■第三十八夜:《テルミネーション・フォール》
それからおよそ四刻(約八時間)の後、シビリ・シュメリの本営:カラム宮をイズマたちは強襲する。
後の世、土蜘蛛たちに語り継がれるカラム宮攻略戦の始まりである。
たったふたりの攻め手が、城塞に対峙するという無謀は勲というよりも、お伽噺に近い。
子供たちが憧れる英雄譚にしたって、無茶が過ぎる。
けれども、その無謀さを象徴するように、イズマが絶望的な戦力差に対してぶつけた一撃は、あまりに野放図でばかばかしい、同時に、絢爛豪華なものであった。
そのあらましを記した史書を紐解けば、次のようなありさまであったらしい。
要所に築かれていた防衛線は、イズマに恭順を示した戦士たちからの説得により、比較的にせよ、すみやかに解放された。
防衛拠点に篭り無謀な徹底抗戦を指示した指揮官たちは、先例と同じく、エルマの《エナジー・ドレイン》によって再起不能となる。
説得を拒絶した瞬間、イズマが拠点を即座に制圧してしまったからだ。
そして、イズマはそれら指揮官たちすべてを一瞬で死者とし、操り傀儡とした。
命を賭して挑んできた戦士たちに対し注がれた温情と、責任を放棄した指揮官たちへの冷酷無比な対応の差こそ、まさに治世の技術と呼ぶべきものである。
命にしたがった者と、命じたものの差を瞬断する。
苛烈で残酷だが、筋道の通った規律は君主による統治の基礎だ。
それをイズマはこの事件だけで体現して見せた。
王者の人心掌握とは、どのようなものか。
その手本と呼ぶべき行いである。
一度、愚かにもイズマの操る死者の軍勢相手に、その奪い取りを目論み、異能:《グラン・ギニョール》を仕掛けてきた指揮官がいた。
彼は、次の瞬間、自分がその死者の軍勢の一員にされてしまっていることを最期の瞬間まで気づけないでいた。
それほどまでにイズマの技は、すみやかだったのである。
攻城戦は、まず情報による謀略から始まった。
強大な脅威、侵略者の襲来に慌ただしく防衛準備を整えつつあったカラム宮の間で、ある噂が、まことしやかに囁かれるようになった。
いま、自分たちが迎え撃とうとしているのは、土蜘蛛に生まれた者ならばそのだれもが名を聞いたであろう、失われたはずの大帝国:ウルの帰還王である、と。
そして、この侵攻こそは、版図に臣民に彼らを迎えるための凱旋騎行である、と。
かつて彼らが崇めた荒神:〈イビサス〉さえその軍門に収めた王は、さらにはその姫巫女と真騎士の乙女をもともない、平和裏の恭順をシビリ・シュメリの民に申し入れるために降臨したという。
だが、その道行きでシビリ・シュメリの棟梁:カルカサスはこれを拒絶、使者である姫巫女と真騎士の乙女を拉致したことから、この戦いは始まってしまった。
不幸な出来事であった、と噂は一応、シビリ・シュメリ側を擁護してもみせる。
だが、帰還王の怒りは棟梁:カルカサスと、その側近にのみ向けられている。
帰還王は土蜘蛛の古い慣習にのっとり統治者との一騎打ちを望む、と。
また、それに伴い、戴冠の大祭、すなわち、王権委譲のための古式ゆかしい儀式と、その復活を要求するとも伝える。
そんなふざけた要求が、いったい誰がその根源なのかわからないが、またたく間に流布していった。
むろん、この急速な噂の拡散には裏がある。
エルマの異能。
情報戦は、呪術系異能と姫巫女として人心操作に卓越したエルマの、得意中の得意であった。
流浪の身を体験したベッサリオンの氏族にとって、イズマのつきつけた戴冠の大祭に関する要求は、言祝ぐべきかつての栄光を喚起させるものである。
それは古い王(もしくはその代理人)に王子が戦いを挑み、自らの実力で勝利を捥ぎ取る儀式であった。
これは儀礼的なものではあったが、王としての資質を集団に示す重要なプロセスであったのだ。
そして、大祭の期間中には周囲の社でも同様の登用試験があり、これによって庶子であっても才覚のあるものは王城への登城権を勝ち取ることができた。
そうやって土蜘蛛の氏族は己らの血に自浄作用を求め、《ちから》を高めようとしてきたのだ。
大祭はカルが棟梁となってからは、いまだ一度も行われたことがなかった。
離散した氏族を、カルは己が血統の結束によって、まとめ上げてきたのだ。
政策の違い、といえばまさしくそうで、氏族の状況を考えるならカルの採択したそれは、じつはあしざまに指弾されるものではない。
親族主義と非難されようと、集団の規模と状況によっては、それは必要悪であった。
