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■第四十一夜:謀略のソングバトル

         ※

  

 陣屋が敷かれ天幕で覆われると、挨拶や貢ぎ物をしたいと詰めかけた連中を退け、イズマはエルマとともに神輿ウォーシュラインの奥へとこもってしまった。

 

 純粋な信心から、あるいは利に聡い連中が先鞭をつけんとして寄り集まり、イズマの陣取る小高い丘に立てられた陣屋の周囲は、またたく間に門前町の様相をていしてしまった。

 門前町とはつまり、霊験あらたかな聖堂や寺院の周辺に形成された市街区のことだから、イズマを本尊と見なしてのことだ。

 イズマとエルマの目論み通り、この戦がすでに祭事となっている証拠である。

 

 本当のことを言えば、新たな王あるいは“神”として君臨するイズマは彼らと交わり、言葉も歌も踊りも酒も交わすことによって民衆の歓心を得るべきだっただろう。

 だが、できなかった。

 民衆の支持を確固たるものとするには、支配者としてもっとも重要な仕事のひとつだが、カルが最後に打ち込んできた楔がイズマをして、それを難しくさせていたのである。

 

 戴冠の大祭を言祝ぐ楽曲に乗って城郭から聞こえてくるラッテガルトの歌声に、イズマは胸を掻きむしられるような痛みと苦しみを感じてしまっていたのだ。

 

「いたたた、こうなっちゃうから、本気になっちゃあ、だめなんだよなー」

 苦笑いで胸を抑えおどけて見せても、その痛みを誤魔化し切れていない。

 エルマはこんなイズマを見るのは初めてだった。

「つらいときは、無理をなさらなくていいんんですの──イズマさま、ほんとうは、とてもお優しいから」

「冷酷非情じゃなきゃ、王はつとまらないんですけどねー。まあ、それで王さま失格になったわけで。自業自得かなー」


 エルマは無言でイズマに抱きつき、すこしでも心痛を和らげられないか考える。


「やってくれるよ、カル。まだ、ひよっこの青二才だと思っていたけど、どうしてどうして、堂々たるもんだ。あの案を、丸呑みして巻き込まれてから巻き込み返すなんて、上級の上等テクニックだっつーの」


 でも、なにより、これは効くなあ。

 ラッテガルトの愛の歌を、苦笑いでイズマが評す。

 それは切々とイズマを想い慕う戦乙女の恋歌だ。

 

「あと二刻もこんなの聴かされたら、神経が参っちゃうよ」

 ぽろり、と出た弱音に、エルマが身を固くした。

「あいつ、ボクちんに妹ふたりを取られてから、こういう心理戦ネトラレのなんたるかを完全に理解しちゃったのなー。相手のどこを踏みつければ心が折れるのか、知り尽くしてるんだよ。自分がやられたことを反芻・反復研究して──技術・美学にまで昇華してやがる」

「イズマさまッ」


 口を開けば際限なく出てくるイズマの弱音に、決然と顔を上げ相対したのはエルマだった。


「はい?」

「わたくしを、エルマを使ってくださいまし──楽器として。ラッテとおなじように!」

「はいい?」


 唐突すぎる提案に、さすがのイズマも目を白黒させるしかない。

 楽器としてラッテと同じく用いるとは、どういう状態をいうのでしょうか? とボケ倒すイズマの眼前でエルマが緋袴ひばかまの結び目を解きはじめた。

 なるほど紐解くという言葉には、本を開いて参照するという以外にも、そういう意味があるものだなあ、とイズマの脳は一瞬の逃避を起こす。

 しかし、エルマの要求は性急だ。

 

「お兄さまがこのような策にでるのであれば、こちらは、もう一度お兄さまの心を折るまでです。イズマさまにエルマがどんなふうに鳴かされるのかを聴けば、どんなにイズマさまを想っているのかを聴かされれば、平静でいられるはずがありませんの!」

「え、え、え、えええええええええええ~~~?!」


 そ、それはどういう理屈の急展開ですか。

 イズマは動揺し自分とエルマの間で指を行ったり来たりさせている。

 

