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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第一話:降臨王のデクストラス
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■第十八夜:夜明けの流星

 二騎にまたがった三人はときの声をあげ、高台から一直線に駆け降りた。


 尻込みするような断崖だったが、馬もヒトも躊躇ちゅうちょするようなものはいない。


挿絵(By みてみん)


 グランが彼らを認め、武器を構え直した瞬間、彼らは三方に別れた。

 シオンが馬を蹴って錐揉きりもみするハヤブサの狩りのやり方そっくりに加速し、敵陣に突入した。

 それにアシュレが続く。イズマはなんと崖の壁面を走った。

 羊は平地に比べれば低速ながら、平然とその離れ業をやってのけた。

 まるでイシュガルの霊峰にむという大角山羊エルダーホーン・ゴウトのようだった。


 おおおおおおおおッ、とひときわ大きくグランがいた。

 そして、邪悪な生物の脊椎を連想させる刃:〈ニーズホグ〉が飛来する。

 巨大化したナハトに合わせ、それもまた《ねがい》を吸い込み質量を増大させていた。

 蛇のようにしなりながら、巨大な刃の群れが透明化してアシュレとシオンを追う。


「おおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 負けじとアシュレが叫ぶ。

 そして、グランめがけ最初の一撃を放った。


 一筋の光条が深まった夜の底を切り裂いた。

 ビシィッ、となにもないはずの空間に閃光が飛び散り、光条の進路がわずかに逸れた。透明化して飛来する〈ニーズホグ〉を撃墜したのだ。

 その一撃は〈ニーズホグ〉を破壊するまではいたらなかったが、刃の表面に深い傷を与えた。攻撃を押し返す。

 だが、光条が逸らされたことで、当初の攻撃目標であった使い魔の撃墜にいたらなかい。

 光条は羽根をかすめ、使い魔が恨みがましい声でいた。


「外れたッ⁉」

「いんや、あれでいいッ。見ろ、頭を押さえたッ」

 大音声でイズマが怒鳴り返す。

 ずしん、とグランの足下で土煙があがった。

 まさに飛び立とうとしていた証拠だった。

 アシュレの一撃でバランスが崩れ、膝をついたのだ。


「んじゃあ、本命、いってみようかッ!」


 言われるまでもなかった。

 アシュレは技の続きを行った。

 ――《クロスベイン・ファイアドレイクズ》。

 イゴの村防衛戦で大型攻城兵器を粉砕した大技を、序盤から惜しげもなく投入した。


 そして、アシュレが技を展開させながら着地するその先には、すでにシオンが布陣していた。

 もはや戦のためというより、主たるグランを讚えるため集まった群衆である亡者たち一千に対し、シオンもまた《クリムソン・ヒュー・スーパーノヴァ》で応手する。


「平らかにしてくれる」

 広域殲滅せんめつ用の技である《プラズマティック・アルジェント》とは効果範囲は似ていても真逆の性質を持つ。

 向こうが相手を引きずり込みながら粉砕する乱流なら、こちらは爆発的な勢いで敵を打ち倒す衝撃波の壁を生み出す技だった。


