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■第十一夜:戻れぬ道を


 “再誕の聖母”:イリスベルダのひとことで騒然となった議場。

 だが、議論はまだ結論を見ていない。

 カテル島大司教:ダシュカマリエは役割を忘れず、話を進める。

  

「すまない、困惑させたな。だが、イリスの言う通りだ。頭ごなしに否定していたのでは、良策など浮かんでこんよ。どうだろうか、ここはひとつ、イリスの提案を拝聴してみては?」


 ぜったいに面白がっている、とその声色からノーマンはダシュカの心境を察知する。 

 これまで冷静沈着で取りつくしまのない氷の聖女を演じ続けてこなければならなかったダシュカの、これはささやかな復讐でもあるのだ。

 だれに、というわけではない。

 あえて言うなら、損な役割を押し付け続けてきた時代に対する、だ。

 

「あ、いえ、こう、考えというほどのものはなく──でも、夫のピンチに妻が行かなきゃ、誰が行く、というですね?」


 イリスの言葉にダシュカを除く全員が硬直した。

 彼らにしてみれば待望の聖母:マドラの再誕、その顕現けんげんとしてのイリスなのである。

 しかも、その胎内には“救世主”を宿す。

 

 その言葉に耳を傾けないなら、これはもう神の言葉を無視するに等しい背信であり、それゆえどれほど無理があろうとも拝聴せざるをえない。

 ちなみにダシュカは我慢できずに吹き出した。

 

「ひどい、ダシュカ、笑い過ぎです!」

「いや、申し訳ない。不敬だったな?」

「そうじゃなくて、こう、昨日お話ししたじゃないですか!」

「だから、それをそのまま、彼らにも聞かせてやってくれとわたしは言っているんだよ。聖母さまの胸の内を。ひとりの女としての肉声を」

 笑いの衝動を抑えながら、ダシュカが取りなすように言った。

 

「イリス、貴女の言葉は一足飛び過ぎるんだ。聖母としての超感応力のまま、結論だけを要約して話されたのでは、我ら凡人にはなんのことだかさっぱり理解できないのさ。まさしく、神の御心を我らが知ることができぬように、ね」

 だから、もどかしいだろうが、頼むよ。

 ダシュカが座席の手すりに肘立てした右手に頬を預ける格好で、イリスを促した。

 

 それで合点がいったのだろう。

 あー、とか、うー、とか唸りながら“再誕の聖母”であるところのイリスは、頭のなかにあるものを必死に伝えるべく、彼女にしか見えない未来予想図を上目遣いで見ながら、その場にいる全員に説明した。

 

「つまり、ですね、わたくしの夫であるアシュレダウをはじめとする英雄たち──先だっての戦いでカテル島から散り散りに転移してしまった彼らの捜索行に関して、現在の第一目標は土蜘蛛の王:イズマガルムとの合流であるとのことなんですけど。

 ダシュカは現在、その予知能力を最大権能で振るうことができません。

 これは銀の仮面:〈セラフィム・フィラメント〉と一対である強大な《フォーカス》:〈コンストラクス〉との同調が、現在難しいことに起因しています。ゆえにいま、我々が得ることのできる情報は、荊の冠:〈セラフィム・フィラメント〉による一方的な予知情報のみなんです。

 これはわたくしを助けるため、再誕を果たすために行った儀式とその負荷による後遺症とも呼ぶべきもので──」

 

 ひとたび話し始めれば、それまでのたどたどしさが嘘のようにイリスの唇から言葉が溢れ出した。

 逆に聴衆である重鎮たちが、話についていくのにメモを取らなければならぬほどだ。

 

「つまり、いまわれわれの手元にある英雄たちの所在に関する情報は古く、精度は低いと考えられるんです。

 皆さんの解釈によれば、イズマはアラム教圏のサムサラ宮在地=交易都市:ジラフ・ハザに現れる、とのことですけれど、これも正確だとは限らない。

 件の十字軍発動によって、東西間の情報の取得は格段に難しくなってしまっているし、アシュレたちの歩む道は言わば世界の裏面:《閉鎖回廊》をはじめとする、この世の暗がりを歩む旅路です。簡単に足取りが掴めるわけがない。

