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■第四十二夜:再起


「……ビブロンズ皇帝、ルカティウスだ、と。そう言わせたいのか?」


 ジゼルから投げ掛けられた悪意ある問いかけに、ノーマンは答える。

 

「あら、すごーい! 正解! へー、ハーヴェイ卿ってのーみそまで筋肉でできてるのかと思ってたけど、考えられるんだ! すごーい!」


 そうよ、カテル病院騎士──それまでのどこか舌足らずな少女めいた口調から、一転、秘められたはかりごとを語る女の言葉づかいになって、ジゼルは言った。

 

「ビブロンズ皇帝:ルカティウスと、オーバーロード:ユガディールは共謀している。もっというと、あの〈シドレラシカヤ・ダ・ズー〉、ともね」

「!」


 その告白は、さすがのノーマンであっても呼吸が止まった。

 ありえない、と否定しかけた考えを、しかし、捨てきれなかった。

 たしかに、そう考えればすべてのつじつまが、ぴたり、と合ったからだ。

 

「もっとも、〈シドレラシカヤ・ダ・ズー〉とユガディールの間に、繋がりがあるかどうかは、わからないのだけれども。ルカティウスとシドレの間は、なんというか、深いみたいよ?」

「なんのために」

「は?」

「なんのために、こんなはかりごとを」


 問いかけたノーマンを、さげすむように見て、冷笑を広げたジゼルが首を反らした。

 見下しているのだ。

 

「そんなこともわからないから、ハメられるんだ、オマエたちは。決まっている。最初から、やつらの思惑は、“再誕の聖母”──その奪取にあったのさ」


 奪取したあと、その処遇について、やつらの考えが一枚岩かどうかは、までは知らないけれど。

 

「ともかく、そういうこと。わかった?」

「なんの得がある?」

「ハーヴェイ卿、あなた、言葉が唐突すぎ。もうちょっとかみ砕いて?」

「その情報を我々に知らせるためにだけ、こうして現われること──わざわざ会敵かいてきの危険を犯すことに、どういう意味があるのか、と訊いている」


 ノーマンの問いかけに、あー、そういうこと、とジゼルは瞳を閉じて笑った。

 

「おもしろくなるから、かな?」

「なんだと」

「はやく助けにいかないと、大変なことになるってわかっているほうが、お話はおもしろいでしょ?」

「貴様ッ!」

「おこらないで。もっと面白くしてあげるから」


 くすくす、となにがおかしいのか笑い続けるジゼルの瞳には、とびきりの悪戯いたずらを思いついた少女のもののような光がある。

 

「じつは、わたし、ちょっとまえに、女のコを助けたの。まー、正確にいうと、その他数名の、どーでもいいようなヒトたちも助けたんだけど」

 ねー、気にならない? いわくありげな視線をトラーオに流す。

「まさか」


 それまで怒りに熱くなっていた頭に、冷水を浴びせる効果が、ジゼルの言葉にはあった。

 

「そ、そのまさか。セラフィナちゃん、だったかしら。かわいいコよね。亜麻色の髪の毛が、だれかを思い出すんだけど。あー、奴隷願望を持ってるところも、似てるのか、ユーニスと」


 トラーオには理解できない後半部分はともかく、セラフィナの名、それだけで充分すぎるほどの効果があった。


「生きて、生きているのかッ!?」

「話を聞かない坊やだこと。助けたっていったでしょ? 死んでてどうする。このわたしが、直々に、この聖瓶:〈ハールート〉の《ちから》を振って護ってやったんだ! そうでなければ、あんな小娘が荒れ狂う海のなかで生きてられる道理がないだろうが! 良くて溺死。悪ければ、激突してくる船の破片でズタズタの。二目と見れぬ姿になって、魚の餌と消えたろうに! アイツらを残らず無事に、浜に連れて行くのが、どれだけ大変だったかッ!!」


