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■第六七夜:遥かな道を


「泣き疲れて眠ってしまったな」


 やれやれ、とため息をつきながらも、シオンはスノウの頬に残る涙のあとを拭い、毛布をかけてやった。

 

「無理もないさ。アレを読んだら、だれでもそうなる。このくにに生まれ育ち、暮らしてきたヒトたちなら、当然だよ。むしろ、読むこと、理解すること自体を拒絶するはずだ。でも……スノウは、違った。泣き喚きながらでも、読んだ。全部ではないけれど、それでも。すごい《意志のちから》だよ」


 まだ、子供なのに……尊敬する。

 アシュレはブナの樹の丸太に火を移し終え、部屋を温かく保つための工夫をしてから立ち上がった。

 こんな大きな薪材でも持つのはせいぜい四時間だ。

 だが、太陽が中天にまで達する時刻になれば、さすがにそれでも気温は上がってくる。

 それまで持てばよかった。

 

 あのあと、アシュレは半夜魔ダンピールの娘:スノウに、ユガディールから託された手記を手渡した。

 背表紙を剥がされた内側にもびっしりと書き込みと、張り付けのなされたその手帳は、だれの目にも明らかな強烈な存在感を放っていた。

 一朝一夕にでっち上げられた証拠品であれば、おそらく、スノウは拒絶したはずだ。

 なにしろ、そこに記されていたのは、このトラントリムが抱えてきた暗部、欺瞞ぎまんの正体──その詳細な記録と解説に他ならなかったのだから。

 その上に築かれた偽装された理想郷に暮らしてきた人間たちにとって、それはなによりも、受け入れがたい事実だったはずだ。

 けれども、ユガディールの残した記述には、鬼気迫る説得力が宿っていた。

 無視することを許されない、生涯を賭した遺稿だったのだ。

 だから、それに初めて手を触れたとき、スノウは、ほのおを掴んでしまったかのように指を引っ込めた。

 

 その気持ちが、アシュレにはわかる。

 

 うそだ、うそだ、と繰り返し泣き叫び、なんどもなんども手帳を投げ飛ばそうとして──できなくて──それでもスノウは読んだのだ。

 受け入れがたい事実と正対した。

 それはこれまで、彼女を支えてきた夜魔の血統への誇りと正義感があってこそ、成し遂げることができたことだ。

 

 そして、その行為は結果としてスノウの拠りどころとしてきたすべてを破壊した。

 

 立派な侵略者だな、ボクは。

 アシュレは思う。

 いまから先、この何百倍も何千倍も何万倍もの拠りどころを、ボクは打ち壊し焼き払っていくんだ。

 こうやって。

 自分の信じる道のために。

 そういう想いに、胃の辺りがずしり、と重くなる。

 ひと昔前の自分だったら、とてもではないけれど選択できなかっただろう道だ。

 

 たぶんそれは、アシュレがかつては与えられる側にいた人間だからだ。

 受け継ぐ側の人間だったからだ。

 持つ者として、いずれ、授かる者として生きることを期待され、そのように歩んできた者だからだ。

 統治者としての権利と責務を受け継ぐことを期待され、持たざる者たちの世界から、切り離されて育てられた者だからだ。

 

 けれども、もう、そうはいかない。

 ボクはもう、持つ者ではない。

 かといって、持たざる者でもない。

 ボクは与える者にならなければならないのだ。

 

 たとえば、いま、スノウから奪った拠りどころの代償を。

 言い換えるならば、「生き方を与える者」に。

 

「ボクは、なる」


 決意だけが、ぽつり、と言葉になって転がり落ちた。

 ふん、とそれを拾ったシオンが、特徴的な眉を吊り上げ、まんざらでもなさそうな笑みを作る。

 

「頑なさが、肩に留まっているぞ」

「王たろうとするって、難しいね」


 軽口めいたシオンの言葉に肩をすくめ、微笑みを返してアシュレは言った。

 

「今日のは、なかなかの残酷さだったぞ」

「お褒めに預かり恐悦至極、です」


 震える指を開いて見せながら、アシュレは軽口で応手した。

 ふふふ、とシオンに笑われた。

 

「おっかなびっくりのわりに、大胆で非常な手を使う。そなたらしい」

「キミのなかで、ボクはいったいどういうキャラクターなんだろう」

「かわいい顔と性格のくせに、女にはヒドイことをする、という感じか?」

 

 げへん、と咳が出た。

 薮をつつくとヒドラが出そうだ。

 眠ってしまったとはいえ、スノウには訊かれたくない。

 すこし、歩こうか、とシオンを誘う。

 

「それで……あの娘……放っておいて、いいのか?」

「軍略の観点から言うと、ほんとうは監視していないとイケないんだけれど」


 ドアを施錠して歩き始めたところで、シオンが聞いてきた。

 

