■第五十四夜:《夢》は試みる
雷轟を思わせる銃声と、血がしぶいたのはほとんど同時だった。
ビュッ、と音がしてメナスの頬に深紅の滴りが散った。
「やるじゃねえか。このオレに当てるとは。見せてもらったぜ、トラーオ──オマエの意地を」
オオオオオオオオオォオオオオオン、と残響を引きながら消え去る咆哮と強く薫る麻薬的な匂いは、メナスの《スピンドル》が励起した証拠だった。
「まっすぐな男だ。オマエ、いい騎士になるよ」
差し込んだ陽光に表情は見えず、ただ、天を見上げてメナスが言った。
ふらり、ふらり、とその足元が揺らぐ。
トラーオに言葉はない。
なぜならば。
その胸郭に、深い穴が開いていたからだ。
げぶり、と肺腑を満たした血液がその口から噴いた。
両膝から少年は頽れる。
「マジに、たいした男だったゼ。圧倒的質量を持つハズの弾丸:エル・イーズ・テイルズと直交したんだ。普通の矢なら粉々さ。だが、オマエの執念がオレに刃を届けた。傷を負わせた。この傷は残しておこう。トラーオ・ガリウスという男がいたことを、オレが忘れても、オレの肉体が忘れないために」
大きく紫煙を吐くように、息をついてメナスは視線をトラーオに戻した。
「生きていたなら、間違いなく歴史に名を残す騎士になっただろう」
げぶり、がぶり、と己の血に溺れる少年を見下ろして、メナスは惜しんでみせた。
失われていくトラーオの命を。
「だがなあ、まっすぐすぎたよトラーオ。オマエの狙いは正確すぎた。あんまりにも正直だった。だから、弾道がオレには手に取るようだったよ。もし、オレの獲物が魔銃:ギャングレイでなく、弾丸がエル・イーズ・テイルズでもなく、あるいは、オマエがもうちょっと狡猾な男だったなら、もしかしたら、相打ちだったかもしれねえな」
そこまで言って、メナスはくるりとトラーオに背を向けた。
駆け出したい衝動を懸命にこらえながら、しかし、それはない、とノーマンは思った。
それ、とはメナスの言った相打ちの目のことだ。
メナスは、トラーオが引鉄を絞るのを見届け、太矢が放たれるのを待ってから銃を使った。
それがトラーオの放つ矢の弾道を見極めるためか、それとも性能に優れる《フォーカス》とクロスボウの差を埋めるための公平性、ハンディキャップであったのかどうかはわからない。
しかし、互いの距離十五メテルはクロスボウにあっては必中距離であり、近接戦闘でも間合いを詰めるのに二秒とかからない。
ましてや高速飛翔する矢にあっては、なにをかいわんや、である。
たしかに、ノーマンは至近距離からのクロスボウすらその腕、つまり浄滅の焔爪:アーマーンで弾くような芸当を披露したこともある。
しかし、高速で飛来する矢を、弾丸で真向から撃ち落とし、なおかつそれを敵にも命中させるなどと、それは人類の技を超越した神業だ。
道具が、《フォーカス》が凄まじいのではない。
使い手が、メナスという男の修練とその結果たる技量が、そして、才能が桁外れなのだ。
いや、ノーマンが動けないのは、ほんとうはそれが理由ではない。
メナスの示した行動が、騎士道に則った一騎打ちの礼が、あまりに完璧すぎたせいだ。
もし、メナスが小細工を弄したり、非道なやり方でトラーオを図ったりしたのならば、ノーマンは決して許さなかったであろう。
だが、そうではなかった。
逆であった。
完全無欠の、非の打ちどころのない完璧な一騎打ちとその結果であった。
メナスは宣言通り、一撃で持ってトラーオを屠った。
さらに、驚愕すべきことに一騎打ちの終了を自らが告げるまで、一歩たりとも動かなかった。
それどころではない。
身じろぎひとつしなかった。
それは、己の技量と勝利に微塵の疑いも持ってはいない証拠。
そして、相対するトラーオに対する正々堂々たる敬意の現われだ。
なによりも行いをもって判断とする宗教騎士団の男:ノーマンにとって、それは侵しがたき戒律、いや騎士として、男としての誇りに訴えかけるものであった。
トラーオの行い、一騎打ちを仕掛ける、という発想はノーマンの思考の死角をついていた。
カテル病院騎士団としては、ことの発端はエスペラルゴ陣営の策略にあるわけで、これはいわば売られた喧嘩であり、正々堂々たる戦いにこだわる必要性はまるでない。
非道なやりくちで奪われた団員:セラフィナを奪い返す、それだけでよかったハズだ。
