■第四夜:理不尽な世界に、ボクらは生きる(あるいは、こじらせちゃう予感)
「うわああああッ!! だれッ!! なにッ?!」
「アスカリア皇子より入浴のお手伝いをするよう申しつかりました、下僕のアテルイです──くそ。ご主人さま」
飛び上がったアシュレが振り返れば、そこにいたのは、あられもない姿のアテルイである。
レダマリアに対する想いを、その名とともに聞かれたような気がして、アシュレの動揺は不審者度MAXだ。
「なんでなんでなんで????? 頼んでない頼んでない頼んでない!!!!!」
「わたしだって好きでこんなことやっているわけではないんだ、この間抜けな、ご主人さまめ!」
怒りを無理やり飲み込むようにおかしな語法で話すアテルイを、アシュレは直視できない。
身に付けられた宝飾品と対照的に申し訳程度の布きれが最低限の部分を覆っているだけで、本当にそういう奉仕目的専用のものとしか理解できない衣類に身を包んだアテルイが跪いていたからだ。
ご丁寧に首には黄金の首輪とそこに繋がる同じく太い鎖が結わえられている。
アシュレの感性からすれば、むしろ裸のほうがマシなのでは、といういでたちだ。
「説明説明、説明を要求します!!!」
「さっき言っただろうが──バカか貴様は! ご主人さま」
健康的だが、充分に白い肌を朱に染めて言うアテルイの語尾につけられた「ご主人さま」には恐ろしく抑揚がなかった。
完全に棒だ。
「命令だから、だな、その仕方なしに──アスカ様の命令は絶対だ。ご主人さま」
なんでも語尾にご主人さまをつければ、相手を敬っていることになるわけではないことをアシュレは指摘したかったが、そんなことはアテルイだって百も承知だろう。
指摘したら殺される公算のほうが高かった。
「わ、わかったならさっさと命令せんか、この間抜けが! ご主人さま」
つまりアテルイはアスカに命じられてアシュレの浴室係としての奉仕を命じられたわけだ。
ちなみにアラム圏では首から下の肌を男にさらした娘はその男の伴侶となるか、男を殺すか、自害するかの選択をしないかぎり、奴隷か娼婦と見なされるという慣例がある。
都市部ではこの戒律は形骸化しつつあるものの、砂漠に暮らす部族のあいだでは、いまもなお厳格に掟が守られていると聞く。
「いやあのその、ちょとのぼせてきたので、のどが渇きませんか? みたいな?」
「なんだ、それならさっさと言え! こっちに来んかっ! このノロマめ! ご主人さまッ」
いよいよ激高が最高潮に達してきたのだろう。
アテルイがアシュレを冷泉の沸く噴水の近くに誘導した。
熱気が遠ざかりひやりとした空気が肌に心地よい。
がしゃり、と乱暴な音がして飲み物一式を載せた銀盆がやってきた。
アシュレとしては、さきほど口の端にのぼらせた女の名前──新法王であるレダマリアが、自分の幼なじみだと、ここで関係を誤解を生じさせずに、説明しきる自信がない。
いろいろと話題を変えたかった。
「さっさと杯を持つがいい! それからさっさと飲め! ご主人さま」
アテルイががぼりがぼり、と乱暴に飲み物を注ぐ。
見事な切子細工のグラスに注がれたのは、柑橘類を漬けたハチミツ酒と清水を割ったものだ。
「おいし。アテルイさんもどう?」
「わたしは貴様への奉仕を主に命ぜられた奴隷だッ。ともに飲んで良いはずがないだろう! そんなこともわからんのか、このご主人さまは!」
味などまったく判らなかったが、冷たいそれが喉を通っていく感触にすがるような気持ちでアシュレは杯を干す。
会話のきっかけが欲しくてアテルイに杯を勧めたのだが、逆に怒らせてしまったようだった。
ある事件のおかげでアシュレはアテルイはじつに微妙な関係だ。
いや、不可抗力だとは思いたいのだが、あの事件以来アテルイの視線はアシュレに対して敵対的だ。
そしてそれを知っているはずなのに、いや知っているからこそ、アスカはことあるごとにアテルイに命令して、アシュレとくっつけようとする。
面白がっているのだ。
悪戯では済まされない、とアシュレは思う。
嫌がっている女性にこんなことを強要するのは、胃が痛くなるほどつらい。
アシュレの良心は自害寸前だ。
ただ、まあ、その、なんというか、ここ最近の経験で女性の反応にはいろいろと複雑な段階があり、ごくごく限られた非常に稀なケースと相性によっては、逆に大変喜ばれてしまうことがある、という認識もたしかにあった。
すべては完全に個人的な経験則に過ぎないのだが。
だが、これはいけない。
だめなことです、とアシュレは思う。
「あ、あのお話がしたいんですが」
「ひとりでいくらでも喋るがいいッ、ご主人さまはッ!」
だめだ、完全に平行線だ。