 そんなところに、皆さんは、いえ、言い直しますね──我々は、探索行に赴こうとしている」

 それは月のない闇夜、土地勘のないクラックだらけの荒野を松明ひとつで歩むに等しいことです。

 

 ゆっくりとした、たおやかな口調で全員を見渡しながら告げるイリスの言葉に、知らず知らずのうちに彼女の倍以上、ヘタをすると三倍近くも生きてきた重鎮たちが引き込まれていく。

 その様子を、ダシュカは静かな感慨とともに見ていた。

 なるほど──これが聖母の《ちから》。

 その一端であるか、との想いとともに。

 

「だが、そうであるなら、なおのこと聖母である貴女を、この探索行に加えることはできないのではないか?」

 けれども、そのほとんど超能力とでもいうべき言葉の力に抗ってイリスに意見したのは、他ならぬノーマンだった。

 さすがの胆力と驚嘆せずにはおれぬこと。

 なるほど、オーバーロードたちの封土:《閉鎖回廊》での戦いを潜り抜けるとは、こういうことなのであろう。

 その男の意見は端的にして、的確だった。

「危険過ぎる」


 断言するノーマンの瞳を真っ正面から見つめ直し、しかし睨みつけるのではなく、むしろ微笑んでイリスは反論した。

 ありがとう、ノーマン、とちいさく礼を述べてから。

 

「はい。筆頭騎士の仰る通り危険であることに変わりはありません。

 けれども、わたくしはその行く手を照らし、どこへ向かうべきかの指針を皆さんに授けることができます。

 ふたたび、先ほどのたとえを持ち出すなら、少なくとも闇夜と満月の晩の違いほどには」

 

 それはどういうことでしょうか、とノーマンが無言で問いかけた。

 疑っているのではなく、説明を促す態度だ。

 こくり、とイリスはその意を汲んで話を続けた。

 

「第一に、わたくしとダシュカマリエ大司教は荊の冠:〈セラフィム・フィラメント〉を介して五感を共有できることが確認されています。ダシュカマリエ大司教側からのコンタクトは難しいのですが、わたくしの側からの呼びかけにはこれまでのテストの結果、完全に応答があることが確認されています」

「これはおそらく、これまでの予言のように荊の冠:〈セラフィム・フィラメント〉が、上位者・・・からのアクセスとして、聖母:イリスを認識していると考えて間違いないだろうな。おそらくは再誕の儀式のなかで、結節点リンクが形成されたのだ」


 イリスの言葉を補足するように、当事者であるダシュカが口を開いた。

 聖母と大司教との交感。

 明かされた事実の大きさに、場内の空気が、ざわり、と揺動する。

 だが、それを意に介した様子もなく、イリスは言葉を続ける。

 

「第二に、わたくしは夫であり、来るべき“救世主”の父であるアシュレダウの所在を感じ取ることができます。その生死、体調、非常に大まかにですけれど感情の動き──いま、彼は衰弱から回復しつつあり、しかし、その心は焦りに波立っています」

「生体間の感覚共有──どうやって、《フォーカス》の支援もなく……」


 驚愕に目を見開く重鎮たちからもれた疑問に、イリスは愛しげに己の、まだほとんどカタチの変わったようには見えない下腹を撫でさすりながら答えた。

 

「彼の一部が、ここにあるからです」


 そして、いま、あのヒトにわたしが必要であることが、わかるんです。

 頬をばら色に染めて言うイリスの姿に、年甲斐もなく動悸を憶えたのはノーマンだけではない。

 ザベルザフトでさえ一瞬、見蕩れていた。

 それに、胸を苦しそうに押さえて言うイリスの姿がトドメだった。

 