 頭の悪いヤツはこれだから嫌いなんだ。やっぱり男は学だよね。

 ちいさく愚痴ぐちり、すぐさま笑顔を貼り付けて、ジゼルが続けた。


「だから、迎えにいってあげたほうがいいわよ? はやくしないと、とんでもないことになっちゃうから?」

「どこだッ。どこにいるッ?!」

「それは教えられないなー。じぶんでさがせば? そっちのほうが面白いし」

「おのれ、魔女めッ!!」

「魔女はなくない? 助けてあげただけじゃなく、生きてるってこと教えてあげたのに」

「大変なことになるって、どういうことだ!」


 あらあら、かわいらしいこと。もしかして、惚れてたのかしら。

 恋の話は大好物とでも言いたげに、ジゼルは笑みを広げる。

 それが悲恋なら、なおのこと。

 唇についた糖蜜を舐めとるように舌を動かす。


「一緒にいるオトコが問題なのよね──無事じゃいられないわ、あのコ」

「だれだッ! だれと一緒にいるッ!!」

「教えて欲しい?」


 それなら、お願いしなさいな、どうぞ、おしえてください、って。

 瞬間的に笑みを消し、冷酷にジゼルは言い放つ。

 その表情の切り替わりの素早さは、演劇を観ているようで、ジゼルの異質さを際立たせる。

 いや、こう言い換えてもよいかもしれない。

 女優に降りた悪意ある脚本シナリオと対話しているかのような錯覚を抱かせる、と。

 そして、セラフィナが無事ではいられないという話の流れに、トラーオは釣り込まれてしまう。


「なん、だとッ!!」

「こわーい。もう、かえっちゃおうかなー」

聖騎士パラディン:ジゼルテレジア、乞うて願う。従騎士:セラフィナがいま、だれとともにいるのかを、教えていただきたい」


 激昂げっこうするトラーオとは対照的に、冷静にノーマンは告げた。

 だが、ジゼルはその懇願を一笑に伏す。


「おじさんは面白くないから、だーめ。つか、アンタ、ぜんぜん迷いがないじゃん。そんなやつを、いくらいじっても、ちっとも満足できないもん」


 ノーマンの性格を的確に見抜いて、ジゼルは言う。

 必要であれば、なんの躊躇ちゅうちょもなく己のプライドを投げ捨てることのできる男。

 いじめ甲斐がいがない、とジゼルは言うのだ。

 けれども、ノーマンの言葉は、トラーオを冷静にさせた。

 ほんとうに現実を変えるためには、感情よりも優先しなければならないことがあるのだと、行動で理解させたのだ。


「わかった……どうか、おしえてください。セラフィナが、いま、だれと行動をともにしているのか」


 それでもまだ、感情の整理をつけきれないのだろう。

 歯を食いしばりながら頭を下げるトラーオの姿に、んふ、とジゼルが満足そうな笑みを浮かべた。

 屈辱に耐える少年の姿は、たしかに彼女の嗜虐心しぎゃくしんを満たすものがあったのだろう。

 

「よくできました。じゃあ、やくそくどおり、教えてあげる」

 でも、そのまえに、ひとつだけ訊きたいことがあるんだけど。

「好きなの、そのコが?」


 トラーオが下げていた頭を、跳ね起こした。

 その頬が、怒りとは別の感情でみるみる赤らんでいく。

 ぶるっ、ぶるっ、と肉体が痙攣けいれんするように、震える。

 それだけで、もうすでに答えを与えたようなものだったが、ジゼルは言葉による解答を望む。

 

「そう……そうだ。オレは……そうだ」


 ジゼルの顔に表れた喜悦は、初々しい少年の愛の告白に対してではない。

 これから味わうことのできる「蜜の味」への期待感からだ。

 最高にスイートな。

 

「そうなのね。それじゃ、とってもつらいことになるかもだけど、やくそくどおり、おねえさんは、おしえてあげるわ」


 そのコがいま、だれのとりこになっているのか、を。

 とりこ、という言葉が男たちに染み渡るのを、たっぷり十秒待ってから、ジゼルは告げた。

 その名を。


「エスペラルゴ皇帝:メルセナリオ・エルマドラ・エスぺラルゴ。アンタたちが、メナスって呼んでた男よ。そう、テメラリオ号の、船長キャプテン

「!」


 じゃ、わたしの話は、これでおしまい。

 おもしろかった? おもしろく、なりそう?

