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■第四十四夜:戴冠の大祭(1)


 おお、とどよめきがしつらえ終わった舞台に起こった。

 

 姉妹で肌の色が正反対に違うふたりの姫巫女に導かれ現れた古代帝国・ウルの皇帝:イズマガルムのいでたちに民衆が声をあげたのは無理からぬこと。

 そして、その声には二種類の響きがあった。

 

 その姿は、かつて彼らが奉じた荒神:〈イビサス〉の肉体そのものだったからだ。

 黄金の甲冑にいくつもの瞳を彷彿とさせる巨大な紅玉が埋め込まれている。

 そのひとつひとつが、きろり、と蠢き周囲を睥睨するたびに民衆の心に“神”に品定めされているような畏怖が沸き起こるのだ。 

 なにしろ荒神:〈イビサス〉は、彼ら土蜘蛛が神聖視し、それゆえに最高の狩りの獲物と見なす竜を、その生涯で四頭以上狩り、その武勲とともに飲み干した血で“神”となった男である。

 

 男であればその伝説と相対することは、己の器を計られていると感じるのは当然だった。


 いまひとつは、女たちの官能の声だった。

 水面下で行われた両陣営の暗闘を彼らは知らない。

 だから、その間で交わされた姫君たちの艶めいた声楽の宴に彼らはあてられ続けたのだ。


 なにしろ“神”のすることだ。

 文句のつけようもない。


 なにより、その演目は胸を締め上げられるような恋慕と思慕に彩られた──すでに芸術だった。

 もしここが、神聖な戴冠の大祭、その舞台でなかったらその場に駆け寄り足元にすがる娘のひとりやふたりいたかもしれぬ。

 いや、確実にいたであろう。

 偉大な王の玩弄と慈悲を乞うて──。

 

 そして、彼らが真に動揺したのは、イズマがついになんの武器も携えず決戦の場に姿を現したことだった。


 身を包むのは、豪奢な刺繍を施された長ストール一枚のみ。

 力みのない姿勢で格子状に編まれた舞台の中央に立つ。

 そのとき対岸から、漆黒の騎士が姿を現した。

 ぎしり、ぎしり、とその巨躯が足場を踏みしめるたび舞台が軋む音がした。

 

 それこそ禍々しくも美しい──もう一柱の“神”だった。


 豪奢な垂れのついた白銀の盾と、己が捕らえた獲物=真騎士の乙女が携えていた聖槍:〈スヴェンニール〉で武装したその姿は、翼を広げた猛禽を思わせた。

 防具も兼ねるのだろう豊かな銀髪に載せられた冠の下で、土蜘蛛特有の赤い瞳が冴えた光をたたえている。

 激情をねじ伏せ辿り着いた境地であろう。

 カルカサスの浮かべる表情に焦燥の色はなかった。

 

 ただ、その胸部に貼り付けられ拷問具のようでも魔性の装身具のようでもある目隠しを施されたラッテガルトの、胸をあえがせ、声にならぬ愛の誓いをつぶやき続ける姿が、叩きつけられた激情の激しさを物語っていた。

 

 そのさまに観衆とふたりの姫巫女が息を呑んだ。

 見るものに残酷と甘美という官能の鎖の味を感じさせずにはおらぬ姿だったからだ。


 イズマがふたりの姫巫女の肌を徹底的に秘することで聴衆にそれを感じさせたのとは正反対の方法で、カルカサスは民衆の目を、ひいては心を奪ったのである。

 

 ごくり、と唾を飲み込む音さえ聞こえてきそうな静寂が舞台に降りた。

 両雄は互いの仕掛けた心理戦をまるでないものかのように受け流し、相対する。

 

 カルカサスの体躯は頭頂まで含めると約三メテルと半。

 対するイズマは、二メテル。


 大人と子供ほどもある身長差を前にしても、だが、イズマに臆した様子もない。

 いかなる感情をその内に秘めているかはわからないが、その冷えた眼差しから感情を読み取ることなどできない。

 一方でカルカサスは心持ちアゴを上げるような仕草でイズマを見下ろす。


 端正な顔にあるのは、純粋で凍えるような敵意のみ。

 言葉などなかった。

 互いが、言葉という道具を持って相手を動かすことのできる領域から、すでにはるか遠くにいることを理解していた。

 

