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■第四十二夜:意趣返し

 

 芋虫のごとき姿となったダジュラが、背後で常軌を逸した叫びをあげる。

 とたんにカラム宮内全体が蜂の巣をつついたような騒ぎに陥った。

 けれども衛兵が駆けつけてくるまでには、多少の猶予があるはずだ。

 

 ここに来る道程で、エルマは兵の配置を把握し、その詰め所の飲料水に眠り薬を仕込んでおいた。

 兵たちの初動を妨害し、到着を遅らせるため。

 無用の流血を嫌ってのことだ。

 民を傷つけるのはエルマの本意ではない。

 

 エルマは走りながら《スピンドル》を起動し、小指から伸びる糸──部分的な《アンウィーブ・セルフ》を経由して《スピンドル》を流し込む。

 たちまちのうちに、天幕のあちこちで真っ白い炎が上がる

 それは途上に仕掛けられた罠が解呪され、消滅する反応だ。

 エルマは侵入時にそれらをすべて発見し終えていたし、作動トリガーの部分に糸を結びつけ、一動作で解呪できるよう仕掛けておいたのだ。

 

 問題は《スピンドル》能力者と兄:カルカサスの動向である。

 城内に残る《スピンドル》能力者とその劣化版とも言えるアラガミ兵、つまり〈グリード・ゲート〉によって強化された兵士たちは、元とはいえ姫巫女として遅れを取るつもりは毛頭ない。

 

 だが、さすがに数が揃うとやっかいだ。


 実力的にエルマはエレとともにシビリ・シュメリの戦士たちのなかでも飛び抜けていたが、それでも連携から来る強みは少々の実力差など簡単に覆してしまう。

 ましてやエルマはいま、走れるだけでも奇跡的なエレを護らなければならないのだ。

 素早く、交戦を避け、脱出しなければならない。

 

 ただ、これはそう悪い賭けではない。

 だれよりもこの城の秘密に通じたエルマである。

 秘密主義のカルが、この城に張り巡らされた秘密の抜け道を家臣に漏らすはずがなかった。

 潜入能力は呪術系の異能と相まって天才級の腕前であるエルマに秘密の通路が加われば、それを知らぬ配下の戦士たちでは話にならない。

 

 唯一、エルマが恐れたのはカルカサスが直接、出向いてくることだった。

 

 もしそうなったなら、おそらく最終形態であろう完成版〈グリード・ゲート〉によって自らの肉体を作り替たカルに、エルマでは太刀打ちできるとはとうてい思えない。

 なにしろ、カルこそはシビリ・シュメリ最強の《スピンドル》能力者であり、そこにさらにラッテガルトの《ヴァルキリーズ・パクト》まで得ているのだ。

 

 しかし、これもエルマには心算あってのことだった。

 

 カルがしきりに戴冠の大祭、その時刻を気にしていたことだ。

 もちろん、イズマにラッテガルトが蹂躙されるさまを見せつけ、その心を踏み折ろう、よしんば折れずとも、掻き乱そうという魂胆があることは分かっていた。

 

 ただ、その裏に別の思惑をエルマは感じ取っていた。

 カルカサスのあの肉体:〈グルシャ・イーラ〉はまだ完調ではないのではないか?

 生まれたてのひな鳥が、うまく世界を認識できぬように、仔馬が震える足でようやく立ち上がった、ただそれだけの状態なのではないか? 

 そうでないなら──もし圧倒的な《ちから》をすでに完全に我がものにしているならば、イズマの申し出をその場で鷹揚と呑めばいいはずだからだ。


 だから、時間が欲しかった。

 エルマはそう読んだ。

 図星だった。

 

 だから、いま、ネストに仕掛けられた罠を《スピンドル》で焼き切り、脱しようとするエルマたちを阻む者などないはずだった。

 

 増速し、エレを追い抜いて庇うように前に出たエルマは、背後からエレに突き飛ばされた。

 驚く暇もなかった。

 頭上を横薙ぎに青筋を浮かび上がらせた頭足類の触手が掠めすぎていった。

 

「なっ」

 なんですの、と思わず声が出た。

 エレがエルマを連れて床を転がる。

 それはシビリ・シュメリ最高の凶手としての身体能力・格闘戦能力、そして敵意を見たり聞いたりするかのように察知できるまでに高めたエレだけが見せることのできる、ギリギリのセービングだった。

 その後を追いすがるように触手が幾本も伸びてくる。

 床を叩き無念さを表すようにのたくる。


「逃げた、逃げたよ! イダの研究素材が! 増えた、逃げた、捕まえて!」

 耳に障る甲高い声が頭上から降ってきた。

 エレに抱きかかえられたまま見上げると、そこには奇怪な頭足類のバケモノがいた。

 天井に張り付いていたのだ。

 

