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■第三十九夜:土蜘蛛の王:カルカサス


 ビョゴウッ、と舞い上がったもうもうたる土煙が一薙ぎで振り払われると、そこにはホコリひとつ被っていない神輿とイズマ、エルマの姿があった。

 神輿の前方に開いた穴が、凄まじい勢いで土煙を吸い込み、大気を浄化していく。

 

 新鮮な空気を確保することが難しい地下世界で姫巫女と崇められたエルマの得意技は、呪術だけではない。

 豊作、豊饒、そして民草の健康を守ること、その祈願と霊験の実現としての異能の行使もその職能であったのだ。

 

「偉大なる王:イズマガルムは戴冠の大祭の申し入れを無視し、愚かしくもその御身と臣下に対し弓引く蛮行に、相応の対価をお支払いになられる。全身で味わうがよい。また、同じく対価を望む者は、申し出るがよいとイズマガルム陛下は申されておる。むろん、支払いは即金・・にて、直接である」


 朗々と響き渡る声で、イズマの言葉を代弁するエルマだが、内心すくみ上がっていた。

 

 いったいどこの世界に自分たちを攻撃してきた相手に財宝を与える王がいるだろうか。

 対価は復讐として支払わせるものであって、評価してやってどうするのか。

 それも即金で、文字通り死ぬほどの額を直接、だ。

 

 城攻めの秘策があるから任せておいて、などと言うものだから信じ切っていたらこのありさまだ。

 打ち合わせなしでアドリブ対応させるには、仕掛けが大きすぎる。

 おかげでエルマはドキドキしっぱなしで、それなのにイズマがお尻を撫でたりするものだから悦んだらいいのか怒ればいいのか、わからなくなって困ってしまう。

 

 城塞から金銀財宝が滝のように流れ落ちる。

 その下には愚かにも勧告を受け入れなかった者たちの圧死体があるはずなのに、イズマの現出せしめた光景には陰惨さは微塵もなかった。

 

 あらゆる衝撃が桁違いなのだ。

 その桁違いの妄想・寝言が現実の事象として立ち現れたとき、人々の心に湧き上がる感情はひとつだ。

 

 かなわない、こいつには──言葉にすればそうなる。

 

 それは感動とも、諦念とも、絶望とも言えるが──イズマの所業であるから「呆れ」というのが正しいのだろう。

 そうやって相手の思惑や価値基準の枠をぶち壊していくのが、イズマの攻城戦の在り方なのだ。


「出てきますかしら」

「出てくるさ。自分の家の玄関を投石器でぶっ壊されたんだ。代価は打ち込んだ純金の砲弾であがなってくれって言われて、はいそうですかと引き下がるようじゃあ、もう家長ではいられない。嫌でも喧嘩を買わざるをえないさ」

 そして、ここまで大々的な一騎打ちの申し入れを袖にするようでは、王としての資質を問われる。

 相手を無理やり盤面に引きずり出し、そうすることで逆にこの戦いそのものをイベント化してしまい、結果として民草の被害を最小限にしてしまうイズマの手腕はあまりに鮮やか、見事のひとことに尽きた。


「シビリ・シュメリ棟梁にして、ベッサリオンが王:カルカサス! 返答や、如何いかん!」

 呼びかけるエルマの声に、返礼は槍によって行われた。

 輝く光弾の群れが、イズマとその神輿の眼前に叩き込まれた。

 

「その挑戦、お受けする」

 凄まじい雷轟と再び舞い上がった土煙が晴れたとき、観衆は崩れかけた城塞にひとり立つその姿を見た。

 暗殺者教団:シビリ・シュメリの棟梁:カルカサス・ルカス・ベッサリオン。

 イズマとは対照的に漆黒の甲冑姿であった。

 だが、没個性的になりがちな配色ではない。

 大胆にあしらわれた黄金が、見事にその姿を飾り立て、際立たせ、引き締めていた。

 長身、異形のなりであった。

 体高は恐らく三メルテを優に越える。

 もともと種族的に長身の土蜘蛛のなかでも体躯に恵まれたカルである。

 

 だが、城塞に現れた漆黒の騎士はあきらかにその基準を踏み越えていた。

 

 恐ろしく長い手足、そして極端にくびれた腰、対して胸部は艦船の船首のように尖り、背中側に連なる金属のトゲは竜の背骨を思わせる。

 そのうえに頂かれた頭部だけは見紛うことなどありえないカルカサスの美貌であったが、かつてあった、どこか腺病質で皮肉げな笑みはなりを潜め、自信とそれを裏打ちする力に満ちあふれているように感じられた。

 ゆたかな銀髪が炎のように風に踊る。

 

