■第六三夜:光は天を貫いて
「そういうことかッ!!」
アテルイの観察により敵の手管、すなわち、現在、多方行から受ける正確な時間差攻撃のからくりを知りえたアシュレは、快哉めいて叫んだ。
だが、それもすぐに獅子面馬人からの猛攻により、苦痛に変わる。
「くそっ、からくりがわかっても……こんな高速機動で、息つくまもなく攻めたてられていては……狙いが、つけられないっ」
襲歩速度のまま揺動する馬上で、アシュレは悪態を吐く。
たしかに相手のからくりは見えた。
それはインクルード・ビーストの体内に植え付けられた《フォーカス》:〈ログ・ソリタリ〉の芽、バロメッツと俗称される異形の器官を経由してのことだった。
いま、このガレ場に存在する、都合三つのバロメッツの目が、それぞれにアシュレたちの位置を探知し、正確な座標と予想される逃走経路を指揮官たる獅子面馬人へと伝達し続けていたのだ。
理屈を言えば、それらバロメッツを各個に撃破し包囲網に穴を開けるのが上策だ。
だが、これまでの攻撃の余波ですでにアシュレも愛馬であるヴィトライオンも、正確には護られるようにして鞍上にいるアテルイにしても、すでに少なからず傷を負っていた。
戦いの興奮が致命的な痛みは遠ざけてくれていても、負傷によって肉体のパフォーマンスが落ちていることをアシュレは認めざるを得ない。
砦の攻略に投じた技の代償も、疲労もある。
正直、これほどの攻撃を受けて直撃を避け続けているのは、奇跡だと断言してもよい。
むろんそれは、アシュレが抜群の防御センスを持つこと、また愛馬:ヴィトライオンが最高の馬だということ、さらには断片的な音声によるものだが、エレからの支援があることだった。
『どうした、アシュレ。判明したのか。敵の手管が』
「はい、でも、これじゃ」
『かまうことはない。からくりがあるあたりを、範囲攻撃で焼き払え!』
「それは、考えたんですがッ! 余波と爆発、それに崩落が、どれくらいになるのかッ! 予想がつかないんですッ!」
『かといって、手をこまねいている場合かッ!』
「それに——これだけの敵が、そのことを予期してないとは思えない。なんというか、まだ、一発も直撃を喰らってないのさえ、向こうの思惑なんじゃないかと」
『どういうことだ?!』
「ボクたちの窮状をダシに、エレさんや、シオンを釣り出したい、みたいな、そういう意図を感じるんです。それに、大きな技はその威力に比例して、代償もスキも大きい。たとえ、それであのバロメッツをひとつ潰したって……」
『そのスキをついて、か』
「大技を繰り出した直後の瞬間を狙われたら」
たとえば、まだ、もう一段階相手が手を残していたのだとしたら——。
降り注ぐ青い炎の槍が上げる轟音に、アシュレが飲み込んだ言葉は、しかし、かなり正確に自分たちを取り巻く状況を把握していた。
異能戦は互いに手札とルールを伏せてはじめるカードゲームのようなものだ。
いち早く場のルールを見抜き、相手の手札を読み、切り札を叩き込む側が勝利する。
特に、相手の手札だけは、できるかぎり速やかに知らなければならない。
思えば、いまアシュレが対峙する獅子面馬人は、ずっと戦場にいたのだろう。
そして視ていたのだ。
大局と、アシュレの手札を。
それと知らずアシュレは、相手の視ている前で、次々と手札を切ってしまった。
もちろん、場に出した札がそのまま死に札になるわけではない。
だが、この状況下で、まだ相手が切り札を切っていないのだとすれば——決定的で確実なチャンスを、敵は狙っているのだ。
たとえば、ついに耐えきれなくなったアシュレが馬上から、バロメッツを一撃する瞬間を。
それはどのような方法であれ、アシュレの持つ武器の性質上、採りうるべき軌道と方策を限定する。
それは敵にすればチャンスだ。
そういうカードをまだ、伏せたまま持っている。
コイツはそういう敵だ、とアシュレは思う。
そういえば、ユガディールと臨んだカードゲームでの対局では、アシュレはいつもこてんぱんだった。
「記憶や観察が関わっているこの手のゲームで、ヒトが夜魔に勝つのは、種族的特徴から言って、かなり難しいよ」
あーだめだ、とたまらず手札を卓上に投げ出し、降参したアシュレにユガディールは苦笑しながらも忠告してくれたものだ。
完全記憶を種族的特性として持っている相手に、まず、それは難しい。
と言いながらも、ユガディール自身のゲームセンスは、正直言って、シオンにさえ勝るというのがアシュレの受けた感触だった。
シオンの札の使い方、駒の動かし方を王道と王者の勝ち方だとするのならば、ユガディールのそれにはどこか危うさがあるのだ。
こう言い換えてもよい。
勝とうか、勝つまいか、迷っているように視えるのだ、と。
