■たれそかれ3:挑発と返礼
※
「かかってくれるかな」
決行直前「この作戦に」という意味で訊いたアシュレに対して、レダは逆に訊き返したものだ。
「かからないと思うの?」と。
その言葉にあった悪戯気な調子と艶っぽさに、アシュレはぎょっとしたものだ。
「わたしたちふたりのあんな姿を見ておいて、餌的には不十分だ、と? 聖騎士殿?」
わたわたと、動転するアシュレにレダはにこりと微笑んで、その手を取った。
「だいじょうぶ、あなたが動揺してくれるくらいには魅力的な餌だと思うから」
だから、守ってください。
そう続けるレダにアシュレは騎士としての誓いを告げるしかできなかった。
そういうわけで、アシュレは聖騎士昇格後初めての長期休暇を、ユーニスとレダふたりの、そしてジェリダルの魔物討伐の騎士として過ごすことになったのだ。
レダの治めるヴァレンシーナ教区は、法王領にあっても上位に属する豊かさと、治世の確かさで知られた。
現法王:マジェスト六世の後を、そのまま姪であるレダが引き継いカタチになるのだが、伯父も姪も、民衆に人気の高い存在だったのだ。
もちろん、治安においても法王領で並ぶものなし、と言われた教区である。
そこで、今月に入ってからすでに四件の殺人事件が起きていた……そのどれもが、ジェリダルの魔物の手口に合致する。
普通なら自警団から衛士隊、そこから聖堂騎士団への出動命令へと手順が踏まれる。
けれども、レダは、衛士から上ってきた報告を手元で差し止めていた。
これをそのまま報告すれば聖堂騎士団の、ひいては法王庁の威信に傷がつくと判断したのだ。
アシュレはこれを請け負った。
ジェリダルの魔物、その狙いが「美しい獲物」ならば、たしかに、これ以上の標的はありえない。
そのことに関しては、太鼓判を押すアシュレである。
少なくともアシュレの胸を高鳴らせ、頬を紅潮させるくらいには──ふたりは美しかった。
じつは、聖堂騎士団も過去、同じやり方、つまり囮作戦を試みたのことを、アシュレは知っている。
ただし、婦女子や子供を餌とするなどあってなはならない、という判断により「女装した聖堂騎士」と「甲冑に身を固めた女性騎士」という組み合わせで、その作戦は実行された。
もちろん、その女装した聖堂騎士には他ならぬアシュレが含まれていた。
だが、成果はまったく上がらず、彼らの努力を嘲笑うかのように魔物は被害者を増やし続けた。
並記することではないかもしれないが、アシュレダウ男の娘伝説などという、実に不名誉にして、まことしやかなウワサだけを残した作戦は、空振りに終わったのである。
しかし、アシュレは着想そのものが間違っていたわけではないと思う。
ただ、ジェリダルの魔物は「人間以上の知性と獣の嗅覚を合わせ持ち、それでもって策を見抜いている」のだ。
そのことを理解せず「たかが、獣」と侮ること自体がそもそも間違いなのである。
ヤツは鋼の匂いと、卓抜した騎士たちの能力を見て、嗅いで、あるいは聴いて、看破したのであろう。
そして、交戦を避けた。
それが、アシュレの見解であった。
レダの作戦は、だから、アシュレの見解を裏付け、さらに補強するものではあったのだ。
互いに決して口には出せぬ、非公式な企みであったとはいっても、勝算はたしかにある、と。
それにしても、苦戦はした。
はじめの一週間、魔獣は影もカタチも現さなかった。
「んー、むずかしいねえ」
朝食の席で思わずぼやいたアシュレはクロスファイアに遭った。
十字砲火。
相手はユーニスとレダからである。
「それは、囮に不備がある、とそういってんのかしら?」
「詳しく伺いたいデスワネ、聖騎士?」
ユーニスはともかく、レダの口調が変わっていた。
こわかった。
こういう感想についてはよくよく考えなけらばならにないのだ、と痛感したアシュレである。
「いや、そうじゃなくて」
しどろもどろにアシュレは言い訳する。
「ふたりは充分すぎるほど魅力的だよ。そうじゃなくて……まだ、どこか演技的なとこが残っているのかもしれない。そこを嗅ぎ取られているのかも……それにジェリダルの獣は、聖堂騎士団の失敗を見て研究している……用心深くなって当然なんだ」
「もっと自然体でいろってこと?」
「まだ身構えている感じがあるんだと思う。こう……見られていることを意識しすぎっていうか」
アシュレの指摘に思うところがあったのだろう。
ユーニスとレダのふたりが顔を見合わせた。
「それになんか、遠眼鏡で覗いてると、ときどきふたりとも、こっちを見てない?」
アシュレが漏らした感想に、ユーニスとレダのふたりが口元を押さえる。図星だった。
「や、そ、そんなことないしー」
「で、ですわよー?」
ユーニスとしては、着飾った自分の姿をアシュレに見てもらいたいという乙女心だったのだろう。
しかし、レダまでが赤面して、挙動不審になっているのはどういうわけか?