「彼女はいろいろ自分の考えで無茶をしそうだし──カラクル村、だったっけ──の住民たちにも不要な動揺を広げたくない」

「まあ……先ほどの戦闘音楽と光のショーを観れば、イヤでも動揺は起こるだろうが。山が吹き飛ぶのではないかというような轟きだったぞ。おそらく近隣の峰々で、いくつも雪崩を誘発したことだろうよ」


 冷静に分析するシオンに、アシュレは汗をかくしかない。

 強力な兵器の運用がなにを引き起こすのか。

 自分の手のなかの《ちから》について思いを巡らす。

 それから、言った。


「まともな領主なら、領民たちを城へ匿うだろうけどね。混乱が起きて、その誘導に兵たちが割かれているなら、好都合かもだ」

「ユガディールならどうする?」

ボクのなかにいる彼・・・・・・・・・なら、なによりもまず、領民たちの安全を図るだろう。ただ、これは単純に領主としての務めからだけではない。ボクに対する人質として作用することも考慮の上だ。たしかに、無辜の民が避難した城塞を、シヴニールで攻撃するのは……躊躇ちゅうちょがあるからね」

「ふむふむ、なかなか辣腕家ではないか、頭のなかに君主としてのユガディールを飼う男は」


 それに躊躇ちゅうちょする、と言いながら──そなた、必要であれば撃つ、と目が言っているぞ。

 なぜか、にこにこと、シオンがアシュレの顔を覗き込んでから言った。

 アシュレはかぶりを振る。

 

「それはあくまで最後の手段だよ。それに、ボクの知ってるユガディールなら、絶対に一騎打ちを仕掛けてくる……いや、ほんとうは、この塩鉱山に彼がいるんじゃないかとすら、ボクは思っていたんだ。あのヒトの性格なら、絶対に最前線にいると思った。でも違った。なにかが変わりつつあるんだ、彼のなかで──って、シオン、どうしてうれしそうなの?」

「んー、いいや。好いた男の成長を見るのは、なるほど、女の悦びであるな、と思ってな」

「笑いごとじゃないよ。ユガディールという男が、あの巨大な《フォーカス》:〈ログ・ソリタリ〉と直結されて、どんなふうに変わったのか、ボクらはまだほとんど知らないんだ。種族の垣根を超えて、理想郷を実現しようとする理想の騎士としての彼を。注がれた《そうするちから》=みんなの《ねがい》が、彼をどんなふうに変えたのか、わからないんだ。キミがいて、ボクがいて、これだけハデな陽動にも食いついてこない……なにかある」


 アゴに拳を添えて、そこまで言い、アレ? とアシュレはシオンを見つめた。

 

「いまの、好いた男の成長って……どっちにかかっているの?」


 ボク? それとも?

 シオンの言い回し隠された二重の意味ダブルミーニングに気がついて、アシュレが食い下がる。 

 

「それは……そんな問いかたでは、ダメなのではないか? キツく問い質したほうがよいのではないか?」


 狼狽するアシュレの胸にシオンが自分のそれをドンッ、とぶつけてきた。

 抱き留めたアシュレのかいなに顔を埋めながら、シオンは他にだれにも聞こえないように言うのだ。

 

「そなたは、わたしがだれのものか、今一度、キツく思い知らせるべきだと思うぞ。わたしの主人がだれなのか、徹底的にわからせたほうがいい、と思うぞ」


 そして、その言葉を証明するようにシオンの背中から、もはや癒着して、取り出すことのできなくなった人体改造の魔具:ジャグリ・ジャグラ、その十三本のうちのひとつが、芽のように姿を現したのだ。

 

「シオン」

「怖いんだ、アシュレ。ほんとうは今日も、陽動部隊の先鋒を任されたとき、もし、そこに──いるはずはないと確信はあるのに──ユガディールがいたとしたら、わたしはほんとうに正対できるのか、と自信が揺らぐのを感じたのだ。わたしは、あの男に《夢》を注がれた。数え切れないほど。そして、《意志》では御し切れない肉の悦びに、どうしようもなく翻弄された。そのときの記憶と《夢》は、すでにわたしの血肉となって完全に一体化してしまっている」

 

 それは、心の臓をそなたとわたしが共有するように、彼をわたしを繋いでしまっている。

 腕のなかのシオンはいつのまにか、震えていた。

 血を吐くように、アシュレの胸に思いを吐き出す。

 

「だから、もっと、そなたに所有されなければ、怖くて仕方がないんだ。徹底的に、隅々まで、容赦なく。それを繰り返してもらえている間だけ、わたしの心は安心を感じられる」


 アシュレにだけ届くように放たれた言葉が、心に突き立つのを感じた。

 ──わたしのになってください。

 そう懇願されているのだと、アシュレにはわかった。

 

 ボクたちは、とアシュレは思う。

 不思議で、不可解な関係を生きている。

 理不尽で、不道徳で、人倫を踏み外した場所を歩んでいる。

 

 けれど。

 もし、王という名と存在が、人々の思惑を飛び越えた時間と場所を生きることを意味しているなら。


 ボクたちの行く道は、こうやってしか進めないのだ。




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