■第二十夜:嵐の前に(2)
「アシュレダウ・バラージェを、指名させていただきたい」
胸を背後から射貫かれたように、大仰な礼の仕草でイズマは前のめりに倒れた。
全身を硬直させたまま、奇跡のような格好で、額から。
一方、場から上がった声は、そのほとんどが、賛意であった。
アシュレの戦士としての実力は、リハビリを兼ねた練兵時に、その場の居合わせた全員が体験していた。
そのうえ、あどけなさの残る少年のような騎士が、肉体に帯びた凄絶な傷跡も目にしている。
明らかに致命傷であったであろう傷痕が、そこにはあった。
二度にわたる《閉鎖回廊》でのオーバーロード戦、特にフラーマ戦でアシュレは一度、胸郭を爆ぜさせている。
そして、カテル島を襲った月下騎士団と土蜘蛛の暗殺者ふたりを相手取り戦った際に受けた誉れ傷。
さらに、ユガディールとの直接対決を経てなお生還した男。
──加えて、戦士たちひとりひとりに正対し、熱意と理路整然とした論理展開でもって情理の両面から訴えかける彼の姿に、東方の騎士と謳われたオズマドラ帝国皇帝:オズマヒムを理想と仰いで集まった彼ら、つまり、アラムの騎士を自認する男たちは、信教の垣根を越えた尊敬を抱きつつあったのだ。
「ひ、姫、な、なぜ」
地の底から、死にかけたセミのような声がした。
イズマである。
途端にどっと爆笑が巻き起こったのは、いたしかたの無いことであろう。
定番のリアクションは二度行えば蛇足だが、三度を超えればもはや様式である。
お約束、といえばわかりやすいだろう。
だから、アスカが上座のクッションから浮かしかけた腰を下ろすのを目にすることができたのは、他でもない発案者のシオンだけだった。
当のアシュレはおろおろしながら場の中央に引きずり出されるカタチになっていたし、イズマは立ち直るまでに時間がかかりそうだった。
そのあいだ、シオンとアスカは固く視線を絡ませ合った。
敵意はなく、ただ、真剣な熱意だけが込められた、それを。
「では、残された者たち、つまり、我々は、どのような行動を取るのか、シオン殿下、ご説明いただけるか」
笑いが鎮まるまでにはしばらく間が合った。
アスカが浮かせかけた腰を下ろし、皇子としての威厳を取り繕うことができるほどには。
這うような格好で場に引き摺り出されたアシュレが立ち上がり、シオンのかたわらに立って一段高い場所にいるアスカを見上げた。
アスカの青い瞳が一瞬、動揺していたように感じたのは、気のせいだったのだろうか。
「アスカ殿下には砂獅子旅団の精鋭とともに、トラントリム辺境で現在、廃虚となっているギルギシュテン城地下に残された《フォーカス》:〈ログ・ソリタリ〉の破壊を最優先事項としていただきたい。その後、もし可能ならば、合流を果たし、ともにユガディールとの対決を」
シオンは淀みなく己の作戦概要を告げた。
「オーバーロードとなったユガディールの《ちから》の根源は、同名の巨大な《フォーカス》、〈ログ・ソリタリ〉から供給されている《ねがい》です。これを断つことが、オーバーロードを撃滅する第一の条件です」
シオンの簡潔な提案を補足するように、アシュレが言った。
「オーバーロードには様々なバリエーションが存在しますが、ユガディール=〈ログ・ソリタリ〉はかつての降臨王:グラン・バラザ・イグナーシュと同様、《フォーカス》が吸い上げる《ねがい》を己のエネルギーとして活動する個体です。
その供給があるかぎり、塵からでも復活する。供給源としての《フォーカス》を完全に破壊しなければ、撃滅は困難です」
そして、一対であった〈ログ・ソリタリ〉の片方は、すでに半壊状態にあります。
アシュレは言葉を続けた。
「アスカ殿下の《フォーカス》、神器:〈アズライール〉がそれを可能にした」
おおっ、とアシュレの断言に戦士たちがどよめいた。
己らが主君:アスカリアが、廃神:フラーマの漂流寺院より奪還せしそれが、確かな《ちから》を発揮したのだと語られれば、否応なく戦意は上がる。
それも、太鼓判を押すのが、生還の英雄となれば、だ。
けれども、その言葉に反論するものがあった。
他ならぬアスカ、本人だった。
「またれよ、アシュレダウ。誇張は困る。〈ログ・ソリタリ〉を半壊させることができたのは、貴公の能力と《フォーカス》:〈シヴニール〉の力添えがあればこそ。わたしひとりで成し遂げた功績ではない」
それは謙遜ですらなく、至極まっとうな分析的な見地からの言葉であった。
しかし、同時に、別の想いがあることをアスカは認めざるをえなかった。
どうしようもなく、いっしょにいたいのだ。
いままでに、アシュレのことを想っていなかったかといえば、そうではない。
