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■第十九夜:嵐の前に(1)


 さて、このようにアシュレたち一行と、オズマドラ帝国:砂獅子旅団の混成部隊による編成はスムーズに進行しているようにみえたのだが、実際には、そうではなかった。

 

 紛糾したのは陣立て、いや、正しくはメンバー編成である。

 

 春の到来とともにトラントリムを訪れるため、国境ギリギリで幕屋を張る商隊の一団がある。

 その春一番の来訪者との取引きには、ご祝儀的高値がつくのが、このあたりの交易の習わしだ。

 だれしもが長い冬が一日も早く遠のいて、春が勝る日を楽しみにしている。

 イクス教徒だろうが、アラム教徒だろうが、その別はない。

 それは宗教的には対立していても、ヒトの営みには交流と交易が必要不可欠な現実があることを示している。

 

 トラントリムからは鉱山から切り出された岩塩やローズ・ウォーターを、アラム圏からは香辛料や茶、小麦などを互いが交換することで、相互の利益と存続を担ってきた歴史が存在するからだ。

 そして、アラム教の商人たちはその才覚でも知られていた。

 

 つまり、春の訪れをまんじりと待つのではなく、その先触れのように国境周辺で待ち受ける、というやり方をする、ということだ。

 だが、その年、先陣を切って幕屋を張った一団は、商人たちではなかった。

 

 巧妙に偽装され外見こそ商隊の姿をしていたが、約一〇〇名からなる集団の正体はオズマドラ帝国所属、第一皇子:アスカリア・イムラベートル旗下の独立部隊:砂獅子旅団であった。

 

 皇子:アスカリア=アスカは、千二百名からなる砂獅子旅団の全軍を動かさなかった。

 新規で傭兵を雇い入れる増強案もない。

 そのかわり、街道の箇所箇所に中継地を作り、そこに十騎ずつを配する方法を採用した。

 軍団の七割は貿易都市:ジラフ・ハザで待機を命じられている。

 これは情報伝達の速さと兵站、また、万が一のことを考慮した采配であった。

 

 そのうえで、アスカは選抜した精鋭一〇〇名さえ、トラントリム侵攻作戦には随伴ずいはんさせぬことを決めた。

 これは、オーバーロードとその封土たる《閉鎖回廊》への進軍に際して、アシュレ、シオン、イズマの進言を聞き入れた結果である。

 

 もちろん、ひと悶着もんちゃくも、ふた悶着もんちゃくもあった。

 

 だが、主君であるアスカの鶴の一声、そして、兵からの指摘や質問が上がるたび、ひとりずつを指さし、感情と現実をていねいにより分けて、真摯に進言の意味を説いたアシュレの努力が身を結んだカタチだった。

 

 己の権限とカリスマで兵を率いるタイプのアスカとは、真逆の手法。

 身分を捨て、同じ高度からの真摯しんしな説得を試みるアシュレの姿に、いつのまにか当の兵たちまでがアシュレの肩を持つようになり、最後には反論する兵を数人で説得するような場面にまで発展した。

 

「どんな細かいことでもかまわない。ボクに説明できることなら、どんなことでも、包み隠さず、お答えする」

 アラム・ラーに誓うか、との問いに「アラム・ラーだけでなく、我が神:イクスにも誓う」と宣誓したアシュレの姿が、兵たちの感情を動かしたのだ。

 

「なんだ、おまえたち、今日から主君を乗り換える気ではないだろうな」


 アラム圏では成人男子は髭を伸ばすものと相場が決まっていて、似合わぬ偽物のヒゲを付けたアスカが呆れたように、ぼやいたくらいだ。

 もちろん、そうコメントするまでには目を丸くして驚き、そして憧憬の眼差しでアシュレを見つめていたのだが。

 アテルイなど、頬を紅潮させ放心したようにアシュレを見ていた。

 目を伏せ、ふふふ、と余裕の表情で笑うシオンにイズマが囁いたものだ。

 

「ちょっと見ない間に、えらく頼もしくなっちゃって。覇気が感じられるっつーか。ねえ、姫、まえはもっとずっと頼りない感じでしたよねえ」

 もちろん、ボクちんにはまだまだ、およびませんけどね? と自分を持ち上げることを忘れないイズマの言葉に、そうだな、とシオンは応じた。

「まだまだだ」と。


 けれども、伏せられた深い紫の瞳に宿る優しい光は、己の心の所有者としての男が、どこへ向かうと決めたのかを告げられた女のそれのように、濡れて輝いていた。

 

 そして、イズマはいつも通り、それを見落としていた。

 図太いというか、抜けているというか、安定のアレ、である。

 

 なんにせよ、そのような経緯を経て、作戦が発動したのだ。

 そして、今時作戦で鍵となるのは、やはり、シオンとその佩剣:〈ローズ・アブソリュート〉であった。

 

