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■第十七夜:夜魔の姫は命じられたい

         ※


「こんなとこに、いた」

 完全な夕闇に包まれ、寒風吹きすさぶドーム天上によじ登りながら、アシュレは言った。

 厳冬期は抜けたといっても、夜はとんでもなく寒い。

 このような高所で、遮蔽物しゃへいぶつもなければ余計に、だ。

 

 雲ひとつない空に綺麗な満月が浮かんでいる。

 満月が中天にさしかかりつつあるということは、北半球に属するジラフ・ハザでは、ちょうど日が変わる時刻だということだ。

 軍議は、夕食後からはじめられたわけで、気がつかぬうちにずいぶん話し込んでいたことになる。

 あれほどの大事であれば、それはしかたないが。

 ともかく、さきほどのひと悶着もんちゃくから、さほど時間は経っていない。

 

 シオンが使った異能:《影渡り》は距離と障害物を跳躍する夜魔特有の移動法である。

 ここジラフ・ハザは《閉鎖回廊》外であるから、多用は危険な技でもある。

 代償の量も跳ね上がるし、《スピンドル》の回転軸が不安定になりがちで、大事故の危険性が高まる。

 それを熟知しているシオンが、とっさにせよ使ったということは、よほど頭に来ていたのだろう。

 以前もたしか、ファルーシュ海の洋上、エポラール号のなかで、こんな場面があった。

 感情が爆発しそうになったときの、シオンの緊急回避方法なのだろう。

 対して物理的な移動手段に限定されているアシュレが、このような短時間で、このドームへと辿り着けたのは、ほとんど迷いなくここを目指してきた証拠だった。

 

「なぜ、わかった」

「ここが、この都市で一番最初に、なんにも遮られずに月光を浴びれる場所だったから」


 受け答えするアシュレに、すう、と見下ろすシオンの瞳が細まった。

 

「……なんて、ロマンチックなことを言いたいけど、違うよ、シオン。ひとつはキミと共有するボクの心臓を介してのリンクが強まっていること。もひとつは……」


 アシュレはドームの端によじ登り、下からシオンを見上げながら、己の左前腕をなぞった。 

 それまでどこにもそんなもの存在していなかったはずなのに、たちまち開かれたカタチのスクロールが現れる。

 忌むべき人体改造の魔具:〈ジャグリ・ジャグラ〉。

 その制御コントロールを司るデバイス:竜皮のスクロールだ。


 本来は十三本すべてのデバイスがここに収納され、主の命を待つはずだった。

 シオンの肉体と、それらデバイス群が癒着するという前代未聞の問題が発生したため、現在は機能していないが、夜魔の《シャドウ・クローク》にも似た次元間収納能力を、本来のカタチになった〈ジャグリ・ジャグラ〉は備えているのである。

 そして、これまでは制御デバイスである竜皮のスクロールと、実際に改変を行う器具の部分が別れていたため、不都合が起きていた。

 それをアシュレがエレから正式に譲り受け、己がものとしたがゆえに、このような運用が可能となったのだ。

 シオンがためらいなく《影渡り》を使えたのも、そのおかげだ。

 もはやアシュレが命じない限り、〈ジャグリ・ジャグラ〉は暴走しない。

 ひとことで言えば、安定したのだ。

 

「これでキミの居場所はわかってしまう。少なくとも一万メテル程度の距離なら問題なく。あと……遠隔でも操作できるみたい」


 アシュレはそれ以上は詳しく言及しなかった。

 シオンをまるで所有物のように扱っているようで、あまりに失礼に思えたからだ。

 後ろめたさが消せない。

 だから、竜皮のスクロールをしまう。

 アシュレの腕に巻き付き溶け消えるようにそれは姿を消した。

 

「まるで、そなた専用の玩具だな、いまのわたしは」


 ぎくり、とするようなことをシオンが問う。

 それはさきほどアシュレが抱いた後ろめたさを言い当てている。

 どんな気分だ──夜魔の姫を隷属させるのは。

 シオンの紫色の瞳が月を背に光り、そう問いかけていた。

 

「言ったはずだよ──シオン。キミは、ボクの唯一の領土。所有物だって」


 その視線に臆せずアシュレは言い返した。

 当然だが、それは自分自身を、その人生をシオンに差し出すことが前提で、だ。

 領土とは、国土とは、郷土とは、己の根源ルーツであり、ヒトの根幹にして、基礎だ。

 だから命を懸けて守るに値する。

 そうでないものに、だれが命を張るだろうか?