「自分がやられたことを反芻・反復研究して──技術・美学にまで昇華してやがる、って言ったのイズマさまではございませんか。その通りですの。なんども、自分の眼前でわたくしたちが屈服・陥落するところを自分の目に焼きつけていたお兄さまです。深い深い傷ですの。だからこそ、深く傷ついたからこそ、相手の弱い場所がわかるんですの。そのために自分をいじめ抜いた──でも」


 でも、とエルマは迫った。その瞳は真剣そのものだ。


「でも、それは、わたくしとエレ姉さまが、どのようにイズマさまに陥落したのか、その様を知ることを深く恐れている──その裏返しではありませんこと? わたくしたちがしあわせで涙した様子を、知りたくない、見たくない、考えたくないからこその選択だとは言えませんか? 兄さまは、まだわたくしたちを愛してくださっているんですの。だからこその執着、だからこその束縛。わたくし、わかるんですの」


 だって、こんなにされても、わたくしはまだ、カル兄さまを愛しておりますもの。

 

「だから、だからこそ、聴かせて差しあげるんですの。わたくしがイズマさまにどうやって愛されるのかを。そのしあわせのありさまを、永遠の誓いを──愛ゆえの献身を。楽器として!」


 ぽかん、とイズマでさえアゴが外れそうな提案だった。

 こんなド肝を抜くような提案がこれまであっただろうか。

 ある種の鳥たちは、その求愛のディスプレイとして歌声で、あるいは美しい羽毛を見せつけるようなダンスで意中の乙女の愛を得んと戦うという。

 

 これはそのソングバトルの、亜種か。

 イズマは恐れ入るというか、呆れ返るというか、女性という自分とは別のせい、その強さ、したたかさ、そして、可憐さに八〇〇年以上も生きてきて、さらに言葉を失う。


 後ろ暗い陰謀だけが策略のすべてではない。

 こんなやり方だって、ある。

 あるのか?


「それに……エルマ、歌声にはだいぶ自信がありますのよ? これでも、元姫巫女ですもの! 楽器として、真騎士の乙女に、ラッテになど負けませんの! ベッサリオンの誇りにかけて!」

 イズマにのしかかりながら言うエルマの頬は上気して、瞳は潤んでいた。

 それが恥じらいから来るものなのか、興奮からのことなのか、イズマにはわからない。

 

「イズマさま、よろしいですか? これは策略、作戦なのですから、手加減などはイケませんよ? 容赦なく、演奏してくださいましね? エルマの喉が折れてしまうくらい、反らしてくださいましね?」

 たぶん、自分でもなにを言っているのかもうよく分かっていないのではないかと思えるほど、エルマの口調は支離滅裂だ。


 結果として、前代未聞のソングバトルは制限時間ギリギリまで続くことになる。

 そして、水面下での戦いも。 

 

         ※


 一刻後、エルマはカラム宮に忍び込んでいる。

 なにかの間違いではない。

 これこそがエルマの提案した策の本当の姿なのだ。

 

 もちろん、女性ふたりを楽器として鳴かせ続ける残酷なまでに美しいソングバトルは、いまも継続中だ。

 だが、エルマは一刻分のそれを天幕に映し出される影絵に記録させていた。

 記録媒体は天幕そのもの。

 その記憶をいまリピート再生している最中だ。

 これはイズマの采配で、アレンジを加えることもできる。

 最前線司令官であったダジュラを失ったシビリ・シュメリでは斥候をこの陣屋に潜り込ませることも難しい。

 そう簡単には看破できない。

 

 エルマの策は三段構えであった。

 ひとつはカルの策を切り崩すこと。

 すくなくとも、イズマにだけ心痛を強いる状況を覆すこと。

 ひとつは、イズマの戦意の回復。

 ラッテガルトだけではない、エルマも、そして助けを待つエレもここにはいるのだということを肉体で思い出してもらうこと。

 そして、最後のひとつは、バトルを成立させている間に、エレを救出すること。

 

 そのためにはイズマすら驚嘆する策を用いる必要があった。

 まさか、いま、愛する男の腕のなかで楽器として奏でられているはずの姫巫女が単身、場内に潜り込んでくるなど、予想できるはずもない。

 