 だが、イズマの目が釘付けにされたのは、恐らくは“狂える老博士”どもによって仕上げられたカルの姿よりも、その胸鎧を飾る見事な装飾、彫刻にであった。

 

 否、それは彫刻などではなかった。

 

 黄金で作られた蘭の花々のなかにあって、その美しい肉体を束縛され、瞳を恐ろしい手を模した目隠しによって封じられているのは──他に誰あろう、真騎士の乙女:ラッテガルトだったのだ。

 イズマは、玉座から立ち上がり、その身を手すりから乗り出して名を叫びたい衝動を無理やりねじ伏せた。

 いや、エルマがその膝にそっと手を置いてくれなかったら、飛び出していただろう。

 

 イズマたちがここへ到達するまでの約一日、その間に、なにがラッテガルトの身に起ったのか。

 恐るべき想像が現実のものとなり、あらゆる容赦を剥ぎ取ってイズマとエルマのふたりに理解させた。

 一目見て手遅れなほど、ラッテガルトの肉体は切り刻まれていた。

 美しくも妖しく、異形の存在へと作り替えられていた。

 そして、そうであるにも関わらず──その頬は紅潮して、幸せそうだった。

 生きている。そして、どのような方法でか、《夢》を見せ続けられているのだ。

 

 ああ、とときおり洩れる息遣いは愛しい男に愛される女のそれに他ならない。

 

 そして、たったいま、イズマたちの足元、その岩盤を削り取ったのはラッテガルトの槍:〈スヴェンニール〉による《スパークルライト・ウィングス》にほかならなかった。

 ダジュラの使った〈グリード・ゲート〉:“寄居蟲ゴウナ”のさらなる改良発展版、相手の能力を取り込み自在に操る《ちから》。

 その効能なのか?

 

 これがカルの意趣返しだった。

 

 流言飛語により領民の動揺を誘い、恭順を説き、刃向かうものには容赦なく、それも想像を絶する絢爛豪華な攻撃によって内部からの切りくずしをも同時に狙ったイズマ揺さぶりに、見事に一矢報いて見せた。

 堂々たる統治者としての姿勢。

 一瞬で鉄壁の城塞を破壊され完全に志気の瓦解した軍勢にあって、これだけがただひとつ、圧倒的劣勢を覆しうる一手。

 その唯一の一手を、この土壇場で指せるカルは控え目に言っても、ひとかどの将器なのだ。

 

 相手の動揺と焦りを誘う心理戦はもうずっと以前に始まっていた。

 土蜘蛛の戦いは単なる《ちから》と《ちから》のぶつかりあいではありえない。

 

「挑戦の口上、承った──そう返答、申し上げたぞ、イズマガルム」

 王としての口調でカルが応じた。

 である以上、イズマも相応に応じねばならなかった。

「正々堂々の一騎打ちにて、いずれが真の覇者か決しようではないか」


 この申し出もまた、カルの心理攻撃であった。

 イズマ自身が勝利した際の、その事後、つまり統治者としてベッサリオンの民を治める気概を問うたのである。

 イズマが征服者として、真の帰還王として君臨するつもりであれば、この言葉にさほど意味はない。

 だが、カルはイズマ自身の心中に征服欲・支配欲が欠如していることを見抜いていたのである。


 権力の奪取はイズマの目的ではない。


 イズマはただ、三人の女──エレ、エルマ、そしてラッテガルト──を救い出し、その自由を回復させたいがだけなのだ。

 そのために、カルをしいするつもりなのだ。

 それも、領民をなるべく傷つけずに、できれば同意を得て。

 

 だが、それはあまりに都合の良すぎる《ねがい》だ。

 カルを廃した後、イズマが王としてこの地に留まり、ベッサリオンの民に更なる繁栄と栄華をもたらすと言うならば、領民とすればこれは問題あるまい。

 少なくともいま、凄まじい量の巨万の富、そして古き土蜘蛛の始祖の血に連なる伝説の一端を見せつけたわけで、イズマが王として君臨するというのならば、カルを失ったとて彼らのその後は安泰だ。

 

 土蜘蛛の社会では強き者=“神”に認められている、との風潮がある。

 しかし、もし、イズマにそのつもりがないならばどうだろうか。

 

 甘言を弄し、民を先導した揚げ句、目的を果たしたならば途端に公約を破り捨て、姫巫女たちだけを奪い去るつもりであったなら?

