところで紳士なのだな、あの男。なるほど、言われてみれば、長男のクセに弟じみた可愛らしさがある──年上もころりと参ってしまう魔性の属性だな」
まあ、それはともかくだ。
「そんなわけで、関係が薄まるまでは、肌を合わせると微弱ながら、想いを聞き取ることができるのだよ、この能力は」
「はわわわわわわ」
「それはもう、ドデカイ声で叫んでいたぞ。おまえの心は。だから、二次接触でもあるにもかかわらず、しかも、あのクソやかましい戦場でも聞き取れたんだ。大好きです、ご主人さま。アテルイは、どうなってもかまわな、」
「ウワアアアアアアア、やめろ、やめろおおおおおお!!」
動死体を想わせる仕草で、アテルイがゴッゴッゴッ、とベッド上を這い、エレに掴みかかった。
「それ以上は、ヤメロオオオオオォオオオオ!!」
「好いてしまったのだろ?」
そして、ぎゃひい、と心臓に銀の矢を撃ち込まれたように轟沈した。
びくん、びくん、と痙攣がとまらない。
くっくっくっ、とアテルイの姿に、エレの腹筋も同様だ。
「それにしても、無謀な挑戦者だことだ。己の主君:アスカリア殿下を筆頭に、“再誕の聖母”:イリスベルダさま、さらには、“叛逆のいばら姫”:シオンザフィル殿下だぞ、相手は。綺羅星の、というかほとんどレジェンド級の美女ぞろいじゃないか。そこにまあ、単身殴り込みとは、これはこれは、まさに無謀」
「うひいいいいいい、わかってる、わかってるんだ、わたしなんかわたしなんかわたしなんか。たのむ、たのむからもうやめてくれ。今日のこの思い出を一生の糧にして日陰で生きていくからやめてくれ」
「だが、その心意気が気に入った」
ふたたびベッド上で丸まり頭を抱えたアテルイに、しかし、エレが投げ掛けた言葉は、追い討ちにしか働かない事実列挙ではなかった。
「……は?」
「気に入った、と言ったんだ。わたしが協力してやる、おまえの恋路」
「ななななな?」
「普段は男どもを寄せ付けぬような冷徹な態度のくせして、心底惚れた男の話になると奥手も奥手。純情。同じく恋する女として、これを見過ごしては仁義にもとる」
わたしはな、おまえが気に入ったぞ、アテルイ。
にやーり、と笑みを広げてエレは言う。
「だいたい、恋にはひと波乱もふた波乱もあるのが常識だ。そして、嵐は大きいほうがよい。そっちのほうが、イロイロ燃えるからな」
なるほど、気の遠くなるような年月をかけて愛しい男の腕に収まったエレが言えば、その理屈はたしかに説得力が……あったのか?
いや、どうみても面白がっているようにしか、アテルイには見えない。
ささやかな焚き火をあっという間に地獄の業火に育ててしまいそうな予感が、なにかに酔ったようなエレの笑みにはあった。
たしかに、恋はヒトだろうと土蜘蛛だろうと、酔わせておかしくするのだ。
それは自分のものだろうと、他人のものだろうと関係がない。
あるいは長い隷属の暮らしから開放され、エレヒメラという姫巫女が本来備えていた共感能と好奇心が表出しているのかもしれなかった。
まあようするに、やっぱり面白がっているのだ。
ぜったい土蜘蛛は邪悪だ、とアテルイは思う。
「それにな。なんというか、自分のポジションは盤石だ、という構えのシオン殿下を焦らせてみたいではないか」
「なにか、楽しんでないか、エレ殿?」
「あたりまえだろう。たのしいぞう、謀略は」
「だ、だから、これは、わたしの恋路であって!」
「おっ、認めたな?! いいぞういいぞう、そうだ、話は盛り上がらなければな、大穴を交えて」
「だだだ、だれが大穴かッ!!」
ハッハッハッ、と笑うエレの襟首をアテルイは掴む。
対するエレはさすがに修羅場を潜り抜けてきた凶手。
堂に入ったもので、びくともしない。
そして、言う。
「大穴がイヤだというのなら、これはもう、本命になるしかないな」
はわわわわ、とアテルイがまたも怯んだ。
「わ、わわ、わたしはっ、だ、第四の女でっ、じゅ、じゅ、じゅうぶんッ!!」
「はーん、情報分析官殿、甘い見積もりだなあ? あのモテまくる男が、いまのままで済むと思うのか? おまえさんほどの堅物がなびいた女だぞ? それは希望的観測が過ぎないか?」
「ぴゃっ、ひやややややッ」
「ほらな? とても安心などできまい? 第四の女で、などと言っていると、ぽっと出の小娘にさらわれてしまうぞ。そうでなくとも、後発の女なのに。おお、わなわなと、震えて──わかっているようだな? さて、そこで取引だ。こちら、土蜘蛛謹製のラブポーションが……」
当然だが、自分たちがスノウの説得に当たっている間、かようなやりとりが行われていたなど、アシュレもシオンも知らない。
だが、カオスはこれだけに留まらなかったのである。
アテルイに特製の秘薬やら恋愛成就の魔石やらを売りつけたエレさえ予想だにしなかった展開が、この先には待ち受けていたのだ。




