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■第五十五夜:還らざる日々のために(1)


「さて、今日お呼び立てしたのは、ほかでもない。身内のお話のためです」


 しごくおだやかな口調で少女法王:ヴェルジネス一世が告げた。

 ちょうどアシュレたちがトラントリム攻略に乗り出し、ノーマンやトラーオがエスペラルゴ勢と刃を交えた直後──その日の正午のことだ。

 

 史上初の女性、それもまだ二十歳にも満たぬ彼女のために新たにあつらえられた衣装は、歴代法王のそれとは一線を画するものである。

 聖職者、さらには女性の衣装ということで指先にいたるまで肌もうかがわせぬということは当然にしても、ピッタリとカラダに添う不思議な質感の布地に法紋を思わせる立体的な縫い取りが、これもいったいどのような技術によってか緻密になされている。

 均整の取れた女性としての証をゆったりとした法衣が覆い隠していなければ、肌をさらしていないとはいっても、まばゆいばかりの裸身と見紛うような、そういう姿であっただろう。

 頭上には、これだけは前任の法王から受け継がれた三重冠が、ある。

 大の男であっても、その重責に音をあげかねない、そういう種類の「重さ」を担わされた冠である。

 

 だが、その重さになんらひるむ様子さえなく、ヴェルジネスは背筋を伸ばし座していた。

 むしろ、どこか尊大ともとれるほど自信に満ちた様子で。

 周囲を四人の、これまた、彼女の代になって急遽整えられた近衛兵スカルラット・ガーズたちが護っている。

 いったいどこにのぞき窓があるのかわからない奇怪なフルフェイスヘルメットには、聖典の四天使を模したフィギュアがとりつけられ、身にまとう深紅の法衣と合わされば、もはや中身がほんとうにヒトであるのかどうかすら、わからない。

 

 そして、またそんな彼女の眼前に立つ者も、女であった。


 小柄で、髪を結い上げてさえいなければ成人前、未婚の少女のようにさえ思える美貌。

 彼女が実際には三十代であり、一児の母であることは本人からの告白がなければ、とうてい見抜けるものではない。

 彫像のような美しさ、というよりも可愛らしいと表現すべき種類の美貌は、その太めの眉とあいまって、まさしく童顔という表現がぴったりだ。

 なるほど、アシュレダウという男がだれの因子を強く引き継いだのか、というのがよくわかる。

 そう、彼女:ソフィアンネ・バラージェ──ソフィアこそは、アシュレの母であった。


「身内、というにはいささか物々しい方々がいらっしゃるようですが、法王聖下」


 だが、少女のような容貌とは裏腹に、神の代理人たる法王を眼前にしてさえ背筋を伸ばし堂々と立つソフィアの姿からは、怯えも怖れも感じられなかった。

 たおやかな立ち姿からは想像できないほど静かな、しかし、強い意志の込められたハシバミ色の瞳が、法王の座についた少女を見据えている。

 周囲に居並ぶ近衛兵たちなど、眼中にない、という態度。

 なるほど、決断時においてアシュレダウの見せる肝の据わりかたというものまで、彼女から受け継がれたものなのだ。


「もちろん、彼らの列席には理由があります。ひとつには、いまからお話することがたいへん重大な事項であること。また、もうひとつは、ソフィアさまがわずかなりとはいえ《スピンドル能力者》でいらっしゃること、です」

「どうか、偉大なる法王聖下、わたくしなどにづけはおよしになってくださいまし」


 恐縮するようにみえて、ソフィアの態度はどこか拒絶を含んでいる。

 

「身内のお話、と申し上げました。どうか昔日せきじつのように、わたくしのことはレダマリア。レダと呼んでください」


 いっぽうで、親愛の情に訴えかけるヴェルジネス、いや、レダマリアの言葉もまた感情というものを超越したなにかだった。


「では、レダマリア。お聞きしたいことがあります。要点はみっつ。ひとつは、我が家の当主であり、あなたの忠実なる騎士であるアシュレダウ・バラージェの消息について。ひとつは、先だって発布された第十二回十字軍クルセイドについて。最後のひとつが、本日の召喚の理由について、です」


 ハキハキと歯切れよく、イクス教会の頂点に立つレダに対し問いを投げつける姿は、もはや礼節がどうのこうのという指摘を通り越し、いっそ清々しいとさえいってよい。

 十四でバラージェ家に嫁ぎ、成人である十五歳を迎えると同時に、第一子であり長男であるアシュレを産み育ててきた女傑である。

 奇しくも成人を迎える前に父を亡くしたアシュレを当主としてもりたて、また、厳しくも溢れんばかりの愛情で持って鍛え上げ、激動の時代に立ち向かってきた母親としての強さが、そこにはあった。