 その名の通り、深紅の衝撃波がアシュレの足下で爆ぜた。

 瞬時に燃え尽きながら亡者たちの群れが、同心円状に消し飛んでいく。


 超低空を這う攻撃は範囲型だが、磔刑たっけい台のアルマをおもんばかってのものでもあった。

 ヴィトライオンはその風に乗り、滑るように着地して、遅滞ちたいなく加速を開始する。

 まるで、紅蓮の道標がアシュレの行く先を教えてくれているようだ。


 アシュレは迷わず加速し、金色の輝きに包まれた。終了動作中のシオンを追い抜いた。

 戦場をバラの香りが駆け抜けた。先行する衝撃波がついにグランを捕らえ、その表面に突き立った。

 がああああああっっ、と魔王が苦悶くもんいた。

 だが、アシュレは攻め手を緩めるつもりなどなかった。


「おおおおおおおおおッ」

 腹の底から声が響いた。

 シオンの〈ローズ・アブソリュート〉に続いて軍馬の突進力が加わったアシュレの技を喰らえば、いかな魔王でも無事でいられるはずがなかった。


 激突の瞬間、がつん、と鉄の壁を叩いたような衝撃があった。

 全身を満たす《スピンドル》が反動を吸収する技でなければ、アシュレの肩ごと腕が抜けているほどの反動。


 手応えはあった。

 しかし、それは別の意味で衝撃的な光景でもあった。


 グランの六腕のうち二本が〈シヴニール〉を受け止めていた。

 肉は裂け、折れた骨が剥き出しになっていたが、恐ろしく太い前腕とナイフのような爪を備えた合計十二本の指が、必殺の突撃技の全エネルギーを胸板の直前で受け止めていた。

 発達した上腕と肩の筋肉が岩棚のような陰影を造り上げている。

 両腕の傷口から紫色の血液が噴水のように吹き上がっている。

 だが、グランにはいっこうにこたえた様子さえなかった。


「アシュレ、かまうな、ぶちかませッ!」

 頭上からイズマの声がした。


 言われるまでもなかった――〈ブランヴェル〉。

 アシュレは即座に《スピンドル》を励起れいきし《ブレイズ・ウィール》を起動させようとした。

 受け止めている腕ごと力場で粉砕する。

 ヒトでないものに相対するにはヒトとは違う法――作法が――必要だということをアシュレはすでに学び終えていた。

 だが、その予備動作の途中、グランが攻撃を仕掛けてきた。


 巨大な槍と化した聖遺物:〈デクストラス〉! 

 

 ごつりッ、と巨岩を受けてしまったかのような一撃に、アシュレはバランスを崩した。

 クワワアアン、と〈ブランヴェル〉がひしいだ。

 足下が滑る音がした。 

 ヴィトライオンが斜めからのエネルギーを受けきれなかったのだ。

 なまじ強力な盾が、攻撃を防ぎきったせいだ。

 技の出かかりでなければアシュレも危なかっただろう。

 腕に、肩に《スピンドル》が通ってなければ、おしまいだった。


 これは〈デクストラス〉の威力がどうのこうのという以前の問題だ。

 グランの膂力がケタ違いなのである。


 アシュレは〈シヴニール〉から手を放し、乗騎がたたらを踏んで下がるのを許す。

 そうしなければ馬の脚が折れていた。

 そこに追い討ちが来た。


 ごお、と空気を吸い込む音がした。

 グランの上背が一瞬で倍にも膨れ上がったかのような錯覚をアシュレは感じた。

 