「とにかく、もっと自然体に」
抜き差しならぬ情報が飛び込んできたのは、そうやって三人が食卓で作戦の練り直しについて話しあっている最中だった。
リューゼンの森の谷筋で、娘ふたりの死体が上がった。
ちなみにそこはレダの所有地だ。
この時代、貴族や高位聖職者が狩りを楽しむために、森番に管理させている森を領有していることはよくあった。
手入れの行き届いた森と、そうでない場所とは、豊かさが天地ほども違う。
貴重な野禽やイノシシ、キツネたちが集い、ハシバミやカヤを代表とする木の実や、潤沢なベリー類、キノコのなかまが四季折々に森を彩る。
レダはそこでの狩猟だけは禁じていたもの、薪や木の実拾い、ベリー、キノコの採集を地元住民たちに自由に許していた。
このあたりも領民に慕われる理由であったろう。
その森で事件は起きた。
死体となりはてたのは、行方不明となっていた被害者のうちのふたりである。
おそらくは、という曖昧な注釈付き。
もちろん、それには理由がある。
担当官の報告では、いくつもの肉体が縫合されており、ほんとうに彼女たちなのか判断できない、という。
執事からの報告を聞き終わる前に、三人は席を立っていた。
※
「酷い」
現場に駆けつけ、検死に立ち合ったアシュレの感想がすべてを言い表していた。
娘たちは着飾られていた。
貴族でなければ贖えないような、豪奢な衣装で。
しかし、なににも増して、奇妙なのは死体そのものであった。
いったいいかなる技を用いたものか、犠牲者の肉体は、まるで人形のように縫合されていたのである。
担当官の報告は、正確だったわけだ。
あえて言葉にするなら──それぞれの個体の良い部分だけを選りすぐってひとつにした──そういう狂った思想の臭いを、アシュレは遺体から嗅ぎ取っていた。
検死は領内の施療院で行われた。
遠巻きに立つのはユーニスとレダのふたり。
ふたりの顔色は蒼白。
ユーニスは耐えられず嘔吐した後だ。
レダは為政者として、気丈に振る舞っているが気持ちは同じだろう。
ふたりは口元をハーブを挟んだマスクで覆っている。
「囮を使うだなんて、悠長なことを言ってる場合じゃなくなったな」
湧き上がる怒りをこらえてアシュレが言った。
「これはヒトの所業じゃない。魔の《ちから》に属するものだ。すぐに討伐しなければ」
子細に検分を終えたアシュレにはわかっていた。
これは、死体を継ぎはぎしたものではない
犠牲者の娘たちは、生きながらに切り分けられ、腑分けられて、ひとつにされた。
そのあとで、死んだ──おそらくは狂死したのだ。
こんな所業が許されるはずがない。
「法王庁に報告する。法王聖下に聖騎士の投入を直接、進言する。なんならボクが志願するよ。そうだ、竜槍を、」
「まって、アシュレ」
怒りに燃えて、アシュレは口走る
その言葉を遮ったのはレダだった。
「それは、ダメ」
「レダ! この期に及んで、まだ聖堂騎士団のメンツが大事なのか! 証拠は明白だ。すぐにも手を打たなければ!」
「そうじゃないの! 承認を得るまで、いったいどれくらいの時間が必要? 法王庁との往復にだって、時間は必要よ? その間は、三日? 五日? 一週間? それにあなたの所属は聖遺物管理課。怪物の討伐には他の部署が当たるわ。そして、ひとたび裁可が下ったなら、そのニュースはあっという間に広まるでしょう」
法王庁、ついに聖騎士を投入って。
レダは冷静に言葉を重ねる。
「それを、ジェリダルの魔物が聞き逃すかしら? 聖堂騎士団を手玉にとり、逃げおおせるような狡猾な怪物が? きっと、聖騎士たちが到着する頃には姿をくらましてる。そして、別の地方で、同じことを繰り返すわ。もっと狡賢く、悪質なやり方を学んで」
だから、これはわたしたちでやらなくちゃならないの。
アシュレの両手を掴んでレダは言った。
「ヤツは挑発してるの。この哀れな娘たちの死体は、ヤツの警戒の現れ。目の前にぶら下げられた餌に飛びついていいのかどうか、ヤツは試しているのよ! 剣呑な罠──つまり、アナタという槍が飛び出してこないか、って!」
