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■第二十五夜:落日の帝国と皇帝(2)

「さあ、まずは食事です。これは自慢になるが、我が家の料理人の腕前はなかなかのものですよ」


 ルカティウスがそう宣言すると同時に、皿が運ばれてきた。

 この当時の会食・宴会は大皿に盛られた豪勢な料理が卓上に一斉に置かれ、それを各々が取り分ける形式が主流だったが、それでは料理が冷めてしまう。

 ルカティウスは料理人たちに、皿ごとに熱々のもの(ものによってはよく冷えたものを)をもってこさせる、後の世にいうコース料理の形式を実践させていた。

 

 これは、食事中に読書を始めてしまう自身の悪癖に妻が苦慮した末のものだと、本人の口からエピソードが添えられた。

 ルカティウスは現在独身。

 四度結婚したが、二度目のものは政治的な問題で離縁、それ以外はいずれも妻に先立たれている。

 

 その関係は愛情に溢れたものであったり、それなりのものであったりしたようだが、ルカティウスに浮いた話はひとつもない。

 また妻たちに対しては控えめながらも献身の愛を尽くす人柄であったらしく、離縁となった二番目の妻は、政略結婚であった数年間の後、引き戻される際にはルカティウスに泣いてすがったという事実がある。

 離れたくない、と。

 

 相手を惹きつけ、虜にするのではなく、育てる、というような愛し方を、彼はする男であったのだろう。

 ただし、それが愛した女との別離であったとはいえ、権力と軍事力によって、その理不尽に抗おうとするような人間でないことも、このエピソードは物語っていた。

 文人皇帝のふたつ名には、このような揶揄やゆも、すくなからず含まれていたのである。

 

「さぞや驚かれたことでしょう。不作法な招待を、どうかお許し頂きたい」


 料理が運ばれてくる間に、ルカティウスは一行に言った。

 言葉は隣に座るバートンへ向けられている。

 

 注がれたワインが濃い琥珀色なのは、松の樽で熟成されたからであろうか。

 松脂の薫りが濃厚な、個性的な仕上がりである。

 ヤニのきつい松の樽を使うことは、めずらしい。

 西方世界ではまずお目にかからない品だ。

 ここ、ヘリアティウムが、東方世界の玄関口にあるという証左に他ならない。

 さまざまなものが、すこしずつ、西方世界とは違うのだ。

 その東西の狭間に建つ国の皇帝に、バートンは問い返した。

 

「驚きは、様々な意味で、ですな。たとえば、このワインのように。皇帝陛下。我が友、ペドロはどうされました?」

「まさしく、様々な意味で、です。バントライン。どうかわたしのことはルカ、とお呼びください。親しいものは皆そうする。そしてペドロ氏は、急遽、席を辞しました。皆さんが着替えていらっしゃるあいだに。火急の用とのこと」

「なるほど、皇帝陛下の宴席を断るほどの要件とは、よほどでしょうな。それはしかたのないこと。では、ルカ。わたしのこともバートンと……はて、そういえば名乗りましたか、わたくしどもは」

「皇帝という職業は、事情に通じていなければ勤まらぬものです。特に、その預かる国家がすでに落日を避けられない運命にある、そこに差しかかっているときには、ね」


 大胆にも自らの国家の行く末を断言するルカの言葉に、バートンのみならず座の全員が息を呑んだ。

 ルカが暗にも認めたからだ。

 バートン一行のことを、ずっと調べていたいう事実を。

 その到着を予期できるほど正確に、だ。

 

「帝国の行く末については、ともかく、それほど、大胆で明晰な分析をされるあなたのことだ、わたくしどもの持っている情報程度、すでにお持ちなのでは?」


 ずい、とバートンが切り込んだ。

 戦場での物言いに直すなら、大胆に間合いを詰めた、といえる。


「あるいはそうかもしれません。けれども、どれほど事情通になろうと決して手に入れられない情報というものもある」

「ほう、それは?」 

「心、ヒトの心です。思惑。それが未来をつくる」


 この男は、とバートンは確信した。

 この男は我々の正体を知っている。

 知っていてここへ招いた。

 そして、そのことを隠そうともしていない。

 

 ここには、バートンたちだけではない。

 メナスとビオレタ、ふたりのエスペラルゴ人もいる。


 たとえ彼らふたりがエスペラルゴにとっての末端に過ぎないとしても、国家の諜報能力を暴露することが、いかなる意味を持つのか、この賢人が知らぬわけがない。

 この会談には、すでに互いの命がその掛け金として載せられていることを、バートンは強く意識した。

 