けれども、トラーオにとってはそうではなかった。
恋をし、愛してしまった少女を取り戻すのには、肉体だけではいけなかった。
心を、いや、心をこそ取り戻さなければならなかった。
じつはそれこそ、ノーマンがトラーオに期待し、またトラーオ以外の誰にもできぬであろうと確信していた役割であった。
ただ、戦場にあって、年若き騎士見習いの少年がそのために採りうる選択肢のなかに「一騎打ち」が含まれていたことを、ノーマンは見落としていたのだ。
戦略眼、戦術眼、そして、戦場での勘においてノーマンは諸国列強の将たちに遅れを取るつもりは毛頭ない。
むしろ、戦術レベルにおいては常在戦場を地で行く者として、勝っている自負がある。
だが、それと男女間の心の機微、そして、なによりもトラーオという男のなかに強く根づいた騎士道精神について、図り損ねていたことを認めざるを得なかった。
一騎打ちを認めてしまったことへの後悔が、ずしり、と胸にのしかかった。
その重さが、ノーマンの行き足を止めていたのである。
しかし、許しはまったく予期せぬところから発せられた。
「はやく、いってやれよ。トラーオのところにさ。もしかしたら、まだ、助かる目があるかもしれねえ」
ずしゃり、ずしゃり、と血を吸って重くなった砂浜を踏みながら、トラーオにはじき飛ばされた魔銃:ギャングレイのもう一丁を回収に向かいつつ、メナスが告げた。
目線を合わせようともしないが、それは暗に、救助・応急処置にあってはエスペラルゴ勢は攻撃する意志を持たぬことを伝えていたのだ。
はっと我に返り、弾かれたように駆け出したノーマンの背に、メナスは続けた。
「さもねえと、たいへんなことになる。あの弾丸、エル・イーズ・テイルズは特別なんだ。試みるんだ。試すのさ。ソイツの生き方。生きてきた道のり。その胸に秘めた《夢》と自分がつりあうのかを、な」
ああ、ああああああああああああああああああああああ──。
絹を裂くような悲鳴。
それまで鉛を喉に詰められたように呼吸すらまともにできず震えていたセラフィナが、狂ったように叫びをあげた。
それは、トラーオを襲ったこの世のものとは思えぬ現象のせいだ。
それをひとことで表すならば、その胸郭に空いた穿孔から螺旋を描きながら吹き上がる光の奔流だった。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
そして、それは、トラーオの口からも迸った。
まるで血のように。
「トラーオッ!! しっかり、しっかりしろッ!!」
駆けつけたノーマンが呼びかけながら、少年を抱き起こす。
だが、少年からの応えはない。
こぼれ落ちんばかりに見開かれた瞳の奥からも、光が差す。
なんだ、これはなんだ、ノーマンが思わず叫ぶ。
吹き上がった光に触れれば、それは血潮のようにカラダに付着し、強烈な酩酊にも似た現象を引き起こした。
ノーマンはすでに数箇所、それを浴びている。
これは、麻薬──いや、精神的物質か。
瞬間的にそう判断できたのは、ノーマンがカテル病院騎士団の精鋭であった証拠であり、またそれによる汚染に抗えたのも、同じく、強靭な意志力の持ち主であったからにほかならなかった。
「メナスッ! おおおおおおお、メナスッ!! これは、これはなんだッ!? なにをしたッ?!」
「慌てなさんな、といったところでそれは無理筋か。教えてやるから、よく聞きなよ」
獅子のように叫んだノーマンに対し、なんとメナスは解答した。
魔銃:ギャングレイを専用のホルスターに収めながら、語る。
「いったろ、そいつは──エル・イーズ・テイルズは試すのさ。試みる、とか言ってたな、オレにそれを売りつけたヤツは」
「試みる?! 試みるだとッ?! なにをだ?! なにを試みるというんだッ?! おおおおおおおッ!!」
必死に噴出する光を押さえつけながら、ノーマンがさらに問いかけた。
どうやら、《フォーカス》である浄滅の焔爪:アーマーンは光に触れても侵されないらしい。
「こいつも言ったぜ、ノーマンのダンナ。《夢》だよ。ソイツの《夢》と、ソイツ自身という実在が、ほんとうにつりあうのか、その弾丸は試すんだ」
「《夢》とつりあうか、だと?!」
