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■第五十七夜:聖なる御旗は神敵のために(2)


「神……敵」


 イクス教圏においては絶対敵とも訳されるべき言葉で、息子でありバラージェ家の現当主を名指しされたソフィアが、この日、はじめて一歩あとずさった。

 

「いかにも。この第十二回十字軍クルセイドの目的は、暴虐なるアラム教徒、オズマドラ帝国をくじき、聖都ハイアイレムを奪還することだけではない。ダシュカマリエ、アシュレダウ、そして、いまやイリスベルダと名を変えた背教者:アルマステラを征伐することに、大義があるのである」


 世界に真の平和を。

 人類圏の統一、その夢を再び。

 

 静かな、しかし、底知れぬ熱を秘めた口調でレダマリアは告げた。

 頬にはほんのりと朱がさし、唇は濡れたように光っている。

 それは絶対的な信仰を得たものだけが辿り着きうる陶酔とうすいだった。


 そして、その陶酔とうすいを後世、ヒトはこう呼んだ。

 ただひとこと。

 狂信、と。

 

 けれども、いま、この時空にあって彼女を止めることも、諌めることもできるものはいなかった。

 彼女の掌中には《ちから》があったからだ。

 権力と軍事力、そして、信仰が。

 

「さて──これで、本日、ソフィアさまをお呼び立てした件に関して、ふたつは説明させていただいたことになります。ひとつは、聖騎士パラディン:アシュレダウ・バラージェの消息。ふたつめは、第十二回十字軍クルセイドの大義」


 確認をとるように指を折り、レダは言った。

 

「そして、ここからが、ソフィアさまご自身に関すること。つまり、今日、ソフィアさまを、わたくしが個人的にお呼びした真の理由──みっつめのお話です」


 己が息子に関する衝撃的すぎる告白と、予想をはるかに上回る世界的動乱の胎動を知らされたソフィアに、レダは問うた。


聖騎士パラディン:アシュレダウが神敵とされた以上、これをバラージェ家の当主として認めることはエクストラム法王庁としては認められない。本来ならば、即座に家の取り潰しと、所領・財産の没収を持ってこれに対するところである」


 為政者の口ぶりになり、レダは告げる。

 数秒、なにを言われたのかわからず、視線を彷徨わせたソフィアが、反論した。

 

「それはッ、一方的すぎる処断です! 法王聖下には、ことの過程と顛末てんまつ、その精査をお願いしたい!」

「ですから。我々は手を差し伸べた。許嫁と直接の上司、そして、御家の執事の三人に、その役を割り振ったの温情を、斟酌しんしゃくいただきたい。だが、彼は自らその手を振り払ったのだ」

「ですが……それは、夜魔の手によって」

「なればこそ、ことはさらに重大だ。天才とうたわれた聖騎士パラディンが、真祖の血筋に連なるという夜魔の姫:シオンザフィルの毒牙にかかり、その忠実な下僕と成り果てたのだから」


 言葉に詰まり、両手の拳を震わせるソフィアに、レダは氷の仮面じみた表情を和らげて言った。

 だが、と。

 

「だが、バラージェ家は長きに渡ってエクストラム法王庁に仕えてくれた名家。その血筋を手繰れば、これまでどれほどに尽くしてくれたかわからぬほどの功績がある。特に、先代:グレスナウの活躍は、わたくしも伯父であった前法王:マジェスト六世からいくども聞かされたもの」


 追憶するように遠い目をしてレダは続ける。

 

「その家を絶えさせるのは、しのびない。また、これほど大きな損失もない。しかし、」

「しかし?」

「しかし、為政者として、現世における神の代理人として、処罰すべきところは処罰しなければ、後世に示しもつくまい」


 そこで、です。

 穏やかな笑みを広げて、レダは提案した。

 

「ソフィアさま──再婚なさいませ」

「な」

「アシュレダウは廃嫡。そのうえで、ソフィアさまは再婚。バラージェ家はこれにて安泰、というのがわたくしからの、ご提案。つまり、本日の主題でございます」


 にこり、とこれで結論だと言わんばかりの表情でレダが言い切る。

 

「なぜ、なぜ、そのようなことが承服できるとお思いかッ!」

「論理的には矛盾はないかと思いますが。つまり、わたくしはバラージェ家を潰したくない。しかし、処断すべきは処断しなければならない。本来ならば、一族郎党すべてを火刑に処すところ。それをこれほど穏便な処置に済ませるのは、ひとえにバラージェ家から、ソフィアさまからわたくしが受けてきた恩、あればこそ、です」


 矛盾はない、と微笑むレダにソフィアは戦慄を憶えた。

 ぞぞぞ、と背中から首筋にかけて、おぞけが走った。

 

「なにを言っているのか、わかっているのですか、レダマリア」

「もちろん。わたくしは正気ですよ、ソフィアさま」


 さきほどまでの厳しい話題からは一転、レダは楽しい話題であるかのように話す。

 

