■第五十九夜:毒をくらわばヒドラまで
とたんに、ぶつん、と遠隔通話が切られた。
遠方通信を可能にする異能に精神を集中させ、なかばトランス状態にあったアテルイの肩をエレが叩いたからだ。
ごくわずかだが、《スピンドル》をこめて。
水鏡から像が消え、部屋には静寂が訪れた。
ごうごうと春の嵐が吹き荒れ、部屋の中央に作られた囲炉裏に炎が揺れる。
アラム式の板間に絨毯が引かれた広間にいるのはアテルイ、エレ、それからシオンに、アシュレの四人だけだ。
この拠点にいた敵は、すべて排除された。
伏兵も、ない。
生命の存在を見抜く高位夜魔と振動感知に優れる土蜘蛛、探知系の異能にも通じた《スピンドル能力者》を出し抜くことはできない。
途中で異能の行使を切断されたカタチになり、数秒、惚けたような顔をしたあと、アテルイが言った。
「わたくしと、アスカさまとの通話に、いきなり介入しないでもらいたい! それで──意思疎通を可能にする──刺激的な方法とは?」と。
ふふん、と一応抗議の体裁は採りつつも、実際には意思疎通を可能にする方法に興味津々なアテルイに、意味深な笑みを投げて、エレは肩をそびやかした。
人類に比して種族的に長身なエレがそうすると、古代の美術品、彫像のように美しい。
「それは──口で説明するよりも、実践した方がわかりやすかろうな」
「実践、とな?」
内容を吟味するような口調で訊いたのはシオンである。
場所はこれも制圧した孤立主義者たちのアジトのひとつ。
時間は、塩鉱山跡を攻める前日の晩のこと。
なお、アシュレが率いるこの部隊編成はアシュレ以下、夜魔の姫:シオン、土蜘蛛の姫巫女にして凶手:エレ、オズマドラ帝国砂獅子旅団・アスカリヤ直属の補佐官:アテルイという、戦力的強力さはともかくとして、ジャンル的にも凶悪なメンバーであった。
すなわち、属性的にも正統派美姫、ヤンデレ姫巫女、がんばっちゃうお姉さん、という鉄壁の構え。
たちまち一国の宮廷を制圧できてしまいそうな顔ぶれ。
これがハーレムパーティーと後世に語り継がれる様式美である。
なんとすごい。
だが、いまはまだその真価を語るべきときではない。
ともかく、アシュレたちはトラントリム国境に築いた攻略用拠点でのパーティー内連携と習熟期間を終えた後、すぐさま行動を開始した。
このような小戦隊が敵中心に切り込む場合、隠密行動を前提に、できる限り交戦を避けて首領たる存在の首級のみを狙うのが常道だ。
だが、その王道的手法は今回ばかりは通用しないことが判明していた。
それは、夜魔の姫:シオンに流れる古き血と、オーバーロードへと転成したとはいえ、同じくかつては高位夜魔であったユガディールのそれが起こす共振作用が、互いの存在をハッキリと知らしめるからであった。
そこで、それを逆手にとった作戦が立案された。
最初から隠密など意味を成さぬというのであれば、隊をふたつに分け、シオンを擁する部隊は陽動を引き受ける。
もちろん、敵もその程度は心得ているだろうから、カンタンに引っかかるとは思えないが、聖剣:ローズ・アブソリュートを携えた夜魔の姫が、軍事拠点を次々と陥落させていくのを、為政者としていつまでも静観できるものではないであろう。
さらに、ユガディールとシオンには浅からぬ因縁、関係があった。
むろん、アシュレにしてもそれは同じだ。
オーバーロードとはヒトの《ねがい》を引き受けた存在だ、という結論にアシュレたちは達している。
完全体、完成体、と言えば聞こえはよいが、要するにもはや変わることのできない、可能性に見放された個体なのだ、とも。
ユガディールに注がれた《ねがい》が、どのようなものであるのか。
アシュレはシオンを賭けての決闘、その最終局面において、それと正対した。
巨大な施設──この世界の上部構造だと彼らがうそぶく“庭園”なる異界との接続門:〈ログ・ソリタリ〉と、その尖兵と成り果てたユガディールからのメッセージを端的に言葉にすればこうなる。
すなわち「意志を放棄し、救済に身を任せよ」と。
そして、それを具体的なカタチとしたものが“血の貨幣共栄圏”という思想であり、トラントリムとその周辺に広がる小国家群を覆っていた偽りの楽園像であった。
共通の敵に対する者たちの協力・互助、そして、夜魔とヒトの歩み寄り。
一見理想的に見える世界のありようは、しかし、自作自演の敵と、それを生み出す装置に支えられていた。
ただ一点、そのことにさえ目をつぶれば、そこは理想郷だったかもしれない。
そのことに気がつかなければ、アシュレはもしかしたら、いまもなおユガディールとともに歩んでいたかもしれない。
だが、アシュレはその欺瞞を暴き、これと対決することを決意した。
なぜならば、触れたからだ。
そして、託されたからだ。
オーバーロードに成り果てる前のユガディールの胸のなかで渦巻いていた情熱に。
理想を実現すべく、数百年の時を超えて戦い続けてきた男の志に。
三人の妻を失い、傷つき、疲れ果てたその先で、萎えかけ消えかけた理想を託せる友と、愛する女に出逢った男の、最期の祈りを手渡されたからだ。
だからいま、アシュレを突き動かしているのは復讐心などではない。
雪辱を晴らす、というような戦いではない。
それはどちらかといえば、己に理想を託してくれた友の心を救いたい、という思いに禁している。
だからこそ、これは決して負けられぬ戦いであった。
と、意識が大義名分に逃避してしまうのは、眼前に現出した修羅場のせいである。
エレが提案した意思疎通を戦場で可能にする手段のための刺激的な手法とは、たしかに刺激的であったのだ。