それが札使いや、盤面にあっては仕組まれたスキのように作用する。
相手にワザとつけ入りやすい場所をちらつかせ、深く踏み込んできたところに手痛いしっぺ返しを食らわせる。
要するに仕掛け巧者なのだ。
そういう駆け引きが、どうしようもなく自然で、完全に自分のものになってしまっている男。
それがユガディールという男だった。
きっとそれは長すぎる生に倦んだ男が、どこかに変化を求め続けてきた証拠なのだろうとアシュレは思う。
退廃の匂い。
疲れ果て、枯れ果てようとしていた《魂》の、におい。
そして、いま相対する獅子面馬人から、アシュレは同じ匂いを嗅いでいた。
「ぜったい、なにか、ある」
『アシュレ、まってろ! わたしも、向かう!』
ついに見かねたエレが、救援に急行すると言い出した。
そして、このとき実際に、砦の上部からエレは飛び降りようとしていたのだ。
「ダメです! コイツは、コイツは、罠だッ!!」
『だがッ』
エレに行動を厳しく戒めてアシュレが叫ぶのと、至近弾が襲いかかるのはほとんど同時だった。
「ぐうっ」
アシュレは盾の表面に《ブレイズ・ウィール》を展開させ、炎を突っ切る。
大半は不可視の乱流に巻き込まれて消え去ったが、それでもすり抜けたいくぶんかが甲冑の上からでも非常な高温となって肌を焼いた。
肺が熱気を吸いこんでしまったらおしまいだ。
アシュレは必死に盾を動かし、アテルイをかばう。
どうしよう。
アシュレの腕に庇われながらも、アテルイはこのとき、必死に、そしてふたたび方策を巡らせはじめていた。
敵の仕掛け、そのからくりは暴いた。
だが、状況は好転どころか悪化している。
まず、敵の猛攻にさらされ、あきらかにアシュレとヴィトライオンの能力が落ちていた。
大技を連発してきたのだ、無理もない。
そこに加えて、あちこちに負った火傷が動きを阻害していた。
火膨れが布や甲冑に触れて破れ、かするだけで悲鳴を上げそうになる激痛を与えているはずだ。
じつは、アテルイも脚にそう軽くはない火傷を負ってしまっている。
けれども、そのことをいま訴えてはいけない。
アシュレはあきらかに女の身であるわたしのことを気づかってくれている。
いま、そんなアシュレにしてもらわなければならないことは心配ではない。
心配してもらいたいのではない。
アシュレには勝ってもらいたのだ。
しかし、いま、アシュレは追いつめられ作戦をうまく考えるだけの余裕がない。
ただ、バロメッツを撃破するスキを、獅子面馬人が突いてくるであろうという予測は、やはり正しい、とアテルイは思う。
敵が、なにかを、いや、ワザと戦いを長引かせ、救援に駆けつけた仲間を狙うのではないか、という予測も。
そして、同時にアテルイは思うのだ。
もしそうだとしたら、と。
敵が最終的手段に訴えかけてくるのは、そう遠いことではない、と。
ならば、と目の端に三つあるバロメッツのひとつを捕らえながら、アテルイは覚悟を決めた。
そっとささやく。
「アシュレさま。わたしに策がございます。砦を一撃したシヴニールの技を、もう一度、準備していただけませんか?」
「《ラス・オブ・サンダードレイクズ》を?」
どういうこと? とアシュレは問わなかった。
生死を賭けた戦場である。
そこで生死をともにすると誓った戦友たるアテルイが「してくれ」というのならば、これは躊躇なく従う価値がある、とアシュレは信じてきたからだ。
「目標はアイツにしましょう。もう破れかぶれです!」
こんどはさっきのささやきとは異なり、わざと聞かせるようにアテルイが叫んだ。
だれにか、といえばもちろんそれは、例の獅子面馬人に、だ。
「わたしが、合図を送ります。そしたら、指示した方向に全開で技を放ってください」
言うが早いか、アテルイは精神集中をはじめた。
グゥン、とその胸の上で《スピンドル》が励起し、激しく回転のはじめるのをアシュレは視た。
どういう手順か、やりかたか、それはわからない。
説明も、ない。
だが、彼女を信じる、とアシュレは決めたのだ。
とにかく、追いつめられ、ついにバロメッツのひとつを撃破することで状況の打開を図ろうとしているかのように——アシュレは突撃を敢行した。
その思いが伝わったのか——目を閉じたアテルイの口元がちいさく笑みのカタチになった。
アシュレは鼻腔の奥に、野の花を編んでこしらえたリースの薫りを嗅いだ。
これが、アテルイさんの《スピンドル》の薫りなんだ。
アシュレは初めてそれを嗅ぎ、落ち着くにおいだな、と思った。
とてもスキなにおいだ。
波立っていた心が平衡を取り戻し、頭の芯がキン、と冷えてくる。
みるみる狭まっていた視界が広がるのを感じた。
そして、アテルイの狙いも、わずかだが理解できた気がした。
これは、もしかして、利用しようとしているのではないか?
