■たれそかれ1:美しき囮
「どう? アシュレ? 似合う?」
そう言いながらアシュレの眼前で、ユーニスはくるり、と回って見せた。
幼なじみのユニスフラウ──ユーニスは控え目に言っても美少女だ。
旋回の反動で、短く切りそろえた亜麻色の髪が揺れる。
健康的な肌がまぶしい。
ふるんっ、と控え目な擬音が聞こえた気がしたのは、たぶん、アシュレの脳内でだけだろう。
えーと、とアシュレは目を逸らしつつ曖昧に答えるしかない。
なぜなら、その美少女さまは、下着姿だったからだ。
この時代にあっては、目玉の飛び出るような金額で取引されてるレース地が、ふんだんにあしらわれ、無防備な肌を飾る。
貴族でなければ一生身に着けることもないような本物の高級品。
雪の結晶や咲き誇る花々を思わせて、宝飾品と言ってよい布地を身に着けたユーニスが、見せつけるように腰に手をやり、肩をそびやかして立っていた。
あー、つまり、見せつける、というのはさまざまなサムシングを、だ。
アシュレでなくとも、紳士的には言葉を失うような光景である。
いや、アシュレはエクストラム法王庁が誇る最精鋭:聖堂騎士団の頂点に立つ聖騎士なのだ。
民草の規範たらねばならぬ存在として、じつに判断の難しい局面であった。
横で、こちらはガウン姿で付き添っていたレダマリアがこらえきれず吹き出すにいたって、アシュレの窮地は極まる。
「なに? どうなの? なんとか言いなさいよ」
勝ち気な口調で詰め寄るユーニスに、たじたじと答えるしかない。
「か、可愛いよ」
「そこは、美しい──じゃなくて? 聖騎士:アシュレダウ?」
アシュレの顔面にふくらみが触れてしまうのではないかというほど胸を張り、ユーニスは訂正を求める。
そ、そうだね。やはり直視できず、アシュレは上を見ながら返すのが精いっぱいだ。
そうしないと、引き締まった肉体と可愛いおへそと、挑発的なあれこれが目に入ってしょうがない。
なにより、試すようなユーニスの表情からアシュレは逃げなければならない。
まっすぐヒトの目を見て話すクセは、自分の容姿について深く悩まず生きてこれた人間の特徴だ。
その上で、ユーニスのタチの悪さは自分の容姿に自覚がないことだった。
つまり、自分がどんなに魅力的なのか、自覚がない。
アシュレがどれほどの努力を払って自制しているのか、わかっていない。
さらに、残念ながら、アシュレはユーニスに決定的な弱点を握られていた。
端的に言えば、惚れていたのである。
ただ、それはユーニス側もそうであり=つまりふたりは相思相愛の仲なのだが……今回は時と場合がまずかった。
ユーニスの横で、ふたりのやり取りと態度を見比べながら笑いをこらえるもうひとりの美少女:レダは、ふたりの関係を知らないのだ。
それがなぜまずいのか。理由はひとつ。
事実を知られてはならないからである。
レダは──は、なんと史上初の女性枢機卿:レダマリア・クルス……つまり法王に次ぐ聖職界の上位者でもあった。
アシュレが青くなるのは当然だろう。
聖騎士であるアシュレにとって、レダは組織的には上司なのである。
そう言い換えれば窮地のほどが理解しやすいだろうか?
上司の眼前で、このケシカラン時空は展開しているのである。
秘密の恋仲である幼なじみが「自分の下着姿」について、どうか、と問うてきているわけである。
よいはずがないであろう。
いや、それよりなにより、本当にまずかったのは三人の関係であった。
幼なじみだった。
さらには、アシュレはレダからは昔々のことだが告白されたことがある。
子供の戯れだと信じたいが、そのときのレダは真剣だった。
困った顔になったアシュレに、レダは頬を膨らませたあと、笑ったものだ。
「せめて、考えさせてくれ、くらいは言うのが礼儀だとおもうけど」と。
結局、返事のできぬまま時は流れ、ていまにいたる。
もちろん、そのことはユーニスには、ふたりともが秘密にしている。
いまでこそ、友人として、また上司として、おくびにも出さないが──ほんとうのところはわからない。
もちろん、ユーニスからも正面切って告白された。
ずっとずっと、幼い頃から好きだった。あなただけを想ってきました、と。
悲壮な決意で腕に飛び込んできた彼女を、アシュレは拒めなかった。
ただ、その経緯を、ここではとにかく説明できない。
わかりやすく言えば、アシュレとユーニスとは秘密の関係なのである。
それがアシュレに冷や汗をかかせていた。
ひとことで言って、修羅場である。
それをわかっていて、ユーニスは挑発しているのだ。
なぜわざわざ、こんなキワドイ悪戯をするのか。
アシュレには女心がわからない。
「あはははははっ」
アシュレの困惑しきった表情に、ついにレダが声を出して笑う。
「その困った顔、昔のままね」
読書を愛し、普段は物静かな彼女だが、親しい間柄の人々のなかにあっては快活に笑う娘であることは、周知の事実だった。
「そういえば、こんなふうに、昔も、よくしたね。互いの服装を見せあう、ファッション・ショー」
