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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第一話:降臨王のデクストラス
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■第十九夜:嵐の予感に翼は震えて(あるいはバックヤードにて)


 アシュレが仲間たちとともにグランを下し、暗い夜を潜り抜けた朝のことだ。

 日の出からは、すでに二刻が過ぎている。

 陽の光降り注ぐエクストラム法王庁で、劇は進行する――。



「潜入させていた間者より報告。救世主の受胎を確認。

巡礼者計画ピアーノ・デッラ・ペレグリーノ』は中盤の難関をクリアしました。これにより凍結されていた計画の進行が各地で復旧します。

 同志:グラン・バラザ・イグナーシュは任務を遂行、達成ののち、四散消滅とのこと。

〈パラグラム〉・〈デクストラス〉ともに遺失。計画は順調です、猊下げいか


 法王庁の中庭に面する一室で報告は行われた。

 気持ちのよい陽光が窓越しに降り注ぐ。

 マロニエの木漏れ日が複雑な陰影を落としている。

 エクストラムの秋は一年でもっとも美しい。


 白亜の建築物と、発掘の進む古代の遺跡が調和し、そこに紅葉した木々が彩りを添える。

 法王庁の眼下を流れるテスナ河には晴れ渡った空が映り込む。


 だが、その風景を望みながら交わされる会話は、あまりにも後ろ暗かった。


「そなたたち、ヒトを、ヒトの心を、なんと心得るか」

 ぶるぶる、と老体を震わし報告を受けた男は怒りを表した。

「救われるべき存在――かと?」

 聞き分けのない愛し児をあやすように、美貌びぼうの修道女が言った。

 神の端女として、その現世代理人たる法王の身のまわりの一切を請け負う女官のひとりだった。


 快活で柔和で気働きのよい娘だった。

 だが、いまこの会話に混じるただならぬ重圧は、この娘本来のものではないことをマジェストは感じ取っていた。

 娘の容姿・仕草を借りて別のものが話しかけているのだ。


「園丁の真似事とは、ご趣味に精がでますね」

 マジェストの土に汚れた指先を見て娘は言った。

 歩み寄り、純白の前掛けで丁寧に土を拭った。

 わなわなと震えるマジェストの手を。


「西方世界では珍しい銀杏の樹も、もう十年ですか。芽吹き、根を張りましたね」

「そなたら、そなたらの好きにはさせん」

「どうも大変な誤解があるようで」

 娘は悲しそうに眉根をよせた。老マジェストに慈悲を乞うように。


「ヒトでないものが、ヒトを装うでないッ!」

 老マジェストのなかに残っていた気概が、娘の頬を張った。

 娘は床に体を投げ出す。

 白いレギンスに包まれた脚が膝下まであきらかになった。

 ゆっくりと上半身を起こし、言う。


「で、あれば、責任の所在はあきらかでしょうに。この計画が、だれの《ねがい》か、など自明のことでありましょうに」

 おそらくは、それもまたヒトに似せる作法でしかないのだろう。

 主の怒りに怯える娘の表情・仕草を忠実に再現しながらそれは言った。

 だが、声には怯えなど微塵みじんもなかった。


「われわれはただ、手助けをするのみ」


「蛇めッ、そうやってヒトを堕落させるかッ」

「われらは忠実な道具なれば」

「ならば、いますぐ、この茶番をやめさせるがよいッ、アシュレダウを、聖騎士:バラージェを保護し、連れ戻すがよい! ユニスフラウもじゃ!」


 床に這ったまま切なげな表情で娘が視線を逸らした。


「《ねがい》の総量が足りません。最初に説明したように、これは純粋に公平な数量による採決方式です。お赦しください」

「そなたら……」

 ぐう、と胸を押さえてマジェストが身を折った。

 娘は床を這いマジェストにすがりついた。

 それはカタチだけみれば主に献身けんしん的に尽くす端女はしための姿だったろう。


「どうしても、とおっしゃられるなら、それに足る《ねがい》の量を獲得されてください。我々は《ねがい》に忠実。嘘は申しません。絶対です」

「そなたらと契約した時点で、すでにして我は謀られていたということか」

「人々がなにを《ねがい》とするかは、完全に人々の自由にまかされています。計画が変えられないのは、人々の《ねがい》がそうであるからです。

