■第六一夜:嵐を駆る者(前夜、あるいは、その資質)
Jahaaaaaaaaaaaaa!! ──朝日を浴びながら岩場を駆け登り飛び出してきた一匹目のインクルード・ビーストに、アシュレはためらいなく、一撃を叩き込んだ。
基礎中の基礎とされる《オーラ・ブロウ》の発展型、《オーラ・バースト》と呼ばれるそれは、竜槍:シヴニールの先端から三メテルほどの光刃となって伸び、熊とも獅子ともつかない異形の存在:インクルード・ビーストのアゴを貫いた。
飛びかかった側からすれば、完璧な奇襲のタイミングだったはずだ。
だが、戦場にあって斥候役としてすでに敵陣深くに攻め入り、そこからの見下ろしで戦局をつぶさに見ているエレからの情報を得ているアシュレである。
奇襲を期して飛びかかったインクルード・ビーストは、すでにその位置とタイミングとを完璧に把握されていたのだ。
このような場合、奇襲の効果は失われるばかりか、逆効果にすらなる。
エレからの適切な指示通りにアシュレが放った一撃は、まさしくあらかじめそこに配置されていた槍衾のように、的確に魔獣の顎門を刺し貫いた。
アシュレは勢いのままのしかかってくる怪物の身体の下を掻い潜るように増速する。
致命傷を負わせたとはいえ、獣の生命力と本能を舐めてはいけない。
アシュレはかつて、ジェリダルの魔物と呼ばれた人面獅子:ビエルとの戦いで、そのことを学んでいた。
浮き石が多く極めて足場の悪いガレ場を《ムーブメント・オブ・スイフトネス》の加護を受けた愛馬:ヴィトライオンは疾風のごとく駆け抜けていく。
乗騎である軍馬やラクダに対してこのような異能を振るうことは、じつはかなり珍しい、とアテルイが感想していた。
大軍団での侵攻が基本であるオズマドラでは、単騎が突出してしまうような異能の用法というのは、たしかになかなか発展しないのかもしれない。
伝令に《スピンドル能力者》を使うような運用法が確立していれば、もしかしたら、だが実際にはよほどの緊急時でもないかぎり、そんな役目に回せるほど人的資源は潤沢ではないのが、超大国だろうと小国だろうと現在の実情だった。
いや、アシュレだってこのような状況がなければ、まさかこんな用法を試してみようとは思わなかっただろう。
戦場においての一騎駆けというのは、勇壮ではあるし、男なら一度は憧れる行いだが、それは、はっきり言って勇敢ではなく、蛮行のほうに分類される。
特に統率の取れた戦闘集団である聖堂騎士団に在籍していた経験から、徹底的にこの手の独断専行を戒められてきた。
また、ひとりっ子の長男気質も手伝って、かなりのんびりした性格のアシュレには、武功・戦功に目の色を変えて飛び出す考え方そのものが、もともと理解しがたかったというのは、ある。
イグナーシュでの暗い夜を経て、幾多の戦いを潜り抜けた現在、そういう「心の余裕」というものは、与えられ受け継ぐことを当然として生きてきた自分の思い上がりに属するところもあるのだと、自覚してもいる。
だが、試してみてわかった。
結果として、この戦法はアシュレに向いている。
正確には、アシュレとその《フォーカス》、竜槍:シヴニールとの組み合わせが、だ。
恐るべき長射程と威力を誇る竜槍:シヴニールが、荒れ野を高速で疾駆可能な軍馬の機動力と一体となったとき、いったいどうなるか。
時代的には、ここからわずか一年後、第十二回十字軍後期に現れることとなる馬上での火砲運用を行う兵種:竜騎兵と比してすら、並べて語ることのできない極大の戦闘能力が生み出されたのである。
もともとはアラム側の異能である《ムーブメント・オブ・スイフトネス》。
そして、恐るべき超攻撃能力を秘める竜槍:シヴニール
さらにその斉射が巻き起こす閃光と轟音の恐怖に耐えうる軍馬。
そして、その軍馬に全幅の信頼を置かれた騎士。
この合致こそが、戦場を変えたのだ。
後の世に「嵐を駆る者」との異名で呼ばれることになるアシュレダウが、その独自の戦闘スタイルを確立させた瞬間であった。
さらに後年、雲竜の姫の加護を受けて、上空からの急降下を伴う、まさに雷霆の一撃と呼ぶべき姿へと発展していくのだが、それはまた先の話だ。
空中での一撃を受け、もんどりうって斜面に激突したインクルード・ビーストが死力を尽くして盲目的に暴れ回るが、そのときにはもう、当のアシュレは数十メテルも先にいる。