 それが国家というカタチのないものに、ヒトが人生を捧げる唯一のことわりだと、いまやアシュレは考えている。

 実際にアシュレは、シオンのためならば、考えることすらなく行動に移すだろう。

 あらゆる一切に、ためらいなく。

 その意味をこめて、アシュレは言ったのだ。

 

 瞬間、強い風が吹いたように、アシュレは錯覚した。

 ごう、と。

 その前後で起こったことを、アシュレはうまく把握できなかった。

 布地が風にひるがえる音がした。

 そして、シオンのシルエットが大きく、いや、迫ってきた。

 

 飛び込んできたんだ、と思った瞬間には胸のなかにシオンの吐息があった。

 ぐうらり、とアシュレはその衝撃を殺しきれずドームの端から階下へ、優に三十メテルはある地上へと落下しかけた。

 だが、ほとんど反射的に異能を励起していた。


 壁面や水面すら足場に換える強力な異能:《ムーブメント・オブ・スイフトネス》。


 それはアスカから指南を受け、近頃ようやく使いこなせるようになったばかりのものだ。

 オーバーハングの絶壁であろうと、たとえ水面であろうと、大気よりも密度と比重があるものならば足場にできる素晴らしい能力は、場面によってはあらゆる兵器を凌ぐ強力な切り札になりうる。

 達人となれば、一瞬であれば雲すら足場にできるとも言われている。

 壁面に足を着けたまま、アシュレはくるりくるり、と回転した。

 シオンを抱きかかえ、まるでダンスを踊るように。

 

「シオン──危ないよ」

「もう一度、もう一度、言ってくれ」


 シオンのあまりに無謀すぎる行動を諌めるアシュレを無視して、夜魔の姫が言い募ってきた。

 もう一度? とっさのことで一瞬、アシュレはなんのことか見失ってしまう。

 それから、思い至った。

 

「シオン、キミはボクのものだ」

「もっと、強く」


 断固とした口調で言われた。

 アシュレはシオンを抱く腕に力をこめ、その顔を胸に押しつけるようにしてやりながら言い直した。

 壊れてしまうのではないか、と思うほど強く。

 しかし、それなのに、シオンから感じられるのは、もっと、という希求だけだ。

 だから、アシュレは、いま己が持ちうる、いちばん強い言葉を探す。

 声にして、伝える。

 

「オマエはオレのものだ」

「──そうだ。わたしは、アシュレのものだ。完全に、すべて、この身がいつかほのおに焼かれて灰燼かいじんに帰すまで」


 字面だけを追えばヒトの尊厳を踏みにじるはずの言葉が、相手によってはもっとも欲され、懇願こんがんされるという不思議さに、アシュレは不思議な胸の高鳴りを憶えてしまう。

 正邪、などとハッキリと切り分けられるようには、ヒトの心はきっとできていないのだ。

 この世界が、たったふたつの基準で切り分けることができないのと同じで。

 だからこそ「だのに、それなのに」と、そんなアシュレにシオンは言い募るのだ。

 

「だのに、それなのに! どうしてッ……どうして、そなたはわたしがどうするかは、わたしの自由だ・・・・・・・などと、あんな、あんなヒドイ意地悪を言うのか!」


 そこまで聞いてアシュレはやっと、シオンのあの凄まじい怒りのワケを完全に理解したのだ。

 理解と同時に、たまらない愛しさに胸を締め上げられた。

 

「そなたが行くと決めたなら、必ず、わたしも行くのだ。いいか、必ずだ・・・


 なじるようにシオンが言った。

 本気で怒っていたのだろう。

 目尻には涙さえ、ある。

 アシュレは一層強くシオンを抱きしめる。

 同じように強く抱き返された。熱い体温を感じた。

 

