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■第四十四夜:昏い夜を駆け抜けて

         ※

         

 いよいよ、作戦決行の時が来た。

 まず、全員で岬を回りこみ、できるだけすばやく、砂浜を目指す。

 嵐のあと、しかも海上で中型帆船が破壊されたあとだ。

 砂浜は巨大な漂着物のおかげで遮蔽が取りやすい。


 夜の明けきらぬうち、それも、岸壁が影を作り出しているうちに、そこに辿り着かなければならない。

 夜明けの時間帯は集中力の低下もさることながら、光線の具合も作用して、黄昏時のように、さまざまなものの視認性が極端に悪くなる。

 日が昇れば海面の遠くからそれは照らし出し、海を輝かせ、見張りの目をくらましてもくれる。

 間違いなく千載一遇のチャンス。

 狙い目だった。        


 トラーオは試練を経て習得したばかりの異能:《ムーブメント・オブ・スイフトネス》を己に振う。

 ぐんぐんぐんぐん、と己のなかで《スピンドル》高まり、その《ちから》が行き渡るのがわかる。

 同時に代償として、全身が乾いていくような消耗を感じるが、恋した少女の奪還に燃える少年には、なにほどのものにも感じられなかった。

 異能の発動が無事終われば、これでトラーオはオーバーハングの壁面すら駆け上がることが可能な、超走破能力を得たことになるのである。


「わたしはバートン老を抱えて、海岸線を行く。オマエは岸壁を上り、見張りの裏をかけ」

「了解です!」

「では、このライトクロスボウは、トラーオに渡しておきましょうな」


 太矢クォーレルが十本詰められた矢筒とともにバートンがいしゆみを手渡してくれる。


「扱い方は?」

「心得ています」

「たしかに。カテル病院騎士団仕込みのあなたに、不要な問いでしたな」


 バートンの言葉に、トラーオは不敵な笑みで返した。

 わかっていて、バートンはあえて聞いてくれたのだ。

 この旅でのつきあいで、わかってきた。

 いまの言葉はトラーオの口から出ることで、自分自身への信頼として、暗示的に作用する。

 ヒトを褒め、戦意を高める。それも自然に。

 この男がバラージェ家の執事としてではなく、懐刀として、先代当主:グレスナウからの信任も厚かったというのは、当然のことのように思う。

 そして、トラーオのセリフにも気負ったところはない。


 十二歳で従騎士となり、成人前、つまり十四のときには船に乗り込み、すでに戦場を経験しているトラーオである。

 もちろん近接戦闘、白兵戦要員ではありえないが、弩兵としての訓練は十二分に積んできた。

 カテル病院騎士団の伝統である。

 

 今回の探索行に抜擢ばってきされたのも、高所でのバランス感覚と身体能力、加えて目のよさを買われてのことである。

 クロスボウは扱い馴れた武器なのだ。

 

 また、弓とちがい、弦を張り矢をつがえた状態で構えたまま持ちあるくことが容易なところも利点であった。

 さらに伏せ撃ちプローンに関しては、長弓に対して、その射撃姿勢から圧倒的なアドバンテージを持つ。

 速射性能では明らかに劣っていても、今回のように「そこに足場があるなら、どんな場所にでも到達できる」トラーオにとっては、まさに最適の武器なのである。

 通常ありえない場所を遮蔽にして、ありえない位置・角度からの狙撃が可能である、ということだからだ。

 

「でも、これをオレが使ったら……バートンさんは、なにを使うんです?」

「わたしはこれで」


 と、バートンは刃を引き抜いて見せた。

 スモールソード。

 エクストラム法王庁で制式採用されている新型の武器だ。

 他の地方ではあまり見かけない。


 レイピアと混同されることがあるが、刀身だけで一メテルを超えることがザラで、護拳ヒルト握りグリップを加えると、柄頭が平均的な女性の喉元にまで届くほど長いレイピアと比べれば、その名の通り、あきらかに短い刀身が特徴だ。

 だが、その分、根元に向かうほどに幅広になっていく刀身は切断力も充分にあり、バランスが優れているため非常に扱いやすく、熟練の使い手にかかれば瞬く間に敵を切り裂く武器なのだ。

 これとパリイング・ダガーと呼ばれる受け流し用の短剣を併用して戦うスタイルが、法王庁から伝播して、大国の宮廷を中心に流行りはじめた時代であった。

 宮殿内戦闘を想定した装備である。

 それがうっすらと塗料で黒く刀身を汚されていた。

 

「うっかり光を反射しないための知恵ですな。ま、一度使えば剥げてしまいますがな」

「つかえるの……ですか?」


 トラーオの問いかけに、ふふふ、とバートンは笑った。

 