ただ、己の立場と公務、それとアシュレへの想いを混同し、見誤るようなことはなかったはずだ。
これほどに心乱れ、焦がれるようなことはなかったはずだ。
いままでなら。
だが、あの一夜がすべてを変えてしまった。
シオンを救うため、消耗し切ったアシュレにアスカが契約を持ちかけた夜だ。
真騎士の乙女の血を受け継ぐ者として、だ。
文字通り、ふたりは契った。
そうして、アシュレに己が《ちから》を分け与えながら、アスカは思い知ってしまったのだ。
本気になってしまった。
本当に、アシュレを好いてしまった。
もう、ごまかしようのないほどに。
公務の関係で、数日会えないだけで、気が狂いそうになる。
これほどつらく、甘く、切ない想いを経験したのは、初めてだった。
恋をしていた。
だから、シオンの立案をもっともだと理性では聞きながら、感情がそれを認められずにいた。
「ましてや、ギルギシュテン城は敵の拠点でもあった場所だ。あの汚らわしい獣たち──インクルード・ビーストも徘徊している。わたしだけでは……」
「ひとりでなど、向かわせない」
どこかいい訳じみた調子を帯びはじめたアスカの言葉を、シオンの明快な声が遮った。
「アスカリア王太子殿下におかれては、砂獅子旅団精鋭から選り抜きの《スピンドル》能力者を、そして、このイズマを随伴されたい」
シオンは、まだ極上の絨毯を挟んでとはいえ、なかば床にめりこんだままのイズマを指さした。
「アシュレダウの〈シヴニール〉のような超攻撃的な《フォーカス》は携えぬとはいえ、このイズマの異能・才能は当代の《スピンドル》能力者のなかでも傑出している、とわたし、シオンザフィルは評価している。
聞けば、我々がトラントリムでの死闘を繰り広げておる間に、こやつも死地を潜り抜けてきたという。その道程で左目を失うも、強大なしもべを召喚獣として得たとも言う。充分な戦力となろう」
アスカが砂獅子旅団旅団から、戦闘能力に特化した女戦士:コルカールと、密偵としての能力に加え、老練な策略に通じたナジフ、そして側近であるアテルイを伴うであろうことはすでに織り込み済み、という口調でシオンは言った。
む、とアスカが唸った。
シオンの提案はもっともだった。
アシュレはもとより、シオンと邂逅する以前から、イズマはオーバーロードたちを相手取り戦い続けて来た最古参の戦士である。
たとえ、そのキャラクター性がどれほどふざけていようと、本当にマヌケな男が数百年に渡る死闘の日々を潜り抜けられるわけがない。
人類の戦士が十年も現役を務められれば上出来なのだと考えれば、これは驚異的な戦闘経験値である。
そこに、もっとも信頼する、とアスカ自身が認める砂獅子旅団の最精鋭たちを加えてなお、不足だ、などと言い募ろうものなら、これは司令官として、君主としての器を疑われる。
丸め込まれてしまった。
そう、アスカは内心、ほぞを噛んだ。
シオンの主張はもっともなのに、なぜか涙が出てきそうだ。
「あー、ほんじゃ、お目付け……もとい、いざって時の伏兵的な意味で、エレには姫とアシュレに同行してもらおうかなー」
地の底から響くようなうふふ笑いとともに、イズマが不屈の精神で這い上がりつつ言った。
個人的には采配に対して明らかな不満があるであろうに、の発言である。
なんにせよこれで決ったと思われた戦力分配に、しかし、意外なところから待ったがかかった。
異論を挟んだ人物に全員が仰天した。
なんと、異議を唱えた人物とはアスカリアの補佐官、アテルイだったからである。
「わ、わたくしも、わたくしも同道いたします!」
これにはナジフ老がひっくり返った。
「な、なにをいうか! オマエには、殿下の補佐官としての仕事が!」
「ティムール殿とナジフさまがいらっしゃれば問題などありません! ですが、現在の編成ではアシュレ殿側のパーティーは遠隔での情報伝達ができないのではないですか? アシュレ殿も、シオン殿下も戦闘能力については並ぶものなしとはいえ、また、エレヒメラさまも土蜘蛛の戦技の達人ではあっても──通信伝達能力はいかがです?」
本来なら立場的にもナジフに対する反論などあってはならぬはずなのだが、このときのアテルイは違った。
「たしかに、あまり得意とは言えんな。どちらかといえば、その能力は妹:エルマの分野だ」
「でしょう? そうでありましょう?」
エレの独白めいた返答を聞き逃さず、アテルイは畳みかけた。
「さらに、少数での強襲作戦とならば……その間の兵站はどのようになされるおつもりで?」
「いや、シオンの《シャドウ・クローク》に入れてもらって、食料や飲料水、あと天幕も」
「では、お食事は? 国家への進攻作戦となれば、日帰りなど望めませんよ? どなたが担当するのですか?」
え……いや、ボク?
