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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
たれそかれ(第零話):「ジェリダルの魔物」
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■たれそかれ4:所有者の印章

         ※

 

 討伐隊の編制を終えたレダが屋敷に帰ってきたのは夜も更けてからだった。

 そして、その補佐にユーニスも随伴していたため、アシュレはひとり屋敷に取り残されるカタチになった。

 

 ここ数日、ユーニスとレダの密かな護衛を兼ねるかたわら散策したヴァレンシーナ教区の地図と実際の風景を照らし合わせながら、アシュレは時間をやり過ごした。

 

 気がつけば室内は真っ暗になっている。

 世話役のメイドたちがアシュレの集中の度合いを目の当たりにして気をつかってくれたのだろう。

 なんども繰り返したイメージトレーニングのおかげで、アシュレはこのあたりの地理を記憶と地図との両面から完璧に繋げることに成功していた。

 

 ただ、いくらなんでも没頭し過ぎだとは自分でも思う。

 と、そのほとんど漆黒の世界に、光が生じた。

 

「アシュレ、いるの?」

「ああ、いるよ──レダ?」

「どうして、真っ暗なの? メイドたちはなにをしてたの」

「ボクが頼んだんだ。ジェリダルの魔物の考えを理解したくて」


 それは嘘だった。

 だが、結果として暗闇への埋没は、アシュレにジェリダルの魔物の思考を理解させることに成功させた。

 狩りを成功させるには、獲物の嗜好と思考を先回りできなければならない。

 相手が高い知性を持ち合わせる魔物ならば、余計にだ。

 

 続いてユーニスが、部屋に入ってくる。

 施錠し、鍵穴に封をする。

 その間に、レダは部屋の燭台に火を灯していった。


 それでアシュレは卓上に、すっかり冷めてしまったお茶や、軽食──煮崩した生ソーセージサルシッジャとトマトのブルスケッタなどが置かれていることに気がついた。

 

 思い返せば、数刻あまりの記憶が、アシュレにはない。

 想像上のヴァレンシーナ教区、その草原と森林を思考は駆け巡っていたのである。


「あきれた。これ……ぜんぶ手付かずなの? それは……メイドたちがおろおろしているわけだわ」


 卓上の様子にレダがあきれ、次いでユーニスが額に手をやって盛大にため息をついた。


「これだわ……うちのご主人様ときたら……わかる、レダ? 没頭すると、すぐにこうなの」

「昔からそうだったけど……ひどくなってない、このクセ」


 幼なじみふたりにあきれられ、アシュレはオタつく。


「見なさい、このお皿たち。ぜーんぶ、メイドたちのお手紙つき──どうか、たべてくださいましね。お邪魔にならぬよう置いてまいりますが、一口だけでもお飲みになってくださいましね……あー、あー、もう。他家のメイドさんたちのハートをどんだけ弄ぶのか、このご主人様は」


 非難のたっぷり込められた舌鋒で突かれて、アシュレは前かがみになる。

 いろいろ痛い。


「その上、これから、わたしたちふたりに烙印を押そうというのだから……これはもう、天罰必至ね」


 はぁ、と小さくため息をついたレダが、しゃがみ込みアシュレと視線を合わせてくる。


「ど、どういうことでしょう」


 意識の埋没から抜け出た途端、烙印などという物騒な単語を持ち出されて動揺するアシュレのかたわらに、いつのまにかユーニスまでもがいた。

 なぜかガウンに身を包んだふたりからは、風呂上がりなのかハーブの入り交じったよい薫りが……する。

 

「作戦。そのために必要な段取り……ってこと」


 なぜか、顔を赤らめそっぽを向いてユーニスが言う。

 意味がわからず視線をレダに戻せば、こちらは両手で顔を覆っている。

 その肌が真っ赤に染まり、耳朶までその色だ。

 

 え? え? え? 魔物を仕留める作戦でなぜ赤面しなければならないのか。

 そして、なぜ自分は非難めいてなじられなければならないのか、さっぱりわからぬアシュレである。

 混乱するその眼前に、ユーニスがビロードの布に覆われた箱を置いた。


 そこに鎮座していた道具とは……。

 

 卓上に差し出された道具の物騒さに、ぴ、とアシュレの喉から意味のわからない音が出た。

 追いつめられた小動物の悲鳴にも似た声以前のなにか、である。


 なんだろうか、手紙に封蝋するための器具によく似た、それは。

 そのむこうには、ソファに腰掛けたユーニスとレダ、ふたりの……赤面したまま俯く美少女たちが、いた。

 