「これなるは、玉座を賭けた尋常の立ち会い」

「なればこそ、情けは無用」


 両端に引いた姫巫女が、聴衆に言い聞かせるように声にする。

 掛け声の意味するところは、この戦いが民衆の合意のもとであり、決した勝者には従うという約定であること、さらにはこの戦いが不意打ちや騙し討ちでなく、両者合意の決闘──すなわち尋常とは正気の意味であり、納得ずくのものであること、それゆえ相手に情けをかける必要はないということを宣言しているのだ。

 

 この確認と開始の掛け声を、沈黙であれなんであれ看過・容認したなら、この場に参じたすべての人間が、この戦いを正当のものと認めたこととなり、以降一切、裁定が覆ることはない。


 イズマとカルカサス、すでにその身を異形のものに置き換えたふたりの英雄王の間で、空気がぶつかり合い、プラズマが生じて雷光を散らす。互いの生み出すプレッシャーが現実の物理現象をも引き起こしていた。


 始め、と一糸乱れぬ動作によってふたりの扇が振り降ろされた瞬間、両者が動いた。

 それを、観衆は見ることができただろうか?


 仕掛けたのはカルだった。

 携える大型のラウンドシールド──《フォーカス》:〈ハリ・ハラル〉は、これこそ〈イビサス〉の神器としてベッサリオンの一族に伝えられた大盾である。

 身を屈めれば、大人ふたりがその影に綺麗に隠れてしまえるこの大盾は、強力な力場を生じさせ、なおかつその流れをコントロールすることにより竜の吐息ブレスでさえ凌ぎ切ることのできる神器である。

 

 この性質を帯びた《フォーカス》:〈ハリ・ハラル〉は、それゆえに炎とプラズマに対しほとんど完璧と言える防御能力を有していた。

 土蜘蛛の伝承に寄れば、この《フォーカス》は旧世界で強力な炉の反応を押さえ込むために使用されていた装置の一部であるという話すらある。

 なんでもその炉は、天の星と同じ理屈で燃えるのだそうだ。

 

 その不破の大盾:〈ハリ・ハラル〉を掲げ、カルが間合いを詰めた。

 荒神:〈イビサス〉はその身に竜の血を飲み干し続けた結果、その原始の炎の力を司るに至った焔神としての側面をも持つ。

 

 その得意技をイズマが引き継いでいるのは間違いない、とカルは踏んだのだ。


 実際にその推察は正しい。

 瞬間的な熱量であるならエルマの《フォーカス》:〈カラン・カラクビ〉をはるかに凌ぐ、実に焦点温度一万度を超える火焔を呼び出し、一瞬で周囲を焼き尽くすことすらできる。

 ただ、この地下世界の限定的空間でそれが行われた場合、超高熱の熱波・衝撃波とともに周囲の酸素を一瞬で奪い尽くし敵味方の別なく死に至らしめてしまうため、火力は極端に絞らなければならなかったのだが。

 

 それでも数千度の火焔攻撃はありうるとカルは予想した。

 一方でイズマもまた、その対策をカルが講じてくるであろうことは予測していたことだった。

 そして、その手にラッテガルトから奪い取った雷槍:〈スヴェンニール〉があるならば、距離を取った砲撃戦の可能性を強く意識していた。

 

 だが、だからこそ近接戦闘を仕掛けてくる。

 それがカルカサス、それが土蜘蛛であった。

 盾で視界を奪い、その影から槍の刺突。

 

 イズマは高速で後退しながら螺旋の動きでそれを躱す。

 螺旋といっても身を捻るのではない、この格子状に組まれた足場の裏側までも、巻き付く蛇のような機動で移動するのだ。

 

 この格子状の足場こそ、土蜘蛛のための決戦場であった。


 絶対的で安定した大地ではなく、一見、不安定で移動経路の限定されたこの空間が、卓越した土蜘蛛の戦士たちの手にかかれば可能性無限大の戦場へと変貌する。


 格子を中心に、上下左右すべての空間が戦場と化すさまは、大地に縛られ平面上での戦いを前提としてきた他種族の戦士・騎士たちから見ればまったくの想定外、戦の常識を根底から揺さぶられる体験であっただろう。