「らしいぜ。くわしくはしらねえ。というか、オレが試した連中はみんな、つりあわずに消え去ったからな。いや、消え去ったハズだ。よく憶えてねえんだよ。必死に《スピンドル》を励起して思いださなきゃならねえんだ。文字通り、世界から消えちまうから」
なんだっけなあ。オレに売りつけたヤツが言ってたよ。そう、
「《ブルーム・タイド》だ。いけねえなあ、難しい言葉は。憶えられねえよ」
「《ブルーム・タイド》ッ?!」
「なんでも、《夢》に負けると《夢》になっちまうんだそうだ。でまあ、あー、ちょっとまてよ思い出すからな。《スピンドル》を回すから待ってくれ?」
言いながら、メナスは己の額に指を当てて必死に思い出す仕草を見せた。
ノーマンにはわかる。
それは仕草ではなく、ほんとうの努力なのだと。
その額に渦を巻く《ちから》の流れが、光に反射して視えたからだ。
「とにかく、そいつを喰らったヤツは試されるんだ。己の《夢》に。負けると喰われて《夢》になる。勝ったら次の段階へ進むんだ、とかなんとかかんとか言ってたな。勝ったヤツを見たことねーんで、たぶんそれは戯れ言だとは思うんだが」
額に汗すら浮かべながら、メナスは追憶する。
「オレの手元にこの弾と魔銃:ギャングレイが来たとき、弾は七発だった。最初は十三発あったそうだ。オレのところに来るまでに持ち主はずいぶん変わったらしい。おかしな話だぜ、二丁拳銃のクセに、奇数・素数しか弾がねえ、ってのはどういうことだ? まあいいや」
とにかく、オレにそいつを売りつけた男──イルルニッチが言うには、だぜ?
「使いようによっては、“神”すら殺せるんだそうだ。笑うだろ? ふかしすぎだってのな──そう思ってたよ、オレも、最初はな」
だけどもさ、とメナスは言った。
どこか憐れみを含んだ口調で。
「これがさ、効くのよ、マジに。オーバーロードたちでさえ、いや、莫大な量の《夢》と《ねがい》を注がれた存在だからこそ、なのか? とにかくパンパンに水を詰められた革袋に矢を突き立てたみたいにさ。ばちんと、ばずんと、割けちまうんだよ」
でまあ、オレはこいつで四柱ほど葬り去ってきた。
オーバーロードどもを、ね。
「なん……だと……」
「ただまあ、ニンゲンに使うのは初めてだ。ちょっと思うトコロがあってね。試させてもらった」
「貴様ァ!」
「いきり立ちなさんなって、ほら、押さえとかないと弾けちまうぞ? あー、なあ、《カウンター・スピン》が効くんじゃねえか? 異能を打ち消すあの技。試してみてくれよ」
メナスの無責任な要求に瞬間的な激怒を憶えつつ、ノーマンは従わざるをえない。
たしかに、《フォーカス》によって引き起こされた現象であれば、《スピンドル》で御すことが可能かもしれない。
ノーマンはあふれ出る光の奔流とは真逆のトルクをかけた己のそれを練り上げ、打ち込んだ。
途端に、ギャリギャリギャリギャリッ、と激しい音がして、回転する歯車同士が無理やりに噛み合わされたように火花が散った。
「おおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」
「オオ、すげえ! やっぱそうか、効くんだな、《カウンター・スピン》ッ!!」
「メナス、なぜだッ?! なぜ、こんなことを、するッ!! 一騎打ちで、貴様の技量があれば、もっと、もっと安らかにッ!」
ノーマンの雄叫びを、メナスは困ったな、という表情で受け流し答える。
「実験に対して、なぜか、と問われても困るぜ。必要だと思ったから、ってーが理由だが」
と、そこまで言い、メナスは視線をセラフィナに落とした。
子供のようにへたり込み、悲鳴を挙げ続けることしかできないセラの首にはいつの間にか首輪が巻かれ、そこには鉄鎖が結わえられていた。
「まー、その、感情的に納得したいならこう言っとこうか──自分の奥さんになろうかって女が、昔の男の死にざまを憶えてたんじゃあ、可哀想じゃねーか。そうゆうのはキッチリ忘れさせてやんなきゃならねえじゃねーか。……どうよ、カッコいいかい?」
貴様ァアアアアッ!! というノーマンの叫びを今度こそ無視して、メナスは己の軍団に告げる。
征くぞ、と。
「さあ、心置きなく戦争だ」と。
そして、もう二度と振り向かない。
2017年5月4日、メナスの《スピンドル》の薫りに関する描写を変更しました。
ユガのそれと被っていたので。