「こ、今回の作戦には、どうしても必要なことなの!」


 なぜだろうか赤面して震えながら卓上に差し出されたそれをアシュレはまず、マジマジと観察した。

 押しスタンプ、のような道具である。

 手紙に封蝋を施した後、署名がわりに押す印章──いや、このサイズは……焼きゴテか、これは。

 家畜に所有者を示すための、焼印。

 印章の部分は掌に収まるくらいのサイズが、ある。

 

 ただ、その装飾はあまりに精緻であり、どこかヒトの技を超えた風格をそれは備えていた。


「なんだ……これ……? 焼印? でも、こんな宝飾まで……いや──これは《フォーカス》か、まさか?!」


 アシュレの唇から思わずこぼれた言葉──《フォーカス》という単語に、レダはこくり、と頷いた。

 その単語:《フォーカス》とは、ヒトをして人智を超える技を振るうことを可能とする道具群の総称である。

 それらはこのような道具のカタチであったり、あるいは剣や槍のような武具、あるいは甲冑のごとき防具の姿をとることもある。

 《フォーカス》はカタチにはとらわれない。

 もたらされる恩寵は、それぞれのカタチと同じく千差万別。

 ただひとつの共通点は、もし、それを扱いこなすことが可能であったなら、ほとんど奇跡的とも言える《ちから》を所持者は得ることができる、ということだけだ。

 超常の道具である、ということだ。


 だから、アシュレの驚きは、大げさでもなんでもない。


 本来、先祖伝来の品、家宝として古い血筋の貴族に受け継がれるか、あるいは法王庁や王家によって厳重に管理されているはずの代物なのだ。

 これが、どのような能力を秘めているのかはわからないが、そのひとつがアシュレの眼前にあった。

 

 いや、よく考えてみれば、レダは可憐な少女の姿をしているが、法王庁におけるヒエラルキーとして法王に次ぐ席次の枢機卿なのである。

 その彼女が《フォーカス》のひとつやふたつ、持っていたからといって不思議ではない。

 ただ、アシュレの知る限り、レダには《フォーカス》は扱えないはずだった。

 

「レダ──キミ、《スピンドル》は……発現してないよね、たしか? 少なくとも、三年前までは……」

「ええ、アシュレ。いまでもしていない。わたしは、無能力者・・・・よ」


 無能力者、という部分を強調してレダは言った。

 すなわち、《フォーカス》を扱うことのできない、ただの人間だと。

 

 この世界:ワールズエンデと呼ばれるレムルにおいて、無能力者とそうではない存在を分けるもの。

 それが《スピンドル》という名の超常能力である。

 

 それは《意志》の《ちから》だ、と聖典は、そして歴史書は教える。

 それによって天上の国におわします神と通じ、その《ちから》を借り受けるための資格だと。

 神の目に留まるためのための“魂の輝き”だ、と。

 

 それゆえ、その《スピンドル》に覚醒した“能力者”たちは尊敬と崇拝の眼差しを受ける。

 一説には一万人にひとりの発生確率、さらに、その能力を高め、強大な《スピンドルエネルギー》を御しきれるまで到達できる者は十万人にひとり、とも言われる。

 

 そして、アシュレこそ、その十万人の頂点に位置する聖騎士、齢わずか十八にして強大無比の《スピンドル》エネルギーを扱いこなす希代の天才だったのである。

 

「だから、これは、その……アナタに使って欲しくて」

「それは」


 アシュレは口ごもる。無理もない。

 これら《フォーカス》は、ただの道具ではない。

 神代の時代から受け継がれた人類の至宝とでも呼ぶべき叡智えいちだ。

 法王庁では特に強力な《ちから》を秘めたそれを特に“聖遺物”と呼んで、回収、厳重に保管してきた。

 

 そして、そこまで強力ではなくとも、前述したように《フォーカス》は貴族や高位聖職者の家宝として受け継がれてきた品なのである。

 文字通り、門外不出の、だ。

 

 それを、いかに幼なじみであるとはいえ他家の長子に託すとは……それも結婚を禁じられている聖職者のレダが、である。

 これがどんな意味を持っているのか、想像できないレダでは決してないはずだ。

 

「わたしの亡くなった母が、父から愛の証として授かった品だそうなの」


 その由来を聞き、やっぱり、とアシュレは思う。

 レダは幼くして母親を亡くしている。

 父は知れず、ただ、どこかの貴族であるという噂だけ。

 現法王が枢機卿時代からめいにあたるレダをひきとり養育してきた。

 