「なにより、わたしにも、あのヒトが必要なのです」


 そのひとことで大勢は決した。

 もっとも、その後の人選に一悶着も二悶着もあったのだが、ダシュカマリエの鶴の一声が決定打となった。

 

「チェス・サーヴィスにおいてさえ、クィーンは最強の駒だ。いきなり敵陣に切り込ませるとは、奇手としか言いようがないが。惜しまず最高の騎士ナイトをともに旅立たせるがよい。随伴する歩兵ポーンも忘れるな。あれは最深部でこそ化ける駒だからな。我らの得意とするところではないか。これは装甲突撃だ!」

 

 なるほど神を恐れぬほどに大胆だが、それだけに法王庁側もこの奇手を読みきれまい、とザベルザフトは評した。

 クィーンとは他に誰あろうイリスのことであり、最高の騎士とはノーマン以外になかった。

 

 随伴するの成人を迎えたばかりとはいえ、未熟ながらも《スピンドル》能力を有する少年・少女の見習い騎士二名、そしてバートンと決まった。

 最小限の編成だが、そうでなければ敵の目は欺けない。

 

 世渡りに長けたバートンを引退したワイン農家の大旦那に仕立て上げるカバーストーリーが用意された。

 悠々自適の好々爺が、昔取った杵柄でワインの販路を開拓しようというお話だ。

 カテル島は風と太陽、水はけのよい丘陵地に恵まれたワインの生産地でもあり、いくつかのワイン農場があった。

 

 そのなかでもジビッボと呼ばれる品種を使った甘口のワインを商うと決めた。

 少量でも高額なそれは、特に北側に行けば行くほど値段が吊り上がる。

 高価なガラス瓶に詰め商えば、上流階級とのコネクションにさえ使えるかもしれない。

 途中で上質の毛皮や竜涎香などの香料と交換するのも手であった。

 ノーマンはその護衛ということになる。

 家紋から家系図まで、入念な設定がつくられた。


「ほ、こりゃ、ちょっとした役者気分ですな」

「どこからどう見ても商家の大旦那ですよ。ね、おじいちゃん?」

 末の息子の花嫁という設定を与えられたイリスが、ノリよくバートンを持ち上げる。

 

 バートンはイリスという娘が、尼僧:アルマステラと自らの孫娘であるユニスフラウとの融合体であることを、すでに知らされている。

 これまで、アシュレの父であるグレスナウとともに数えきれぬほど、世界の闇と対峙し続けてきた男である。

 アシュレを慕い続け、そのかたわらにはべり続けようと願えば、いつの日かこのような血塗られた結末が、ユーニスを襲うことは、なかば覚悟していた。

 それでも、アシュレが法王庁を出立する際、それに同行すると申し出たユーニスを引き止められなかったのは、その本心からの《ねがい》をバートンが見抜いていたからだ。


 アシュレの聖務遂行・帰還とともに許嫁であるジゼルテレジアとの婚姻が進められていたことを知らぬのは当のアシュレ本人だけであった。

 もう、世を忍ぶカタチでもあっても、恋人としてはいていられない──その決意が、アシュレの聖務への随伴を決意したユーニスの双眸そうぼうにはあった。


 だから、ユーニスの訃報を聞いたときバートンは悲しみより、己の想いを貫き通した孫娘の生き方に涙した。


 その孫娘の《魂》がイリスベルダという娘に受け継がれているのだ、とダシュカマリエ大司教から聞かされたとき、そして、微笑み、頬染めてアシュレへの愛を語る姿を見たとき──正体の判らぬ感慨に震えた。

 

 たしかに、その仕草には、バートンの知る不遇の世を、己の恋にまっすぐ生きようとした孫娘の面影があった。


 だから、こうしてイリスと掛け合いをしていると往年の、あの口の達者なユーニスとの丁々発止のやりとりが思い出されて、ついつい口数が多くなってしまう自分を止められないのだ。

 

 それはイリスも同じなのだろう。

 この世では成就できるはずがないと諦めかけた恋と愛を成就させ、身分の差という越えがたき壁を飛び越え、慣例の縛鎖から解放された存在として、祖父に甘えることができた。

 本人には記憶はなくとも、その感覚に心地よさを感じていた。

 