レダの真剣極まりない説得に、さすがのアシュレも黙るしかない。
普段は物静かなレダの言葉はアシュレのものと同じか、それ以上の怒りが込められていた。
ただ、その怒りを飲み込んだうえで、どうしなければならないかをレダは考えていたのだ。
「じゃあ……これまでと同じやり方を繰り返すっていうのか」
レダの言葉を頭では納得しつつも、アシュレは聞き返さずにはいられない。
「まさか。ここまでされて、黙っておけるもんですか。討伐隊を編制します。もちろん、陣頭指揮は、わたしが」
「でも、それじゃあ」
聖堂騎士団と同じ過ちを犯すことになる。
そう指摘しようとしたアシュレを、またレダは遮った。
「イクス教者の頂点に立とうかという枢機卿が、自らの教区内で、しかも私的領有する森を侵犯されて黙ってなんかいられません。祈りの《ちから》で、魔を滅して見せます」
アシュレは、レダの発言に目を丸くした。
「祈りにそんな《ちから》なんてない!」
戦場という現場で戦ってきたアシュレからすれば、それは妄言に他ならなかった。
魔物や悪霊を滅することができるのは、祈りではない。
残念だが、祈ることで神の加護が降りたりはしない。
現実の脅威に相対するには、現実の《ちから》が必要なのだ。
祈りとは、そんな大それた《ちから》ではなく、ひとつずつ積み重ねられる明日への歩みのことだと、同じくイクス教者の規範たらねばならぬと自負するアシュレは、理解におよんでいる。
イクス教の中心に携わる聖騎士であるからこそ、そこを履き違えてはならないと戒め生きてきた。
だから、レダの発言に驚くと同時に、ショックを受けてもいた。
「まさか、レダ……キミの口からそんな……祈りの《ちから》だなんて……言葉を聞くなんて」
盲信が幼なじみの頭に巣くってしまったのか。
その思いが顔に出ていたのだろう。レダが微笑んだ。
「違うわ、アシュレ。アナタの言う通り、祈りでは魔は退けられない」
「ッ?! だったらなぜ! いま、言ったじゃないか」
「アシュレ──レダは、担ぎ上げられ狂信に憑かれた理想に燃える少女枢機卿をあえて演じる、って言ってるの」
戸惑うアシュレを取りなしたのは、横合いからのユーニスの言葉だった。
「自分を小賢しい罠で釣り出そうと画策していた連中が、挑発に乗ってノコノコ出てくる……しかも、その陣頭には餌役だった少女枢機卿が頭に血を昇らせて……この状況、アナタが狩る側だったなら……どう思う?」
諭すようなユーニスの言葉に、アシュレは一瞬、戸惑う。
それからすぐに思考を巡らせた。
「計略が思うつぼにハマって……愉快だろうな。そして、もっと決定的な屈辱を相手に与えてやろうと思う」
「たとえば? 決定的な屈辱って?」
胸に掌を当てて、訊くユーニスに、アシュレは誘導されるように答える。
「自分を狩ろうとだなんて不遜な考えを抱いた狩人をこそ……獲物にする。狩る側と狩られる側、それがどちらなのか教育する絶好の機会だ。そう考える」
「さすが、わたしのご主人様」
問われるまま、考えを述べたアシュレの胸をユーニスが小突いた。
「つまり、ジェリダルの魔物はいま、レダとわたしを狩りの獲物と認識してる──そうでしょう?」
「いまのはボクの想像に過ぎない!」
「アシュレ、アナタは、天才なの。歴史上最年少で聖騎士に叙された、天才なのよ?」
信じきった瞳でユーニスが言った。
アナタの分析は、いつも突拍子もなくて、なのに正しい、と。
「幼なじみのわたしは、いいえ、わたしたちは、いつもそれを目の当たりにしてきた」
「だったら、ボクも同伴する──」
言いかけたアシュレの唇を、ふたりの美少女が指で塞ぎ、同時に言った。
「だから、この作戦からはアシュレ──あなたは外れてなくちゃいけないの」
言いながらユーニスはレダを、レダはユーニスを見やる。
そして、ふたりの幼なじみは同時に頷きあうのだ。
ただひとり、話の流れが理解できず困惑するアシュレを残して。