「わたしがいるかぎり、ユガはわたしを狙ってくるだろう」

「同時に、これまでの統計からオーバーロードは、その転生前の種族特性をかなり色濃く受け継ぐことが判明しているのだよん──キミたち、いわゆるヒト=人間を除いてね」


 軍議の席で、中央に進み出て宣言するシオンと、それに付き添うようにかたわらに座して言うイズマに砂獅子旅団各部門責任者たちの視線が集中した。

 

「ヒトがオーバーロードに転生した際の方が変化が大きいのは、おそらく他種族に比べて可塑性に関するファクターが活性状態のまま多く残されているからだと、推察されるんだなー、これまでの研究だと」


 人間というのはだから、まだだいぶ未完成な種族なんだろうねー。

 そういうイズマの不注意な発言を慌ててアシュレが補足した。

 

「可能性を多く残した種族だ、とそうイズマは言っているんです」


 砂獅子旅団式の軍議は上座に総司令官が、左右に一列ずつ上座に対して縦に家臣群が並び、挙手後、総司令官の指名を受け、発言権を得たものが中央のスペースに出て、周囲に対して己の主張を述べる、という形式を取る。

 アラム教圏一般でのことか、オズマドラ帝国にあってすべての軍隊がそうなのかはわからないが、これにアシュレは驚いた。

 末席のものは不利な場所からしか発言を許されない西方諸国の軍議より、よほど進歩的だと思う。

 こういう部分を学び取ろう、という気持ちが己のなかで、強く働くのがわかる。

 以前よりも、こういった会議に対する姿勢、とくに制度システムに対する見地が、ずいぶんと変わっていることに、アシュレは自身で気がついていた。

 

 もし、自分がこの組織の長であったなら。

 いつのまにか、自然にそう考えるようになっていた。

 

 シオンから己が王であると、領土としてのシオンを所有する正当な権利者であると認められたこと。

 なにより、それを宣言、いや宣誓したことが、アシュレに人間的な成長をもたらしていたのだ。

 

 そして、アシュレの宣誓を聞いたのは、シオンだけではない。

 これから対峙する男。

 尊敬の念すら抱いた先達であり、超越して行くべき宿敵となったユガディール。

 あの男の面前で、アシュレは言い放ったのだから。

 

 そのことを考えるとき、アシュレは、いっそう背筋を正して歩まねばならないと感じる。

 戦いではもちろんだが、国を負うという矜持きょうじにおいて、決して負けるようなことがあってはならない。


 そうでないならば、それはユガディールの選択の正統性を認めたことになる。

 つまり、絶望からいたる完全性を認めてしまうことになるからだ。

 ユガは、絶望の果てに完全管理による安寧に同意してしまった。

 

 だが、アシュレは、違う。

 未熟で、過ちを含んでいても、歩み続ける希望を信じたい。

 アシュレは己のなかに、はっきりとそういう《意志》──焔が宿っているのを感じるのだ。

 

 もしかしたらそれは、あの哀れな廃神:フラーマの漂流寺院で感得したもの。

 つまり、《魂》のなごりなのかもしれなかった。

 

 ここに来て、《魂》とは所有することの出来ぬものだ──そう、アシュレは考えいたっている。

 

 極限の一瞬にだけ現れる火花。

 それこそが、《魂》の正体。

 曖昧模糊あいまいもことした感覚ながらも、そう、なにごとかを掴んでいる。

 

 そして、その焔を体現するアシュレの分身=シオンが、己を注視するすべての人類に対して言った。

 

「ユガディールが夜魔の特性を引き継いでいることは明白だ。なぜなら、わたしはいま、この場にあってなお、ヤツの感覚域が、わたしを捉えているのを感じているからだ。

 もちろん、わたしのほうからも同様だ。こう言ってもいい──ヤツには、いまのわたしは新月の闇夜に瞬く篝火かがりびのように見えることだろう」

 

 そして、これだ。

 シオンは己の佩剣をかざす。

 おお、とそのまばゆさが座を囲む全ての者たちを圧倒し、感嘆の声をあげさせた。

 

「聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉」


 だれかが、うわ言のようにその名を呼んだ。

 東方世界においてさえ、恐るべき再生能力を持つ夜魔に対して決定的な《ちから》を有する聖剣の名は轟き渡っていた。

 そして、主君であるアスカから、シオンの佩剣については聞きおよびながらも、現実のものとして励起状態にある聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉と対峙したことは、この場にいる家臣たち全員に経験のないことであった。

 天幕の内側の温度が、一気に十度ほども上昇したかのように感じられた。

 

 実際には攻撃状態にない〈ローズ・アブソリュート〉は熱を発しているわけではない。

 ただ、使い手の《スピンドル》に反応するのだろうそれは、秘めたる能力の解放を待つように煌々こうこうと輝きを発するのだった。

 

「姫──なんてビューティフルな《スピンドル》の輝き♡」


 イズマの口から漏れたおかしな合いの手に、だれも反応を起こさぬほど、その光景を目の当たりにした全ての人々は気圧され、沈黙した。

 だれかが、ごくり、と唾を飲む音が聞こえ、それでようやく軍議の参加者たちは気がついたように現実を取り戻すのだった。

 