 だから、これはレダにとって母と父の形見であり、自身の血統と存在を証明するかけがえのない品であるはずだった。

 

「受け取れない」

「差し上げるわけではないわ、聖騎士パラディン、アシュレダウ」


 改まった口調で言い直し、レダはアシュレの手を取った。

 

「ただ、どうしても、この処置が必要なの。ジェリダルの魔物を確実に仕留めるには──そして、わたしと、ユーニス、ふたりが生還するには」


 そう言われては、反論しようもないアシュレである。

 この押し印のカタチをした《フォーカス》にいかなる《ちから》があるのかは不明だが、黙ってレダの作戦を拝聴すると決めた。

 それで、である。


 また「ぴ」という声が出た。


 レダの説明によれば、この《フォーカス》に秘められた《ちから》とは物品探知ロケート・オブジェクトであるという。

 《スピンドル》を伝導し、書籍や書類、家具や衣類に捺印・・すれば、その種別と在り処をたちどころに把握できるという優れものだという。

 

 武具としての使い道は皆無だが、便利なだけでなく捜査に用いれば、武器以上の決定的な切り札になりえる代物だと解説を聞きながらアシュレは思ったものだ。

 その具体的な用途をレダから聞くまでは。

 

「だから──押して……。わ、わたしたちに」

「ぴ」


 みたび、アシュレの喉から奇怪な音が出た。

 だんだんとしどろもどろになっていくレダの説明をわかりやすく言い直せば、つまり、ユーニスとレダのふたりの肌に烙印しろ──ということなのである。

 

「えええええええええええええええええええッ?!」


 さすがのアシュレも、これにはのけ反った。

 良いはずがない。

 許されるはずがない。

 聖職界どころか俗界の法に照らしても、神の法でなくとも、人倫であろうとも、それは許されざる所業だった。

 人間を家畜のごとく、所有物のごとく扱う、とそういうことではないか。

「だめでしょ、それ!」

 アシュレでなくとも、叫ぶところであろう。

  

 それなのに、ふたりの美少女は訴えるのだ。


「他に方法がないの。わたしたちは、ヤツに、ジェリダルの魔物に囚われたすべてのヒトを、助けたい。そして、これまで、救えなかったヒトたちの無念を晴らしたい。だから、そのためには──わたしたちふたりが、ヤツに捕らえられなければならないの」


 だから、おねがい、アシュレ、と。

 ふたりの主張を要約すれば、あえて敵の手に落ちることで、ジェリダルの魔物の根城を特定しようと──そういうことなのだ。

 アシュレは動揺して、ためらった。

 どう答えるべきかわからず、ウロウロと室内を歩き回る。


 レダの主張には頷かざるをえない部分がたしかに、ある。

 どういうわけか、ジェリダルの魔物は、犠牲者を「すぐには殺さない」。

 おそらくは、テリトリーのどこかに構えたネストに連れ帰り、虜囚として飼育し、そのあとで生きながらに腑分けして、縫合し……弄ぶ。

 だから、ヤツの犠牲となった女子供が、まだ生きている可能性はたしかにあった。

 それが、どのような姿でかは、わからないが。

 

 だから、レダは魔物の討伐だけでなく、そのネストの所在地までも特定しようというのだ。

 たしかに、おとりに飛びついたところを仕留めたのでは、ヤツの本拠地はわからないままだ。

 その場で、尋問できるような余裕も、また、敵が意思疎通可能な存在なのかすら、そもそも怪しい。

 犠牲者たちが囚われる場所を突きとめるには、たしかに、それしか方法がないように思えた。

 しかし、だ。

 

「ダメだ。危険すぎる。そもそも、ヤツが遭遇したその場で、キミたちふたりを害さないと、どうして言いきれる? 統計はあくまで統計にすぎない。現実とはちがう」

「いいえ、ヤツは必ず、食いつくしぜったいにわたしたちふたりを、持ち帰るわ。ネストに」


 チェス・サーヴィスの名手でもある少女枢機卿は、アシュレの懸念を真向からぶった切った。

 たしかに、アシュレは彼女にチェスで勝ったことが一度もない。

 だが、今回ばかりはやりすぎだった。

 現実はチェスのように理路整然とした世界ではない。

 盤の外から、どのような問題が飛び込んでくるかわからないのだ。

 めまいによろめきそうになるのをこらえ、反論する。


「だから……どうしてそう言いきれるんだって!」

「アシュレだって、あの死体を見たでしょう? 彼女たち・・・・の肉体のどこにも、縫合痕ほうごうこん以外の傷はなかった。どうしてだと思う?」

「え? それは……」


 アシュレはチェスの序盤戦で、突然、相手のクィーンに本陣深く切り込まれたときのようにうろたえた。

 それほどにレダの切り返しは鮮やかだったのだ。

 