 ブレスが来る。

 そう思った瞬間にアシュレは馬上を放棄していた。

 ヴィトライオンをかばうように前方へ降りる。

 反射的に《ブレイズ・ウィール》を起動させる。

 間一髪だった。


 凄まじい高温と硫黄の匂い、そして耳障りな羽音。かつてグランの着衣であった黒雲は姿を変え、その内部に息づいていた。

 灼熱の硫黄の息と混じり合い、犠牲者を確実にほふる最悪の攻撃手段になっていた。《ブリムストン・ヴァイラス》。

 なみの盾なら、一瞬で受けた盾ごとこの世から消し去る技だった。


「ヴィトライオン、逃げろッ!」

 アシュレは必死に防ぎ止めながら、愛馬に命じた。

 ヴィトライオンは躊躇なく馬首を巡らせる。

 瞬きするほどの間の遅延が、互いの死を招くとわかっていた。賢い馬だった。


 一瞬の攻防がアシュレには何時間分にも感じられた。

 息つく間がないとはこのことだった。

 はっとする間もなく追撃が来た。

 荒れ狂う力場による能動的防御:《ブレイズ・ウィール》の技の切れ目をグランが突いた。


 聖遺物:〈デクストラス〉での刺突。

 とてつもない重さが盾にかかった。アシュレは膝をついてしまった。全身をバネにしてなんとか威力を殺した。

 しかし、もう一撃は受けきれない。


「アシュレ、前へッ、そなたの槍を取れ!」

 後から素晴らしい速度でシオンが駆けつけてくれた。

 そのまま斜めへ走り込みながら大剣を振う。

 金色の輝きが網膜に焼きついた。


 聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉の突撃技:《ゴールド・アンフィニ》。

 放出すべきエネルギーを《スピンドル》で収束させることにより威力を最大値化させる。ほとんどプラズマ化した刃の一撃を防げるものなど、この世には存在しない。

 だが、凄すさまじい負担とリスクを使用者に強いるため要所で使うべき技のはずだった。


 アシュレはシオンの言葉を信じて前へ出た。転がるように。

 盾の表面をグランの一撃が滑っていった。

 危なかった。一瞬でも迷っていたらおしまいだった。


 果たして、眼前に〈シヴニール〉がその柄を向けてくれていた。

 掴め、と言わんばかりだった。


 白煙の向こうでシオンの斬撃がグランの腕を二本とも切り飛ばし、再生の隙さえ与えず消し炭に変えていた。アシュレは走る。

 そして槍の柄に手をかけざま、攻撃を放つ。

 技以前のものだったが、速度を優先させた。

 駆け抜けざまの牽制のつもりだった。


 そして、その判断は二重にアシュレたちを救う。


 牽制の光条はグランの脇腹の浅いところを貫いて抜けた。

 人間ならそれでお終いだが、グランの肉体は揺るがない。

 だが、その衝撃が作った隙が、同時に展開中だった技を数秒、遅延させた。


「グラビティ!」

 イズマが警告した。

 危険な加重能力:《グラビティ・スフィア》の効果範囲から、アシュレは逃れるべく増速した。

 前方にシオンがいた。速度が落ちている。


 先ほど放った大技・《ゴールド・アンフィニ》の負荷に相違なかった。

 両手のさきから血が滴っていた。

 毛細血管が裂け、出血していた。

 一時的にショックで神経がマヒを起こしているのだろう。うまく剣を捌けないようだ。

 夜魔であるシオンにとって数秒で回復する程度の傷だったが、戦場はその数秒を争う事態だった。

 このままでは、ぎりぎり加重の効果範囲の端に捕らえられてしまう。


 ひ、とその足下を影がよぎったようにアシュレには見えた。


 次の瞬間、シオンの両脚がふくらはぎのところで両断された。

 血の華が咲き、シオンの身体が投げ出される。〈ニーズホグ〉。

 