ただ、イズマの起こした変化が人々に、違う視点を与えたということだ。
イズマが画策し、エルマがその流布につとめたこの作戦の巧妙なところは、彼ら土蜘蛛の氏族が心に抱き続けてきた古い物語に訴えかけたことだった。
ベッサリオンの氏族は、その血統を失われた王国:ウルに持つ。
真偽のほどはわからない。
だが、それは彼らにとって祖母から娘へ、そして子たちへと語り継がれ、幼少期、なんども寝床で聞き入りながら、胸に刻んだ物語であった。
失われた栄光を取り戻しつつあるとはいえ、その陰に“狂える老博士”たちとの忌まわしくもわかちがたい共生関係があることは、ベッサリオンの民ならば知らぬものはいない。
そして、そのことを受け入れたとはいえ、納得しがたいわだかまりを抱えていない者などいない。
土蜘蛛の氏族の誇り。
エルマの流布した策は、そこを突いたのである。
加えて最前線司令官としてのダジュラを打ち破り、棟梁:カルは施術の最中であったこと──つまりナンバーツーとナンバーワンの不在がその影響を大きくした。
政、そして祭事を取り仕切る御伽衆たちは火消しに奔走したが、これは焼け石に水だった。
それは戴冠の大祭開催要求という、ある意味ではっきりと祭事・神事に関わる部署を狙い撃ちにしたイズマの目論み通りであった。
まさしく蜂の巣をつついたような騒ぎ。
古文書を持ち出し、右往左往する彼らの頭上をはるかに越えて、すでに事態は進展していたのだ。
なお、これは余談だが、土蜘蛛社会は多くの場合、神権政治の形態をとっており、その言葉を伝える巫女の下部組織が御伽衆と呼び習わされる。
本義的には芸能を司る集団の呼称であったが、祭事を執り行う関係でいつのまにかこれが官僚化したのだ。
そして、出し抜けに百人ほどの戦神輿集団がカラム宮の城下に現れるにあたって、カラム宮指導者層の混乱は極まる。
絢爛であった。
豪華であった。
地下世界に暮らし、貴金属、宝玉の類いに精通している土蜘蛛のことである。
価値観が人類のそれとは異なる社会だ。
ちょっとやそっとの宝飾品に目を奪われることなどないはずだった。
だが、その神輿は度肝を抜くものだった。
樹齢三〇〇〇年をはるかに超える神木から削り出された台座は、その見事な木目を残すため、あえて過度な彫刻も漆塗りも行わず、薫蒸と磨きで照りを出す。
そこに埋め込まれた宝飾はすべて純白金のムク、そして、それを支える従者たちは全身に黄金のかたびらと緋色の装い。
なにより、目を引くのはその上に設けられた神殿の祭壇のごときしつらえ。
いや、この神輿そのものが移動する神殿なのだ。
神木の一枚板を彫刻して作られた光背。
その前面に据え置かれた祭壇を兼ねる玉座。
エメラルドの原石を掘り抜いて作られたそこには、帰還王の姿があった。
それは同じ配色の神輿の担ぎ手たちが、遠く色あせて見えるほどのものだ。
黄金の甲冑に深紅の宝玉、緋色のマントをまとう。
頭頂には巨大な冠。
王家のタペストリーにある失われた帝国:ウルの紋章そっくりの。
「や、だから、これがオリジンだからさ」といったい誰に聞かせたものかイズマはつぶやいた。
その胸に抱かれたエルマは、緋袴に水干の巫女装束。
涼しげな目元が民を見据える。
妙なる楽の音はその唇に当てられた横笛から流れ出る。
圧倒的な存在感を示しながら、神輿集団はなにはばかることなく、街の大路を進軍してくる。
抵抗がなかったわけではない。
カラム宮の壁面に無数に切られた十字の窓は、すなわちクロスボウを射掛けるための銃座・銃眼であった。
壁面から、あるいは城壁の上に整列した弓兵たち:カルカサスの親衛隊から、まさしく雨のごとく矢が放たれ、ときおりそのなかをイワシの群れを割る鮫のように、巨大な銛:バリスタの矢が突き破っていく。
だが、地下世界の空洞空間を黒く染めるほどの鏃の驟雨は、一本たりとイズマとエルマに届かなかった。
イズマは指一本、眉ひとつ動かさなかった。
バリスタから放たれた巨大な矢が固い岩塊に突き当たったかのように火花を散らして弾かれ、数十メテルも吹き飛んで突き立った。
先端は運動エネルギーと質量とを引き受けた際に生じた摩擦熱により赤熱しているではないか。
にもかかわらず、神輿はまるで無傷。
矢傷を受けたのは担ぎ手たちだったが、その動きが止まることはなく、血さえ流れなかった。
それによって、その光景を見た人々は知るのだ。
帰還王の引き連れるこの神輿の一団は、すべて死者の群れであると。
人類なら嫌悪を抱き、徹底抗戦の口実となるこの所業も、土蜘蛛の価値観では違って捉えられる。