 分心マルチタスクの能力でおそらくは生物の端材を混ぜ合わせ、練り合わせて作り出した代理宿主サロゲートに己の意識をコピーして操っているのだ。

 そのグロテスクさは、生ける悪夢そのものだ。

 

「姉妹の再会を邪魔すんなですの、このタコ怪人!」

「タコじゃねーつの。この機能美溢れるデザインが理解できないなんて、ド低能!」

「手足切り離して食べるだけじゃ飽き足らず、分身作るなんて、タコ以下の考えられない汚らしさですわ。それに、オマエには恨み骨髄でした。領民でないのだから手加減は無用でしたわね!」


 エルマが掌を向かい合わせて捻ればたちまちその間に漆黒のエネルギーが噴出し、ねじり合わされてギリギリと音を立てた。

 

「これはセルテとイオの分──同時に喰らいやがれ──ですのッ!」

 エルマの掌から漆黒の呪詛が蛇のように湧き出し、そしてその足元からは無数の白い節足が群れなして、天井に居座るイダに襲いかかった。

 強力なふたつの呪術:《サーペンタリウス・ペイン》と《カラーレス・サイコアシッド》。

 肉体と精神、それぞれを蝕み痛めつける強力な呪詛。

 これまでのシダラの道のりで無念を呑んで死んでいった臣下たちの得意とした能力を同時に操り、エルマは悪夢の元凶であるイダに叩き返したのだ。

 これぞ、まさしく意趣返しの最たるものであろう。

 

「いいい、いひひいいいいいいいいいいいいいいっ」

 胸の悪くなるような声を発して、イダが触手をムチャクチャに振り回した。

「姉さまはお早く! コイツを足止めしたら、エルマもすぐに向かいますゆえ」 


 そのひとことに躊躇しないあたりが、エレだった。

 現状、自分がここに留まっていたら、エルマの足を引っ張るだけだと瞬時に判断した。

 

 呪術系の異能の唯一の欠点は、遅効性であることだ。

 相手を殺すだけなら剣でも槍でも、とにかく一突きすれば事足りる。

 それをわざわざこのような手間をかけて行うのは、呪術系攻撃の本質的が「相手を苦しめること」だからだ。

 結果よりも過程に重きを置く、といえば説明として端的か?

 即死系の呪術もなくはないが、こちらは無効化されるとほぼ無傷の相手の前で無防備な姿をさらすことになる。

 エルマは強力な二種類の異能によって心身両面から相手を蝕み、後悔のうちに苦しませてから殺すことを選択した。

 そのうち、イダの肉体が突然、ぼこぼこっと盛り上がり、肉腫のごときものが現れた。

 エルマは警戒してとっさに飛び退く。

 だが、その肉腫は攻撃のためのものではなかった。

 ひとつは膨れ上がると根元から腐れ落ち、いまひとつも血を吹きながら転げ落ちると不気味に痙攣・蠢動した。

 

「な、なんだい、イダにこんな仕打ち……どんな恨みがあるっていうのだい」


 その肉腫が呪詛の効果を幾分か以上引き受けたのだろう。

 苦痛にのたうちながらも、イダがエルマに迫った。

 おそらくその肉腫はデコイの役割を果たすのだ。

 このような攻撃を受けたとき、より多くの呪詛を引き受け壊滅的なダメージを被ることで、逆に本体が被る被害を減少させる。

 呪う対象を分散化させることで、効果を曖昧にするという例の法則性だ。

 

 だが、そのような防御手段を用いてなお、エルマの放った呪詛は激しいダメージを与えていた。

 

「あれだけのことをしでかしといて、自覚がないなんて──のたうち回って懺悔するがよいのです!」

 エルマがパンと柏手をうち、更なる呪詛を呼び出した。

 イダの肉体が内側から蠢き、肌を食い破って真っ白なウジの群れが現れた。

 

「《ラーヴァ・ホリック》──オマエみたいなのは、人食いウジに生きながら食われるがいいのです!」

「ほほ、ほげえええ」


 エルマ渾身の異能を喰らい、イダは苦痛にのたうち、ついに天井から落ちた。

 触手の先が白く変色し、死滅しつつあることがわかる。

 ウジたちは相手を綺麗に食い尽くし跡形が無くなるまで、簡単には絶命させてくれない。

 身動きのできない肉体でその苦痛と恐怖を味わい尽くさせるのが、この呪術・異能なのだ。

 

 がっちりとそれが相手の肉体に食い込んだことを確認して、エルマは背を向けた。

 イダがもう、デコイを生み出す余力も尽き、そしてたとえデコイを生み出したとしても手遅れだと判断したのだ。

 

 その途端、だった。

 組み伏せられた。

 背後から、ではない。

 正面から、いま、地面に這わせたはずのイダが、完全な姿で襲いかかってきた。

 

「なんでっ」

「分身は、もう一体作っておくものさ。本体じゃないんだから、分心マルチタスクなのさ。あぶなかったあぶなかったよ」


 のしかかられてしまってはお終いだった。

 体重がエルマとイダの代理構成とでは五倍も違う。

 弾力のある肉体には膝蹴りも効かない。

 とっさに《スピンドル》を回そうとしても、肌に張り付くイダの触手が《カウンター・スピン》で無効化してしまう。

 コイツ、《スピンドル》を使う! 〈グリード・ゲート〉を呑んでるのか! 

