■第二十一夜:告白と計略と
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「ちょーっとご提案なんですけどねー、美人さんおふたりにー」
イズマが、アスカとアテルイの主従ふたりに声をかけたのは、陣立について紛糾した群議の直後である。
自分たちの天幕へと戻るふたりは、不思議な親密さに満ちた会話を、互いが体験していた。
「しかし、なんだな、アテルイ。ちょっと、わたしは驚いたぞ。軍議の場で、おまえがあんな積極性を見せるとは……その……なんというか、かなり、意外だった。うん」
いつもであれば、アスカに意見を求められれば、正確な情報分析に基づいての見解を述べるアテルイではあったが、あのように、自ら挙手し、身を乗り出し、議場の中心に躍り出て己を主張することは、ついぞない人物であった。
秘書にして、情報分析官。
アスカの忠実な腹心という立場を貫いてきたアテルイである。
他の重臣たちの意見に対し、真向から反論し、己自身の立場を明確にしようとする姿に、主人であるアスカでさえ仰天したのだ。
「失礼をいたしました。しかし、今時作戦に同道する以上、己の《意志》はしっかりと主張せねば、と腹を括ったのでございます」
ご無礼つかまつりました。率直に頭をさげるアテルイに、アスカは、よい、と簡潔に許しを与える。
「しかし、なんというか、あの割り切りかた、主張の潔さは、いっそすがすがしいものがあった」
つづけてアスカの口から漏れた「あー」というため息に、こんどはアテルイが目を丸くする?
「どうなされました? おかげんでも?」
「えー? あー、加減は悪くない。いや、ちがうか。たしかに、胸の内が気持ち悪い。ちょっと後悔をしておるのかもしれん」
「後悔? アスカさまが、ですか? めずらしいこと」
「おまえ、ちょっと、性格が悪くなったか? いや、そっちが地金か? あー、くそう。わたしも素直に言えばよかった」
「もしかして、わたくしが陣立てにおいて主張したこと、ですか?」
「んー、いや、そのう、なんだ……パーティー編成の内訳は、おまえの主張が全面的に正しい。これまでわたしが育て、わたしを慕って集まってくれた砂獅子旅団を、わたしが率いるのは当然のことだからな。情報収集と連絡能力、そして兵站的・継戦能力に欠けるアシュレたちにとって、おまえのちからが必要だ、という主張は全面的に正しい。うん、どう考えても正しいんだ」
それなのに。わかっているのに。珍しく首を横に曲げて、しなびた青菜のような姿をアスカが見せる。
頭頂を飾る壮麗な帽子とターバンの重みに負けてしまったように。
気高きこと、空を征くハヤブサのごとし、と比喩されるオズマドラ第一皇子:アスカリア・イムラベートルのこの姿を、後の世の歴史家が見たら、いったいどう思ったことだろう。
くすり、とそんな主の姿に、アテルイが苦笑をもらしたのまた、歴史的事件ではあったのだ。
「なにがおかしい!」
「アスカさま、ご自分でおわかりになられないのですか? その胸の悪さの、胸やけの理由が?」
「お、お、おまえにはわかるというのか?!」
「いつも、シオン殿下には、ご自分が指摘してはからかってらっしゃるのに。……ほんとうに、ご自分の心の動きには、疎い方。そこが、愛しくて、たまらないのですが。アテルイとしては」
くすり、ともういちど笑い、アテルイは目を細め、瞳には慈愛をたたえて、姉のようにアスカの両肩を掴んで言った。
「それは、悋気。おんなの嫉妬でございます」
おっ、おっ、おっ、おんなのしっと。
指摘されたアスカは目を丸くし、呆然と瞳を宙に泳がせた。
「こ、この、わたしが、か」
「アシュレダウを、ほんとうに愛してしまいなされたのですね」
そして、予期せぬ言葉=アシュレの名前が胸に届いたとき、アスカの表情に劇的な変化が起きた。
ぼろり、と大粒の涙がラピスラズリ色の瞳から、ぼろり、とこぼれたのだ。
つづけて、うわあああああああああん、という子供のような泣き声までまでもが。
あまりの劇的変化に、こんどは当のアテルイが飛び上がった。
「アスカさま、アスカさま!」
「そうなのだ、そうなのだ、アテルイ。おまえのいうとおりなのだ! いっしょに、いっしょに、いっしょにいきたかったあああああああああんんん! うわああああああん!!!」
乾性な気質の持ち主であるアスカは、己の感情や激情を、本来的には隠さぬタイプである。
部下の前や、宮廷生活ではともかく、プライベートな空間ではその激しい発露を、まさしく身を持って受け止めてきたアテルイである。
かつては、その激発や無聊を言葉と肉体で慰めるのは、アテルイの仕事だったからだ。
だが、このようなアスカの、乙女心の噴出を見るのは、これが初めてであった。
「どうしたらいい、どうしたらいい。アテルイ、おまえやシオン殿下がうらやましいのだ。これはどうしたらいいのだ!」
まっすぐな乙女心の告白に、しかし、アテルイは気休めでは応じなかった。
「アスカさま。では、わたくしもはっきりと申し上げます」
居住まいを正し、まるで対等の友であるかのように取り乱す主人の肩を掴んで、アテルイは言った。
「わたくし、アシュレダウこそ、我が夫になるべき方だと定めました」