「じつは以前からずっと、考えておりました。グレスナウさまが世を去られてから、もう何年ですか? 喪も明けてから、ずいぶんと立ちます。そのあと、いかに当主としてアシュレダウが立ったとはいえ、実質的にバラージェ家を女手ひとつで切り盛りされてきたソフィアさまには、ちょうどよいお話ではないでしょうか? まだ、三十なかば。女盛りではありませんか」

「ふざけているのですか。こんな、このような席で」

「ずいぶん、お寂しい時間をお過ごしになられてきたはずです。十代のウチに嫁がれて、第一子を出産なさったあと……お子に恵まれてもいない。グレスナウさまとは、相思相愛のあれほど仲が良かったご夫婦が、です。夫婦間のお話にくちばしを突込むわけではありませんが、貴族の務め、義務として、子を成し育むことは国に対する貢献こうけんでもあるわけで」


 迂遠な言い回しで楽しげに探りを入れてくるレダの意図を、貢献・・という単語の登場によって、ソフィアは察知した。

 こう言っているのだ。

 ソフィアの持つ《スピンドル能力者》の血筋が欲しい、と。

 

 この時代の貴族・戦士階級、それも《スピンドル能力者》を排出してきた家系にあって、その血統を後世に残すことは務め、いや、義務とさえ考えられていた。

 それは奇跡の《ちから》である《スピンドル》は、血筋によって受け継がれると考えられていたし、統計学的にはたしかにそうであったからだ。


 バラージェ家のように、長子ひとりだけ、という家庭は、だからかなり珍しい。


 たいていは三人以上の兄弟・姉妹というのが平均的で、家によっては正妻のほかに妾を囲うことさえ容認される場合がある。

 血が発現しても、《スピンドル》の試練に耐え切れず夭逝ようせいする場合も多々あるからだ。

 バラージェ家の先妻と子供たちも、じつはそれが直接の死因だと言われている。

 濃すぎたのだ、《スピンドル》の血が。


 それほどにアシュレの父:グレスナウの肉体を流れる《ちから》は凄まじかった。


 第一子を出産したあと、グレスナウとソフィアンネが子を設けなかった理由も、そこにあった。

 正確には、グレスナウの血、そして、ソフィアの《スピンドル能力者》の母としての適性が、とてつもない怪物を結実させたのだ。

 なんと、アシュレダウは、その誕生の瞬間にあって、《スピンドル能力》を用いながら現世に現われたのである。

 その《ちから》は強大で、まだ母体を危うくするほどのものであった。

 あまりの回転に光すら放ち始めたアシュレと《スピンドル》を、同伴したグレスナウは母体のために亡き者にしようとすら、考えた。


 だが、その考えを押しとどめたのは、ほかならぬソフィアそのヒトであった。

 我が子をくびろうとさえしたグレスナウの手に、ソフィアは震える己のそれを重ねて言った。


「あなたの血を受け継いだ子を──わたしも見たいのです」と。


 聖騎士パラディン:グレスナウはこのとき、覚悟を決めた。

 そして、まだ見ぬ息子が振う《スピンドル》に対し、己のそれをぶつけて相殺する《カウンター・スピン》の応用を仕掛けたのだ。

 結果として、母体の危機は去り、十二歳の開花のときまでアシュレダウは凡人として過ごす。


 ただ、このときの経験が、グレスナウをして後の子を成すことをためらわせた。


 それほどに妻:ソフィアを愛していたとも言えるし、もしかしたら、己に流れる《スピンドル》の血を、彼は恐れていたのかもしれない。


 そして、社交界にあって囁かれる「石女うまずめ」との揶揄やゆも、希代の天才とうたわれたアシュレダウの躍進を前にしては、気にするほどのものではなかったし、そういった陰口に対して頓着するような性格では、ソフィアはなかったのだ。

 

 だから、この逸話を知る者はほとんどいない。

 いないはずだった。

 ただ、幼少期、アシュレとともにバラージェ家で過ごした者をのぞけば。

 

 たとえば、レダマリアはその例外だ。

 

 その彼女が、さも、事情を知らぬように問いかけてくる。

 意図・・を感じずにいろ、というほうが無理な話だった。

 

「存外……石女うまずめという世間の評判は、的を射ているかもしれませんよ」


 一矢報いるのが精一杯だった。

 

「お戯れを申されては困ります。しかたない、単刀直入に申し上げましょう。これは取引です。再婚なさい、レディ・ソフィア。そして、《スピンドル能力者》を生みなさい。できるだけ多く。それがあなたにできるエクストラム法王庁への最後の奉公です。そのかわり、バラージェの家は残しましょう。所領も財産も安堵。悪い話ではない」