「カテル病院騎士団仕込みには、およびませんがな」


 ふふ、とノーマンも笑った。

 バートンのジョークに、だ。

 ノーマンは、バートンの素性をトラーオよりはるかに知っている。

 聖騎士:アシュレとその従者であった:ユーニスのスモールソードの師匠は、このバートンなのである。

 遣えないわけがない・・・・・・・・・

 実際に、この探索行にあたり、互いの技量を知るために手合わせしたノーマンである。

 恐るべき剣士、それも正統派の剣技だけにとどまらず、実戦的な裏技にも通じた練達者だとノーマンは、バートンを認めている。

 そこに密偵としてのストーキング技術、明晰な判断能力が加わるのだ。


 自らがラインとして混乱と標的としての役割を担えば、トラーオの狙撃も、バートンの奇襲攻撃も、比べ物にならぬほど効果的となる。

 勝機はある、とノーマンが判断した根拠であった。


 軍議は終わった。

 ともかくも、最重要にして最難関は、セラフィナの奪還である。


 エスペラルゴ側の最大戦力はおそらくは、あの嵐の夜、テメラリオ号沈没の原因を作った影──鏖殺具足スローター・リムをまとった戦鬼オウガ相違そういあるまい。

 直接対峙したわけではないが、さいわいというべきか、奇遇にもというべきか、ノーマンには近しい敵との戦闘経験がある。

 夜魔の騎士:ヴァイツがカテル島での最終決戦時において、種族の枠を超えてそれを使用した。

 たしかに、純血種のオウガではないが、ヴァイツは四肢を失ってなお、循環する血液を刃にして襲いかかってきた。

 凄まじい執念。あれほどの厄介さは、そうそうあるまい。


 そうであればこそ、闘争の化身と恐れられた鏖殺具足スローター・リム装備状態のオウガと、一対一の戦いであれば互角以上に渡り合える自信が、ノーマンにはあった。


 状況しだいだが、とにかく速い段階でやっかいなオウガを自分が引き受け、主戦場を構築し、その間に伏兵としてのバートン、さらにはトラーオの動きやすい場面を作り出さなければならない。

 特にトラーオが習得した《ムーブメント・オブ・スイフトネス》は、足場の不安定な砂浜で絶大なアドバンテージを使い手に与える。

 渡河を阻む水流も、いまの彼にはなんの障害も与えないどころか、逆に敵の行き足を断ってくれる味方でしかない。


 地の利を生かす、という言葉本来の使い方とは異なるかもしれないが、移動の自由というたったひとつの要素のちがいが、これほどの戦力差を生み出すのが、異能戦なのである。


 さて、その利をどのように使うか。


 ともかくも、あの魔女──“聖泉の使徒”の名を冠するのを認めるわけにはいかぬほど、忌むべき性情を見せつけたジゼルが告げた、皇帝:メルセナリオのとりこという言葉が単なる煽り文句でないのなら、セラフィナの心はすでにヤツの手中に堕ちたか、堕ちつつある、といことだ。

 聖母:イリスのことに心を砕くばかりに、彼女の状態に目を配りきれなかった責は自分にある、とノーマンは思う。


 しかし、そのことをいまさら悔やんでも、なんのえきもない。


 不測の事態が起こるのが聖務であるし、困難であることはあらかじめわかりきっていることだからだ。

 だから、ノーマンはいたずらに悔やまない。


 ただ、迫り来る現実に対して決して屈せず、模索し、状況を打開していく。

 なにより、そうやって司令官が悔やめば、これは士気に明らかな悪影響が出る。

 あってはならぬことだ。

 だから、自らをきつく戒める。

 

 それが宗教騎士団の男である、とノーマンは己を規定している。


 だが、今時こんじ作戦の鍵を握るのは、そういう男ではない。

 まだ年若い、しかし、それだけに感受性が高く、そえゆえに純粋な心の持ち主──トラーオの真情が成否をわける、と感じている。


 彼が、セラフィナと言葉を交わし、その腕に彼女を抱き寄せられる場面を、命のやり取りが行われる戦場で、どう作り出すか。

 そこが、争点になる。


 そして、そのためにはまず、状況偵察が必至であった。


 楽々とオーバーハングの断崖を登り、準備完了の合図をトラーオが出してくる。

 浜の状況を一足先に、軽く把握したのだろう。


 問題なし、と伝えてくる。


 朝の到来を察知した海鳥たちが、飛行をはじめる。

 夜明間近の海へむかって河の上を駆け下った風が吹き、よいカタチの波が立っている。

 場所によってはそれはヒトの身長を悠々と超える高さになる。

 

 押し寄せる潮、そして、浜からの風。

 オフショア、と漁師たちが呼ぶ状態だ。

 昨夜の嵐が去り、吹き戻しを呼んだかのように陸側から風が起き、潮が満ちる時間帯が重なることで、このような現象が生まれる。

 

 素晴らしい、とノーマンはつぶやく。

 海面を走り抜けることのできる現在のノーマンにしみれば、波の壁は己の姿を隠してくれる絶好の遮蔽物だった。


「ゆくぞ」


 拳を突き上げ、頭上のトラーオに合図を送れば、ノーマンは海岸線へと押し寄せる波のひとつに狙いを定め、まるで波間に遊ぶイルカのように、戦場へと身を躍らせた。


 地形と波と異能と、そのすべてを味方につけたノーマンが戦場となるべき砂浜に辿り着いたとき、しかし、すでに異変は起こっていた。

 激しい剣戟けんげきと、轟きわたる銃声、怒声──そして、そこに加わる混乱の叫び。


 戦端は、すでに開かれていたのである。

 それも、想像を超えるカタチで。





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