 イズマに楽器として愛でられることをせがんだのは、荒神:〈イビサス〉の寵愛により痛覚さえ快楽に変換される状況でなければできぬ作業があったからだ。

 

 それはエルマの肉体に施された探知の刻印を、その生皮ごと剥ぎ取るという施術。

 

 ラッテガルトの《ヴァルキリーズ・パクト》によって、荒神:〈イビサス〉の権能をかなりのレベルまで振るうことのできる現在のイズマであれば、エルマの身に施された忌まわしい刻印を根絶することも難しいことではなかったはずだ。

 

 だが、それではこの策は成立しない。

 探知の刻印には、生きてその効力を発揮し続けてもらう必要があった。 

 それを貼り付けられた人形がエルマの位置情報をごまかし、この潜入行の成功確率を飛躍的に高めてくれる。

 

 しかし、それを実行するとは、つまり生きながら解体される恐怖を体験することにほかならない。

 自ら提案したこと、さらには、いかに愛する男の手によってであろうと言えど、それは生半可なものではない。

 そして、それは治療系の異能の代償についても同じだ。

 荒神:〈イビサス〉と、ラッテガルトが授けた《ヴァルキリーズ・パクト》がなければ実行どころか、考えつきもしなかった作戦だった。

 イズマの支払う代償を考えると背筋が震えた。

 だから、生皮を剥がされる怯えと恐縮で震えながらも愛された記憶を、エルマは一生忘れられないだろう。

 はっきりいって……クセになってしまった。

 常態であれば悶死してしまうほどの痛みと、己の皮の下を検められてしまう羞恥に、答えられない快感を感じてしまった。

 新しくイズマに肌を張り替えられてしまうときの感触といったら、ちょっと言葉にできない。

 他の刻印も同じ方法で外してもらうことにエルマは決めてしまった。

 

 イケナイ娘だと自分でも思う。

 でもよいのだ。

 わたしは狂っているのだから。

 あの方への愛で。

 

「いけないいけない、浸っている場合ではありませんの」

 影に溶け込む異能で難なくエルマは城塞を突破してしまう。

 

 エルマの肉体には、いまだにカラム宮の結界を突破できる選択式の鍵が埋め込まれており、そして、エルマはこの宮殿の構造を知り尽くした当代最強の呪術師であった。

 ただの兵卒だけでなく、高位の《スピンドル》能力者であっても隠身に徹したエルマを捕らえられるものではない。

 

 そも感知することそれ自体が極端に難しいのだ。

 文字通り影となってエルマは目的の場所、カラム宮の最深部へ向かう。

 土蜘蛛という種族は、地底深くに居を構える者ほど地位が高いと見なされる。

 例外的に〈イビサス〉の社が最上階にあるのは、他の種族、地上世界に対する橋頭堡きょうとうほおよび威嚇としての広告塔としての役割があるからなのだろう。

 あるいは周囲に睨みを効かす象徴的意味合いが。

 

 ともかく、救い出すべき姉:エレヒメラはカラム宮の最深部に囚われているはずだ。

 果たして、王族の居室である大伽藍の一画に、その天幕はあった。

 ネスト、と呼ばれるその空間は布によって区切られる一種の迷路。

 いざ、足を踏み入れる段になって、エルマは手を止めた。

 いたるところに、張り巡らされた糸。

 カルが仕掛けたものだ。

 

 振動感知、そして布地の微細な揺れすら音声として拾うことができる仕掛けである。

 念入りで執念深いカル。

 だが、自分たち姉妹に向けられたその執着を、エルマはどうしても嫌うことができない。

 彼女も兄としてのカルカサスを愛していたのだ。

 だが、イズマか、カルのいずれかと問われれば、それは訊くまでもないことだ。

 その振動感知の網を、エルマは自らを糸のように解くことですり抜ける。

 

 エルマの得意技:《アンウィーブ・セルフ》だ。

 

