■第五十夜:死線は交されて
ギャヒィイイ、と重金属と硬質の岩肌が衝突を起こしたかのごとき大音声が、夜明けの砂浜に響き渡った。
首筋を掠めすぎるように振われた一撃を、ノーマンが浄滅の焔爪:アーマーンの甲で弾いたのだ。
擦れた装甲と刃の間で火花が散る。
すかさず、開いた手で追いすがるが、その瞬間には反動を上手く使ってビオレタはノーマンの攻撃圏から離脱している。
ただのパワーファイターではない、と数合交した攻防からノーマンはビオレタを分析する。
圧倒的体躯から繰り出される一撃はたしかに、そのどれもがとてつもない重さを秘めている。
それは、うっかり剣で受けようものなら、受けた剣ごと真っぷたつになりかねないほどの剣閃であり、盾であれば一撃で破砕されてしまうか、肩を脱臼、あるいは壊されてしまうほどの一撃だ。
まさしく致命の一撃。
だが、ビオレタの真の恐ろしさはその体躯からくる重さを、体捌きには微塵も感じさせないところだ。
足場の不便を完全に克服できる《ムーブメント・オブ・スイフトネス》の異能を帯びるノーマンの動きに、難なくついてくる。
それも、この悪条件極まりない砂地で、だ。
足場の不利がどのような難局を生み出すかは、実戦を体験した戦士ならイヤと言うほどわかるはずだ。
踏ん張ることも、踏み込むこともままならない。
多くのものが実力を発揮できないまま、戦場に倒れていく。
特にこのような乱戦にあっては、それはいっそう顕著だ。
しかし、ビオレタは違う。
地面を転がり、曲芸的な動きで攻撃と回避を継ぎ目なく繰り出してくるその技は、いっそ淫らさえ言ってよいだろう。
砂の衣をまといながら、次々と技を繰り出してくるそのさまは、男をたぶらかす舞姫とたとえるのがふさわしい。
夜魔の姫:シオンの剣舞を天険の地、霊峰を目指すがごとき孤高の芸術だとすれば、ビオレタのそれはヒトの欲望を引き出し、捕らえて離さぬ魔性の、淫火のごとき官能を秘めていた。
地面に這わしたからといって、うっかり踏み込めば、そこにはすでに長く延ばされた腕が仕込まれており、引き戻す際のモーションがそのまま切り戻しとなって襲いかかってくる。
押し切れそうで推し切れない。
やっかいな相手だ、とノーマンは分析する。
この手合は、有利と信じて踏み込むと恐ろしいしっぺ返しにあう。
歴戦の感が告げていた。
己の上手、優勢を過信した相手を引き込んでから殺す、そういう誘いの技術に熟達した恐るべき手練だ。
それはもうモノにできそうだと確信した男を焦らし誘い込み、のめり込ませる娼婦の技だ。
距離が空きそうになれば、牽制のように全身から生えたトゲ──そのすべてが、槍の穂先ほどもある剣呑な刃──を飛ばして、突き放す。
そうかと思えば、ぞっとするほど近い間合いで、男を受け入れる女のように一見無防備な隙をさらしてみせる。
軽薄な男を手玉にとり、その懐も心も、場合によっては人生すら手玉に取る傾国の美女。
見事なものだ、とノーマンは思う。
間に割り込むカタチで挟まれたインクルード・ビーストとジグル・ザグルの群れが、一秒立たずでズタズタの肉片と血煙に変わった。
吹き荒れる死の舞踏。
恋い慕うように交される、剣戟の恋歌に邪魔を挟めば、馬ではなく死神に消し飛ばされることを理解できないものは、死してしかるべきだ。
さらに横合いから水を差そうとした死人使いギャメロンの側面を、水際から回り込んだバートンが襲撃した。
一刀目で、件の《フォーカス》、死者の写本:デッドブルーを払い落とす。