「この輝きを、わたしの存在同様、隠し立てすることはできまい。そして、過去の因縁から、ユガディールは必ずわたしを狙ってくる。これは間違いないことだ」


 まばゆく輝く〈ローズ・アブソリュート〉を不活性にし指揮杖のように床に立て、シオンは言った。

 

「それゆえ、オーバーロード:〈ログ・ソリタリ〉……つまり、ユガディールは、わたし、このシオンザフィル・イオテ・べリー二が引き受ける」


 つまり、陽動であり本命である、というわけだ。

 凛々しく言い切るシオンに、それはさすがに──と砂獅子旅団の面々から声があがった。

 非難してのことではない。

 むしろ真逆で、それはシオンの身を案じる心からくるものだった。 

 

「ふふ、なんだ、夜魔の公女たるわたし身を案じてくれるのか、そなたたちは」


 艶然と笑んでシオンは言った。

 

「彼らオズマドラの戦士は、いずれ腕に憶えのある猛者揃いと聞きます。そのなかでも砂獅子旅団は最精鋭。練兵風景も見せてもらいましたが、正直、この練度の戦士たちはそういるものではないと言うのが、ボクちんの感想ですねー」


 いくぶん、改まった口調でイズマが言った。

 普段がふざけているのか、冗談なのか、地なのかわからないような男なので、ほんのすこし神妙な態度で話すだけで真剣味が得られる、ある意味特な(?)人柄である。

 翻弄ほんろうされる側は、たまったものではないだろうが。

 

「そんな彼らからしたら、いかに異種族、それもこれまで蛇蝎だかつのごとく忌み嫌ってきたとはいえ、姫のような見目麗しい貴婦人をひとり、おぞましいオーバーロードの眼前に差し出せるか、ってとこでしょうよ。そんなの誇りが許さない。……ちがうかな?」


 そして、ヒトを焚きつけるのが、抜群にうまい。 

 プライドをくすぐられた数人が当然だというように頷く。

 

「ははは。そなたたち誇り高き砂漠の戦士たちから見ても、わたしは美しく見えるか? ありがたいことだ。しかし、わたしの目にはそなたたちの輝きの方が、はるかにまぶしい」


 ぐるり、と周囲を見渡してシオンは言った。

 

 こちらは世辞でも、戦意高揚のための鼓舞でもない。

 純然たる真情、まったき本音であった。

 アラムの民の気質として、本音をはっきりと言う人間は歓迎される。

 特に戦士集団である砂獅子旅団にあって、それは顕著けんちょであった。

 

 だいたいにおいて、シオンは、ほとんど初対面のアシュレが見抜いたように、本音で話し、相手を信じて懐に飛び込むことで信頼を勝ち得る人柄であったのだ。 

 シオンの声を聞く戦士たちの頬が紅潮するのがわかった。

 

 まったく、男の矜持きょうじをくすぐるのがうますぎるよ、とアシュレは思う。

 そうやってしらずしらずのうちにヒトを魅了してしまうことを、シオンは知らないのだろう。

 アシュレは、心配してしまう。

 特に、はかりごとの巧者:イズマとのコンビネーションが、聴衆の心に焼きつける印象は半端なことではない。

 シオンには自覚がないぶん、なお、悪辣あくらつなのだ。


 その心の動きを感じ取ったように、シオンがアシュレに微笑んだ。

 一瞬だったが、ふんわり、と。

 シオンが好きだ、とアシュレはその瞬間、強く自覚してしまう。

 そして、そんなアシュレの表情を、なぜだか必ずと言っていいほどの目敏さで、イズマが見つけては、にんまり、と笑うのだ。


 アシュレたちが、トラントリムでユガディールとの運命的な出会いと戦いをくりひろげていたころ、イズマもまた、土蜘蛛たちの拠点:シダラ山の内側に隠された大空洞で暗殺教団:シビリ・シュメリと、その棟梁:カルカサスとの死闘を演じていた。

 そのさなか、戦いの犠牲となった真騎士の乙女:ラッテガルトを救うためイズマは異能の代価として左目を捧げた。

 

 だから、視界は確実に狭くなっているはずなのに、シオンを挟んで反対側にいるアシュレの、表情の小さな変化にどうして、タイミングよく気がつくのだろう。

 そんなアシュレの動揺など気にした様子もなく、シオンは続けた。

 

「もちろん、ひとりでは無謀が過ぎる。いかにわたしが夜魔の公女と言ってもな。随伴ずいはん者は、選ばせてもらおう……ひとりだけ」

 ひとり──シオンの発言に、場がざわり、と動揺した。

 

 シオンの言葉に応じるようにイズマがひざまいたまま背筋を正し、紹介を受けた舞台役者がするように自らの胸に手を当てる仕草をした。

 もちろん、姫のエスコートはわたくしめが、というように。

 

 シオンは、たったひとりの随伴者の名を告げる。




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