 己の存在を糸の集合体に分解し、衣類の裏側に刺繍として潜んだり、障害物の隙間をすり抜けたりすることができる。

 分解から再結着するまでが無防備だが、このような場所への潜入には最適の方法だ。

 装備品も、身に着けたものであれば《フォーカス》まで含めて、すべて分解できるのも便利でよい。

 

 エルマはまるで自身も織物の一部であるかのようにその身を布地に同化させていく。

 もし、その様子を見ることのできる存在がいたら、きっと美しい刺繍がするすると動画のように布地の海を渡っていくのが見れたことだろう。

 

 果たして、その深部に、姉:エレは居た。

 いったい、どれほどの暴力を受けたのか。

 その純白の肌に、荒々しく残る痕が一週間に渡るエレの受難を物語っていた。

 エルマは再結着を果たすとたまらず、その肌に身を寄せた。

 

 糸を介し声を送り届けることを可能とする異能:《ヴォイス・コネクト》で、振動を外に漏らさぬよう話しかける。

 

「姉さま──遅くなってしまいました。イズマさまが来ておられます」

「きっと来てくれると、来てくださると信じていた。だから、つらくはなかったよ」

 つらくない、などとあるはずがなかった。

 だが、エレはその身に受けた屈辱を嘆くことより、その姿に心傷める妹を案じたのだ。

 

 エルマはエレに口移しで体力を補うための薬液と水分を補充する。

 エルマはエレの枷を外すと震える手で束縛を解き、器具を取り外していく。

 必死に声を殺すエレと同じく無言で泣きながら最後の戒めを解くエルマの眼前、つまりエレの腹上にとつぜん、それが落ちてきた。

 

 中型犬ほどのサイズがあった。

 それは土蜘蛛の顔を持っていた。

 肉体は芋虫のようであった。


 全身を得体の知れぬ、ぬめるような質感の拘束具でまとめあげられたそれは──ダジュラ──このシビリ・シュメリの副首領だったものの成れの果てだ。

 イズマに敗れ去り瀕死の重傷となったダジュラは、イダの縫合手術によってこのような姿となりはてたのだ。

 

 場違いにけたたましい笑い声をそれは上げて跳ね上がり、ダジュラだったものは次の瞬間、エルマに飛びかかってきた。

 

 だが、エルマは左手を打ち払うとその哀れな生物を弾き飛ばす。

 完調となったエルマの凶手としての実力は、シビリ・シュメリでも屈指の腕前なのだ。

 

 だが、警報とその作動トリガーという意味でなら、ダジュラは充分に役割を果たした。

 カルの張り巡らせた糸のトリガーに触れたのだ。

 壁をなしていた布地が突然ダジュラの肉体を捕まえる。

 シダラ山頂、〈イビサス〉の社前でエルマを捕らえるのにダジュラ本人が仕掛けた《グラップラー・ワーム》の召喚門が、この天幕にはいたるところに仕掛けられていたのだ。

 

 相手をその強力な四肢で捕縛する召喚生物を呼び出すトラップ。

 そのひとつが起動した。


 立て続けにヒイイイイイイイイイ、という悲鳴じみた警報が鳴り響き、間髪入れず、真っ黒い力場の檻が降りる。

 しかし、エルマは間髪入れず《スピンドル》を起動させ、降りてくる力場の檻を異能によって持ち上げにかかる。

 

 同じく呪術系の異能のぶつかり合いだが、この自動的なトラップの数々は、かつてカルが自らの不在時を考えて配置したものだ。

 呪術に関して、エルマはたとえ兄であるカルカサスが相手であっても、遅れを取るつもりはない。

 互いの《ちから》が拮抗していたのは一瞬であった。

 エルマが落下を食い止め結印し終えるや、ゆっくりと落ちかかった格子が持ち上がっていく。

 

「姉さま、お早く」

 軋む身体にふらつきながらも、それでもためらいなくシーツを剥ぎ取り小走りに駆け出すエレはやはり、凶手として育てられた娘なのだ。

 

 なにもかもが姫巫女だったときとは変わってしまったが──もう過去を振り返り、恨み言を積み上げてきたこの暗い穴蔵には戻らない。

 

 エレは追いついてきたエルマとともに手に手をとって、駆け出した。

 過去と決別するために。

 



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