なるほど、《フォーカス》であるデッドブルーは、ただの鋼では破壊できないが、使い手を抑えれば行使を阻害することはできる。
バートンの奇襲は完璧なタイミングだった。
慌てて予備武器を引き抜くギュメロンがたたらを踏み、ぎりぎりの防戦に移る。
バートンの両腕から繰り出される鋭い刺突が、あっというまに《スピンドル能力者》であるギュメロンを追いつめていく。
ヒトの技量の練達の恐ろしさよ。
そして、鋼の理の恐ろしさよ。
これが戦場である。
それにしても、だ。
初見であるはずの浄滅の焔爪:アーマーンと、そこから繰り出される技の効果範囲、特性を瞬時に見抜き、間合いを盗んでくるこの対応は、計算というよりオウガという種族が生物学的に備えた、生来の勘といったほうがいいだろう。
こういう相手は要注意なのだ。
教本や訓練から得たものではない野生の、それでいて研ぎ澄まされた技術は、ときとして、セオリーに染まった対応を完全に凌駕する。
まったく予期せぬ位置から、致命の一打が抜けてくる。
だが、幾多の戦場を潜ってきたノーマンには通用しない。
刃先で首筋を掻きに来た一撃を、ノーマンは見逃さなかった。
「キィェエエエエエエエッッ!!」
裂帛の気合いとともに振り降ろされた一撃にノーマンは合わせた。
浄滅の焔爪:アーマーンは、大きく振り切ることでその最大攻撃能力を引き出す。
わざと、大きく踏み込み、相手の攻撃圏内に入り込む。
そして、地面を掻きながら、倒れ込んだ。
それは相手の思惑の上を行く奇策。
抉られた地面とともに、撒き餌にかかった獲物を仕留めるための罠──砂浜にわざと振り残された長い刃先が、ごっそりと消失した。
首筋を掻きに来た長い左腕は、フェイントにすぎない。
本命は、右腕から伸びた刃。
下段からの切り上げ。
上段からの攻撃を躱そうと砂浜に踏み込めば、埋められた刃が屹立し襲いかかる。
熟練の騎士であっても絶対に躱せない絶対の死地。
だが、ノーマンには通じない。
仕掛けられた罠ごと食い破る。
それがカテル病院騎士団にあって、団長:ザベルザフトを差し置き、最強の証である筆頭騎士を名乗ることを許されたノーマンの真骨頂だ。
砂浜を噛み砕くようにアンダースローの姿勢で振われた左腕が、すべてを可能にするスペースを戦場に作り上げた。
仕掛けた罠を食い破られたとき、そこに現出するのは、絶対的な死地に他ならない。
殺った、と戦場にあっては誰よりも慎重な男:ノーマンですら、確信した瞬間だった。
だからこそ、己の頭部に照準された圧倒的にな死の印に気がついた。
罠、だった。
ぱたた、という死神の羽音をノーマンは聞いた。
それは、血みどろの混乱を極める戦場を潜り抜け、腕のなかで翻弄されるセラを踊らせながら跳躍したメナスの銃身が描いたキルマーク。
銀色に煌めく刃と、速やかな死をもたらす無慈悲な銃口が踊る飽くなきワルツ。
そこに現出するのは個人の技量、個人の戦いではない。
これは当初から打ち合わされた、メナスとビオレタ、ふたりによる狩り。
一騎打ちだと誤認しがちな限定的空間を演出し、その外から襲いかかる狩猟の手管。
騎士殺しの絶手。
ありえまい、と他でもない本人が思い、ありえない、と周囲を取り巻く環境が判断したからこそ可能な、ひと刺し。
「あばよ、カテルの騎士──アンタのこと、キライじゃなかったぜ?」
その瞳に本物の憐憫さえたたえ、エスペラルゴの皇帝は無慈悲に引鉄を引き絞った。
ゴウゥン、と魔銃:ギャングレイの銃身が吼えた。




