■第五十七夜:聖なる御旗は神敵のために(1)
「聖遺物:デクストラスと聖なる籠手:ハンズ・オブ・グローリーの強奪、そのを手引きした大罪人……そして、元聖遺物管理課職員」
アルマステラという娘に関する既知情報を、ソフィアは思わずうめくようにして、言葉にする。
件の事件について、詳細は公表されてはいないものの、聖務についた当の聖騎士、その直接の関係者として、ソフィアには相当に精度の高い情報が届けられていた。
だが、まさか、大罪人として追われているアルマステラなる娘本人が、“再誕の聖母”を名乗っているなどとは、さすがに予想できぬことであった。
驚愕を隠せぬソフィアに、レダマリアは続ける。
「そして、さらにいえば、夜魔の大公:スカルベリの娘、シオンザフィルとの共犯関係が疑われていた女、です」
加えさせてもらうなら、そのせいで聖騎士:バラージェは聖務を放棄し、失踪したわけですが。
努めて冷徹な口調を保とうとするレダマリアの口元に現れる引き攣れが、皮肉からのものなのか、怒りによるものなのか、はたまたそれ以外の感情から来るものなのか、ついにソフィアにはわからなかった。
だが、聖騎士:バラージェ、つまりアシュレが聖務を放棄した、というレダマリアの言葉を看過できるようなソフィアではない。
「ありえません。あのコが、敬愛するマジェスト前法王聖下から承った詔勅(法王からの直接の命令のこと)を放棄して、失踪するなどということは決してありません」
母親として手塩にかけてきたからこそわかる。
そういう態度でソフィアは断言した。
言い募り、問いかける。
「あれは、あのコは、決してマジェスト聖下や、あなたを裏切ったりなどしないコです。レダマリア、幼なじみとしてユーニスとともに、ずっとあのコを見てきたアナタには、わかるでしょう?」
だが、そんなソフィアを、レダマリアはどこか見下すような瞳で見て、それから言った。
「しかし、彼はいまだに未帰還。なんの便りもない。これが現実です」
「事情があるはずです。それに、アシュレが聖務に赴いたイグナーシュ領は、人類圏に奪還されたと聞き及んでいます。これまで十年に渡り、人外魔境と成り果てていたかの地を取り戻したのが、あのコの武勲でなくて、他にどんな理由がありえましょうか」
ソフィアの反論を、たしかに、とレダマリアは瞳を閉じ小首をかしげて聞き流した。
「たしかに、地域住民からも、そのような証言が寄せられています。聖騎士:アシュレダウとその一行が、降臨王:グランの試練に打ち勝ち、イグナーシュに垂れ込めていた暗雲を払ったのだと」
「御覧なさい! やはり、そうだったではないですか!」
「ソフィアさま、お話はどうか最後までお聞きになられてください」
イグナーシュ王国の住民たちからの証言を得て力説するソフィアを制し、レダは続けた。
「ところが、アシュレダウはともかく、その一行の詳細について尋ねると、だれも明言できないのです」
「……どういう、ことですか」
話の道筋が見えず、ソフィアが問う。
「アシュレダウを補佐するため、三名の聖堂騎士が聖務には同道していました。ソラスナラス・ビドー、ミレイラクルト・ミルファ、パレトカイン・ジャスダ。他にも、十二名の従者。そのなかにはわたくしの幼なじみ、ユニスフラウ……ユーニスも含まれています」
ソフィアが沈黙する。レダの言わんとするところが、断片ながら理解できたからだ。
もちろん、レダは続ける。
「その全員が、いまだに未帰還」
「それこそが、アシュレがいまだ、聖務を続行中の証なのでは!」
「で、あれば問題などなかったのです。そう……今日、こうしてソフィアさまをお呼びだてすることも」
「……つまり?」