 エルマが青ざめたときには、すでに遅かった。

 敵を一体と勘違いしたエルマの、まさに慢心が招いた窮地きゅうち

 

「捕まえた、捕まえたよ。これを今度は餌にしよう。釣り出して、もう一匹も捕まえよう。イダは天才だ」

「離せ、バケモノ!」

「離せと言われて離すのはバカでしょ! バケモノはいいけど、バカはダメさ」


 言いながらエルマを吊り上げると、有無を言わさず衣服を引きむしる。

 肉体のどこに暗器や呪具が隠されているかわかったものではない。

 すみやかな武装解除は、調理の前に料理人が猛毒の毒針を切除するのと変わらぬ作業だ。

 

「やめなさいの! やめないと、ヒドい目に遭いますの!」

「あ、あ? なんか昂ぶってきた気がするよ、これが萌え?」

 あきらかな勘違いをしながら、しかしイダは容赦のない手つきでエルマを剥き終えた。

「き、きれいだ。未熟で」


 だが、イダがそう感想し、エルマの脇から腰のくびれを経由して下腹にむかって触手を這わしたときだった。

 まず、イダは気がついた。

 なかった。

 カルカサスから、その灰褐色の肌に刻んだと聞かされた刻印が、なにひとつ。

 そして、あった。

 肌の内側で輝くシンボル。

 これは、転送系の異能発動印?

 

「あーあ、だから言ったんですの。やめなさいの、って」


 ヒドい目に遭うって言ったはずですの。

 艶然と微笑むエルマの笑み。

 それがイダの見た最後の光景になる。

 

 エルマとすり替わるように、それが転移してきた。

 残酷な束縛印を施されたエルマの生皮を縫い付けられた蜘蛛のような呪い人形。

 顔だけはエルマを似せて作られた、ひな。すなわち、依り代。

 八本の脚が、イダを捕らえる。

 

 このような事態を、イズマは想定していた。

 だから、エルマは自ら望んで専用の転移印を刻んでもらったのだ。

 皮の内側。肉に、骨に。

 生皮を剥いだ後、それを修復する際に並行で。

 エルマが転移系の異能を使用したなら、即座にイズマの元に帰り着いてしまうように。

 

 イズマに占有される喜びにエルマは泣いてしまった。

 そういう愛のカタチもあるという話だ。

 束縛を嫌うイズマに、だからエルマは泣いて謝った。だって、しあわせなんですもの、と。

 なるほど、我々の愛のカタチは執着とは無縁ではないのかもしれない。

 綺麗ごとでは、それはきっと言い表せない感情、心の動きなのだろう。

 そんなエルマを、イズマはいっそう強く愛してくれた。

 そして、その処置が、エルマを救った。

 もし、エルマが望まぬ束縛を受けたなら、依り代がそこに変わって転移するようにも、それは設定されていたのだ。

 

「バイバイ、バケモノ──今度は、本体を殺しに行ってあげますの」

 そう言い放ち距離をとると、エルマは人形にしこたま仕込んだ触媒に《スピンドル》エネルギーを流した。

 執着とは、罠を仕掛ける場所として、これ以上ない場所のことでもある。

 これも意趣返し。

 爆殺兵として散っていった年若き者たちの。

 同胞が味わった屈辱と恐怖と苦痛を、敵対者に同じく味わわせる。

 最高の呪術師としての資質とは、つまるところ、復讐の完遂に賭ける執念と集約できるということだろう。

 恨み骨髄とは、まさにこのこと。

 

 凄まじい高熱が吹き上がり、イダの絶叫がそれに続いた。

 それは破片を飛び散らせる爆発ではなく、超高熱の炎で破壊する攻撃。

 忌まわしきイダの代理宿主サロゲートを、青く輝く炎が根源から焼灼しょうやくする。

 エルマはその最後を見ることもなく、こんどこそ完全にネストを立ち去る。

 炎が、過去を清めはじめていた。

 

「あと、エルマはとっくに成人ですの! 未熟とかいうなッ、ですのよ!」

 微乳の微は、美乳の美──その機微を知りなさいですの! と言い捨てて。





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