 アシュレの攻撃を受けた一枚だけが透明化の能力を失い、キュラキュラキュラッ、と耳障りな音を残し、猛禽もうきんのような姿をさらして旋回していった。


 アシュレは迷わず〈シヴニール〉を捨て、シオンをキャッチした。

 体重に大剣を加えた重量がのしかかる。そのままアシュレも体勢を崩した。

 転倒する。


 ぐるり、と世界が流転した。


 アシュレの身体は地面に激突する寸前、強力な反作用で宙を舞った。

 そのまま十メテルほども慣性のまま跳んで着地した。

 シオンを横抱きにして。


 先のナハト戦では偶然だったできごとを、アシュレはすでに己の《意志》で行える技術に研ぎ直していた。

 己が盾:〈ブランヴェル〉の力場操作による立体機動。

 この柔軟で素早い学習能力・応用能力こそがアシュレの才能だった。

 直前までシオンのいた場所を不可視の重力球が襲い、遅れて〈ニーズホグ〉の斧のような尖端が突き立った。


「いける?」

 アシュレはシオンに確認した。

 シオンの傷はすでに嘘のように癒着している。

 切り飛ばされた脚を血が糸を引くように絡め捕り、ここまでいっしょに放り投げられてきたのだ。

 腕からしていた出血も、形跡すら、すでにどこにもない。

 シオンは無言でアシュレの首筋に顔を埋めた。

 軽く首筋を噛まれた。


「礼だ……コウモリ式のな」

 シオンの表情は見えなかった。

 直後に呆然とするアシュレの腕から自力で立ち上がり、大剣を構え直したからだ。


「《チェインズ・オブ・アストラルベイン》!」

 瞬間、夜空に銀糸の花火があがったようにアシュレからは見えた。

 それまで戦況を指示していたイズマがしかけたのだ。


 技を放ち終え、一瞬無防備になったグランを、背後から銀色に輝く無数の蜘蛛の糸が襲う。 

 イズマらしい戦法だった。

 それらは絡みつくと同時に白銀のふしぎな煙をあげた。

 グランが、この世のものとは思えぬ声でいた。

 アシュレの槍を受け、シオンの大剣によって両腕を切断されても声ひとつあげなかった魔王が、だ。


「どーよどーよ、やっぱし霊質に直に、てーのは効くでしょ!」

 そいつは霊質に効くのさ。

 無効化なんかできゃしないよ、苦痛に耐性があって炎や酸に強くったって、自分の本質があげる軋みを無視できるもんか。イズマは高らかに言った。

 その直後だった。

 グランが槍を一閃させた。

 糸が切れた。

 グランの得物:〈デクストラス〉は同じように生物の本質を貫く刃だった。

 切断は可能だった。


「あっらー」

 慌てるイズマを、こんどは吐息ブレスが襲った。

 大慌てで退避する羊の直後を、真っ黒な炎が舐めていく。

 そしてブレスの吹きつけられた跡は汚染され、しばらくは立ち入れない領域エリアとなる。


 しかし、戦果はあった。

 イズマの技は、グランほど強力な実存を持たぬ使い魔たちを一掃していた。

 恨みがましい声を上げて、羽根つきの悪魔たちは燃え尽きる。

 アシュレはその隙を見逃さず、竜槍:〈シヴニール〉を取り返した。

 



 戦いは数時間に及んだ。

 

 いつの間にか空が白んできたことに、アシュレが気がついたのは、ずっと後になってからだ。

 恐るべきタフネスをグランは見せつけた。

 切りつけ、突き込み、焼き切っても、陥落しなかった。

 六本の腕のうち三本を切り飛ばしても、顔半分の皮が削げ、角を半分叩き落とされてもなお、膝をつかなかった。


 滝のような汗がアシュレの全身を流れ落ちていく。

 連携の合間に水を含み、イズマが渡してくれていた薬品を使用していなければ、とっくに根をあげていたのは、こちらの方だったろう。


挿絵(By みてみん)


 巨大な“悪”という概念そのものと対峙しているような気分に、アシュレはなった。

 だとしたら、自分たちは決して勝てないのではないか。

 なぜならそれはヒトの心から“悪”を取り除けないのと同じで。

 そんな妄想が疲れた心の片隅に黒雲のように湧いた。

 アシュレは首を振って妄念を振りほどこうとした。


「どうか」と、となりでシオンが訊いた。

「相当な手傷を負わせている。まだまだってことはありえないと思うけど……」

 倒れてくれ。祈るようにアシュレは言った。

「来るぞ」


 ふたりは散開した。

 グランが槍を構えた。アシュレは信じ難いものを見た。


 わらっていた。

 グランが声もなく、皮の削げた唇を歪めて、歯を剥き出して。

 アシュレは己のなかの弱さを見透かされたような気がした。


 キリがないから、どうしようもないから、消し去れるはずがないから――だからといって諦めてしまってはだめなのだ、と数時間前、アシュレは仲間たちに告げた。

 それなのにたった一刻あまりの苦闘のなかで、苦難に屈しそうになっている自分がいた。


 グランは王として、その苦痛に、いったいどれほどの時を耐えていたのか。

 シオンの語った人間としてのグランのありさまを、アシュレはまざまざと思い出していた。


 人々の善導を夢見た孤独な降臨王。

 すべてを賭してそれを成し遂げんとし、〈パラグラム〉に辿り着き、バケモノに成り果てた。

 それはたしかに、結果として堕落だらくと呼ばれる所業だったかもしれない。


 だが、たった一刻も理想を維持できぬ人間が、指さしてその所業を悪しざまに罵れるものか?