「ちなみにだがこれは、アシュレにしかかけられない」
説明を要求されたエレが指を振り立てて言った。
「どういうことだ」
「なぜですか」
正統派美姫とがんばっちゃうお姉さんが異口同音に訊いた。
どこか詰問めいた口調で。
「これは呪術系の異能なのだ。だからまず、この系統に非常な耐性を持つシオン殿下とはたいへん相性が悪い」
第二に。エレは指をふりふり、教師のような調子で続けた。
「アテルイ殿には、すでに我らが護りの呪いがかかっている。例の出発前のものだ。これに上書きはできん」
どうだ、明快だろう。腕を組み、わかったか、と諭すエレに、シオンとアテルイは不満気な顔をした。
「どうした? 理由は説明したぞ?」
「手法の具体的内容についての説明が、まだですが」
「うむ」
食い下がったアテルイに、シオンが同意して頷いた。
ふー、とエレがため息をつく。
「だから、それは……うーむ、説明は訊かぬ方がお互いのためかと思うのだが」
「それなら、なんで、もったいをつけて話をはじめたんですか!」
「そうだそうだ! 刺激的などと煽られたら、そのう、気になるではないか!」
ふたりからの猛反撃をエレは余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)といった顔で受け流した。
「それはもう、決まっているじゃないか。おふたりのそういう反応が見たかったからだ」
加えて、さらりととんでもないことを言う。
「なにおう」
「なんですとお」
ふたりがいきり立つのを、楽しんでもいる様子だ。
アシュレはエレが土蜘蛛の女であり、イズマと同族なのだと改めて納得した。
こうやって人心を手玉にとるのは、彼らにとって、娯楽に近いのだ。
だが、三者に取り囲まれるアシュレは気が気ではない。
イヤな感じの汗がとまらない。
「具体的な、具体的な手法の説明を要求する!」
「ですです!」
そして、手玉にとられていることに気づく様子もないふたりの恋する乙女たちのパワーにも圧倒されている。
「まあ、とりあえず、おふたりにはしばらく席を外していただく必要があろうな。いや、なんならわたしたちが外してもいい。アシュレ、サウナに行こうか」
「ぴ」
突如として話を振られ、アシュレは口から心臓が飛び出そうになった。
かわりに口から出たのは、例のヒナ鳥的サウンドであったのだが。
「なにを硬直する? シオン殿とや、アテルイ殿とは、なんども入っておったではないか。ん? サムサラ宮で。いこう。裸のつきあいだよ」
「な、なんでそれを」
「なんだとう」
「えっちょっ、それわっ」
だが、さらに爆弾発言が飛び出すにいたり、アシュレはこのままほんとうに自分は爆発してしまうのではないか、という心地を味わった。
ヒトの思念が集中しすぎて、である。
凄まじい不和の予感が場を支配した。
アテルイは真っ赤になった顔を赤らめて身を伏せ、シオンといえば視線で何万回もヒトを殺せそうな勢いで睨みつけてくる。
もちろん、アシュレは状況の変化についていけずフラフラだ。
作戦会議、攻略のための打ち合わせのはずが、大暴露大会になってしまっている。
「? なにかまずかったか?」
「エレさん……どうしてそれを」
「いやなに。これから生死をともにしようかという連中について、知らぬ存ぜぬでは済まされまいに。特にわたしは外部からの新参だ。調べたんだよ」
「だから、なんで調べちゃうんですか」
「簡単だったぞ?」
いや、そうではなく。
がくり、とアシュレは前のめりに倒れた。
「そういうのはプライバシーに属することで」
「何回だ、何回、わたしのいないところでアテルイとサウナにいった」
「いや、だからそれは」
「怒らぬ、怒らぬから言ってみよ」
怒らぬ、怒らぬ、と繰り返し詰め寄るシオンの目はしかし、三白眼の様相を呈しておりもしかするとこれは死が避けられない感じに、怒りのオーラを含んでいた。
「そもそもアテルイもアテルイだ、なぜ、そのようなことを。アラムでは婦女子はみだりに肌を見せてはならんのではないか。アスカ殿はなにをしていた」
「そ、それは……もうしわけございません。ですがっ、あのっ、決して不埒を働いたわけではありませんし、そのう、強要されたものでもないのです。アシュレ様は、アスカ様の食客であり、つまりところ国賓ですから、ご奉仕は当然ということで」
突如として巻き起こった正妻VS新しい妾とでもいうべき修羅場を現出させた元凶であるところのエレは、その様子をニヤニヤと見守っているではないか。
「ちょっと、エレさん!」
「なーに、これから命を賭けようというのだ。このへんはすっきりさせておいた方が、風通しがいいじゃないか」
こそこそと耳打ちするアシュレだが、エレのほうはどこ吹く風だ。
「まことに、まことに、その、国賓としての扱いからだと、そういうのか」
「あ、いえっ、そのっ、それだけかといわれると……」
そして、アシュレが手をこまねいているウチに、修羅場はドンドンと発展していってしまう。
しかたあるまい。
アシュレは、腹を括って状況を打破することに決めた。
毒をくらわばヒドラまで、だ。
「エレ! わかったしましょうそうしましょう。意思疎通可能にしましょう! いますぐいきましょう、いっしょにサウナに!」
突然声を大にして宣言したアシュレに、シオンとアテルイが顔を上げて硬直する。
エレは数秒、ぽかんと口を開けていたが、一転破顔一笑して言った。
「あっはっは、おもしろい。オマエたち、ほんとうに面白いな」