まさしく疾風迅雷の騎手であった。
「すごい」と横抱きに抱えられるカタチになったアテルイが思わず漏らす。
「黙って。舌を噛みます」
アシュレは言葉少なにアテルイをたしなめながら、左右から迫る新たな脅威に意識を向けた。
先ほどの交差を見てとったのか、左右から迫るインクルード・ビーストたちは連携体制を整えたようだ。
斜面下側から回り込んだ一頭が林立する岩陰を利用して姿をくらます。
一方で進行方向に対して左側、つまり斜面上方から迫る一頭は、ちらちらと姿を見せて意識を逸らしてくる。
まるで、相手側もどこかにもっと大局を見ている指揮官がいて、その指示で陣形と襲撃タイミングをコントロールしているかのような動きだ。
ちらり、とあるひとつのことが脳裏を過るが、ここは戦場だ。
思考にはまりこんでいる時間はないと、先ほど実体験したばかりではないか。
同時攻撃が来る、とアシュレは思う。
『アシュレッ!』
そして、まさしくその瞬間、エレからの通信が飛来する。
姿の見えなかった一頭が岩肌を駆け登っての跳躍攻撃、逆に姿を見せていた右側面の敵は、地を這うような超低空の組みつきを仕掛けてきた。
捌き方を間違えれば死が確定する──それほど剣呑な連携。
敵ながら、そして獣とはいえ、惚れ惚れするような手並みだった。
だが、その難しい判断を、アシュレは瞬間的に行う。
天性の勘だけではない。
立て続いた激戦が、莫大な戦闘経験値をアシュレに与えていた。
そして、絶え間ない研鑽と学習が、能力を開花させたのだ。
アシュレの構える聖盾:ブランヴェルの表面で不可視の力場が渦を巻いた。
異能:《ブレイズ・ウィール》
伝導される《スピンドルエネルギー》に応えて呼び起こされた目視不可能の乱流が、飛びかかるインクルード・ビーストの巨体を搦め捕り、ズタズタに引き裂きながらはじき飛ばす。
いかに《フォーカス》とはいえ、うっかり五〇〇ギロスに迫ろうかという巨体の跳躍を受けてしまっては、馬上の騎士などひとたまりもない。
盾は無事でも騎馬ごと地面に打ち倒されてしまう。
賢明な判断だった。
しかし、それは連携する敵もすでに織り込み済みの対応だったのだろう。
アシュレが左右、いずれかの脅威に対応すること。
その際、いずれかは、《スピンドル》を用いた攻撃によって撃破されるであろうこと。
すべてが予想され、計画された攻撃であったのだ。
死兵、という単語が、一瞬、アシュレの脳裏を過った。
すなわち、死を恐れぬ兵卒のことである。
覚悟を決めた兵士というものは、たとえ雑兵であっても侮ることは許されない。
いままさにアシュレに迫らんとする獣たちの攻撃は、まさに己の死を覚悟しての、捨て駒となることを前提としてのそれだった。
だが、ただひとつ──眼前に迫るインクルード・ビーストたちのそれをして「死兵」と断言することが、なぜかアシュレにはできなかった。
たぶんそれは、獣たちの動きには「判断」がなかったせいだろう。
遠隔から状況を知らせるエレと自分の間にはあって、同じく見事な連携を見せるインクルード・ビーストたちにはないもの。
それをあえて言葉にすれば──《意志》となるのではないか。
アシュレは思う。
そして、思いながらも身体は無意識にも動いていた。
低空を這う獣の突撃に応ずるべく下方に向けられていた竜槍:シヴニールの穂先がもっと下を目指した。
ガロリッ、と音を立て浮き石のひとつを穂先が引っかけるのと、仲間の特攻めいた攻撃によってアシュレたちを攻撃圏に収めることに成功したインクルード・ビーストがその質量自体を弾丸として突撃に移るのは、ほとんど同時だった。
これほど近距離ではシヴニールによる迎撃は不可能だ。
いや、できなくはないが、至近距離に着弾した光条は巻き起こす爆発に巻き込まれ、こんどはアシュレたちこそが危険にさらされる。
敵の狙いもそこに違いなかった。
防ぎきることの難しい挟撃・突撃は《スピンドル》を使用しての異能による攻撃や防御にも、大きなスキを作ることができる。
ほとんどの《スピンドル能力者》が一度に励起することのできる《スピンドル》は、ひとつだけだから、だ。
だが、アシュレは、すでにその例外の領域へ、足を踏み入れていたのだ。
シヴニールの穂先に拾い上げられた浮き石が、瞬間的に加速され、雷光を伴った砲弾としてなかば勝利を確信していたハズのインクルード・ビーストの喉下を打ち据え、その巨体をはじき飛ばし、頚椎を徹底的に破壊して斜面にめり込んだ。