「大戦争を前にして、女をその道具、兵力を増産・補強するための機械にせよ、というのですね、レダマリア?」

「道具、という表現はいささか度が過ぎます。正式な手続きを踏んだ、正しい結婚です。もちろん、祝福は法王たるわたくしが自らさしあげる」

「わたくしと、グレスナウの間には愛がありました。それはいまもなお色あせてはいない。それを思い出の箱に封じて、家の安寧のために他の男と契ることなどできはしない」

「愛がなくとも結婚は成立しますし、子も成せます。むしろそちらのほうが、貴族の世では常識となされるところ。それに、これはお家のため、というよりも御身のためでもあるのですよ?」

「わたしの? ……まさか」

「どうしても、この提案を拒まれるというのならば──しかたない。道具としての人生を送っていただくしかない」

「ッ! あなたは! レダマリア、あなたもですか! かつて、そうやってわたしたちから愛しいあのヒトを、グレスナウを戦場へと送り込んだように、こんどはわたしの尊厳を同じように売り渡せと、そういうのですね?!」

「なんのことをおっしゃられているのか、よくわかりませんが──もう一度おうかがいします」


 真にこの提案を拒否なさるのですか?

 笑みの消えた声で、仮面のような表情で、レダマリアは問うた。

 聖堂に殷々いんいんと残響が響く。

 

「くどい!」

「ならば、もはや交渉の余地はない。つれていけ」


 そうレダマリアが命ずるのと、いつのまにか現われた近衛兵スカルラット・ガーズがソフィアの両脇を押さえるのは同時だった。

「わたしに──触れるなッ!」

 ソフィアが激昂し、ふたりを打ち倒すが、駆けつけた増員に取り押さえられるのは時間の問題だった。

 

「レダマリアッ! こんな、こんな非道が許されるとお思いですかッ?!」

「ソフィアさまこそ、上位者への服従の義務をお忘れでは?」


 両腕をひねり上げられ大理石の床に押しつけられたソフィアが、レダマリアに吼える。

 だが、その気迫を前にしても、レダマリアは冷然と受け流すのだ。

 

「こらこら、諸君、レディは丁寧に扱いなさい──さるぐつわを忘れるな」


 近衛兵スカルラット・ガーズたちにそんな指示を飛ばしながら柱の陰から現われた男は、緋色の衣装に身を包んでいた。

 

「ブラドベリ枢機卿」

「法王聖下におかれましてはご機嫌麗しく。やれやれ、やはり、このブラドめが申し上げた通りの展開になってしまいましたな」


 さきほどまで影もカタチもなかった男は、慇懃無礼な口調で言った。

 ブラドベリ・ボーン。

 あらたに設けられたイグナーシュ教区を預かる男で、ヴェルジネス一世の即位に合わせて新任された枢機卿である。

 ちなみに、突如魔法のように現われたのは、異能ではない。

 法王庁内部に無数にある隠し通路とドアを通じてのものであった。

 このようすであれば、相当数の兵力がこの謁見の間のそこかしこに隠されているに違いない。

 

「陛下からの温情あるお言葉、さらには名誉ある結婚を拒むとは。どんな陰惨が待つか知らぬのでしょうか。愚かな。いや、これは、もしかすると、ですが、そういう展開がお望みだったとも、考えられますに」


 ぺらぺらと余計な長広舌を披露するブラドベリに、もうよい、と手を振ってレダは答えとした。

 足元で、ソフィアが抗議の唸り声をあげるが、黙殺した。

 

「もうよい。せいぜい従順な道具に仕上げろ。見た目は少女のようでもそれは猛獣だぞ。調教の方法はまかせる。ただし、殺すな。壊すにしても、美学は貫け。なにしろ、次世代の《スピンドル能力者》たちの母、そのひとりなのだからな」

「はい、それはもう。丁寧に、念入りに、仕上げさせていただきます」

「つれていけ。見飽きた」


 とつぜん、ぶつり、と興味を失ったかのように目をそらしたレダマリアに対し、新たな玩具を与えられた子供のように上機嫌でブラドベリは、場を辞す挨拶もそこそこに、ソフィアを引きずるようにして去っていった。

 

「ソフィアさま、ご安心ください。アシュレダウは、かならず、わたくしが取り戻して見せます。そして、胸のなかに巣くった夜魔の姫を、討ち果たし、清めて──わたくしのを注いで、完璧なアシュレダウにして見せます。そのためにお力をお貸しください。我々の礎となってください。完全な、清浄な、正常な世界のために」


 いつか、アシュレダウに渡したはずの聖印を握りしめつぶやくレダマリアの声が、だれかに届くことはもうない。

 

 ただ、ブラドベリとは反対側の柱のかげで、ことのなりゆき、その一部始終を聴いていた男、ラーンベルト・スカナベツキ枢機卿を除いては。





■今回のエピソードにつきまして


書籍化版に準拠しております。

が、web版:ジェリダルの魔物をご覧頂けたら、だいたいの事情は把握可能なようにも構築してありますので、ご安心ください。


また、外伝にあたるムーンシャイン・ロマンスの最終話までご覧になっていただけたなら、印象ががらっとかわることかと存じます。

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