「我々は聖騎士:バラージェが最後に目撃されたイグナーシュ領、イゴ村の住人全員に審問を行いました。そして、あきらかになったことがあるのです。それは、異能、それもおそらくは薬物と呪術系の混成による、記憶・印象操作の痕跡です。聖騎士:バラージェを除く、その一行に関する記憶が極めてあいまいにされてしまっている」
「なん……ですって」
「驚かれるのも無理はない。しかしこれが事実です」
「ですが、そんなことが」
「間違いはありません。なにしろ、その審問を行ったのは、わたくしの信頼する忠実な僕、聖騎士:ジゼルテレジア・オーヴェルニュなのですから」
「ジゼルテレジア?! ジゼルが、ですか?」
三度、ソフィアは驚愕した。
なぜならば、その名、聖騎士:オーヴェルニュ、すなわち、ジゼルテレジアこそ、アシュレの許嫁であり、聖遺物奪還の任を果たした折りには、アシュレから法王へ、彼女との婚姻を届け出る予定になっていた相手だったからだ。
むろん、ソフィアの動揺の理由はそれだけではない。
希代の天才、“聖泉の使徒”とまで謳われた彼女は現在、公式には廃兵院の住人となっている。
レダマリアからの勅命を受け、これもまた聖務を負い赴いたカテル島にあって「忌むべき強大な存在」と遭遇戦となり、精神崩壊を起こしたため、というのが法王庁内での公式発表だ。
今日のこの会談は、それを耳にしたソフィアが事実を確認するため、二日と間を空けず打診し続けてきた結果でもあったのだ。
「説明を、説明を要求します! レダ!」
「そう声を荒げなさらずとも、最初からそのつもりでお呼び立てしたのです、ソフィアさま」
慇懃なセリフ回しとは裏腹に、どこか蔑むような声色でレダが取りなした。
だから、最初から、そういっているでしょう。これだから、俗人は。
そんなニュアンスを含んだ声だった。
「デクストラスと、ハンズ・オブ・グローリー、ふたつの聖遺物が忌むべき夜魔の姫:シオンザフィルによって奪われた事件。そして、それを奪還すべく追跡の任に当たった聖騎士:バラージェが、廃王国:イグナーシュを人類圏に取り戻した後、消息を絶った──この一連の事件に関して、我々エクストラム法王庁はその直後から、現地に聖遺物管理課の高位審問官を二名派遣、事実の把握に努めて参りました」
そして、高位審問官の選抜にも、もちろん、最大の配慮をしたつもりです。
「すなわち、二名の高位審問官とは、聖騎士:オーヴェルニュ、さらには、聖遺物管理課の長たるラーンベルト・スカナベツキ。この二名が、その任に当たってくれたのです。ソフィアさまにおかれましても、この人選について、異論はないことかと存じます」
む、とソフィアが開きかけた口をつぐんだ。
“聖泉の使徒”とのふた名を持つジゼルの《ちから》は、現役の聖騎士たちのなかでも、屈指と言われている。
超常捜査系の異能に優れていながら、戦技にも精通し、まさしく一騎当千という表現がふさわしい、というのがもっぱらの評価である。
ただ、幼少期から彼女の相手を務めてきたソフィアに言わせれば、情緒面に不安定な部分があり、倫理・道徳という観点からすれば、常識外れな行動を取りがちな存在だという認識があった。
だが、そこに手綱を引く者がいたとなれば、これは話が変わってくる。
ラーンベルト枢機卿。
現在約五〇名在位する枢機卿たちにあって、数少ない《スピンドル能力者》。
考古学や人類学に強い志向性を持ち、それが高じて聖遺物管理課の長に収まった男。
高位聖職者の身でありながら、女性関係での噂が絶えないが、これまで尻尾をつかまれたことは一度もない。
権力的志向はまるでなく、ただただ、研究と火遊びに没頭するためにこの地位まで昇り詰めてきたという変わり者。
権謀数術渦巻く法王庁の大伽藍の下にあっては、しかし、だからこそ信頼に値する男だとも言えた。
そして、なにより。