いつか、トラントリム領内で、はじめてインクルード・ビーストと遭遇した際、アシュレが防御的に使った異能。
竜皮の籠手:〈ガラング・ダーラ〉が可能にした石弾を超高熱の爆流として打ち出す《ヴォルカノス・バレット》に、改良を加えた技。
即興的に名付けるなら《オービタル・バレット》とでもなるのか。
普通に考えれば《スピンドル伝導率》の低い自然石を、それそのものに《ちから》を与えるのではなく、触れた穂先で加速させ矢弾として打ち出すという、聖騎士時代のアシュレには思いつきもしないであっただろう手法を、アシュレはやってのけたのだ。
発想の原点そのものは馬上にあってマレットと呼ばれるスティックを用い、足下のボールを奪い合う競技:ポロにある。
じつはアシュレは、従士時代から聖堂騎士時代にかけてずっと、法王庁内チームの正選手であったのだ。
人馬一体となるのにこれほどふさわしいものはない、ということで古代アガンティリス時代より受け継がれてきた伝統ある競技である。
その経験が、ここでもまたアシュレ独自の技として回収され、危地を救ったのである。
賛嘆の声を堪え、アテルイは大きく息を吸いこむことしかできない。
ドッドッドッ、と胸が早鐘のように打つ。
砂漠の民の末裔として、馬術も弓も相当に使うアテルイである。
だからこそ、いまアシュレが特に気負った様子もなく見せた技の冴えを肌身に染みて理解したのだ。
ああ、やっぱり、この方のもとへ嫁ぎたい。
夢見たことがなかったかと言われれば、また両手で顔面を押さえ芋虫のように這いつくばることしかできなくなるような幼い夢そのままに、護られる姫君のようにして騎士の腕に抱かれるアテルイは、頬の紅潮を止められない。
まるで、まるで、初めて恋を知った小娘のようではないか、と自嘲し叱りつける厭世的な自分が頭のどこかにいるのだが──笑われてもかまわない、とアテルイは思ってしまう。
このまま、告白してしまおうか、とさえ思ってしまう心の動きに、悶え死にしそうだ。
だが、直後に迫った死神の切っ先をアシュレが躱すことに成功したのは、まっすぐアシュレダウを見上げていたアテルイがいればこそだった。
なぜ、気がつけたのかはわからない。
飛来する光槍を察知したとき、アテルイは思うより早く《スピンドル》を励起させ、その異能によってアシュレの愛馬:ヴィトライオンを撃った。
むろん、破壊的なエネルギーではない。
思念によって、だ。
動物との意思疎通を可能にする《スピーク・ウィズ・アニマル》の異能。
そして、その直感的な警告に、ヴィトライオンは応え、瞬間的に右へと馬首を巡らせた。
アテルイの行動とヴィトライオンの瞬応。
そのすべてが、結果的にアシュレを救う。
愛馬の突然の挙動に、アシュレはしかし、とまどうことなく盾を掲げた。
刹那──ギャヒィ、と巨大な質量が盾にぶつかり、その表面を滑りながら火花を光片をまき散らすのを、たしかにアシュレは感じた。
直後、ゴォウ、と青白い炎を吹き上げ槍は燃え尽きる。
「なんだ、いまのッ?」
受け止めた盾を支える腕に、ジンとした痺れが走る。
危なかった。
アテルイの警告とヴィトライオンの位置変更がなければ、いまの槍はアシュレかアテルイ、あるいは乗騎であるヴィトライオンを確実に刺し貫いていただろう。
おまけに、だ。
「いまの槍には《スピンドル》が乗っていた……どこからだッ?!」
普通の盾だったら貫通されて、終わりだった。
馬首を巡らしながら敵影を探すアシュレに、
「あすこですッ!! 一段高い岩場の上……あのシルエット……人間じゃない」
「かといって、ケダモノでもないみたいだね」
果たして、アテルイの指さす先に、敵はいた。
四本の脚を持ち、人体を思わせる肉体を備え、さらには獅子のごとき頭部を持つ者。
ラウンドシールドと長槍で武装し、意匠も鮮やかな甲冑を全身に纏っている。
その瞳からは獣性ではなく、あきらかな知性が感じられた。
獣脂かなにかを用い逆立てられたたてがみは、間違いない。
この砦の真の統率者。
言葉や理屈を超えて、それを納得させるだけのオーラを、その異形の者は放っていた。
「獅子面馬人……」
うめくようにアテルイが言うのと、怪物が身を翻すのは同時だった。