 だからこそ、平然と言った。

 かつて、バラージェ家の執事となる以前、賭事を生業としていた時分から、賭け金が高くなれば高くなるほど冷静になっていくのが、バートンの性分だったのだ。

 

「つまり、わたくしどもの思惑・・を、お聞きになりたい、とそうおっしゃるわけですか。世界情勢的な話題では、なく」

「たいへんかいつまんだ物言いをすれば、そうです。ああ、この牡蛎はなかなかのものですよ。新鮮なうちにワインでマリネしたあと、燻製にして、小さなソーセージと合わせたものだ。時期は外してしまっていますが」


 前菜を示しながらルカは言った。

 自らも手をつける。

 うん、おいしい。

 感想する。

 皇帝に追従したのは、メナスとビオレタ、ノーマン、それにイリスだった。

 バートンは警戒心と会話への興味から、トラーオとセラは気圧されて、それぞれ、まだ手をつけていない。


「わたくしどもは、旅の行商でございます。商人がすることと言えばただひとつ、商売にほかなりません」

「それでカテル島からいらっしゃったのでしたな。うかがっていますよ、友人:ペドロから。素晴らしいワインの作り手であり、それを商うワイン商だと」


 届けていただいた品はあとで、お出ししましょう。

 ほんとうは一月ほど寝かせておくのがよいのですが……旅をしてきたワインは疲れていますからね。

 ルカはそう言って微笑んだ。

 知識を披露するという感じではなかった。

 血のにじむような努力と人類の叡知、そして自然の不可思議が結びついて生まれたワインという存在に、心の底から敬意を払う。

 ルカの心が、そこからはかいま見えた。

 

 園芸、農耕、それら収穫物の加工までをたしなむ変わり者の皇帝というルカの側面を、バートンは思い出していた。

 そう、この皇帝は醸造学にも関心を持っていて、自らワインを醸すのだ。

 そして、そのワイン蔵を兼ねる邸宅こそ──いま、バートンたちが食卓を囲む屋敷だった。

 

 二杯目のワインは、先ほどまでのものとは異なるものだった。

 

「親愛なるルカ、それではもしかすると、このワインは──」

「お気づきになられましたか……いかにも、わたしの手によるものです。年代物で、もうかれこれ、二十年は寝かしてありますか」


 二十年、という単位にバートンは目を剥いた。

 そこまでの長期熟成に耐えるワインに出会うことはめったにない。

 長期保存、長期熟成の技術は蒸留器とともに、一般にはほとんど広まっていない秘術だ。

 透明度の高い透き通ったワインを見かけることもほとんどない。

 ワインに透明度を与える清澄せいちょうの技術は、修道院の門外不出、あるいはワイン商の秘伝中の秘伝であった。

 各国宮廷で珍重される高貴なワインたちにだけ備わった、特別な美質と見なされていたのだ。

 

「なるほど、これは──旨い」


 バートンがそれまで警戒して唇を濡らすだけにとどめていたそれを、改めて含んだ。

 トロリとした口当たりに、長く尾を引く余韻、樽の香りが独特だが、長い熟成期間のおかげで突っかかってくるような荒々しさはない。

 どこか郷愁を誘う、そして、特徴的な柑橘類のフレーバー。

 もちろん、柑橘類など一切加えていない。

 ブドウと酵母、そして樽と時間が織りなす一種の魔法だった。

 この時代の主流は白ワインだったが、これは金色に輝いている。

 

「これ、めちゃくちゃうまくないか?」


 こそりっ、とメナスが漏らした賛嘆にビオレタが脚をけっ飛ばした。

 静かな客間で丸聞こえだったからだ。

 スネを一撃されながらもグラスのワインを守ろうとするメナスと、注目を集めたことに赤面して顔を逸らすビオレタの様子がおかしくて、一同がどっと笑った。

 それで固かった場が一気にほぐれた。

 

「いただきなさい」


 バートンがトラーオに促した。

 勉強させていただきなさい、という意味だ。


「なんだ……これ」

 それまで場の雰囲気に呑まれて微動だにできなかったトラーオが、グラスに顔を近づけた瞬間、目を丸くして言った。

「すごいぞ、これ」

 グラスの底が見通せるほど透明度の高いその白ワインが放つ金色の輝きと、胸ぐらを掴まれ引きずり込まれるような引力をもつ芳香に、素直な若さが反応した。

 だろう、とバートンが頷き、ルカが相好を崩して頷いた。

 