選抜したメンバーを見渡した後、アシュレがおずおずと自分を指さす。
「三人分のお食事、その毎回の準備がどれほど大変か……ご存知ありませんの?」
「いや、最低限で」
「春間近とはいえ、まだまだ冷える野外、キチンと食べなければとても持ちません!」
戦士たる者! 軍旗を担ぐなら、まず、食事を軽んずるべからず!
はきはきと、アテルイが言う。
あまりに明晰な断言に、アシュレもたじたじとなる。
たしかに、兵站部門に関しては短期決戦を意識するあまり、考えがいたらなかった部分がある。
「シオン様だってそうです。保存食で“夢”は充分に補充可能ですの?」
今度はシオンに問うた。
「充分とはお世辞にもいえぬ、というのが正直なところだ」
正直にシオンは答える。
「わたくしの手料理はいかがでしたか?」
「記憶のなかの五指に入るよ……ちと、熱すぎるが。高揚してしまう」
どこか、苦笑を含んだ声でシオンは言った。
食事に含まれる“夢”を味わう夜魔である。
このとき、あの素晴らしい食事の数々に込められた愛情は、主君であるアスカリアにだけ向けられたものではない、とシオンだけは気づいたのかもしれない。
熱い、とはつまりそういうことであろう。
「キマリ、ではございませんか?」
「しかし、オマエ……戦技は得手ではないだろう?」
あきれたようにアスカが言った。
けれども、それにさえアテルイは切り返したのである。
「それこそ、御三方にしっかりエスコートしていただきますし……足手まといになるようならば……自刃する覚悟です」
なにがあってもついていく。
そういう決意が、言葉と双眸から迸っていた。
アテルイは濡れた熱い視線をアシュレへと注ぐ。
いかに、と。
なにが、この冷静沈着で鳴らした補佐官にそうさせたのか。
自然、アシュレの顔へと場に居合わせた全員の目が集まった。
「うぇ? あ、アテルイさん?」
この作戦の実質的な立案者に裁可を求めている……だけではないだろう熱視線に、アシュレはたじろく。
これはまさか、公開告白なのでは……そう思いいたってしまったアシュレの頭脳は、明晰なのか鈍いのか。
動転するアシュレの背後から、決定打を放ったのはイズマだった。
「いーんじゃないのー。連れっていっておやりよ、アシュレくん。分別ある大人の女性がそこまで言うのはよっぽどよ?」
含みのあるニヤニヤ笑いが張り付いていた。
仲間はずれにされたことへの報復なだ、これわ、とアシュレはその笑みの意味を理解した。
大人げないとは、まさにこのことである。
「ハーレムパーティーに翻弄されるがイイッ!!」
爪先立ちになり、両手をあげるおかしなポーズで指さしてくるその様は……なんだろうか。
女のコにちやほやされる友人をからかう子供のような、そんなマニューバだ。
「どんなに離れていても、わたくしはイズマさまだけのものですゆえ」
エレの一言が駄目押しだった。
アテルイの瞳は微動だにしない。
また、なにかを察した様子のシオンもまた、じっとアシュレから視線を外さない。
別動隊となったアスカの瞳だけが、揺れていた。
そして、アスカの様子をめざとく察知したイズマの口元が、にやーりと三日月型に弧を描く。
なんにせよ、これでトラントリム攻略の部隊編成は決した。
アテルイは自らの席を勝ち取ったのである。




