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■第五十一夜:名乗りをあげて


 ギャンッ、とアーマーンの肩部装甲表面に弾かれた弾丸がノーマンを逸れ、砂浜に穴を開けたのは、メナスが狙いを誤ったからでも、反射的な防御行動が間に合ったからでも、ましてや偶然でもなかった。

 

 メナスが構えた右腕の魔銃:ギャングレイを、澄んだ音を立てて鋼のやじりが はじき飛ばしたからだ。

 ブンブンブンッ、と飛ばされた銃剣が回転しながら唸りを上げ、ザクリッ、と砂浜に突き立つ。

 ジュ、と血を吸って濡れた砂が、焼けた刃と銃身に熱せられて蒸気をあげた。

 

「なんだあっ?!」


 メナスの一瞬の狼狽を見逃さず、ノーマンは身をひるがえすと、必殺を信じたビオレタに生じた隙をついた。

 GaaOoooooo!!──カウンターで振り抜かれた掌が、砂浜ごとビオレタの右腕を消失させた。

 シィイイイイイッ、と威嚇する蛇のような声を吐き出しながら素早く間合いを取るオウガに、だが、ノーマンもそれ以上は追い討ちを仕掛けられない。

 足元を狙い、牽制の一撃が打ち込まれたからだ。

 メナスの愛銃:ギャングレイは二丁でひとつの《フォーカス》である。

 けれども、そのメナスにあってさえ、やはり、ツメの一打を放つことは許されなかったのだ。

 なぜなら──。

 

「動くなッ! セラを──返してもらおうッ!!」


 怯懦を振り払い、あげそうになる恐怖の叫びを噛み殺し、ただ、一心に好いた女の奪還を志した少年の声が、戦場を切り裂いたからだ。

 

 ほかにだれあろう。

 己のほんとうの望みのために戦うことを決意した少年、従騎士:トラーオ・ガリウスが、素早く次弾の装填をすませたライトクロスボウを構え、メナスへと照準を合わせていた。

 もし、狡猾さだけを評価対象として言及するならば、トラーオは先ほどの初撃でメナスを狙い撃つべきだったかもしれない。

 あるいは、こうして要求の声をぶつける前に、一撃を加えればよかったのかもしれない。

 冷酷な判断だが、ノーマンの命と引き換えに、あるいは、メナスだけは確実に殺害することに成功していたはずだ。


 狩人がもっとも恐れなければならないことは、獲物を手負いにすることでもなければ、道に迷うことでもない。

 それは自分は狩る側だと盲信することだ。

 だから、真に優れた狩人の師匠たちは、その子や弟子に口を極めて忠告する。

 獲物に狙いをつける前に、かならず、一度、背後を振り返れ、と。

 そして、つい先ほどまでのメナスこそ、まさに自分を狩る側の人間だと盲信した好例だった。


 だから、もし、あの場面でトラーオが引鉄を引き絞っていれば、間違いなく、メナスは致命傷を負っていた。

 それだけの威力がクロスボウにはあったし、トラーオの技量もハッキリとそれを可能にしたはずだ。

 もしかしたら、その衝撃でノーマンに向けられた銃口も、ブレていたかもしれなかったのだ。

 可能性の話だが、メナスを仕留めてなおノーマンが生存していたという選択肢も、あったかもしれないのだ。

 そして、そうしたからといって、だれもトラーオを責めたりはしなかっただろう。

 死という可能性の死神が、跳梁跋扈ちょうりょうばっこする庭こそ、戦場の本質なのだから。

 けれども、トラーオはそうしなかった。

 一度だけだはない。

 二度までも、チャンスに目をつぶった。

 

 それは騎士になることを夢見て歩んできた少年の甘さであり、若さであり、しかし、矜持きょうじだった。 

 騎士として、男として、なにより、好いた女を取り戻そうとする者として。

 超えなければならない、と決めていたのだ。

 メナスという男を。

 肉体だけではなく、セラの心までも取り戻すには、と。

 

 巻き起こった混乱状況を遠距離から、だれよりも観察したトラーオだ。

 メナスとセラの間にあるものが、単なる略奪者とただの虜囚という関係でないことは、その動きから理解できた。

 戸惑い、とそれをひとことで形容してもよいものか。

 これまで教育されてきたイクス教者としての道徳・貞操観念、あるいは、もしトラーオの思い上がりでなければ、自分への想いから抵抗の素振りを見せるものの、けっきょくメナスに押し流され、翻弄されるセラの姿には、嫌悪ではない別の感情が見て取れた。