 もはや用は済んだ、とでもいうような、しごくそっけない様子で、ゆっくりと海中に没しながら、ジゼルは話を打ち切った。

 聖瓶:〈ハールート〉と、その両手両脚、そして首に巻かれた円環:〈クォンタキシム〉の恩寵を賜る彼女にとって、海中とはホームグラウンドのような場所だ。

 水面を次元境界面に見立て、跳躍する短距離転移法まで使いこなすジゼルである。

 この超常的な立ち去り方も、彼女にしてみればしごく当然のことなのである。


「あ、そーだ」

 言葉を失う男たちに対し、ジゼルは付け加える。


聖母の息子エルマドラなーんて名前をもってるけど──アイツ、すごいスケコマシだから。すごく急いだ方がいいわよ。清らかな・・・・セラフィナちゃんが大事なら。……もうおそいかも、だけど」


 くすくす、と泡のような笑い声だけを残し、ジゼルは消えた。

 お伽噺のなかで、人魚姫が泡になって消え去るように。

 

         ※

         

「なんてことだ……オレは……オレは」

 

 砂浜に膝をつき、頭を両手で抱えトラーオは叫んだ。

 涙が止まらない。

 セラフィナ生存の知らせ、そして、そこに付け加えられたメナスの正体、すなわちエスペラルゴ帝国皇帝:メルセナリオの存在が、少年の心をズタズタに引き裂いていた。

 セラフィナはメナスのとりこである、とジゼルは告げた。

 そして、このままでは無事ではいられない、だろうともほのめかした。

 清らかなままの彼女を取り戻したければ、と付け加えた。

 悪い想像しか、できない。


 だが、真の意味でトラーオを打ちのめしていたのは、そのことではなかった。

 

「オレは、オレはッ! いままで、アイツに言われるまでッ! セラのことを考えることすらできなかったッ!! 生存の可能性を、最初から諦めていたッ!! 死んでしまったのだと、心のどこかで、諦めていたッ!!」


 それどころか、イリスさまのお姿によこしまな気持ちを抱いて──いっときとはいえ、自分ひとりだけ、平穏と法悦を味わっていた。

 それが、それが、許せないッ!!

 

 懊悩おうのうし、慟哭どうこくするトラーオの背をバートンが静かに見守る。

 言葉はない。

 打ちのめされる少年に、かける言葉はない。

 

 無論、バートンとノーマンも、セラフィナのことをこれまで話題にはしなかった。

 だが、それには理由がある。

 ひとつには、果たすべき最優先事項、すなわち、“再誕の聖母”の安全を確保のために行動しなければならない、と心得ていたから。

 もうひとつには、セラフィナの生死について話題に触れたとき、少年の心がこのように引き裂かれることを、知っていたからである。

 そして、ひとたび、こうなってしまったからには、慰めの言葉など、なんの役にも立たぬことを、大人である男ふたりは知り尽くしていたのだ。

 ただ、バートンがそばを離れないのは、少年が自暴自棄になり、自罰的意識のあまりに、間違いをしでかさないように、見張るためだ。

 

 自罰的で短慮な行動とは、つまり、自刃である。


「オレは、オレは……どうしたら、どうしたらいいんだッ!!」


 トラーオは虚空に吼え、問いかける。

 “再誕の聖母”:イリスの奪還が最優先であることはわかっている。

 聖務である、などという建前など問題ではない。

 それは絶対に違えてはならない、責務だ。

 だが、トラーオの心は、いますぐにでもセラのもとに駆けつけて、取り戻したいと願ってしまっている。

 それが果たして、成就できる願いなのかは、わからない。

 けれども、いま、セラのもとへ駆け出さずに、その奪還に駆けつけずにいたら──自分はもう、生きている価値がない、とトラーオは思うのだ。

 だから、問う。

 