そうとうに嫌われているらしいことだけは、理解できた。
それは、これまでの経緯をふり返るに、当然と言えば当然なのだが。
だが、アシュレのほうは少なくともアテルイに聞きただしたいことがあった。
うーん、と頭を捻る。
ひとつだけ妙案が浮かんだ。
「ア、アテルイさん」
「なにか用か、ないなら黙って飲むがいい。ご主人さま」
ふたたび杯から溢れるほど注がれて、ついにアシュレは腹を括った。
「──アテルイ、オマエも杯を取れ」
冷ややかにアシュレは命じた。
びくりっ、とアテルイの手が震え、ガラス製の杯のふちに金で補強された注ぎ口がふれて硬質な音を立てる。
その瞳に怯えたような、しかし熱を孕んだ光が宿るのをアシュレは、はっきりと見た。
アテルイは戸惑うような仕草で陶器製の酒器を置くと、言われるがまま杯を手に取った。
アシュレは有無を言わさずそこに酒を注ぐ。
「あ、あの、これは──どうしたら、ご主人さ、ま?」
「乾杯だ。飲んで」
命令口調で告げると、アテルイは頬を染めてひとくち、淡い金色に輝くそれを口に含んだ。
「どう?」
「おいし、です」
先ほどまでの勢いはどこへやら、急にしおらしくなってアテルイが答えた。
機を得たり、とアシュレは続ける。
「聞いて」と命じて。
「まず、その、謝罪します。この都市:ジラフ・ハザに来て間もないとき、サムサラ宮の寝室で、あなたの肌を見てしまった。その……アラムの掟も存じています。ただ、あのときは、なんというか不可抗力だった。アテルイが、いきなり乱入してきて、刃傷沙汰に及ぶから……こっちも必死で」
ぴしり、と杯に口をつけかけたアテルイが固まる。
「それで、あの、なんというか……アレ以来、アスカが手を回して、やたらとあなたに理不尽な役を、ですね、押し付けているんじゃないか、って。ええと、だから……」
もし、そうであるのなら、ボクのほうからアスカにキチンと断るので、正直に言って欲しいんです。
しどろもどろな弁解と釈明ではあったが、結論の部分だけは、しかし、ハッキリとアテルイを見ながら言うことができた。
「わたしは、主君の命に服しているだけだが、ご主人さま」
ことさら事務的な声でアテルイが返す。
「そういうことを言っているんじゃない」
頑ななアテルイの言葉に、しかしアシュレはひるまず続けた。
とても大事なことだったからだ。
「ほんとうに嫌がっている女性を隷属させて悦に入るような精神性を、ボクは持ち合わせていないし、どちらかというと気分が悪くなるほうなんだ」
「しかし、だから、それは、我が主の」
「あなたのような女性を奴隷としてあつかうようなことは、ボクにはできないし、苦痛だ、と言っているんです。もし、あなたに拒否権がないのなら、ボクからアスカに直談判する」
アシュレが静かに、しかし、きっぱりと言いきったとたん、だった。
はしっ、と手を握られた。
「談判など、やめてくれ」
とっさに、という感じでアシュレに伸ばされたアテルイの指は強ばり震えて、その瞳には隠しようのない怯えがあった。
「アスカが怖いの? あなたが、彼女の奴隷だから?」
アシュレの問いに、アテルイは首を振って即座に否定した。
「ちがう! そうではない! たしかにわたしは、アスカさまの下僕にすぎない! だが、オマエたちは、我がオズマドラにおける奴隷制度を勘違いしているぞ! そういうんじゃないぞ!」
「たしかに、かつてはそうでした。ボクは不勉強だった」
アテルイの反論に、アシュレは頷き、己の過去の不明を認めた。
オズマドラ帝国、そしてアラム圏は奴隷の存在を、法で認める文化圏である。
いっぽうで奴隷の存在を認めないイクス教圏は、その点を指摘して「邪教」とアラムを指弾することがよくある。
遥か古代の統一王朝:アガンティリスもやはり奴隷制度を持った国家だったが、急進的なイクス教徒のなかには、やはり同じ論調で断ずるものがすくなくない。
しかし、法に明記されているということは、逆説的には奴隷の扱いに対して明確なルールがあるということだ。
またそのルールには奴隷の生存や権利に関する条項が事細かに記されている。
おざなりなものでは、断じてない。
大胆にその内容を要約すると、主人だからといって、あまりに無体な命令を奴隷たちに強いることはできないように、それらは制定されていたのである。
付け加えるならば、市民権を持つ階級が奴隷に対して行った非道には、強烈な厳罰が存在する。
たしかに少年少女に労働を強制するシステムと見なしたり、愛玩奴隷という存在について詳しい議論をすれば、心証を害するイクス教徒は多かろう。
アシュレもどちらかと言えば、そちら側の人間だったからよくわかる。