「よい感受性をお持ちだ。ワインを扱うものには必須の感覚だ。しかし、トラーオ、あなたのお父上の醸されたものも、これと同じか、それ以上の美質を備えているのですよ」


 甘いブドウからは強いワインができる。

 それがどうしてなのか、この時代には理由までは、まだ解明されていない。

 だが経験則から来るその知識は、間違っていない。

 糖分を消費することでアルコールは醸造される。

 つまり、度数を高め強い酒を醸そうとすればするほど、ワインのなかから甘みは失われる。

 だから、補糖ドサージュなどを行わずに、ある一定以上の甘さと度数を兼ね備えるワインを造り出すためには、その根源となるブドウに途轍とてつもない糖度が要求される。


 水っぽさは大敵。

 未熟も、もちろんいけない。

 酸が足りなくては、べっとりと甘いだけのものができてしまう。

 なにより大地のテロワールを、無視しては話にならない。

 優れたワインを生み出すためには気の遠くなるような条件を、いくつもいくつも突破しなければならない。

 

「その素晴らしいワインを、あなた方はこのビブロンズを越えて商われようという」


 どこへ、向かわれるのですか?

 ルカは親しげな笑みを、こんどはバートンではなくトラーオに向けた。


「トラントリムを、ひとまずは目指そうかと考えております、陛下」


 背筋を正してトラーオが言った。

 陛下、とつけてしまったのは叩き込まれた騎士団での習い性だ。

 

「なるほど……さらに北上されるとおっしゃるわけですな。雪に閉ざされたかの地で、あの甘い、飲み干すことのできる宝石のごときワインは、たしかに引く手あまたでしょう。皆が強く春を思い願う、その時期に合わせてワインを届けよう、と。これは、なるほど、よく考えられたことだ……それから親愛なるトラーオ、どうか陛下は許していただけませんか」

「しっ、しつれいしましたっ」

「失礼などではありません。充分にあなたは礼儀正しい。これはこの老骨のわがままです」

 どうか、と深いしわの奥で柔和な瞳が微笑んでいた。

「はい、陛下」


 はつらつとした声でトラーオは応えた。

 敬称が取れてない。

 対面、バートンの隣に座するセラが思わず吹き出す。

 また、場が笑いで満たされた。

 

 トラーオは赤面して俯いてしまった。

 膝の上に置かれた握り拳にイリスが手を添えながら言った。


「恥じ入らないで。そんなあなたがわたくしは、好きになってしまったのです」


 まっすぐな愛の告白に顔をはね上げて、トラーオはイリスを見た。

 わかっていた、これは演技だと。

 だが、高鳴る胸を止められない。

 絵画や物語のなかから抜け出してきたように美しいイリスの微笑みと言葉に、心が、身体が、反応してしまう。

 じっとり、と対岸から粘り気のある怒りのオーラを含んだ視線がなければ、このまま唇を奪うくらいしてしまっていたかもだ。

 もちろん、視線の主はセラである。

 

「妬けるねえ」

 メナスがしれっとまぜっかえし、場が三度、和んだ。

 

「いや、バートン、あなたの息子さんは実に礼儀正しい。テーブルマナーも完璧だし、上位者への礼もかかさない。それだけではない。ご婦人方も、ドレスの着こなしから礼儀作法まで、堂にいったものだ。これは付け焼き刃でできることではない。訓練を繰り返さなければ身に付かないことだ。どこかで宮廷作法に通じるような経験をなされたのか? これはバートン、あなたの家の教育ですか?」

「ワイン商という商売柄、高貴な方々に謁見したり、会食の場に招かれることもあります。そのときのため、恥をかかぬため、また、無礼な客が紛れ込んでいては、お招き頂いた家の主にも恥をかかせることにもなりますゆえ」

「なるほど、りっぱな心がけですな」


 やわらかな口調、おだやかな話題に見えて、これは実に厳しい指摘だと認識しながらバートンは切り返した。

 

「すいませんね、作法をわきまえないオマケがついてきてしまって」


 ひらり、とメナスがおどけて見せる。

 バートンには、なぜかこの男が矛先を逸らそうとしてくれているように思えた。


「いえいえ、キャプテン・メナス、あなたのそれも一見そうは見えないほど崩されているが、その振る舞いの根底には、洗練された基本が骨子としてしっかりと通されている」

「まあ、船長という役職上、高貴な方々との謁見や、」


 バートンの口上をそのまま繰り返そうとしたメナスの瞳を、ルカの微笑みが捉えた。

 おとぼけですか、とそう聞くような態度だった。

 