 アルマも、ユーニスも、ナハトも、己の夢に殉じた。

 ヒトであることをやめても、彼らには欲しいものがあった。

 

 理想の高さ、低さではない。この世界では、実現できぬ夢を彼らは見た。

 そして行動した。それを成し遂げんと。


 では、オマエはどうなのだ。

 グランの嘲笑ちょうしょうはそう言っているように、アシュレには感じられた。


 挑発されている、と理性ではわかっていた。

 はらわたの煮えくり返るような怒りが、瞬間最大風速的にいた。

 それはグランへのものではない。

 ふがいない自身への怒りだ。


 アシュレは駆け出そうとした。

 だが、それよりもはやくシオンが突出した。


 グランへの負い目と、自己の責任、そして理想を同じくしたと信じた同志に裏切られたという怒りが、シオンのなかには拭いようもなくあったのだ。

 

 普段はそれを忘れていても、シオンという存在の中にそれは深く突き立った棘だった。

 情け深いシオンの優しさは、同時に辛酸の記憶を忘れることができないという牢獄の虜囚りょしゅうとしての苦役も表していた。


「ヒトの子に《ねがい》を押しつけて救い主を作り出したところで、だれも救われぬ! 

〈パラグラム〉など、《ねがう》だけで夢を叶える秘蹟ひせきなど、あってはならぬのだ――永劫の命と同じように。

 それはただ、ヒトを貶めるだけの存在なのだ。

 だれがそれで幸せになった、だれが救われたッ? 

 祖国も、民も、孫娘も、そなた、そなた自身も! グランッ!」


 シオンの声は半ば泣き声だった。

 その想いがアシュレには痛いほどわかった。

 グランに言葉はない。

 それは、すでに言葉など尽くしたという態度に、アシュレには見えた。

 かわりに行動でグランは答えた。


 くるり、と槍が回った。百八十度。

 切先は己に向いていた。信じられなかった。


「ならぬ、ならぬッ、やめよ、グラン、そなた、お願いだッ、それではッ、そなたがッ」

 シオンが防御も忘れてグランに駆け寄った。

 悲痛な叫び。〈ローズ・アブソリュート〉を取り落としてしまうのではないかという勢いで。

 アシュレはシオンを全速で追う。

 あきらかに危険だった。


 間に合わなかった。ごぶり、と鈍い音がした。


 槍が、〈デクストラス〉が、その切先が、グランの分厚い胸板をたやすく貫いた。

 グランが膝をついた。わらっていた。

 すべての“悪”を引き受けることにわらっていた。


 アシュレは磔刑台の純白の花嫁を見た。

 アルマ、そしてユーニスを。

 これが、これが、きみたちが、いや、ボクたちが《ねがった》結末だというのか。

 こんなにも、こんなにも、キミたちは、この世界を憎んでいたのか。


 ばくり、とグランの胸郭が内側から割けた。

 そこから腕がのぞいた。最初はひとつ、やがて無数に。

 鎧戸を開けるようにあばらに手がかかった。


 そこから、濁流のように悪意の手が湧いた――《そうするちから》の具現がそこにはあった。

 悪霊の叫びがグランの喉を楽器として迸った。

 吹きつける底なしの悪意が嵐となった。

 グランの眼窩がんかからは漆黒の奔流がれ出していた。


 そこに《意志》などなかった。

 かつてグランと呼ばれた男が夢を見た理想の残滓など、どこにもなかった。

 