「オレはッ、オレはッ!! どうしたら──どうしたら、いいんだッ!!」


 答えられるものなどいないであろう。

 そう思った、瞬間だった。

 

「なにを寝ぼけたことを言っているッ! 従騎士:トラーオッ!!」


 一喝が飛んできた。

 弾かれたように振り向けば、すでに旅装を調えたノーマンがいる。

 完全武装で、その手には、トラーオのための装備まで携えて。

 ごしゃり、と一式が砂浜に投げられ、音を立てた。

 ふがいない少年を叱咤するように、飛び散った砂が頬を打つ。

 

「どうすればいいか、など、わかりきったことを抜かすなッ!!」


 腕組みをしたノーマンの目に、《意志》が燃えていた。

 

「我らが成すべきことはたったひとつ! “再誕の聖母”:イリスベルダを、怨敵:ユガディールの手から、奪還するッ!! それ以外になにがあるかッ!!! 立てッ!!」


 非情であった。

 だが、それは当然であった。

 “再誕の聖母”。

 その再臨のために、カテル病院騎士団は戦い続けてきた。

 大願成就のための道のりは果てしなく遠く、志半ばで散っていった命は数えきれない。

 もはや、それは、カテル病院騎士団の存在意義と言ってよかった。

 もし、ここで私情に流され、それを見失うことがあったなら。

 それは、これまでの戦いで散っていった人々の命を、愚弄ぐろうすることになる。 

 己の恋慕とそれを比較することなど、あってよいはずがなかった。


 わかっていた。

 だが。

 

「ですがッ、オレはッ、オレはッ!」

「バートン、いま、我々の現在位置は」

「トラントリム北端から海岸に沿って、我々は歩いてきました。生存者を探しながら」


 星の位置と海岸のカタチから、我々がいるのはこのあたりでしょう。

 手元を光を放つ貴石で照らしながら、バートンが冷静に分析した。

 トラーオの叫びなど、男ふたり、委細無視である。

 

「ハーヴェイ卿!」

「やかましいぞ、従騎士:トラーオ。これは決定だ。これから、我々は海岸線に沿って、海上を移動する。そうやって、トラントリム深奥に侵攻する。そののち、“再誕の聖母”を奪還する。全員で、だ。例外はない」

「そ、それでは、セラは、アイツは……見殺しですか」


 トラーオの抗弁に、ノーマンは静かな眼差しを向けた。

 当然だろう、という。

 

「聞いていなかったのか、トラーオ。我々は、これまで生存者を探しながら、海岸線に沿って歩いてきた、と」

「北端から、くまなく、ですな」


 バートンが、わからないのか、という目線を投げてくる。

 え? とトラーオは困惑する。


「セラを想う、オマエの言葉が引き出したんだ。重要な情報を。あの魔女の口から」

「え?」

アイツらを・・・・・残らず無事に・・・・・・、浜に連れて行くのが・・・・・・・・・・、だ」

「え?」

「つまり、相当数の人間が漂着できる砂浜があり、そこにメルセナリオたちはいる、ということです」

「河口近辺だろうかな」

「であれば、いちばん可能性のあるのは、ここでしょうな」

「トゥーランドット河口か」

「えっえっ?」

「それだけの人数を移送できる船が確保できない以上、ヤツらは、川沿いを遡る。あの魔女が、苦労したと言ったくらいだ。異能で跳躍はできまい。そして、トゥーランドット河は──ほう、途中でフィブル河という支流と分かれているな。そして、ふうむ、首都をかすめるではないか」


 つまり、いまの計画通りに、メルセナリオ一行の動きを追跡すれば、これは自然に。

 

「トラントリム深奥への侵攻作戦に、これはなるな」


 当然だろう。

 ノーマンが頷き、バートンは地図を畳んだ。

 

『全員で、だ』


 トラーオは、このとき、やっとノーマンの言葉の意味を理解したのだ。





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