 もっともそのふたりに翻弄ほんろうされるカタチで、振り回されている者たちもいた。

 

 護衛として雇われた腕利きの傭兵というふれこみのノーマンはともかく、割りを食ったのはふたりの少年少女である。

(注・この時代、街道筋を外れると一挙に怪物や人外の勢力圏となるため商人や巡礼者の護衛を買って出る者たちは少なからずいた、というよりも戦時でない間の傭兵たちの資金源でさえあった。野盗、山賊に早変わりする傭兵の存在に手を焼いた各国が専門のギルドを創設し、信用と棟を貸す代わりに治安維持と税収入に組み込んだ例も数多い)


「あっ、あっ、あのっ、イリスさまっ、そ、そんなにくっつかれてはっ、そのっ、お、おむっむっ、お胸が」

「あらっ、トラーオさんは、わたくしの夫という役なのですから、もう少し馴れていただかないと」

「ひやっ、だって、だってや、柔らかいし、温かいし、オレ、オレっ」

「お嫌ですか? わたくしの旦那さまの役は? 顔が真っ赤。こんなに汗をかいて──熱い」

「だめだめだめ、だめですぅ──って、痛ダーッ!!」

 なにすんだよ、セラッ、と爪先を踵で思いきり踏みつけられたトラーオがかたわらの少女騎士に食ってかかった。


「はんっ、聖母さま相手に鼻の下なんか伸ばしてるからだよっ、不潔っ」

 辛辣で男勝りな態度だが、セラと呼ばれた娘の目の端には涙が溜まっており、焼きもちなのがひとめで判る。


「ごめんなさい、セラフィナ、あなたの気持ちも考えず、わたくし、調子に乗って……」

「イリスさまが謝ることなんて、な、なんにもありません。ただ、ちょっとコイツ、トラーオがチョーいやらしい顔してたから……イリスさま気をつけてください、コイツ、ほんとドスケベなんです」

「だーれが、だーれがドスケベかぁ!」

「嘘つけー、引き出しの奥にわたしのハンカチーフ隠してんの知ってんだからねっ。いまだって、身体検査したらどっかから出てくんじゃないのー?」

「げっ、ちょっ、おまっ、ななな、なんで知ってんだよッ!! プププ、プライバシーの侵害だろがッ!!」

「げっ、マジで言ってんの? このドスケベッ、ヘンタイッ、下着ドロボーッ!! お気に入りがなくなって、どんな思いをしたと思ってんのよーッ!!」

「ちょちょちょ、ちょいまてや! ハンカチーフは下着じゃねーだろ! おおお、落ちてたから、誰のかわかんねーし、探してるやついたら返してやろうと思って持ってたら、忘れちまっただけで!」

「うそつけー、ばっちり名前刺繍してあっただろがよッ!! はっ、まさか、嗅いだり押し付けたり、若くて青いリビドーの犠牲にッ?!」

「おわあああああああー、そそそ、そんなこと、するかーッ!! 人聞きの悪いこと言うなーッ。聖母さまに誤解されんだろ!!」

 ただ、際限なくかしましいふたりの若者相手に頭痛を覚えるという意味では、もしかしたら、ノーマンはたしかに被害者かもしれなかった。

 

 罵りあうふたりこそ、イリスの近習として抜擢された従者、トラオラベル・ガリウスとセラフィナ・ジュヌーヴであった。

 こう見えて互いに言い出せないだけで──相思相愛であると周囲は認知しているのだが、知らぬは本人たちばかりであるという、青春まっただなかなふたりである。 

 

 さて、ここまで目を通された諸氏はお気づきであろう。

 

 この物語はノーマンとイリスが率いる英雄たちの探索行と、見出されるべき英雄たるアシュレたちが、トラントリムでの攻防を経る間の、一月余りを巡る運命を描いていく旅路である。




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