死別した夫、聖騎士:グレスナウの親友だった男だ。
沈黙したソフィアに、ちいさくうなづき、レダは語りを再開した。
「このふたりからの報告にはよれば、さきほどもお話しましたが、オーバーロードと化したかつての降臨王:グランを撃破したところまでは、たしかにアシュレダウの功績・武勲であることは間違いないようです。しかし、問題はその後だ。彼は、聖遺物奪還の任を続行する、とイゴ村の住民たちに言い残し、手紙だけを残すと、仲間たちとともに立ち去った」
我々には、なにひとつ詳細を語らず、報告のための急使もよこさず。
「ここにある直筆の手紙には、簡潔にこう記されています。すなわち、オーバーロード:グランの撃破。聖遺物:デクストラス消滅の事実。そして、聖なる籠手:ハンズ・オブ・グローリー奪還のため、夜魔の姫を追撃する、と。火急の任にて、これまで、とある。」
なるほど、事情はわからなくもない。
羊皮紙に記されたそれを、つまみあげ、床へと落としながら目を細めてレダは言った。
「ならば、なぜ行き先を記さない。なぜ、報告しない。なぜ、隊のひとり、従者のひとりでも残さない。ユーニスはなにをしてるのか!」
静かに言葉を重ねてきたレダマリアの語尾が、一瞬、詰問の強さを帯びた。
ソフィアはそこに、レダマリアという少女が、その小さな胸のうちに封じ込めてきた激情を垣間見た気がした。
ふー、と心の湖面に起きた波をなだめるようにレダは息をつく。
「むろん、わたくしたちも手をこまねいていたわけではない。無補給、無支援のまま、ろくすっぽ休息さえ得ていない戦隊を、そのまま追撃の任に当たらせるわけにはいかない。全力で、アシュレダウの足跡を洗い出したのです」
そして、驚くべき可能性に辿り着いた──レダは言った。
「それがカテル島だったのです」
ごくり、とソフィアは固唾を呑んだ。
ひとつの疑問が氷解したからだ。
それはいま廃兵院送りとなったジゼルが、いかなる経緯で、カテル島というファルーシュ海の東の果てに赴いたのか、ということについて、だ。
もちろんそれは同じく、なぜ、どのようにして、そのような場所へとアシュレが行くことになったのか、という問いにも直結するのだが。
ただ、超常捜査系の異能者にとっては、その過程を知るよりも、結果を手に入れる方が圧倒的に早い、という現実があることもまた弱なりとはいえ、《スピンドル能力者》であるソフィアには合点のゆくのだところであった。
「わたくしたちは、すぐにも審問官とそのための特使をカテル島へと送り込みました。もちろん、その一団を率いるのはラーンベルト枢機卿、そして、その補佐にはジゼルテレジアを配して」
それで、と沈黙を持ってソフィアは先をうながす。
慌てられぬよう、とレダまた、沈黙と伏目と苦笑で返す。
「統治者であるカテル病院騎士団の対応は当初、慇懃かつ、穏やかな否定……結果としてそれは、重大な裏切り……いや、叛旗を翻す行為だったのです」
「叛旗を翻す、とは」
「彼らは、その島の深奥に、恐るべき秘事、忌むべき秘蹟を隠し持っていました。すなわち、かつて、統一王朝:アガンティリスを破滅に導いたほどの装置を」
「なんですって……具体的には」
「ソフィアさまだからこそ、お話します。それは我々法王庁関係者であっても、ごく一部の人間にしか明らかにされておらぬ秘密」
我々はこう呼んでおります。
すなわち──《御方》、と。
「《御方》……それは、いったい」
告げられた名の持つ言魂の強さに、肌が粟立つのを感じながら、ソフィアは問い返した。
「神を模して創られた太古の邪神、からくり仕掛けの《偽神》とでも申し上げれば通りが早いか──その遺骸、です」
「遺骸」
「ですが、その遺骸には恐るべき《ちから》が秘められている。《フォーカス》を軽く凌駕するほどの」