 

 その発想力・応用力によっていかに相手の心理の、そして現実での攻防の死角を突き、裏をかくのか、それを問われるのが土蜘蛛の王の戦いなのだ。


 それができぬ者に、民を率いることなどできはしない。

 これは民衆自身による王の品定めをも含んだ試練。

 

 このような回避方法を取られると体躯からだけでなく、その質量からイズマの機動にカルが追いつくことは限りなく難しい。

 単純に出力さえ高ければ問題ない、というものではないのだ。

 そして、イズマは後退りながらその経路に罠を仕掛けてゆく。

 

 イズマの足さばきが通過した格子が逆向けるようにトゲを生じさせた。

 いや、それはトゲというよりも獰悪な生物の爪牙に見えた。

 

 そのひとつにカルが触れた途端、その曲がりくねった爪牙が巻き付き、一斉にカルに襲いかかる。

 異能:《スパイトフル・ペイン》──分類上、幻術系であるこの異能は、対象に幻の痛みを与える無数の牙が取り付き、縛り上げることによって行動不能に陥らせるものだ。

 幻の痛みというが、それは被害者の内部で再生されるわけだから、実際には本物の痛みと見分けなどつかない。

 むしろ、通常の痛みはその傷の治癒によって癒せるが、この異能による苦痛は止めることなどできず、また、痛覚を経由したわけではないからそれらを遮断したり、極端に痛みに耐性のある個体にも効果が高い。

 幻覚だが、脳が感じる本物の痛み。

 そして、最終的には痛みに耐え切れず発狂したり、心臓マヒで死亡する例もある。

 

 大型の戦闘生物──最終的には竜のように強大な相手を搦め捕ることを念頭に編み出された技。

 派手な見た目こそないが強力な異能であった。


「効かぬ」

 幻であるがゆえに装甲をすり抜けるその爪牙を、しかし、カルは鎧袖一触、粉々に粉砕した。

 おそらくは《カウンター・スピン》の一種であろう。

 だが、それは技術でというよりほとんど出力によって力任せに破砕されたと言ったほうがよい状態だった。

 

 その強引な解呪にちらり、とイズマの脳裏にひとつの疑念が過った。

 このカルの肉体を成す:〈グルシャ・イーラ〉そのものが、すでに《フォーカス》であるのではないか。

 忌まわしき“狂える老博士”どもは、ついに生身の生物と《フォーカス》とを結合させる技にまで到達したのではないか。

 自分と〈イビサス〉が、その精神をひとつの器に内包することでギリギリ維持しているいま、この状態にほど近い結果を人工的に作り出せる技術・・を復活させつつあるのではないか。

 いや──患い茸の森で見たおぞましい怪物の最期……〈バースト・ヘッド〉の基礎を成していた〈グリード・ゲート〉の正体が、《御方》の体組織システム、その流用であるのだとしたら。

 

 そうであるなら、あのカルカサスの肉体は生半可な異能をことごとく無効化してしまう。

 それどころか破壊するには、同格かそれ以上の《フォーカス》と引き換えでなければならないのではないか。


 ずきり、とイズマの頭部を刺すような頭痛が襲った。

 それはかつて、この世界の裏側で神を気取る《偽神》──《御方》どもにかけられた記憶封鎖の呪いだ。


「おかげでことの核心がわかりやすくていいやね──そのまえに、ボクちんが正体を失い切らなけりゃだけど」

 思わず悪態をついたイズマの隙を、カルは見逃さなかった。

 

 光を帯びた神速の突きが胴部を狙って突き込まれる。

 

 イズマはとっさに身を捻ったが、聖槍:〈スヴェンニール〉から放たれた重質量の超エネルギー塊が散弾のようにその脇腹を掠めていった。

 もし、生身の肉体であったならそれだけで半身をごっそりと奪われ、即死していただろう。


 真っ白く激しい火花が散り、凄まじい摩擦音が周囲に鳴り響いた。




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