 男の強引さに狼狽し、素直には従えないと拒んで見せながらも、心の奥底で支配を望んでしまっている。

 そういう心の動き。

 あるいは、すでに共犯関係を重ねてしまった者としての罪の意識。

 すくなくとも、完全には拒絶し切れない、どこかで受け入れてしまう間柄にふたりはあるように思えた。

 

 頭に血が上らなかったかといえば、嘘になる。

 血液が沸騰し、全身を逆流し始めるような感覚をトラーオは味わった。

 だが、その想いをねじ伏せた。

 この作戦は、いわばトラーオのわがままによるものだ。

 強力な戦闘集団、しかもその潜在能力すら未知数のエスペラルゴ軍、さらにいえば皇帝直属、つまり近衛隊に相当する戦力と、こうして正面からぶつかり合う理由も、メリットも、ほんとうはノーマンたちにはないのだ。


 順当な話をすれば、哨戒に現われるトラントリム軍とエスペラルゴ勢をぶつけ合い、徹底的に互いを消耗させればよかったのだ。

 仮にエスペラルゴ勢がその場を切り抜けたとして、進行ルートはひとつしかない。

 トゥーランドット河を遡行して、トラントリム首都まで侵攻、僭主:ユガディールを討つほかないのだ。

 すでにここは《閉鎖回廊》である。

 常識的な手段での脱出が困難に過ぎることは、わかり切っていることだ。

 そして、トラントリム側の勢力との交戦で疲弊し切ったところを叩けばよい。

 常識的な判断であれば、それ以外になかっただろう。

 現に、イレギュラー的要因として現われた水底の悪虫:ジグル・ザグルとインクルード・ビーストとの挟撃によって、エスペラルゴ勢には人的被害が出ている。

 もっといえば、彼らをユガディールとぶつけ合い、激しく損耗させてから、両者を叩くという漁夫の利を得ることだってできたはずだ。

 

 それなのに、ノーマンも、バートンもそれらの目論みは最初からないものとして、トラーオに計画を話してくれた。

 軍事教練にあって、なんども作戦立案の授業を受けたトラーオである。

 実際にノーマンや騎士団長:ザベルザフトが、激しく議論を闘わせるさまを幾度も目にしてきた。

 なるほど、戦場とはいかに非情で冷酷な場所なのか、ということをその激しさのなかに学んだトラーオである。

 十全にそれを尽くしたあとでなければ、採られた作戦に納得できない。

 つまり、それほどの過酷さが、戦争にはあるのだと。

 

 そして、双方の勢力をぶつけ合わせ、漁夫の利を得る戦術は、基本中の基本だ。

 継続的に相手を消耗させ、一網打尽にするのも同じだ。

 

 ノーマンとバートン、あれほどの戦術家たちが、その基本を無視するはずがない。

 特別な理由なしには。

 

 つまり、トラーオの想いなくしては。


 もちろん、計算もあっただろう。

 なにしろ、トラントリム勢力とぶつかるたび損耗するエスペラルゴ勢の頭数に、セラは入っていたのだから。

 だから、もし、無傷の、あるいは生存した状態のセラを奪還したければ、可能な限り早くでなければならない、とも。 

 だが、それすら「聖務遂行のための必要な犠牲」と切り捨てることが、ふたりにはできたはずだ。

 その途上で命を落としたり、負傷によって脱落したのならばともかくも、敵の手に落ちただけではなく籠絡され虜囚の辱めを受けるような不覚悟を、本来、生粋の戦闘集団であるカテル病院騎士団が、最強を持ってその名を拝命する筆頭騎士:ノーマンが許す道理がなかった。

 切り捨てられて当然だと、トラーオさえ思ったのだから。

 

 それなのに、だ。

 

 言葉すくなく厳しさを装いながら、ノーマンとバートンのふたりはトラーオの想いをんでくれた。

 その計らいを、己が水泡に帰してどうする。

 

 その考えに辿り着いたとき、トラーオの背筋を戦慄とはまったく種類を異にする震えが駆け登った。

 青く燃える炎にも似たそれは、騎士のしての覚悟、すなわち、誇りである。

 

 だから、トラーオは名乗りをあげる。

 あったはずの、戦術的好機をすべて投げ捨てて。

 

「我が名は、トラーオ。トラーオ・ガリウス。エスペラルゴ皇帝:メルセナリオ・エル・マドラ・エスペラルゴに、挑戦する! 一騎打ちだッ!」




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