「あー、やれやれ、どうやら皇帝陛下にはヘタな嘘は通じんようだぜ」

 前菜用のカトラリーを放り出し、メナスがルカに向き直った。

「わかりやした。このメナス、出自の秘密、腹ァ割って話しやしょう」

 なぜか伝法な口調になり、メナスは言った。

「じつは、このメナス、かつての大動乱で滅んだ亡国の王、そのご落胤らくいんなんでござんす」


 その告白に場が静まった。

 ただひとり、メナスの同伴者であるビオレタだけが「またか」という様子で、黙々と前菜を食している。

 

 しらじらとした空気が数秒、場を支配した。

 おほん、と咳払いしたのがノーマンだったか、バートンだったか、ルカのものだったかは、わからない。

 

「しかし、どれほど商人としての目が利こうとも、いま、このときにトラントリムを目指されるとは」


 十字軍発動の報による東西緊張の高まりを指摘して、ルカは言った。

 メナスの告白は冗談だと処理されたようだ。


「厳しい、と他の者たちが尻込みするなかを潜り抜けてこその商いでもあります。わたしもそうして財をなした」


 そのやりかたを、末の息子に叩きこんでおきたいのです。 

 そう力説するバートンのセリフは、じつはそうおかしなものではない。

 いまだ長男が親の遺産相続では、もっとも優遇される時代のことだ。

 土地が分散しすぎると細切れになり、最終的に家の没落を招いてしまう。

 ワイン農家などでは、これはもう死活問題である。

 なにしろ、一メテル先とこちらで、出来上がるワインの味がケタ違いに変わる。

 そういう理屈であり、また、現実であった。

 だから、次男以下の兄弟たちは己で生活の道を切り開かなければならない。

 

 若き騎士見習い:トラーオの役どころは、長男と次男、三男とその家族が共同経営することとなったブドウ農園と醸造蔵が生み出すワイン、その販路を確保・拡大するため修業中の身である歳の離れた母親違いの四男だというものだった。


「多少荒っぽくとも、こやつを一人前の男にせにゃなりません」

「では、そのワインの販路にわたしがなりましょう」


 ゆえに、もうこれ以上旅をなさる必要はない、とルカは告げた。

 破格の、そして、あまりに急な宣言だった。

 さすがのバートンも一瞬、言葉に詰まる。


「これほど素晴らしいワインの作り手と、その将来を背負う未来ある青年をわざわざ危険な場所へ送り出すことは、わたしにはできにない」


 自らも天才的なワイン醸造家であるルカの言葉には、重みがあった。


「それでも、わたしたちは行かなければならないのです」


 だが、ルカの説得力ある提案に反駁したのは、バートンではなかった。 

 未来ある青年、そう名指しされたトラーオである。

 対岸でセラが、バートンが目を剥いている。

 ヒュー、とちいさく口笛を吹いたのはメナス。

 ノーマンは無言でことの成り行きを注視している。

 けれども、その瞳にはトラーオの言動を咎めたり、不信視するような気配はない。

 信じているのだ、彼を。

 

「親愛なるルカ、ボクは、いえ、わたしはこれまで兄たちの庇護の下で生きてまいりました。兄たちは腹違いのボクを、特別扱いすることもなく、あたりまえのように兄弟として接してくれた。いや、それ以上だ。読み書きを教え、礼儀作法を教え、世の道理と戦い方──ルカ、あなたが褒めてくれた、いままでのボクを構築してくれたのは、兄たちだ」

 だけど、とトラーオは言った。

「だけど、ボクは、もうその庇護の下から出なければならないんだ。一人前の男として。イリスの夫として。責任をまっとうできる男にならなければならない。あなたの申し出は、限りなく魅力的です。でも、それをただで与えてもらったら、そのまま帰ってしまったら、ボクは、ボクは、もう一生、一人前の男にはなれない気がする。これは、自分で掴まなくちゃいけないことなんだ」


 血の通った、切れば鮮血の吹き出すような言葉だった。

 