 猊下げいかはその人心にベクトルを与える地位をお持ちのはず。

 大きな求心力・影響力がおありのはず。そうされては?」


 明日の天気を語るような口調で娘がマジェストを見上げて言った。

 主を気づかう揺れる瞳と言葉がちぐはぐだった。

 吐き気がした。


「そう、かつて、法王に選出されるために我らと契約された日のように。レダマリアさまの母君の心を射止めたときのように」

「だまれ、だまれ、黙れッ!」

 マジェストは拳を娘に振るった。

 普段の温厚なマジェストからは想像だにできぬ表情だった。

 娘はふたたび地に伏した。

 少量の血が散った。口の中を切ったのだろう。


「それはそうと、報告とは別に、今日はお願いがあってまいりました」

 マジェストの激高など一切気にした様子すらなく、娘から言葉が漏れた。

 マジェストは切れた拳の先を無意識に指でさすりながら、これ以上娘に暴力を振るうことを固く戒めた。

 声の主と娘自身には、なんの因果もないのだ。


 ゆらり、と娘が立ち上がった。

 想い人の許しを乞うような表情で、身を震わせ掌をこちらに広げて見せて。

 桜色の唇の端が切れて血が一筋、垂れていた。

 恐れるようにマジェストは後ずさった。

 そしておぼつかぬ足取りに、転倒した。


十字軍クルセイドを、十字軍クルセイドを立ち上げていただきたい。がそれを望んでおられます」


 まずはイグナーシュ領へ、救済を、救済を。

 感情の感じられぬ声がマジェストに迫ってきた。

 愛する男に情けを乞うような姿勢で娘の体がのしかかってくるのを、マジェストは振り払えなかった。

 浄化を、浄化を。娘はうわごとのように繰り返した。


「そののち、アラムへ。救世主もそこへ向かわれるはず。参りましょう。救い主とともに我らは参りましょう」

 いやいやをする子供のようにマジェストは首を振った。

 はらり、はらり、と娘の瞳から涙が落ちた。


「なぜ、なぜ受け入れていただけませんの?」

 言葉だけならば愛を乞う娘の嘆願たんがんに聞こえただろう。

 だが、これはそんなものではなかった。


「ならぬ」

 かすれた声でマジェストは否定した。また、胸に痛みが走った。


「お身体もだいぶ、お悪いよう。どうでしょう、この際です。猊下げいかも、イグナーシュ公同様、オーバーロードになられては。そのような憂慮ゆうりょから開放されます」

「さ、去れ、悪魔めッ」

叡知えいちと温情で治世する。猊下げいかが望まれた理想が潰えてしまいます」

 心底悲しそうに娘が言った。

「どうしても、なりませんか?」

「くどいッ、ならぬ、ならぬ、ならぬッ」


 しかたありませんと娘は涙を流した。

 なんの感情もありはしないのに、そこにはまるで悼みがあるかのようにマジェストには思われた。

 だれへのいたみかは、わからなかったが。


「では、法王選定会議コンクラーベしかありませぬ」

 マジェストは耳を疑った。

 次期法王を選出する法王選定会議は、法王の辞任の後でしか招集できない。

 そして、これまでの法王に生前、辞任したものなどいない。

 つまり、事実上、現法王であるマジェストの死去をもってしか開催不可能な会議だった。


「わたくしは殺しませぬ」

 もう一度、恋人に情けを乞うように甘く、娘がささやいた。

「ただ《ねがい》がそうするのでございます。残念です――プレイヤーが退出されます」

 機械的手続きのように娘が告げた。

 マジェストの胸をひときわ強い苦痛が襲った。


 娘の服に爪を立てる。娘は抵抗すらしなかった。

 びいい、と布地が裂けた。そして、苦悶の表情を浮かべたまま、マジェストは事切れた。

 彼を殺したものは短剣でも毒薬でもなかった。


 だが、それが《ねがい》によるものだと、だれに気づけただろう。


「――ッ、猊下げいかッ、猊下げいかッ!」

 だれか、だれか来てくださいッ。娘の悲痛な叫びがこだましたのは、すべてが手遅れになってからだった。



         ※



「法王庁には、お戻りになられぬ方がよいのではありませんかな?」

 朝日を背負い帰還したアシュレたちを出迎えてくれたのは、ノーマンをはじめとするイゴ村の人々だった。

 夜を徹した彼らの戦いの細部とは言えずとも、それが巻き起こす超常現象の数々を、彼らはまんじりともせず見届けていたのだ。