 これほどの“悪”をもってしか肩代わりできぬ《ねがい》とはなにか。

 アシュレにはわからなかった。

 悪意の濁流がシオンを捕らえ、助けようとしたアシュレも呑まれる。

 無数の腕がふたりを拘束し、《そうする》べく強いた。


 防御すべく〈ブランヴェル〉を起動し、〈シヴニール〉で焼いたが焼け石に水だった。

 シオンの王冠がはじき飛ばされた。


 アシュレは濁流のなかで、グランがふたたび〈デクストラス〉を構えるのを見た。

 狙いはシオンだった。

 必死にシオンのかたわらに辿り着き彼女を抱く。

 守れるかどうかなど、考えもしなかった。

 とっさのことだった。


 そして、穂先と化した〈デクストラス〉が飛来した。

 ぞぶ、と刃が食い込むあの音がした。


〈デクストラス〉は死を与えないだろう。

 だが、死よりもはるかにおぞましい結末が、ふたりを待つことは確実だろう。

 アシュレが間に入ったからといって、〈デクストラス〉が止まるとは思えなかった。

 それでも、シオンをかばわずにはいられなかった。


 だが、最期の瞬間はいつまでたっても訪れなかった。


「こらッ、ふたりッ、いつまで目ぇつむってんの。あと、いちゃつき禁止って最初にも言ったネ!」

 イズマが背を向けて立っていた。

 羊にまたがり、いかなる方法によってか、叩きつけるような悪意の奔流を意にも介さず。


 アシュレは一瞬、いつもの調子に苦笑しかけた。笑えなかった。


 イズマの肉体を槍が貫通し、切先がアシュレの鼻先にまで迫っていた。

 ギリギリで〈デクストラス〉は止まっていた。

 イズマがこちらを振り向く。


「イズマ……さん」

「さん付け禁止。これも言った」

 イズマが微笑んだ。

 それからグランに向き直ると、二度と振り向かなかった。


「グランさんよぉ、うちの大事な姫とチビッコにずいぶんなことしてくれたじゃねーかよ。

 ――“悪”だ、《ねがい》だ、責任だ? 

 大層なこと言ってるけど、んなもんひとりっきりで背負いきれるわきゃねーだろがッ! 

 この世界が悪いってーなら、そりゃね、いままで生きてきた大人全員のせいなんですよ。オレもアンタも等しくね。

 そしてね、やがて大人になるんだから、子供だって推定同罪さ。

 それを正すにはだれのせいにもできない――しない世界を創るしかねえんだ。

 でも残念ながら、アンタにはその時間がない。なかった。

 だから、そのことを問おうってんじゃーねえんだ」

 アンタ、心配されてんだよ。すくなくともこの子らふたりはそうだ。


 それから、イズマは磔刑台のアルマとユーニスに目を向けて言った。

 呼びかけた。


「ヒトのせいにしたいだろけど、ちょっとまってもらえねえかな。すくなくとも、アシュレや姫は、自分の責任を自分で取ろうとしてる。そういう奴らにアンタらの人生の責任を強いるのは、筋がちがわねぇか」


 問題はオトシマエなんだよ。


「グラン、あんたにゃ、同情するところがなくはない。

 だが、こいつはやりすぎだ。オトシマエはつけなきゃならん。

 オレはオレの責任で、アンタをほうむる。この茶番が、本当はだれの《ねがい》かなんてーのは関係ねえ」


 夢でも見ているのか。

 アシュレは呆然とイズマの姿を見守った。

 その頭頂から、イズマがほどけつつあった。

 一羽、二羽、それから無数の蝶に。

 青白く光り輝く蝶の群れに変じつつあった。


挿絵(By みてみん)