衝撃的告白に、アスカの涙と嗚咽が一瞬で止まった。
な、なんだ、と……とうめきに似た声が、もれた。
「アシュレダウこそ、我が夫になるべき方です」
けれども、アテルイはたじろかなかった。
むしろ、先ほどよりももっと強く、ハッキリとした言葉で、繰り返したのである。
「たしかに……たしかに、焚きつけたのは、わたしだが……」
「まつぼっくりにひがつきました」
アテルイ、それは、やきぼっくい(一度焼けて炭化した杭のこと。炭化しているため火がつきやすい)の間違いだぞ、とツッコミたいところだが、たぶん、彼女も精神的にかなり高揚しているのだ。
簡単にいえば、これがアテルイの恋の暴走:乙女チックマニューバなのである。
「わたくし、不肖、このアテルイ、アシュレダウの権利、我が神:アラム・ラーの定められました正典に記されているとおり、四人の妻のうちひとりに、どうしても加えていただきとう思います」
んがっごっごっ。
アスカの喉がおかしなサウンドで鳴った。
それはそうであろう。
これまでさんざんぱらアテルイに無理難題を押し付け、アシュレとくっつけては煽ってきたアスカにとって、この状況は予想外、そして、あまりの急展開であったはずだ。
「本気、なのか。おまえ」
「本気と書いて、マジ。親友、と書いてマブ。恋敵、と書いてアスカさま、でございます」
なんと恋とはおそろしいことよ。
哲学的盲目である。
「わたくしは、はっきりいって、後発の女でございます。シオン殿下や、アスカさまのような美貌も異能も才覚もございません。聞けば、イリスベルダなる正妻も、相当の美貌とか。それに、まだ、て、てっ、手も、つけていただいて、お、おりませんし。ですから、そのぶん、積極的にあの御方に尽くし、目に留めていただきとう思うのです!」
げげえ、と己の口からもれ出た皇子らしからぬサウンドを、アスカは手で覆って封じ込めた。
アテルイの気迫と、それが生み出したであろう燃え盛る炎のイリュージョンに圧され、のけ反ってしまう。
「で、ですから、そのっ、こ、こんかいの行動には、もちろん、戦略的・戦術的裏付けはキチンとありますがっ、ええと、そういう、わたくしの、ですね?!」
ぐるんぐるんと、瞳のなかで《スピンドル》を回転させながら詰め寄るアテルイの姿は、アラム・ラーに付き従うという天使のごとき神々しさと、完全にトリップしてしまったマンだけが持つ、不可侵のパワーがあった。
「ガンガンいかせて、いただきます。むしろ、いっしょに、いこうぜ?」
主に対して宣戦布告をしたとも取れるこの発言に、とうぜんだがアテルイ本人も錯乱しているのである。
しかし、恋のパワーは止まらない。
ショーマストゴーオン。
犬が吼えても、アテルイはいく。
「つ、つまり、ですね。あ、あ、アテルイは、もう、これに関しては、じ、自分に素直に生きたいと、思うたのです」
我に返ったのだろう。
アスカの足元に身を投げ出し、許しを乞う臣下の礼のカタチで、アテルイはかしこまった。
「そうか……そういうことか」
頭上から降ってきた虚ろげな主の声に、上気してかいた汗が一瞬で冷えるのをアテルイは感じた。
そんな自由が自分にはないことを知りながら、それでも行動に出たアテルイの行いを、アスカはどう捉えたであろう。
不興を買うかもしれなかった。
それは激怒を持って、アテルイに返ってくるかもしれなかった。
けれども、この想いをなかったことにして生きてはいけない、とアテルイは思ったのだ。
どうせ、いつかはヒトは死ぬ。
それどころか、これより赴くトラントリムは《閉鎖回廊》。
まさに死地、である。
全員が生きて帰れる保証など、どこにもない。
だからこそ、いま、このとき、己の心にまっすぐに生きるほかない、とアテルイは決めたのだ。
そして、そうであればこそ。
主としてのアスカリアに心酔し、身命を賭して仕えてきたからこそ。
正直に、伝えねばならぬ、と思ったのである。
己の恋心と、想い人のことを。
しゅ、と独特の駆動音がした。
ぎゅっ、と踏まれた土が唸るように鳴る。
アスカの両脚を成す純白の装具:〈アズライール〉は、軋みなどあげない。
死の天使と同じ名を頂いた《フォーカス》は、人間の命など麦の穂を刈るよりたやすく消し飛ばす。
冷えた汗に震えるアテルイの目と鼻の先に、それがあった。
アスカが屈みこむ気配がして、肩を掴まれた。
びくりっ、とアテルイの肉体が強ばる。
しかし、降ってきて言葉は、優しく、慈愛と理解に満ちていた。
「あいわかった。アテルイ、面を上げてくれ。よくぞ話してくれた」
おそるおそる顔を上げたアテルイが見たのは、これまで向けられたことのない晴れ晴れとしたアスカの笑顔であった。
のちに理解に及ぶのだがそれは、同じ男を好いた、そして、人生を賭けてその恋の成就を願った親友に対して向けられた笑顔であった。
「それでは、たったいまより、このときより、おまえとわたしは、同じ男を愛した恋敵、というわけだな。もちろん、主従でありながら」
「は、はい。アスカさまのおっしゃるとおりです」
「はっはっはっ。なんと、なんと豪儀なことではないか! よい、おもしろいぞ、アテルイ。我が人生は、ここにきて、俄然おもしろい!」
そして、みとめるぞ、アテルイ!