そう言って、また笑うレダに、ソウデスネー、とアシュレは内心答えるしか術がない。
幼少期の、恐るべき記憶が走馬灯のように過っていった。
伝統と格式を受け継ぐバラージェ家は、古い血筋の貴族である。
父:グレスナウは前妻を若くして失った。
子供にも恵まれなかった。
三人の子を設けたが、皆幼くして死んだのだ。
そのうちふたりが、《スピンドル》発現時の拒絶作用での死没だ。
濃くなりすぎた貴族の血が、《スピンドル》の家系が災いした、と法王庁内ではささやかれた。
人類に強力な奇跡の《ちから》を授ける《スピンドル》は、同時にまた、その発現時に使い手を試す。
それも、峻厳に。
だから、母:ソフィアは、その後添えとして籍に入った。
アシュレは、そのひとり息子として生まれた。
生まれつき病弱だった彼は、幼少期を「女子」として過ごした。
子と妻を立て続けに失った父:グレスナウの心中を、母が察してのことだった。
アシュレたちの暮らすイダレイア半島、その貴族階級の間では病魔の目を欺くため幼少期の男子を、女子として育てる風習がある。
アシュレのどこか中性的な立ち振る舞いは、その時代の影響によるものだ。
いや、実際、成人してすでに三年になろうというのに、その顔立ちは柔和で、勇ましいというより優しい、と評するほうが適切なアシュレである。それはじつは、男的には密かなコンプレックスでもある。
そして、そのコンプレックスを決定的にしたものものこそが、なにを隠そう、レダの言う「ファッションショー」であった。
ずばり、核心を言えばアシュレは少年時代、レダやユーニス、あともうひとりのお姉ちゃん的存在──現在の先輩にあたる聖騎士:ジゼルテレジアによって定期的に「女装」させられていたのである。
互いが衣装を持ち寄り、衣装について検討し、実際に試着しては評価しあう──こう言えば聞こえはいいが、着せ替えごっこできゃあきゃあ言うのが実体のそんな遊びだった。
もちろん、ただの戯れと一蹴するには、根拠と意味のないことではない。
この時代の外交は社交界と密接に関係があり、流行のファッションから化粧、宝飾品やテーブルマナー、ダンス、芸妓、ときにはきわどい遊びの知識さえ必要とされた。
貴族子弟、高位聖職者の血統に連なるアシュレたちにとっては、無視できない要素だったのである。
これらは幼少期から馴染んでいなければ、付け焼き刃で身につくようなものでもない。
だから、着せ替え遊びのごときファッションショーにも、一応の正統性はあったのだ。
もちろん、少女たちの渦中に引きずり込まれたアシュレにしてみれば、たまったものではなかったのだが。
着せつけられ化粧され、完璧な貴族息女として仕上げられるたび、アシュレのプライドはひどく傷つけられたものだ。
だが、集団になった少女たちは恐ろしい。
アシュレの姿にきゃあきゃあと黄色い歓声を上げたかと思えば、また新たな試着を押し付けてくる。
そのたびにアシュレは衣類を引っぺがされ……ちょっと表現に困るような体験をした。
不公平だと言い募れば「じゃあ、同じようしたら? わたしたちを?」と本気で迫るのだから、三人の美少女たちは悪辣だ。
とても、そんなことできないお坊ちゃんなアシュレにとっては、涙目案件だ。
とにかく、である。
現在眼前で展開する健康的肌色レース地梱包問題は、かつての体験をアシュレに彷彿とさせた。
「なあに、アシュレ? ちょっとちゃんとこっち向きなさいよ」
宙に目を彷徨わせるアシュレに、意地悪い笑みを含んだ声でユーニスが言い募る。
「だから、あのね」
「ふーん、あ、そ。わたしのなんかじゃ、アシュレのお役に立たないってことか……」
なににお役立ちになるのだろうか。アシュレは恐くて訊けない。
ユーニスはツン、と拗ねたようにアゴを突き出す。
目尻に涙が溜まっていた。
いったいなにが、お気に召さないのか。
自分はいったいなにで、ユーニスのご機嫌を損ねてしまっているのか。アシュレにはまったくわからない。
そして、そんなアシュレと怯えと戸惑いのさらに上を、今日のユーニスは行った。
「じゃあ──これでどーだッ!」
掛け声とともに、ユーニスは脱がした。
横で笑っていたレダの羽織るガウンを。
ユーニスの追求から逃れるべく目を逸らしていたアシュレの視線は、まさにレダに向けられていた。
衝撃の光景がアシュレの網膜に突き立つ。
それをなんと例えよう。
とにかく、見た、キた、出た。血が。
鼻から、である。
絹を裂くような悲鳴とともに、一瞬固まったレダがうずくまる。
しかし、すべては後の祭りである。
すなわち、人類世界三大行事。
のこりのふたつは、たぶん前夜祭と、血祭りだと思う。
思い出すと頭と下半身がおかしくなりそうなあの状況は、しかし、必要に迫られてのことだったのである。
そう、戯れではなく、恐るべき怪物を引きずり出すための「餌」として、ふたりが志願したのだ。