「ごめん。そうだった。ボクが悪かった」

「悪い、とそう思うのなら、命じてくれ。強く、逆らえないように……」


 それまで胸に埋めていた顔を上げ、アシュレの顔を振り仰いでシオンが言った。

 ぞろろろっ、という音とともにシオンの肉体から〈ジャグリ・ジャグラ〉が姿を現す。

 王の言葉を待つ儀仗兵のように。

 剣であり、槍である道具自体が、騎行に赴く主のために、整列し、武器をささげ持つ。

 シオンが小さく呻く。

 我も、我も、と己を使うように懇願する道具の群れたちが、アシュレの手に触れてくるからだ。

 使え、と。

 征服せよ、と。

 王たる証を立てよ、と。

 

 この道具フォーカスをシオンへと突き込んだ、主犯たるエレは言った。

 己の非礼をび、くびられても当然だと、その身を実際に挺したあとで。

 これは、この道具は、もはやインク壷に戻すことの出来ぬペン先だと。

 それゆえ、いずれ、そのなかにめられたインクが尽きるだろうと。

 そうすれば、シオンはこの忌むべき魔具の定める宿命から逃れられるだろうと。


 だが、それがいつのことなのかは、だれにもわからない。

 そのために、いったいどれほどシオンを書き換えればいいのか。

 どれほどの屈辱と陵辱と残酷を、この愛しい姫に問えばよいのか。

 来るべきの日を信じて、いつまで。

 幾千、幾万、幾百億の夜を超えて、彫刻を続ければよいのか。

 

 たとえそれが、那由他なゆたの先でも、おまえは請け負えるのか。

 限りなきときの果ての果てに、赴くことに成り果てたとて。

 ただ、己ひとりの責任と愛において、なんじ、この女を隷下とするか。

 玩具として、所有物として、そして己がただひとつの領土──いや、国土、郷土として、扱うか。

 

 そう問われているのだと、アシュレはハッキリと自覚した。

   

 そして、道具の群れたちが起こすシュプレヒコールは、初めての逢瀬に震える少女のようにシオンを駆り立てる。

 夜魔の大公の宝冠である〈アステラス〉を身につけていないときのシオンには、もはや、全身を突き動かす衝動と高揚に抗う術はない。

 草原を駆ける駿馬たちの蹄のように、鼓動と感情がはやる。

 肉体が、心が、そして、すでにその身に癒着し肉と骨とに噛みついた〈ジャグリ・ジャグラ〉が、アシュレの言葉と行動を待っているのだから。

 

 キチンと命じてもらわなければ。

 ハッキリと示してもらわなければ。

 徹底的で、決定的な強奪を、施してもらわなければ。

 自由と、尊厳のとの、剥奪を。

 さもなければ、狂う、とシオンは想う。

 

「わかった」

 アシュレはシオンの深い紫色の瞳に映る満月を見ながら言った。 

「命令だ、シオン。オレと、ともに来い──あの男、ユガディールの《魂》を救うために」


 だから、アシュレの有無を言わせぬ命令に、シオンは顔を赤らめて応えるのだ。

 ただ、ひとこと。

 

「最初からそう言え──バカ」と。


 ほんとうに嬉しそうに言う。

 甘噛みさえ、アシュレはされてしまう。

 一度や二度では、ない。

 

 一方で、命じた側のアシュレは、照れから、ひどく汗をかいてしまっていた。

 甘噛みされ、口づけされ──なんというか、普段は奥まった場所でしか見せることのないシオンの秘密が、屋外で行われてしまう事実に狼狽する。

 ついさきほど、己のものだと断言したのはアシュレ自身なのに。

 

 なるほど、夜魔の姫の復讐・・は一筋縄ではいかないらしい。

 強烈な自己統率を己に課す人物は、己の統率者にも、同じく求める。

 王器たる者は、王器たる者としか釣りあわない。

 理屈は、なんとなく、わかる。

 

 でも、こんなドキドキに馴れる日なんて来るんだろうか。


 そんなことを思うアシュレの頭上を、斜めにかしいだ月が照らしていた。




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