「!」
人類圏を守り通すための切り札として、はるか昔から、その探索と収集に多くの戦士・騎士たちが命を賭してきた武具:《フォーカス》の《ちから》のほどを、もちろん、ソフィアもよく知っている。
だが、それをして、はるかに凌ぐという《御方》なる存在が、いったいどのようなものであるのか──あまりに荒唐無稽すぎて、想像がつかない。
「それは、いったい、どういう種類の《ちから》だと、いうのですか」
「具体的には、その《偽神》の《ちから》をもって、アルマステラ──いいえ、いまはイリスベルダとなのっていますが──は、“再誕の聖母”へと転成を果たしたのです」
立て続けに告げられる事実の衝撃に、さすがのソフィアも呆然とするほかない。
いっぽうのレダは、ますますの冷静さでもって言った。
「偽りの聖母。その誕生を阻むべく、我が騎士:ジゼルテレジアは儀式の最終段階に介入しました。我が法王庁が秘蔵する最大級の殲滅兵器のひとつ、聖瓶:ハールートを持って」
「ハールート! それはっ、それは、かつて世界を水底に沈めたとさえ言われる……強大な聖遺物では!」
「その使用もやむなし、とわたくし、神の代理人たる余、ヴェルジネス一世が判断したのです」
世界を代表する口調でレダが断言した。
「世界の根幹を揺るがす事件が進行していたのですから。そして……実際には転成を阻むことはできなかったのですから」
だから、ジゼルは壊されてしまった。
偽りの聖母、いいえ、魔女:イリスベルダによって。
「さらに、その途上、恐るべきことが明らかになりました。いいですか、ここからが本題です」
気をたしかに持って、お聞きください。
レダの口調は事務的だ。
冷酷に告げた。
「この一連の事件の共謀者として、アシュレダウをここに告発します。ただし、情状酌量の余地がある」
「どういう、ことですか?!」
「偽りの聖母を誕生させ、世界の根幹を攻撃するテロルにかつて聖騎士だった男が加担している、と申し上げている。ただ、それがほんとうに彼の《意志》によるものかどうかは、わからない、と言っているのです」
「おっしゃられていることの意味が、にわかには理解できない」
「わたくしは、あなたの理解を必要としていない。ただ、事実を述べるのみだ。つまり、情状酌量の余地、についてだ」
ソフィアの抗議を一蹴し、黙らせると、レダは告げた。
厳かに。
アシュレの行いに対する、情状酌量の余地について。
「彼は堕ちた。夜魔の姫:シオンザフィルの下僕に成り果てた。その証拠に──長くバラージェ家の執事を務めてきたバントラインを殺害、ジゼルテレジアに敵対した」
「なん……ですって」
「残念ながら、これが事実です」
「どうして、おわかりになるのか」
「わたくしが、ジゼルテレジアから受け取りました」
「しかし、彼女は」
精神を壊され、もはや、廃人だと。
ソフィアはこう言ったのだ。
そんな人間の証言に、信憑性があるものか、と。
だが、レダはかぶりをふった。
「ですから、その砕けた心を、わたくしが再建したのです」
「砕けた心の、再建?」
どうやって──目で問うソフィアにレダは微笑んで返した。
これこそが、我が《ちから》だ、と。
「むろん、わたくしの心をわけあたえることによって、です。ですから、これが、真実です」
ソフィアはその言葉の清らかさと、浮かんだ微笑み、そしてレダの態度に寒気を感じた。
鳥肌が立つ。
そして気づいた。
この肌の泡立ちを知っていると。
それは先ほど、《御方》なる単語を初めて聞いたときのそれと同じだと。
だが、そんなソフィアの心中など斟酌した様子もなく、レダは続けるのだ。
ですから、と
「聖騎士:アシュレダウ。彼はすでに、我らが障害、神敵に成り果てたのです」




