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■第七夜:伊達男(ダンテ)の帰還

「助かった。礼を言う──イズマガルム殿。そして……こちらははじめまして、かな? エレヒメラ姫殿下」

「エレ、と。アスカリア皇子」

「では、わたしも、アスカと。驚いた。アシュレの周辺には変わった友人が多いから馴れたつもりではあったが……まさか、このサムサラ宮に土蜘蛛の王族ふたりをお招きすることになるとは」


 サムサラ宮の浴場を舞台とした暗殺劇。

 シオンとアスカを狙った土蜘蛛たちの刺客と凶刃を阻んだのは、駆けつけたアシュレとアテルイではなく、なんと帰還と合流を果たしたイズマ、そしてそれに随伴ずいはんした巫女姫:エレのふたりだったのである。

 風呂上がりの火照った身体を冷ましながら、アシュレたちはお茶をともにしている。

 ほど近い山嶺で集めててきた雪を蓄えた氷室ひむろで冷やした茶と、赤ぶどう酒を割った飲み物だ。

 

「いやいやいや、どーってことないって。宮殿内は構造が複雑だし、結界もあるから直の《転移門》では入れなくってさ。さて、どうしようかと思ってたら、剣呑な感じの連中の気配がするじゃない。こりゃ、大事だと思って後をつけたらこうですよ」

「イズマガルム殿には命を救われたのは二度目だな。あらためて礼を言わせてもらおう。ありがとう」

「いーって、いーって、お互い様だよ。あ、ボクちんも愛称で。イズマ(・・・)♡ でよろしくー。あ、お礼は言葉より、金銀財宝より、ドリーム体験のが♡」

「それはこまったな。アシュレ、構わないか?」

「ちょちょちょ、イズマ! それはダメでしょ! 非道でしょ!」

「あらら? どーんなドリームを想像しちゃったのかなー、このむっつりスケベくんはー♡」


 再会した途端に、いつもの調子になってしまうのだから、イズマという男は首尾一貫しているというか、ムードメーカー的であるというか。

 とにもかくにも、一瞬でその場の空気を支配してしまう。

 アシュレは感心すると同時にあきれてしまう。

 そして、胸中に湧き上がるそんな感慨に、涙が出てしまう。

 

「なんでアシュレが泣いてんのさー? キミィ、まさかして、ボクちんと一緒にいれなかった数ヶ月が、淋しくてしょうがなかったんじゃないだろねー。やだよー? イズマ先生は、美女と美少女しか必要としないんだからさー。いくらアシュレが、女装したらのけ反るくらいの美少女になっちゃう属性とは言ってもねー」

 にやにやとアゴをなでなで、イズマが茶化す。

「ちょまっ、ななな、なんでそれ知ってるの! ボクの女装! カテル島の時? いや、でもあのとき、イズマいなかったじゃないか!」

「あー、やっぱそうか。そうなんじゃないかと思ってカマかけたんだけど、こりゃやぶをつついたらヒドラ出た、ってやつですよ」

「そなたら、バカも休み休み言え。茶が飲めん」


 込み上げてくる笑いを噛み殺しながら、シオンがしかめっ面で言った。

 

「姫も──しばらくの間に、一段とお美しく」

「貴様もずいぶん、伊達ダンテな面構えになったものだな。そちらのほうがよいぞ」

「ホントですかあ、姫ェ♡ ちょっと女性関係で揉めましてねー」


 伊達ダンテとは、東方世界に伝わる英雄譚の登場人物の名である。

 希代の戦上手であるとともに、洒落者、さらに隻眼せきがんであったという。

 シオンの博識ぶりがうかがえるエピソードだ。

 そして、なるほど、現在のイズマの相貌を、これ以上端的に、しかもひとことで評する言葉はあるまい。

 

 シオンの指摘に、イズマが屈託なく笑って答えた──つまり、イズマも当然のように伊達ダンテを知っている、というわけである。

 

 イズマの左眼を豪奢な眼帯が覆っていた。

 これこそ、死に瀕した真騎士の乙女:ラッテガルトを、己が下僕として作り替えた際の代償である。

 だが、イズマの口元に浮かぶ笑みに悲壮さはどこにもない。

 むしろ、どこか吹っ切れたような清々しさがある。

 たくましさばかりをうかがわせる笑みだった。

 

 互いが互いの生還と再会を讃えあい、喜びあった。

 