「《ムーンシャイン・フェイヴァー》」

 アシュレは、そのささやきをどこか遠いところで聞いた。

 光り輝く蝶はグランから生じたあらゆる悪意を、《悪》の群れを消し去っていった。

 悪意にくグランを包み込み、光で飾るように。

 イズマから生じた蝶は光の大河となってすべてを包み込んでいった。

 ごうごうと渦を巻く――《夢》の破片の集合体だった。


 うおおおおおおおおおおんんん、とグランがまたいた。


「ヒトの《夢》から生じたものは、やはり《夢》に還るのが筋だとは思わないか」

 イズマが消え去り、ざああああっ、という音とともに《ムーンシャイン・フェイヴァー》が展開するなか、新たにひとりの男が生じたのをアシュレは地べたに座り込み見上げた。


 王冠を戴いていた。黄金の。重たい。その重さに等しい重責を軽々と受け止めて。

 夢に見た、偉大な王がアシュレを見下ろしていた。


「なにを這いつくばっている」

 その声に覚えがあった。


 アシュレは立った。

 震える膝を押して。

 応じなければならない、とわかっていた。

 シオンに手を貸した。シオンもそう感じていたようだった。

 王冠をだれの手も借りずにかぶり直した。


「あとはオマエたちの選択だ」

 ——オマエはどうするのか。立ち上がったアシュレに古代の王は問うた。


「ボクが――ボクたちでやります。《夢》を《夢》へかえします」

 アシュレは迷わず決意を告げた。古代の王はわずかに笑った。

「ねだらなかったな」


 わずかだが、あの日見た夢とは違う結末にできたことを、アシュレは誇りに思った。

 するり、と男の袖から〈デクストラス〉が滑り出てきた。

 先ほどまでイズマ自身を貫いていた凶器だ。

 柄は光の蝶に侵食され失せていた。聖遺物である切先だけが残っていた。


「わかるか」

「こうですね」


 アシュレには〈デクストラス〉を手にした瞬間、その使い道がわかった。

 実はこれこそがアシュレの真の才能、秘められし最大の異能であったのだが、このときはまだ、それを確かめる術も時間もなかった。

 考えるより先に〈デクストラス〉を〈シヴニール〉の三叉に別れたレールへと手挟んだ。

 やじり――弾核として使うつもりだった。

〈デクストラス〉は、もともとがそうであったかのようにぴったりと馴染んだ。


「なにを穿うがてばよいか、わかっているか」

 はい。アシュレはグランを見た。その巨体を透かして背後の〈パラグラム〉を見た。

 偉大な古代の王・イズマガルムは、そのアシュレのまなざしに満足げに頷いた。


「イズマ」

 シオンが古代の王を——イズマと呼んだ。そのことにイズマは微笑した。胸を打たれるような笑顔だった。

「約束を果たそう。グランを救う、というあなたとの」

 うん。シオンは頷いた。

「アシュレが、彼を飛び越せるよう、助けてあげてください」


 あなたのその剣で。シオンはふたたび首肯した。


 イズマは、それきりなにも語らなかった。

 啼きつづけるグランに向かって羊を向かわせた。

 イズマの進む先で悪意が割れ、光る蝶がすべてを飲み込んでいった。

 それは一本の道だった。


「いこう」

 アシュレはシオンに言った。どうすればよいか、ふたりにはわかっていた。

 言葉は不要だった。


挿絵(By みてみん)


 アシュレは駆けた。隣りにシオンがいた。

 グランを《そうした》力の源を叩く。


 前を行くイズマの背に、アシュレは父を見た。

 同じようにシオンはルグィンを見ていたのかもしれなかった。

 責任を自ら選び取ったひとたちの歩みが、アシュレたちを前へと進めることを可能にしてくれていた。


 グランの直前でアシュレは〈ブランヴェル〉を地面に放った。

 盾は前方に向かって滑って行く。

 アシュレはシオンとともに増速し、その盾に乗った。ソリのように。

 そして《ブレイズ・ウィール》を起動させた。

 強力な回転力と反作用がかかり、ふたりは空へ舞い上がった。


 だが、まだ高さが足らなかった。


 それをシオンが補う。

 聖剣:〈ローズ・アブソリュート〉の刃を分離・展開させ〈ブランヴェル〉を背面から撃った。

 アシュレとともに、その威力を推進力に転用して跳躍した。

 電磁網によって連結され尾のように長く伸びた〈ローズ・アブソリュート〉をスタビライザに使い、射撃体勢を確保する。


挿絵(By みてみん)