けれども、ひるがえってイクス教圏はどうだろうか。
奴隷はいない、女子供を隷属などさせない、と威勢の良いことを為政者や聖職者は謳う。
だが、実際はそうではない。
そうではないのが現実だ。
貧困層には権利を主張し、そこから這い上がるために必要な知識も教養も与えられず。
子供たちは結果的に幼い頃から労働力として従事し、いや、搾取され。
厳格な階層社会によって、職業も恋愛も自由ではない。
ただただ、彼らは「奴隷ではない」と法が定めているだけ。
いや、法的に認めるとは、公式に存在すると認めたことになるから「認めない」だけ。
そういう社会に人生を狂わされたヒトたちを見てきたアシュレには、「奴隷を法的に認める」というアラム式の統治のほうが、まだ救いがあるように思えてきたのだ。
なにしろ、奴隷の身分から、市民になることを許される制度すら、そこには記されていたからだ。
実際に、主人に愛され、身分から解放されたあとで、正規に求婚された奴隷の話をアシュレはジラフ・ハザで、何度も聞いた。
才気ある少年少女には読み書きに計算、さらにはもっと高度な教育が施されることも珍しくない。
主人と談笑し、まるで友であるかのように扱われる奴隷たちを幾人も見た。
年老いて働けなくなった奴隷たちのための施設さえ、市中・街中にいくつもある。
人身売買を正当化するつもりはアシュレには毛頭ない。
だが、すでにあるものを認めて、そのよりよい運用法について検討する発想と、実質的にはあるのに、ないものとして扱う思考とでは、大きな違いがある。
現実を認める、ということのほかにもうひとつ。
「もし、改革するのならば、なにをどのように変えなければならないか」を、実際的な問題として、眼前で成文化された法を確かめながら議論できることだ。
イクス教的世界では、その不合理・不都合は「そもそもない」ことになっているから、まず議論のしようがない。
現実には明日をも知れぬ生活に耐え忍びながら、ただ法的には「奴隷などいない」というだけで、実際は奴隷以下の人生を強要される人々の存在は、無視されてきた。
この決定的な差は、アシュレがアラム圏に身を置き、文化を学ぶなかで痛切に感じている違いだった。
「たしかに、ボクは不勉強でした。でも、いまはすこしちがう。それを学んだからこそ、学びつつあるからこそ、言っているんです。アテルイさんは、ボクが気に入らないんでしょう? 嫌いな相手に、むりやり、こんな格好ではべってはいけない! それに、アスカはそんなことがわからないような人間じゃない! ふざけているなら、やめさせなきゃ!」
ふぐっ、とアシュレの剣幕にアテルイが喉を詰まらせた。
「ちがいますか?!」
アシュレは真剣にアテルイを問い詰める。
ずい、と身を寄せられたじろいたのは、アテルイのほうだ。
「ちょっ、ちっ、近っ! あと、そ、そ、そのまっすぐな瞳をやめろッ!」
「いいえ、アテルイさんがやめるまで、やめません!」
かつてのアシュレなら、ここで相手のいうまま引き下がっていただろう。
だが、アシュレはあの一敗地にまみれたトラントリムで、そしていまや宿敵となったユガと、囚われ、救出を待っていたシオンの眼前で誓ったのだ。
「王になる」と。
それはシオンという姫君の一生を自らが共有する、我が物としてともに歩む、という覚悟のために行った宣言にすぎなかったかもしれない。
だが、そのことがアシュレダウという存在を、子供じみた甘えから、ひとりの男として、いや、主君の命に従うことを第一義とする騎士から、己の判断で、法すら飛び越えて決断する王として──変えはじめていたのだ。
その気宇の大きさに当てられたのか、はう、と少女のような声をあげて、アテルイが顔をうつむかせる。
「だ、だいたいそれは、我が国の法に関しての、言いがかりではないのかッ?!」
「いいえ、これはごく個人的な、アシュレダウという男の掟と、アテルイという女性の尊厳に関わることです!」
おっ、おっ、おっ、と若い勢いに押し切られてしまう年上女子のような姿勢で(?)アテルイは身を縮こまらせる。
「そ、それならば、き、訊くが」
なんとかむりやりしどろもどろ、という感じで反論を試みるアテルイ。
どうぞ、とアシュレは頷いたが、乗り出した身体を戻そうとはしない。
そのため画面的にはアシュレがアテルイに迫っているようにも見えるのだが、すくなくともアシュレは気づけていない。
押し倒されたようにも見える格好で、アテルイが反論を始める。
2017年/6月/30日、キャラクター分類的な観点から、アテルイの肌色を褐色から白へ変更いたしました。
ご了承ください(ぺこり)。