 イズマは己の《大転移》が制御不能に陥り、あの場にいた仲間たちをランダムに転移させてしまったことを直截に詫び、その後の経緯をかいつまんで話す。

 

 すなわち、シダラ山への転移。

 イズマの追討者であったエレとエルマ姉妹との和解、暗殺教団:シビリ・シュメリとその首領:カルカサスとの対決。

 そこで生じた消耗からの回復にここまで時間を費やしてしまったこと。

 詳細は省きつつも、要点を押さえて話すイズマはやはり、一流のストーリーテラーであったのだ。

 

「貴様のほうも、ずいぶんと込み入った事情だったようだな」

「姫とアシュレも──もうしわけない。《ちから》をうまく制御できなくって。このイズマ、面目しだいもない」

「イズマが命がけでボクらを逃してくれているときに、ボクは意識を失っていたんだ。筋が違う。また、助けてもらったんだから」

「そのせいで、余計な苦労をさせたでしょ? だいぶ大変だったみたいだね?」


 イズマが語ったのと同様、アシュレもカテル島のあの死闘から続いた激動の日々のことをイズマに話した。

 こちらはときおりシオンの、夜魔特有の完全記憶にフォローされながらのものであったが、それだけに記録としての精度は確かだった。

 

 ただ──トラントリムでの出来事をあまり詳細に語ることはできなかった。

 オーバーロードに堕ちた夜魔の僭主:ユガディールとアシュレ、シオンの間に交わされた感情の糸を言葉で言い表すことは、アシュレには不可能に思えた。

 また、それに言及しようとするたびに胸に走る痛みを感じるとき、完全記憶を持つシオンがどんな想いでいるかを考えれば考えるほど、アシュレの言葉は滞りがちで、口は重たくなっていくのだった。

 

 自身の体験した苛烈で陰惨な運命を、感情的になることもなく淡々と話してしまえるイズマの胆力に、自分はまだまだ未熟なのだとアシュレは痛感する。

 乗り越えてきた修羅場の数。

 その違いを思った。

 

「“血の貨幣共栄圏”──そうか……高位夜魔にも、そんなこと考えてたヤツがいたんだな……残念だよ。オーバーロードに堕ちてしまう前に、話を聞きたかった」

 珍しくイズマがしみじみと言う。

 その口調には、こうして再会して互いの経験を語るなかではじめて、いたみのような感情があった。

「ノートを。堕ちてしまう前の彼が、ユガが書き留めたメモを託されたんだ……これは、イズマが持つべきかもしれない」

 古びた手帳を差し出すアシュレの手を遮り、イズマは首を横に振った。

 

「なぜ、それがキミに託されたのか。その意味を考えなくちゃならないよ、アシュレ。信頼──いや、それはほとんど遺言と言って差し支えないものなのだから。受け継ぐ、とはそういう意味だよ」

 珍しく真面目な口調で諭すイズマの真剣さに、アシュレは己の不明を恥じた。

 

 そうだ、これは、ボクがユガから託されたものだ。

 信頼する仲間だからという理由で、だれかに預けてしまってよいものであるはずがない。

 

 ユガが──まだ、《ねがい》の化身:オーバーロードとなる以前の、まぎれもない英雄であったユガディールが書き記し続け、解き明かそうとした《ポータル》=《フォーカス》や《御方》の、そしてもしかしたらこの世界そのものの成立に関わる研究。

 文字通り生涯を、命を捧げた、その成果なのだ。

 

「そうだね。ボクが愚かだった。でも、これをひとりで読み解くことはできない。ボクにはまだまだぜんぜん知識も経験も足りない。読み解いたと思ったことが間違いであるかもしれない。その可能性を少しでも減らしたい。一緒に読み解いて欲しい。イズマの知恵を貸して欲しいんだ」

「アシュレ──以前にも言ったけれど、ボクちんは《御方》どもに呪われてる。奴らのことに言及しようとすると、自らの存在を薄められるように肉体も精神も軋むんだ。だから、キミの力にどれほどなってあげられるかはわからない。だけど、できる限りのことはすると誓おう。それでいいかい?」


 もちろん、とアシュレは頷き、イズマに握手を求めた。

 こんどは土蜘蛛の王もためらいなく、手を差し出した。

 

 シオンはその男ふたりのやりとりをまぶしいものを見るかのように眺めていた。

 だが、ふと顔を巡らすと、その場に座す全ての女性が、自分と同じ顔でそのふたりを見つめていることに気がつき、動悸を覚えた。

 

 なんであろうか。

 アシュレへの思慕の想いを隠そうともしないアスカが、同じ感慨を抱くことはわかる。

 また土蜘蛛の姫巫女であるというエレが、その恋慕の情から転じた想いによってイズマをつけ狙っていた過去も知っている。

 それがふたたび思慕へと転じたのであるから、その視線が向く先はイズマに対してであることもはっきりと見て取れる。

 

 だが、なんだ?