 このとき、トラーオの脳裏にはカテル島での日々が過っていた。 

 トラーオは戦災孤児である。

 その歴史上幾度もあったオズマドラ帝国の侵攻で、両親を亡くした農家の息子だ。

 それをグレーテル派の修道僧たちが引き取り、食事と住む場所、教育を与えた。

 トラーオはそこで騎士見習いを志願した。

 カテル病院騎士団の騎士位任命権は同じくカテル島大司教が持つ。

 家柄、血統など問題にしない。

 他国のそれに比べれば、叙任の可能性はずっと高かった。

 

 だが、トラーオが騎士になりたいと強く願ったのは、アラム教徒への敵愾心・復讐心からではない。

 彼を動かしてきたものは、敵兵を蹴散らし命を救い、戦災孤児として路頭に迷うはずだった自分を拾い上げ、なに不自由ない暮らしと、高度な教育を与え養い育ててくれたカテル病院騎士団への報恩の心。

 それに報いたいとの一心からだった。

 

 己に教えを垂れてくれたすべての人々を思って、トラーオは言った。

 もちろん、そのなかにはノーマン、イリス、アシュレ、そして、セラの姿があった。

 

「なるほど」


 トラーオの言葉に、深く頷いたルカはひとこと、それだけ言った。 

 いつのまにかテーブルの上の皿はメインディッシュに差しかかっている。

 素材は赤雷鳥。

 野鳥の仲間で、西方諸国では貴族以外が口にすることを禁じられている鳥だ。

 鳥類とは思えぬほど濃厚な薫りとかすかな苦味、そしてコクのある肉を有する。

 寒冷な高地にその生息圏を持つ鳥だ。

 カテル島ではもちろん、ここヘリアティウムでも、まず滅多にお目にかからない食材だった。

 

「トラーオ、あなたの決意、その素晴らしい志はわかりました。素直に称賛したい。しかし、人間は生きていてこそ、です。どのように立派な志も、生きて最後まで貫き通さなければ絵画のなかのパンに等しい。貫けないなら死んでしまえ、というのでは、これは相当に無責任な話だ。夢想家に等しい。あなたはまだお若い。奥さまを得られたばかりでしょう。そんな無謀を試みてよいはずがない」

「それでも、ボクは──それにトラントリムはまだ、安全なのでしょう。まだ、チャンスはある」

「そこまで頑なに主張されれば、なにか、よほどの事情があるのではないか、としかわたしには思えなくなる。己の志を証明するためにだけ、むざむざ、危険に飛び込もうという人間の言動と、あなたの、いや、あなた方の立ち振る舞いは、あまりに違いすぎる。なにか、そう、命と引き換えにしてさえ成し遂げなければならぬ使命を負った騎士のようです、トラーオ?」


 トラーオは熱くなっていた頭に冷水をかけられたかのような感覚を味わった。

 ルカは、しかし、それ以上、トラーオを追求したりしなかった。

 逆に、己の手のうちを明かした。

 正々堂々と決闘に挑む騎士のように。

 

「では、なぜ、わたしがあなたを引き止めたいのか、その理由をお話ししましょう」

 テーブル上の赤雷鳥のロティを優雅な手つきで切り分けながら。

「どうです。見事なモノでしょう? これほどの赤雷鳥は、まず、滅多にヘリアティウムで入手することはできません。皇帝のわたしが言うのですから間違いない。それが今日、十羽以上も届いた。木箱に雪とモミの葉を敷き詰めたところに入れられ、つい先日。わたしの古い友人からの贈物です」 


 その友人は、この素晴らしい食材以外にも、貴重な情報をもたらしてくれました。

 ルカは肉の一切れを、その焼汁ジュをうまく使ったソースに絡めて食した。

 

 皆さんもどうぞ。

 そう促す。

 開けられた三種類目の、これもどこか獣的な薫りを持つ赤ワインと良くあった。

 年経た赤ワインのなかには、誤解を恐れずにいえば、どこか臓腑や糞尿のニュアンスを感じさせるものがある。

 だが、そのマリアージュ(※注:食材とお酒が調和し高めあう現象)に、今度はだれも声を上げなかった。

 ルカが、その落ち着いた態度のまま、全員を見渡し告げたからだ。

 

「たいへんに申し上げ難いことですが……わたしがこれから語ることは事実です。正直、わたし自身も途方に暮れている」


 そして、あまりに衝撃的な真実が、ルカの唇からこぼれ落ちる。


「我が国と国境を接しあう小国家群の雄:トラントリムが──《閉鎖回廊》に堕ちました」




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