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■第三十夜:虚構に抗う者

          ※


「なんて、ひどい男。こんなになってしまっては、もう、戻れんぞ──かわいそうに、この娘」


 どれくらいしてからだろう、室内の彫刻だと思われていた裸婦像が、嵌められていた支柱から抜け出し言葉を発した。

 硬質で筋肉質の──砂糖で煮込まれた鞭のようなその胸乳はしかし、女性としての美をも兼ね備えていた。

 

「ビオラテルノ──オマエに観られているかと思うと、いつもより昂ぶっちまった。もとい、必要だったからそうしただけのことさ」


 ビオラテルノ=ビオレタが、肌の質感を人体に戻していくのを横目に、メナスは言った。

 そのぶ厚い胸板の上で身を震わせ、苦悶にあえぐように眉根を寄せるのはセラだ。

 

「メナス。オマエの狙いは“再誕の聖母”だろう? なにもこんな小娘を」

「将を射んと欲すれば、まず、馬を射よってことわざがあるだろう?」

「その馬が、この娘というわけか。相変わらずやることが汚い」

「そういうオレが、恋しくてしょうがないんだろうビオレタは」

「おまけに、なんて傲慢ごうまんな男だろう。くやしいが、その通りだ。わたしはオマエを愛している。わたしはオマエの道具。オマエの飛び行く槍であり剣だ」

「そして、恋人のひとり、だろう?」


 ビオレタさえ求婚に応じてくれたなら、オレも腰を落ち着けられたのになあ。

 本気とも冗談ともとれぬ口調で、メナスは言った。

 

「そんなことをしてみろ、オマエから野心が失われてしまうかもしれんじゃないか。わたしで満足するような男に、魅力などない。もっと高みを、飽くなき闘争を求めろ」

「オウガの血筋の言うところは、オレにはさっぱりわかんねえよ」

「そのオウガの族長の娘を、それも〈スローター・リム〉で完全武装したわたしを、一騎打ちで打ち倒した──戦士の理想の権化がなにを言う」


 あのとき、あの瞬間から、わたしの心は、肉体は、その最後の血の一滴までも、オマエのものだというのに。

 そう言いながら艶然と微笑んで、ビオレタはセラの背筋に指を這わせた。

 楽器のようにセラは鳴く。

 

「なかなかの名演奏だったぞ」


 オウガの血脈、とそうメナスに呼ばれたビオレタは、そのとおり、人間が規定する意味での人類では、ない。

 常在戦場を己の生き様とし、戦塵を芳香のように感じ、血飛沫を酒に、屠った敵の肉を糧として育った戦闘人種:オウガ。その純血種であった。

 

 オウガたちは戦場において異形として知られる。

 個体個体が、もはや同じ種とは思えぬほど異質な体躯、そして甲冑に身を包み、戦場に現れるからだ。

 だから長い間、彼らは奇形の、渾沌の影響を強く受けた種族なのだと認識されてきた。

 

 だが、実際は違う。

 彼らはヒトとほとんど変わらぬ姿で生まれてくる。

 しかし、彼らオウガは先天的にその肉体に欠損を負っている率が極めて高い。

 

 まるで、ある特徴をより先鋭化するために選択的に種を、あるいは血縁だけを掛け合わせ血を濃くしすぎた果てに、その種全体が宿痾しゅくあともいうべき病根を抱えてしまうように。


 戦闘種としての研ぎ澄まされた本能と、皮肉なことにその代償としての欠損を抱えたオウガたちは、その肉体を積極的に改造することで、その宿命を乗り越えた種族だ。

 ビオレタが口にした単語:〈スローター・リム〉──からくり仕掛けの重戦闘甲冑だけではない。

 彼らオウガはその肉体を機械仕掛けの装具で補い、置き換え、後天的に、そして戦闘的に“自らを組み上げていく”種族なのだ。

 だから、一体として同じ肉体を持つものはいない。

 

 ただし、その例外的な共通の特徴として、まるで人形のように整った美貌の持ち主たちであることは、さらに知られていない事実だった。 

 無理もない。

 彼らの生態がほとんど人類圏で明らかでないことに加えて、多くの個体がその“組み上げ”の過程でその容貌を捨てるからだ。

 だが、ビオレタは、その例外的ななかでも、さらに稀な『美貌を残すオウガ』であった。

 