 秘密の抜け穴から彼らが姿を現したとき、大きな歓声が彼らを迎えた。


 村人とはいえ、荒れ果てた祖国を見捨てず踏みとどまり続けた彼らには、アシュレたちがもたらした変化が敏感に察知できていた。


 暗雲は取り除かれた。

 それまで瘴気しょうきを吹き上げていた沼からは、白い水蒸気が立ち上るのみとなった。

 荒廃こうはいした大地がよみがえるには時間が必要だろうが、もはやそこに亡者の群れはいないのだ。

 あとは、ヒトの《意志》の成さしめることだろう。

 郷土を思う心が原動力になるはずだ。


 だが、季節はすでに秋。

 この冬をどう越えるか、という目前の課題があった。


「そのためにも、戻らねば。法王庁の助力を得て、救援物資を。家畜も必要でしょうし」

「聖騎士として聖務を果たさずの帰還、となれば降格や、家の取り潰し、最悪、異端者として吊るされる覚悟がいりますぞ」

 ノーマンの言葉が、いちいち胸に痛かった。


 わかっていたつもりだが、現実としての事後処理を突きつけられるとその困難さが身に染みた。

 聖務を果たさず、というくだりでシオンと目が合った。

 イグナーシュ王家の秘宝:〈デクストラス〉は失われてしまったが、もうひとつの聖遺物:〈ハンズ・オブ・グローリー〉は健在だ。


 アシュレが課せられた聖務は、正確にはふたつ。

 聖遺物:〈デクストラス〉と〈ハンズ・オブ・グローリー〉の奪還だっかん

 そのうち〈ハンズ・オブ・グローリー〉に関していえば、達成は不可能ではない。

 そうであれば法王庁へのいいわけも、すこしは立つというものだ。

 ただし、条件付きだったが。


 ありえないよ、とアシュレは首を振った。

 己の任務を果たすために、シオンから〈ハンズ・オブ・グローリー〉を奪うことなどできなかった。

 そうなれば彼女は死をして挑んでくるだろうし、それ以前にアシュレはシオンを敵としてなど見ることができなくなっていた。

 だいたい、命を二度も救ってもらった恩人を売るような真似をできるはずもない。


「情に流されて聖遺物とそれを帯びた夜魔の姫を見逃した――異端者決定だね」

 村人たちが用意してくれた歓待の食事をなんの遠慮もなくぱくつきながらイズマが言った。このひとは~、とアシュレは顔をしかめて思った。

 シオンが心配そうにアシュレを見た。


「それに――この方のこともあります」

 ノーマンのかたわらに髪を結い上げた美女がいた。

 かつてのユニスフラウ、あるいはアルマステラ。

 だが、彼女は記憶をなくしていた。


「そのほうが、しあわせやもな」

 この娘が目覚めたとき――そうシオンが言った。

 そうかもしれないとアシュレも思った。


 どれほど追いつめられての決断だったとはいえ、彼女を襲った仕打ちと、彼女自身の決断の記憶は、生きていくうえで限りない責め苦になるとアシュレは感じていた。

 記憶を失ったことは、神の慈悲かもしれないとさえ思えた。


「イリス。イリスベルダ・ラクメゾン――それがキミの名前だ」


 彼女にアシュレは名を与えた。

 聞くものが聞けば未練たらたらのネーミングだったが、あの菖蒲イリスの家でのことは、ユーニスとふたりだけの秘密だから問題はないように思えた。


「イリスちゃん、ね。湖畔レイクメゾンの――あー、いい名前だね。意味深で」

 めているのだろうイズマの善意だけは、今後とも注意が必要だとアシュレは思った。


「異端審問官は、見逃さないでしょう」

 冷静にノーマンが言った。

 イリスを、という意味だ。同感だった。

 異端審問課は査問・尋問に特化した機関だ。

 嘘を突き通すことはできないとアシュレは知っていた。


「逃げよう。逃避行だよ」

 お気楽にイズマが言った。アシュレは頭痛がしてきた。

「どこに。どうやって」

「あと二十日もすれば《転移門ゲート》が使えるよン」


 落ち着く先はどうするんです、アシュレは食ってかかった。


「我らが拠点はいかがですか。海に浮かぶ孤島ですが、よいところですよ」

「カテル島? ファルーシュ海の果てじゃないですか。遠すぎる。船もない」


 アシュレの慌てぶりにノーマンが笑った。


「わたしがどうやってここまで来たか、ご存知ないので?」

「で、でもイグナーシュの港って閉鎖されていたんじゃ」

「全部の港町、漁師町を、なんて徹底できるわけないでしょう? 