 惰弱な精神性の持ち主であれば男女を問わず、おもわずひるんだであろう。

 けれども、ソフィアのその態度を前にしてさえ、法王の座についたレダは淡々としていた。


「まったく、そのとおりです、ソフィアさま。本日、あなたさまをお呼び立てしたのは、まったくそのみっつについてお話するためなのです」


 我が意を得たり、と笑みさえ浮かべてレダは告げた。

 ほう、とその言葉に相づちひとつ、ソフィアは頷いて見せる。

「うかがいましょう」と。

 では、とレダも応じる。

「まずは、ふたつめのお話から参りましょうか」


 つまり、十字軍クルセイドについて。そうレダは話を切りだした。

 

「ソフィアさまは、つまるところ、今回の十字軍クルセイド、その大義について問いただされたいのではないですか?」

「いかにも。いかにもそのとおりです、レダ」


 そして、身内のお話ということで、歯に衣を着せず単刀直入に申します、とソフィアは続けた。


「あなたも知っているはずです。前回の第十一回十字軍クルセイドが引き起こした惨禍を。無責任で無配慮で無計画な理想主義者たちが、なにをしたのか。その夢見がちで短慮に過ぎる行動が、アラム勢力の活性化をうながし。結果的に法王庁の盾となった小国家群をいくつ滅亡へと導いたことか。激を飛ばした法王の死後、西方世界では十字軍クルセイドは終わったとばかりに知らぬ存ぜぬを決め込んできましたが、最前線で、迫り来るアラムの脅威に立ち向かっていった我が夫のことを、あなただってよく知っているはずです。人類圏の守護者たる聖騎士パラディンの務めは法王庁の聖堂を守り抜くこと。そして、オーバーロードを始めとする絶対敵たちから、ヒトの世をとりもどすことのはず!」


 それを──人間対人間の争いに先んじて投ずるなど、あってはならないことなのに。

 文字通り、火蓋を切ったかのようにソフィアの叱責がレダを撃った。

 

 幼くして母を亡くした、という過去をレダマリアもまた、持っている。

 当時すでに枢機卿すうきけい位にあった前法王:マジェストはめいである彼女をたいそう気づかったが、高位聖職者としての責務、さらには教区の統治との兼ね合いで、充分に構ってやることができなかった。

 

 そこで、幼少期から少女期の彼女の教育を引き受けたのが、ソフィアであった。

 五歳のレダマリアがバラージェ家にやってきたとき、ソフィアはまだ十代。

 親子、というより年齢の離れた姉妹のようにふたりは見えたはずだ。

 だが、我が子に注ぐものとまったくかわらぬ愛情をソフィアはレダに注いだ。

 レダの気質をだれよりも早く見抜き、自宅の書庫を開放したのも彼女である。

 読み書き、礼儀作法、調理や刺繍、とにかく当時の女性が身に付けるべきあらゆるものを、レダはソフィアから教わった。

 そんな彼女からの叱責は、おそらく、レダの周囲を固める枢機卿のだれよりも効果があるはずだった。

 

 つまり、いまからでも遅くはない、十字軍クルセイドをとりやめよ、という。

 そして、アラム側に使者を立てなさい、という。

 

 けれども、返ってきたのは冷たい拒絶だけだった。

 

「それは、なりません」

「なぜ、なぜです、レダマリア! 聡明なあなたならわかるはずです! 幼き日、歴史を学んだのなんのためですか! 戦争の愚かさを、それが引き出す人間の醜さを、あなたは知っているはずです! 降りかかる火の粉を払うためであれば、それは仕方がない。しかし、いま、あなたがしようとしていることは、他者の家に火をかけ、そこを修羅の庭にしようとしているだけです! 人間同士が争っている場合ではないはずです!」


 かつて、アラム勢力に奪われた聖都:ハイア・イレムを奪還する──それが第十二回十字軍クルセイドの掲げる大義であった。

 だが、それにどれほどの価値があるというのか。

 そうソフィアは問いかけるのだ。

 

 現在、ハイア・イレムを統治するオズマドラ帝国の大帝:オズマヒムは東方の騎士とまで言われる大人物である。

 その統治は非常に理知的かつ温情あるもので、特に信教の自由については有名だ。

 アラム、イクスの別なく、それどころか土着の小さな神々についてさえ、それが正真正銘の邪神・邪教でない限り、また、オズマドラに税を納めるに限りだが、寺院なり教会なりの建設を認めている。