 ここに来て、つい先ほどまでアシュレに対しては、どちらかと言えば冷淡な態度を取り続けてきたアテルイの視線に、隠しきれない熱が乗っているのを感じるのは。

 そういえば先ほどサウナにほとんど同時に駆けつけたふたりは、互いに半裸ではなかったか?

 どくり、と胸が不整脈を打った。

 

 悋気りんき──その不意の鼓動の乱れは、嫉妬と疑心暗鬼が渦を巻く前兆だと、シオンはイリスやアスカに指摘され、ようやく自覚するようになっていた。

 明確にアシュレの所有物であるのは、わたしだけであるはずなのに。

 そんなことわかりきっているはずなのに、胸が痛んでしかたがないのだ。

 

「では、さきほどの刺客たちは、そちらの姫巫女:エレの率いるベッサリオンの氏族、組織:シビリ・シュメリの手の者だというのだな」


 己の感情に翻弄され動揺するシオンを尻目に、アスカはこの場の主として、オズマドラの皇子としての役目を果たしていた。

 事情を聞き出し、対処すべきは対処する。

 為政者にとってはそれが最優先だ。

 

「うん。その通りなんだけど、実際には彼らは命令に従っただけなんだ。それも古い棟梁であるカルカサス……エレとここにはいないけどエルマメイムの実兄の命令にね。ちなみに、そんな混乱が起きたのはボクちんのせいで──」


 エレを庇うようにイズマが身を乗り出してアスカに弁明した。

 そのそでをエレが掴み、必死にイズマを引き止める。

 それから、絨毯じゅうたんに用意されていたクッションから下り、進み出ると平身低頭して詫びた。

 すでに武装の全てを解き、礼装に着替えてのことだ。

 

「すべては、わたくし、エレヒメラの不徳といたすところ。イズマ様に責任はありませぬ。どうか、こたびのこと、わたくしの身ひとつ、命ひとつでお収めくださいますよう、アスカリア殿下には、なにとぞ」


 だが、このように腹を括りきった態度で頭を下げられれば、怒りなどきれいさっぱり忘れてしまうアスカである。

 

「その誤解を解くために、姫巫女御自らこの地へ参られたのだろ? 身代わりを立て、己は後陣に立てこもって責任を転嫁したがるような輩であったなら、その首一刀のもとに跳ね飛ばすところだが。その身をかけて責任を果たそうとする指導者を悪戯に失うことは、我らにとっても重大な損失と、このアスカリア、心得るところ。どうか、面を上げられたい」

 アスカの言葉を受けてもエレは微動だにしなかった。

 

 もとより生真面目な性格なのである。

 いまでもイズマに対し、己が為した所業の数々を許せていないほどなのだ。

 だが、そこはさすがに皇子。

 アスカは人心を見抜いたものであった。

 

「姫巫女にそうされたままでは、我らも話を続けられまい。再会を祝う宴も始まる。どうか、面を」


 そう言いながら、己も座していたクッションから進み出でて、その手を自ら取った。

 戸惑いながらおずおずと顔を上げるエレの目元は、涙に濡れていた。

 アスカはその涙を唇で受け止める。

 さあっ、とエレの頬に朱がさした。

 

「塩辛い……なるほど、土蜘蛛と人間、さほどかわらぬな」

 そう言って笑うアスカの人柄に、さすがのエレも感服する他なかった。

「さて、謝罪の時間は終わりだ。それよりも情報交換がしたい。まずは、暗殺教団であるシビリ・シュメリのこと、そして、なぜわたしの暗殺を彼らが画策したのか。それら秘事のすべてを。もし、国の大事であればすぐにでも手を打たねばならぬゆえ」


 アスカはそう言うと、部屋の隅に控えていたアテルイに合図した。

 宴をはじめよというそれだ。

 腹が減ってはロクに考えることもできまい、というのがアスカの持論であり、それを証明するようにアスカとアシュレの、それからシオンのそれが、それぞれに個性的な音で鳴ったのだ。




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