 国体がまともであったならともかく。

 廃棄され海賊の根城になっていたところを制圧したんです」


 にこり、と笑ってこともなげにノーマンが言った。

 獰猛どうもうな笑みだとアシュレは思った。

 カテル病院騎士団は独立した宗教騎士団のなかでも最強とのほまれ高い戦闘集団だ。

 過去には数百人の篭城ろうじょう戦力で、アラムの一万超の軍勢を幾度も撃退している。一騎当千の猛者ぞろいだった。


「そこに、迎えが来るはずです。予定通りなら数日以内に」

 エポラール号。西方世界最高の快速船です。

「マジで? 乗りてえ」

 イズマが言った。

 いや、アンタ、とアシュレは心中でツッこむ

「だいたい、ボクらが逃亡したら、ここの皆さんはどうなるんです」

「法王庁ならもう動き出していますよ。一週間と時を置かず救援がくるでしょう」

 確信をもって告げるノーマンに、アシュレはあっけにとられた。


「その確信はどこから?」

「黙っておりましたが、アシュレダウさまとわたくしめがここで邂逅かいこうすることは、すでに予言されていたことでした」


 予言? アシュレをはじめ仲間たち全員が怪訝けげんな顔をした。


「グレーテル派の現首長にしてカテル島大司教位:ダシュカマリエ・ヤジェスが、半年も前に」

 それに従い、アシュレダウさまの窮地きゅうちをお救いするのが、わたしに課せられた聖務でありました。

 うやうやしく告げるノーマンに、アシュレは目をしばたかせた。


「どうか、我らの庇護にお入りください」

「イゴ村のひとたちが、法王庁に尋問されたりはしませんか?」

 ノーマンの申し出について、アシュレは関わりをもった人々を思いやった。


「口止めなどすれば、そうですが」

「しなければ行き先がれてしまう?」

「聖遺物の奪還を続行すべく賊を追撃する、と言い含めておきましょう」

 わたしの特技をお忘れですか? べえ、とノーマンが舌を見せた。

 アシュレは感服したり、呆れたりした。




 海か、とアシュレは思った。どこかで海鳥の声がした気がした。

 そういえば、あの日も海鳥が飛んでいた。

 まだ十歳になったばかりの夏、レダマリアの別荘へ、酷暑こくしょの法王庁を避けて行った。


 マジェストがいて、レダマリアがいた。

 母さんはもちろんいたし、ユーニスもきてくれた。

 父とバートンも週末にかけて何度か顔を出した。


 みんなそろって浜辺で夕餉ゆうげをした。


 堅物そうな父が、実はかなりの料理上手で、分厚い鉄鍋を砂浜の熾火に埋めるようにして作ってくれたソーセージとトマト、チーズ、ジャガイモの重ね焼きのうまさには舌を巻いた。

 母が苦笑していたのを憶えている。

 上手すぎるから家では料理しないでってお願いしてるの、と。


 レダマリアとユニスフラウのふたりを女の子、と意識したのもあの夏だった。

 

挿絵(By みてみん)


 薄着で日傘をさして波打ち際を歩くふたりに、胸がドギマギした。

 それなのにふたりときたら、病魔をあざむくため少女として育てられていた苦い過去をもち出しては、アシュレを困らせた。

 無理やり着せられたふたりの衣装のまま外を出歩き、地元の男のコに恋をされて酷い目にあった。

 とんでもない小悪魔たちだった。

 

 いつのまにか、アシュレは目をつむって苦笑していた。


 目を開けるとすべてが変わってしまっていた。

 あの日の少年はどこにもいない。少女たちも。


 それでも、ぼくたちは前へ進むほかない。道は一本きりだ。

 アシュレは仲間たちを見渡した。


 イズマがどぶろくの杯を渡してくれた。

 シオンが馴れない手つきで食事をよそってくれていた。

 ノーマンはさっそく村長を説得するようだ。

 イリスが瞳をこちらに向けている。


「行こう」


 アシュレは仲間たちに宣言した。



挿絵(By みてみん)



 旅が――始まる。







                               




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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです。 どう表現していいかはわからないですが、人智を超えたモノの持つ不気味さ、不条理さみたいなものがとてもよく感じられました。また、挿絵もそれをいっそう際立たせていると思います。…
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