 一瞬でありえないほどの高度を稼いだ。


 世界が見えた。

 そこには夜明けがあった。

 地平線のむこうから太陽が顔をのぞかせた。

 太陽はあまねく大地を照らすだろうが、そこには争いがあった。

 差別と不公平があり、無理解と理不尽に満ちていた。

 三百六十度あらゆる場所に。


 理想の世など、どこにもなかった。


 だが、だからといって歩みを止める気などアシュレにはなかった。

 諦めてはならない、と決めた。


 そ、とシオンがアシュレから身を離した。

 加速が終了する瞬間だった。最大火力で撃ち出す際の逆流に配慮したのだ。

 全開でやれ、という合図だとアシュレは受け取る。


 もとより、そのつもりだった。


 アシュレはありったけの《スピンドル》を起動させる。

 自身に負えるすべての《意志》を叩き込むつもりだった。

 光が過剰に集中するのを感じた。

 眼下に〈パラグラム〉の天蓋が見える。


 アシュレは叫んだ。


 なんという言葉だったか忘れてしまったが、強く、負けじと。

 世界が白黒に反転した。

 あまりに強い光がアシュレ自身の網膜を焼いた。

 だが、外す気も、外れる気もしなかった――《スピンドル》が真直ぐ彼を導いてくれていたからだ。


 アシュレは、最大出力で〈シヴニール〉を放った。




 アシュレから離れての着地間際、シオンは剣を振るってアルマを助け出した。

 そのまま落下すると、落下地点にイズマがいた。


 よせばいいのに。シオンは思う。

 すでにイズマの頭頂に王冠はなかった。

 いつものイズマだった。

 全裸の女性ふたりを受け止めるという大役に文字通り押しつぶされた。


 そして、直後に閃光が走った。

 世界の明暗が反転し、雷轟が腹の底まで響いた。

 耳を聾する大音響。


 身にまとった籠手:〈ハンズ・オブ・グローリー〉の表面を電流が走り、シオンは〈ローズ・アブソリュート〉を取り落とした。

 大気が一瞬で帯電するほどの一撃が打ち込まれたのだ。

 下で潰れて目を回すイズマの鼻先ぎりぎりに、切先が落ちたのは内緒だ。


 一瞬の静寂の後、〈パラグラム〉の天蓋から《ねがい》の柱が渦を巻き轟音とともに吹き上がった。

 天空まで届くそれは、しばらく消えなかった。


 溜め込まれていた《ねがい》が飛散しているのだ、と偉大な王の時のイズマがいたら解説してくれただろう。


 遅れてアシュレが落ちてきた。

 受け止める者がなく慌てた様子だったが、こちらは脚長羊が控えていた。

 羊はその柔らかすぎる体毛と四脚をクッションのように使ってアシュレを的確にキャッチしてくれた。

 羽根布団に落ちるように見事なキャッチングだった。


「やっと触れたよ、脚長羊。ふわっふわ。これ、ほんとに夢見心地なんだね」

 駆けつけたシオンにアシュレが放った第一声は、間が抜けていた。

 シオンは笑った。それから容赦なく抱きついてみた。


 グランは跡形も残らなかった。

 自らが望んだこととはいえ、骨の一片にいたるまでグランという男は消え去り、ただ彼の伝説だけが残った。


 救国の、偉大な――降臨王。


 おそらくは、この戦いに参加した者たち以外、だれも知らぬ真実は語られることもなく。


 そして、〈パラグラム〉も消失した。

 内側に折りたたまれるようにして。

 まるで虚構きょこうからきたものは虚構きょこうへとかえるのだと言わんばかりに。


 シオンはひとり戦場跡に立ち、グランをしのんだ。


 アシュレはまだ意識の戻らないアルマを案じて付き添そっている。

 脚長羊がベッドになっていた。

 イズマがあれこれと提案してはアシュレにダメ出しを喰らっている。

 なんとかしてアルマの裸身に手を触れたいらしい。

 ヴィトライオンが近づいてアシュレの頬に顔をよせた。

 アルマと同じように心配して欲しいのだ。


 どこからか、ふらふらとコウモリが舞い降りて、アシュレの頭に止まった。

 アシュレはまだ気づいていない。

 いままでどこにどうやって隠れていたのか、ヒラリだった。




 朝が谷の底に届くほど、あきらかになりはじめた。

 夜魔はひつぎに帰り眠る時間だ。


 だが、こうやかましくては眠れもしない、とシオンは思った。


 やれやれ、と溜息をつくと、男ふたりなのにやたらとかしましい仲間たちのもとへと歩いていった。


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)




 夜明けのそらを、星が流れていった。

 ひとすじの軌跡きせきを残して。









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