恐怖を喚起することは間違いない。
ただ、人類のそれが生理的嫌悪を併発するのに対し、土蜘蛛にあってはそれは畏敬を覚える光景なのだ。
それというのも、いわゆる地上世界の死霊術と土蜘蛛たちの屍霊術は、おなじくネクロマンシーと訳されることからもわかるように、根幹こそ同じくすれど、実際には枝分かれした両極にあるものである。
地上世界のそれが他者の生命を辱める邪法としての色合いを強く持つことするならば、地下世界の屍霊術のほうは、愛玩的・保護的な、あるいは交信を目的とする──つまり一種の芸能と見られていたからだ。
だから、防腐・防臭の措置は完璧でなければならない。
磨き上げられた工芸品に求められる基準と同じであると考えれば、傀儡としての死者に対する扱いがわかるであろう。
その出来栄えは、屍人遣いである主人から、そうであると指摘されなければ見抜けないほど、精巧でなければならない。
老衰や病魔に蝕まれての死よりも、自ら望んで屍人となる選択肢が公然と存在する社会なのだ。
もっともその屍霊術からして、すでにその使い手は極端に限られてしまっているのだが。
ともあれ、土蜘蛛の伝統に則れば、屍人の出来栄えとしつらい、そして保有量は、屍人遣いの社会的立場を保証する要素ですらあった。
そして、そこまで精巧な屍人繰りを可能にするには必ず《スピンドル》の《ちから》が必要不可欠であり、それも通常は数体が限度、十体以上同時並行となれば、もはや希代の繰り手、伝説の屍人遣いであると言ってよいほどだ。
主人への服従と最低限の規律、それ以外は生者への怨恨のまま手当たり次第に、それこそ敵味方の別なく貪り喰らう地上世界の死人=ゾンビやスケルトンとは在り方が違う。
ここはより冥府に近い場所──地下世界なのだ。
これほど精巧な屍人を百体以上、加えて、目も眩むばかりの宝飾品を揃えるとは。
帰還王、その権勢いかばかりか。
抵抗は無意味である、とイズマの態度・演出が物語っていた。
だが、そうであるにも関わらず、矢は射掛けられた。
エクストラムの若き聖騎士:アシュレあたりなら、もしかしたらそれでも、もう一度降伏の勧告をしたかもしれない。
だが、イズマは違う。
狼藉には相応の報いがあることを、即座に、完膚無きまでに思い知らせる。
それが帰還王が示した治世のあり方だった。
びょう、とイズマの指先まで甲冑に包まれた右腕が振り抜かれた。
そして、カラム宮の城壁に、それが落下してきた。
ごうん、と地下空洞の大天井に巨大な召喚門が開いた。
結界の類いは、その場所と効果を限定すればするほど強固となる。
だから、シビリ・シュメリ本営のあるカラム宮は、宮殿内への直接転移を主に防御する。
それ以外の手段で、外敵がぶ厚い岩盤をすり抜け大軍勢を送り込むことなど、まずありえないからだ。
強力な転移系の異能は例外なく、凄まじい消耗を使用者に強いる。
その負荷は一時に転送する人数と装備、その総質量の二乗に比例するとさえ言われている。
だから、転移系の異能で送り込めるのはどれほど強力な使い手であっても、せいぜい数名が限度だ。
そして、その致命的な精鋭による本陣への急襲をさえ防げれば、あらゆる外敵を正面戦力で撃退して見せるとの矜持・誇りが、シビリ・シュメリ本営であるカラム宮の防御体制を形成していた。
だから、だれもイズマの攻撃を予想しえなかった。
口を開けた巨大な召喚門から現れたのは、金銀財宝を雨あられと降らせながら落下してくる巨大な建築物、すなわち、失われた帝国の宮殿。
逆影城:ズームルッドであったのだ。
桁違いに巨大な城塞が、逆さ落としに破城槌として、イズマの勧告を無視したことへの返礼として叩き込まれた。
さすがのカラム宮とその城壁も、城そのものの直撃に対しては無力だった。
ひと抱え五〇〇ギロス超の岩塊、その数千万倍の質量が数十メテル上空から突如として落下してきたわけだから、この直撃を防ぎうる障壁・城塞などこの世には存在しない。
火薬による砲撃も、《スピンドル》による超常現象も、超高熱の攻撃兵器:《フォーカス》も必要ない。
この世の終わりではないのかと思えるような轟音と振動に、世界が震えた。
イズマの切り札。
かつての居城と城郭、蓄えられた財宝をまるごと攻撃兵器に転用する異能:《テルミネーション・フォール》。
その一撃で、城塞からの攻撃は完全に沈黙した。
いや、抵抗を続けろと言うほうが無理な話だったのだ。
激しい土埃・土煙が城下町を覆ったのは一瞬だった。