「敬虔なイクス教徒を、こんなに汚して……堕とし、狂わせて。そういえば、この間、会談を持った新法王猊下もたらし込んだのか?」


 さらり、ととんでもないことを訊くビオレタはやはり、異種族──思考形態がすこし人類とは違うのだ。

 

「あー、やろうとおもったんだがなー。ありゃダメだ。まだ、オレじゃ太刀打ちできない。あやうく魅入られかけたよ。正直、ヤバかった。こういう表現でいいか? モノが違う。そんじょそこらのタマじゃねえ。あれの中身は、もう人間じゃねえ、かもだ」

「ほーう、オマエにそこまで言わせるかー。これは手合わせが楽しみな」

「まあ、そんときゃ頼むよ。当分、ないだろうけどな」

「生き急げ、メナス。人類の戦闘能力のピークは思ったより早く来るものだぞ」

「あーそんときゃ、オレも肉体を入れ替えるかな」


 メナスが冗談めいて言った言葉に、なぜかビオレタの頬が染まった。

 

「それは──素敵だな。踊ろうぞ。ともに手に手を携えて。血の円舞ロンドを」

 硬質で妖艶な美女めいたビオレタの声が、少女のもののようにオクターブ高くなった。

「ああ、そのときがきたら、必ずな。くたばるときも、オマエの横でくたばってやる。だが、それはまだまだ、ずっと先だ」


 それでこそだ、とビオレタは獰猛な笑みを広げる。

 

「しかし、そのオマエが躊躇ちゅうちょしたというのなら──あの“再誕の聖母”も?」

 ビオレタの問いかけに、今度はメナスが獰猛な笑みを浮かべる番だった。

「ああ、そうさ。瞳を合わせた瞬間に、背筋にゾクリと来やがった。コイツは、同じだ、あのバケモノ──法王庁の御簾の奥にまします、貴き《御方》と、同種のモンだ」


 なあ、そうだろう?

 メナスは同意を求めるように愛の牢獄に囚われた姫君──セラの額に落ちかかる髪をどけてやる。

 あ、う、と夢現つの波間を行きつ戻りつするセラの瞳が開かれる。

 

「だが、そんな絵空事──“むこう側ガーデン”から来た連中に、どうしてオレたちが、居場所・・・を譲り渡す必要がある? 人間同士の闘争は、人間同士で決着すべきであって、神さまだかなんだかしらんが、そんな連中には早々にご退場いただくのがイチバンなんだって。見てろ、ビオレタ。オレはそいつら全部を平らげ尽くしてやる」


 そのためのオマエだ。

 なあ、と愛し子をあやすように、その頭部をメナスがかいぐると、セラはまた身を震わせた。

 

「奪うこと、蹂躙じゅうりんすること、制圧すること、そして支配し君臨すること。こんな悦楽を、横取りされて黙ってられるかよ。オレはそいつらさえ組み敷いて、その屍の上にオレの王国を築いてやる」

 そのために、オレは戦い続けてきたし、これからもそうする。

「だからセラ、オマエには、とことん堕ちてもらうぜ?」


 言いながら、メナスはあの見事なキセル:〈テンプテイル〉をふかす。

 深く深くそれを吸い、歯の根が合わぬほど震えるセラの唇を貪るように塞いで、口移しにする。

 

「熱いか? 熱いだろ、セラ。オレにも感じるぞ? お前は、いま、蕩けるほどに熱い」


 そうして、念入りな仕上げに移るメナスと同じベッドにビオレタは上がり、その褐色の肌でセラを包み込む。

 

 「セラ──恋には際限がないんだ。オマエが壊れてしまうまで愛してやる。ほんとうに頭の中身が壊れるんだぜ? すばらしいじゃないか。それほどに感じるんだ。鮮やかに、生きていることを。だから、オマエも、オレを愛してくれるだろう?」


 そう囁くメナスの言葉を、愛の、恋の《ちから》の苛烈さに泣きながら、セラは受け入れてしまう。

 幾度もくり返し、その心に焼印されてしまう。







2017/01/24日 サブタイトルを「虚構に抗って」から「虚構に抗う者」へ変更しました。

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