おまえを、恋敵と。
そして、ねがうぞ、我が恋敵よ!
おまえの恋の成就を!
「ともに競おうではないか。覇を、な?」
心の底から晴れ晴れとして、快活に笑うアスカに、アテルイは心揺さぶられてしまう。
ああ、この方は、王なのだ、と。
このヒトに負けないような恋敵でなければ、ならないのだ、と。
「ともかく、今回の件、あいわかった。許そう。たしかに、わたしやシオン殿下、あとイリスベルダ相手に、後発のおまえには策を弄する必要があった。公平性からいっても、これは当然であろう。第一撃目を許す!」
さあ、立て。
そういって、手ずから立たせてやり、ついた土泥を払ってやりながら、アスカは笑った。
「しかし、なんだな。そうかんがえると、けっこう強力なライバルだな、おまえは」
ハヤブサに揚げパンをさらわれぬようにしないとな? そうやって笑う。
「アスカさま、僭越ですが、それ、トンビだと思いますよ?」
そして、こちらもすっかり調子を取り戻して、アテルイが答える。
「しかし、アレだな。それでは、今後は楽しめなくなるわけか、アテルイの味を」
「たとえ、恋敵となっても、アスカさまとの関係が壊れるわけではございません」
「妻同士が愛人関係でもある、というのはどういうものなのかな。どっかに書いてあったか?」
「さすがの我が神も、そこまではお見通しではないかと」
「ふーん、それじゃあ、やきもきさせられたり、泣かされた仕返しだ。今夜はたっぷり楽しませてもらおうかな?」
「お使いいただけるのですね? うれしゅうございます。じつは……さびしゅうございました」
「愛いヤツ。どちらが主か、思い出させてやろう」
「てひどく、あいして、いただきたいです♡」
と、そんな百合の花が背景にイリュージョンする雰囲気で、だったのである。
イズマが声をかけてきたのは。
「ちょーっとご提案なんですけどねー、美人さんおふたりにー」というのは。
さすがのイズマ。
くうきよみひとしらず、である。
「な、なにかな、イズマ殿?」
さすがに動揺した様子で、暗がりから出てきた男にアスカが応じた。
「いんやー、じつわ、ちょっと策がありましてねー。あの席では言えなかったんだけれども」
アスカとアテルイの間に醸成された親密な空気を意にも介さず、へらへらといつもの調子で笑いながら、イズマは用件を話した。
どーしても、内々じゃないとこまるんですよねー、とふたりに耳打ちして。
「……とまあ、概略をいうとこういうことなんだけれどね?」
イズマの耳打ちに、アスカとアテルイは互いに顔を見合わせあう。
「妙案とは思うが……なぜ、あの場で提案しなかった?」
アスカからのもっともな問いに、イズマはまたも眼帯を掻く。
「んー、敵を騙すには、まず味方からって言葉、わかってもらえるかナー?」
斜めに目を流しながら言うイズマに、アスカは笑う。
不敵に。
「ふふ。なるほどな……おもしろい」
その話、乗ろうではないか。
即答する。
「さっすが、アスカリア皇子殿下。通りが早くて助かるよ」
「しかし、この案、なぜ、わたしとアテルイなのだ?」
「あーそれはですねー。この技、親密なふたりじゃないと前提条件を満たせないのよ」
そっぽを向いて話すイズマは、もしかしたら、さきほどまでのアスカとアテルイの会話を、どこからかは聞いていたのかもしれない。
「なるほど。納得だ。処置は?」
「すぐにでも。ぜんぶ準備持ってきたし、助手も来てる」
「手回しのいいことだ」
「仕込めるものは仕込んどかないとね。《閉鎖回廊》でオーバーロードを相手取る、ってーのはそういうことだから」
こんどは不敵に笑い返してイズマが言った。
それでは、せいぜい親交を深めるとするか、とアスカも応じて。