 残された領民たちは指導者たるカルを失い、散り散りとなり、もはや一族の再興など夢にも考えられぬことだろう。

 

 カルの言葉は、イズマのそういう甘い算段・心構えを突き、同時に公約・公言を引きずり出すものであった。

 たとえカルを下しても、その甘さを払拭せぬ限り──領主を、一党の頭を弑逆することの意味を甘く見ることのの──長い怨恨、禍根の種を残すぞ、と脅したのである。

 

「我が名に動じず、堂々たる返答、まずはその意気やよし」

 ついにイズマが立ち上がり、カルの対応を褒めた。

 ゆっくりと、できるかぎり尊大に──だが、その瞳には隠しようのない怒りが燃えていた。

「だが、若き土蜘蛛の王よ、我が申し出──姫巫女と真騎士の乙女をいますぐにも返還するというのなら、そのほうの命までは取らぬ。我が《ねがい》は制圧にあらず、恭順なり」


 はらわたは芯まで煮えくり返っているであろうに、イズマは朗々と柔らかく語りかけた。

 聞いているエルマのほうが心痛でおかしくなってしまいそうなほど、イズマは自分を厳しく律していた。

 だが、エルマの兄であるカルカサスはその申し出を笑い飛ばした。

 

「これは異なこと。我を一騎打ちにて下せば、それら一切合切、このシビリ・シュメリはおろかベッサリオンの土地も民も、そのすべてが御身のものになるというのに? 我は高貴なるベッサリオンの血統にして、その棟梁なり。不名誉な降伏など受けいれられようか。もし果てるとしても、棟梁として戦のなかで果てねば、我を信じて散っていった者どもが報われぬわ! 死の国で蔑まれるわ!」


 それに、と続けた。


「偉大なる古代の王:イズマガルム、御身は我が領民の安寧は約束するそうではないか。なれば、これは我と御身との私闘なり。我もまた、領民と国土を焦土とすることを望んではいない。それゆえ、一騎打ちに応じた。

 我が御身を凌ぐ──“神”を奪い去ったほどの男を越える──というなら、ベッサリオンの一族、その栄華は確約されたも同じ。

 はたまた、たとえ敗れることがあったとて。御身が、偉大なる古代の王が治世されるなら、これもまた同じ。いずれが勝者となっても領民は安心できる──どこに恐れる理由があるというのか?」

 

 その言葉に遠巻きにことの推移を見守っていた領民たちが歓声を上げた。

 イズマの壮絶な城攻め、そしてそれを目の当たりにしても動じず堂々と姿を現し、一騎打ちの申し出を受け止めたカルの器量、そのどちらに対しても感じ入り、また、カルから語られる己らの処遇、その輝ける未来を夢想しての歓声であった。


 見事な覚悟、と褒めるべきだったろう。

 

 残酷で残虐なだけの王が、その武力と恐怖だけで長く統治できるほど国家は甘い生き物ではない。

 土壇場での切り返しによって、カルは人心の流れをイーブンに持ち込んだ。

 やはり、ひとかどの男=王器ではあったのだ。

 

「見事な覚悟と褒めておく──なれば、早速にも立ち会おうぞ」

 カルの申し出をイズマが受ける。

「これも異なこと。戴冠の大祭を言い出されたのはそちらではないか。準備というものがある。我らにではない、民草にも、だ」


 イズマの提案を丸ごと呑んでなお、カルは己の主導権を捩じ込んでくる。

 いまイズマ側から仕掛けるのは容易いが、それでは人心を掴むことはできない。

 これまでの流れで、この戦いをひとつの祭りと定めることによってカルを盤面に引きずり出したイズマである。

 その祭りの主体となるのは民であり、その心である。

 

 それを無視すれば、イズマはいま自分の立つ足場を、自ら破壊することになる。

 無下にして良いはずがなかった。


「では──いかほど待つ?」

「二刻(約四時間)。場所は〈無貌の淵〉──いかがだろうか」

「承知した」

「では、者ども、存分に準備せよ。楽しめ。酒を忘れるな、太鼓に笛、祭り囃子も──もちろん我も楽しもう、この新しい異国の楽器、その音色・歌声を聴かせてやろう」


 そのままカルは異形の巨躯を財貨の上に座らせると、異国の楽器:ラッテガルトに歌を命じた。


 それは土蜘蛛たちの官能的な芸能のひとつ。

 女たちは自らを楽器と認め、奏者たる男たちの手に委ねる。

 己の、あるいは愛する女の喉を、声帯を、ひとつの器物と見なし奏でる雅楽。

 そうすることで女は真心を、男はその心を扱う器量・度量を試される。

 

 カルの囁きは囚われのラッテガルトには、まるでイズマに、愛する男に命じられたように聞こえるのだ。

 だから、謳う。

 それは胸締め上げられるような──愛の歌だ。


 



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