 もちろん、その礼拝も、だ。

 イクス教徒の巡礼者も、毎年、万単位でハイア・イレムを訪れる。

 ミュゼット商業都市国家同盟では、そのためのツアーと専門ガイドまでいるというのだから、これはもう、ひとつの産業と言ったほうがよい。

 つまり、単純に「礼拝が目的」であるのだとすれば、それは禁じられているのでも不可能なのでもないのだ。

 

 おそらく、実際には、その部分・・・・にだけ関して言えば、弾圧を受けているという表現は間違いだ。

 だから、いくら聖イクス生誕の地であるとはいえ聖都奪還のために大戦争を引き起こすというのは、もはや感情論的以外のなにものでもない。

 そうソフィアは指弾したのだ。

 

「おっしゃられることは、ごもっともです──ただし、それはいささか視点が狭すぎる」

 だが、かつて母とも姉とも慕ったソフィアからの指摘に、レダは冷厳に切り返した。

 座席の手すりに肘をつき、拳にほほをのせて、憂慮ゆうりょを示す。

「ソフィアさま。世界はかつてなく、動いているのです」

 現在進行形で、とレダは言う。

 

「たとえば、件のオズマドラ大帝ですが──騎士道を追及しようとするあまり、人道を外れ、騎士を名乗る翼魔女ハルピュイアどもの調略に下ったという話はご存知ですか?」

騎士? 翼魔女ハルピュイアといえば、霧の島:アヴァロンの?」

「いかにもそうです。たしか、バラージェ家を興された初代は、そのひとりを打ち倒し、イクスの教えを説いて、改心させたとか。その際、イクスに帰依した翼魔女ハルピュイアの手から奪還された槍こそ、竜槍:シヴニールだと」


 かつて聞かせたバラージェ家の古い言い伝えをそらんじるレダを、ソフィアは凝視する。

 

「真騎士たちとオズマドラの大帝が手を結んだという話は、たしか、ですか?」

「じつはずいぶんと昔から、うわさだけはあったのですが。オズマドラの第一皇子:アスカリヤ:イムラベートルは、その翼魔女ハルピュイアとの間に設けた、なかば魔物だとか。それどころか、つい最近、その手中にイクス側から奪われた強大無比の《フォーカス》、告死の鋏:アズライールを陥れたとも聞き及んでおります」


 スラスラと物憂げな表情で語られるレダの言葉を、にわかには受け入れがたいソフィアである。

 夫であった聖騎士パラディン:グレスナウからオズマドラ大帝:オズマヒムの逸話を聞き及び、高潔な人物であると評価してもいる。

 そのなかでも特に記憶に残っているのは、アラムの大軍十万に包囲されたある都市国家の城主が降伏にあたり、立て篭もった兵士や住民たちの退避を願い出たとき、オズマヒムが行った返答とその実行にあった。


 すなわち、武器と財産を帯びたままの「名誉ある撤退」である。


 武装解除も、財産の没収もなく、脱出のための荷車や艦艇の供出までオズマヒムはしたというのだ。

 徹底抗戦を覚悟したならば、武装解除はおろか財産の簒奪は正当な報酬として計算されていた時代のことである。

 むしろ戦場での略奪は兵の士気をあげるものとして、将器たる者の必要悪と見なされ推奨されていたほどなのだ。


 ふつうはありえない条件だ。

 しかも、その理由がふるっている。


「貴君らの戦いが、ほんとうに見事であったゆえ」

 このエピソードが西方に伝わるや、多くの君主たちがオズマヒムに強い関心を寄せたのは言うまでもない。


 それなのに、だ。

 西方世界にあってさえ英雄と讃えられた君主が、いったいいかなる理由でか人類の敵対者である魔の十一氏族:真騎士を僭称する翼人たちと手を結んだとは。

 にわかに信じがたいのは当然としても。

 もしそれが真実であったならば、どのような事態が起こるのか想像もつかない。


「それが……あなたが、十字軍クルセイドを起こしたほんとうの理由だと、そういうのですか」

「それだけであれば、よかったのですが」


 告げられた情報の大きさに、首筋の毛を逆立て、ソフュアが問い直す。

 その問いに、レダは表情を曇らせ、瞳を伏せた。

 思案するような間。

 それは、今日はじめて、レダマリアという少女が見せた人間的な表情だった。

 しばしの沈黙。

 そして再び顔を上げたとき、そこにいたのは法王としての彼女:ヴェルジネス一世だった。

 ソフィアの視線を真向から受け止め、静かに告げた。


「“再誕の聖母”という言葉を、ご存知ありませんか」と。







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