「どうして……どうしてだろう?」

美しかったから・・・・・・・、よ。アシュレダウ。ヤツは自分の審美眼しんびがんに、病的なまでの自負を抱いている。そのプライドとプライドの証たる獲物を、自分で傷つけるようなマネは、決してしない」


 宝石商たちが、ときに、みずからの命を省みず貴石に対して身を投げ出すように。

 という魔性に、ヤツは逆らえない。

 言いきるレダの目には確信と決意が、炎となって燃えていた。


「だから、ヤツは、絶対にわたしたちふたりを傷つけない。請け負うわアシュレ。わたしたちの美貌びぼうに、ヤツは必ず、とらわれる」


 強烈な自負であった。

 それは自分とユーニスのふたりを、圧倒的な美だと断言しているに等しいからだ。

 縫合され、作り上げられたあの哀れなふたり──いや、正確には幾人もの──犠牲者たちと比してさえ、だ。


 だが、その主張に関してだけは、アシュレも認めざるをえなかった。


 かたや、温室で育てられ夢幻のごとき花弁で蝶だけでなくヒトをも魅了する、貴種の蘭花らんか

 かたや、一年中、雪をいただく霊峰のふもと、ヒトを試す奇跡のように咲き誇る薄雪草エーデルワイス

 

 そのどちらが優れているかを比べることは難しくても、互いが互いともに、飛び抜けた美であることには、異論を挟む余地がない。

 それほどに、ふたりの美貌びぼうは際立っていたのだ。

 

「だけど」

「だけどは、なし。ほかに手だてはないわ、聖騎士パラディン

「だけど、もし、」

「いいえ。もし、もありません」

「どうして言いきれるんだ!」

「だって──貴方が、必ずわたしたちを守ってくださるからです!」


 言いきったレダの身体は、しかし、恐怖で震えていた。

 そのことを指摘して、話を打ち切ることがアシュレには、もしかしたらできたかもしれない。

 けれども、時間がなかった。

 討伐隊の出動は明朝である。

 そして、これまでの日々を、いかにしてジェリダルの魔物を捕らえるか、その一点だけを考え、思索に耽っていたアシュレである。

 これ以上の妙案を思いつけるとは、考えられなかったのだ。

 たしかにこの作戦は、魅力的・・・だった。


「だから、アシュレ! お願い!」


 恐怖に震えながらも、領民と聖堂騎士団の名誉をおもんばかり、真剣な眼差しを向けてくるレダとユーニスを、けっきょくアシュレは無下にできなかった。

 とっくにふたりは、覚悟を決めていたのである。

 それは民を預かり治める領主として。

 あるいはローの守護者たる聖騎士パラディンの従者として。

 

 ふーっと息をつき、アシュレはしぶしぶ受諾を伝えた。

 もちろん、そこには「アシュレが必ずふたりを守る」と断言したレダの言葉を、現実のものとする、という決意が込められていた。

 

 となれば、前提となるのは例の「焼印」である。

 

「それじゃあ……と……。これは、手でいいのかな?」

 押すのは? 戸惑いつつ件の《フォーカス》を受け取ったアシュレに、速攻でレダがダメ出しした。


「そんなわかりやすい場所にあったら、怪しまれるわ」

 たしかにそうか。アシュレは頭を掻く。

 良家の娘が手の甲や掌に、こんな印を押されていたら、それはだれだっていぶかしむ。

「じゃ、う、腕、かな?」


 袖で隠れるし。

 押し印のカタチをしたそれを掴み、視線を彷徨さまよわせるアシュレの眼前でユーニスとレダが首を振った。


「もっと、ずっとわかりにくいところでなくっちゃ。見つかった途端に、殺されてしまうかも」


 ユーニスが言う。

 たしかにその主張はもっともだった。

 ジェリダルの魔物は、己の異常な嗜好にプライドを持っているが、自分が策にめられたと気づいたら、その限りではあるまい。

 むしろ、逆上し、最悪の事態を引き起こしかねない。


「じゃあ、ど、どこ?」


 もちろん、とてもわかりにくい場所にアシュレは捺印することになる。

 個別の寝室で、ふたりの美少女たちに、順番に。




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