敵の策と仕掛けを。
正解だった。
向こうはわたしたちを視ていて、無謀な行動を誘っている。
たとえば、超常的視覚の一角を崩そうと、賭けに出るような動きを、だ。
それこそが、敵の真の狙いだと気づかぬまま。
ならば、とアテルイは思った。
その超常的視覚を——いや、もしかしたら聴覚なども含めた索敵手段を——逆手にとればよい。
だから、そのための手段を練り上げ——。
アテルイは実行した。
通信能力に優れる特殊な《スピンドル能力者》としての、意地をかけて。
相手に遠隔でイメージを送り付けることのできる異能:《ヴィジョナリスト・アイズ》を、叩きつけた。
いま、アシュレが間合いを詰めるバロメッツへと。
そして、合図を送った。
「ここですッ!!」
ビュン、と脳裏に割り込んできた指示に、アシュレは反射的に従う。
そして、放った。
上空へ向けて。
強大なエネルギー流ですべてを焼き尽くす大技:《ラス・オブ・サンダードレイクズ》を。
なにが起こったのかわからない、という表情をそのとき獅子面馬人はたしかに、した。
《スピンドル》を伝導させた投槍による息もつかせぬ連続攻撃で、たしかに自分は標的を追いつめていたはずだ。
バロメッツによる各感覚拡張と共有は、それほ可能にするほど優れている。
このまま仕留めることもできた。
だが、それでは不十分だった。
心を満たすには。
我が真なる主の心の器に捧げるべき生贄に、主からの贈り物を届けねばならなかった。
すなわち、夜魔の姫:シオンザフィル。
標的が危うくなれば、必ずやその身を投げ打つようにして飛び込んでくるだろう美姫の心を捕らえるための贈り物を、届ける心算が獅子面馬人にはあった。
そして、その《ねがい》は成就するはずだった。
猛攻に追い立てられたアシュレダウが苦し紛れに技を放つ瞬間を狙って、獅子面馬人は《影渡り》で、跳躍し、彼を打ち倒して組み伏せるはずだった。
そして、彼を助けに飛び込んできた夜魔の姫に、命と引き換えの抱擁を与えるつもりだった。
実際に、ほとんど予定通りにシナリオは推移した。
標的たるアシュレダウは予定通りに、バロメッツに向かい、シオンザフィルが急速に近づいてくるのを、獅子面馬人は感じていた。
すべては、獅子面馬人に注がれた真なる主:ユガディールの血のなせる業だ。
希望を満たす器にして、理想郷への門:〈ログ・ソリタリ〉と一体となり夜魔の真祖すら超越した彼の血を与えられた獅子面馬人であれば、それは可能なことだった。
だが、それなのに。
どうして、オレは——こんな見当外れの場所に跳躍してしまったのか?
その疑問の答えに、青きたてがみをなびかせた獅子面馬人が辿りつくことは、永久にない。
数メテル下から、彼を超高熱・超高速の粒子の帯が刺し貫き、わずかに遅れて、青いバラの薫りとともに花弁を刃に変えた聖剣の一撃が、その肉体を、体内に宿した贈り物もろとも、完全に消し去ったからだ。




