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■第三十五夜:奪還のために

         ※


 そうやって〈バースト・ヘッド〉を完全に消し去り、エルマを連れてタシュトーカの水穴にイズマが帰り着いたのは、ラッテガルトの元を離れてから一刻あまりが経過してからだった。

 

 脚長羊はそれまでどこにいたのか、二頭の凶獣による大乱闘の被害にも、むろん毒煙に害されることもなく、キノコの巻き上げた胞子の雲からひょっこりと姿を現した。

「どこいたの? 肝心なときに役に立たないねー」

 これまでの脚長羊による数々の救援活動──特に落下・滑落者に対するスペシャリスト的な活躍からすれば、この評価は不当以外のなにものでもなかったのだが、もしかしたら、イズマはこのとき珍しく焦っていたのかもしれない。

 無意識にも、手綱捌きがいつもより気ぜわしい。

 

 ラッテガルトのことが気がかりでしょうがなかったのだ。

 その様子に、エルマが密かに萌え死にしそうになっていたのは内緒だ。

 けぷり、と羊はイズマの評価など気にしたふうもなく、口からしこたま吸い込んだ胞子の煙を吐き出した。

 

 そして、互いが約束したはずの場所に、ラッテガルトの姿はなかった。

 

 イズマはそれまでエルマを抱きかかえるカタチで脚長羊に乗っていたのだが、エルマを鞍に掴まらせると飛び降りた。

 きょろきょろと周囲を見渡し、名を呼び、しまいには地衣類で覆われた地面をぺたぺたと手で探りまでした。

 

「おかしいーな。ボクちん、場所間違えた?」


 エルマはイズマがこんなに動揺して、自分では気がつかないであろうほど震えて訊くのをはじめて見た。

 間違えるはずなどなかった。

 なぜなら、ここはイズマ自身が張った偏向スクリーンの内側だ。

 返すべき言葉のないエルマを無視する格好で、イズマは結印した。

 

 ラッテガルトの足首に嵌められた〈イビサス〉のアンクレット。

 薄膜が現われるとそこに光点がふたつ浮かび上がり、二点間を曲がりくねった線が結ぶ。

 赤点がイズマ。

 白いものがラッテガルトだ。

 

「居た。ここから下層、さらに四〇〇メテル? それ、地下じゃないか!」

 なんだよ、居るんじゃん、だけどなんでそんな離れてんだよ、だめじゃん待ってなきゃ。

 現実を受け入れるのを拒絶するようにイズマは言う。 

「どゆことだろうね?」

 その相対座標図をくしゃくしゃと丸めるような仕草でしまい込むと、再びイズマはエルマに向き直って訊いた。

 

「ここからさらに四〇〇メテル下層の地下、といえばもう、考えられることはひとつだけですわ」

 エルマの冷静な声に、イズマが固まる。  

「シビリ・シュメリ本営──われわれ、ベッサリオンの氏族の本拠地:カラム宮ですわ」

「なんでさ、なんで、そんなとこに居るんだよ」


 子供のように歩き回りながら、イズマが言う。

 冷静さを失ったイズマの胸中が、エルマには痛いほどわかった。

 

 イズマの普段見せるあのふざけた態度は、己を制御するために自らに化したかせであり精神の甲冑のようなものなのだ。

 それが、いまだに荒神:〈イビサス〉の肉体でいなければならないほど激しく消耗し、真騎士の乙女による祝福:《ヴァルキリーズ・パクト》の恩寵をもってしても、不安定な状態に縛られている。

  

 そこにラッテガルトのまっすぐな恋心・純真を受けてしまったのだ。

 普段のイズマであったなら適当にはぐらかし、下世話な方向に話をすりかえてかわせたはずだ。

 けれど、それができないほどにラッテガルトの想いは強くまっすぐだった。

 それは鋭い槍の穂先のようにイズマの胸を穿うがち、長い年月にすり切れ、摩耗し切っているはずだろう忘れられた王としての心へと突き立ってしまった。

 枯れ果てたはずの心から、血潮を流させてしまった。

 

 それがイズマをして、この動揺を招いた原因だった。

 

 彼が取り乱すさまを情けないとは、つゆほどもエルマは思わなかった。

 一瞬たりと脳裏を過ることさえなかった。

 むしろ、そんなイズマが好ましくて愛しさばかりが募って、胸が締めつけられるように痛んむ。

 エルマとエレ、妹と姉を置き去りにしなければならなかったときもまた、きっとこうやって取り乱し、葛藤してくれたに違いないと確信して。

 だからこそ、エルマはひどく冷静に言ったのだ。

 

「カラム宮には平時でも百からの兵が詰めております。そして、いまは戦時。敵兵力は数倍から数十倍に膨れ上がっていると考えるべきですの。そんな場所に消耗し切ったラッテが単身赴いたなどということが、あるはずありません。いくら、猪突猛進が真騎士の代名詞だとはいっても」

 そうでありましょう? エルマが諭すように言った。

「つまり」

「つまり……別動隊に拉致された、と考えるのが妥当ですの」


 イズマだってとっくにわかっていたのだ。

 ただ、認めたくなかった。

 認めなければならないと、時間をロスしているだけだとわかってはいた。

 だが、心の整理がつかなかった。

 カテル島からこちら、わずか十日あまりの間に、イズマは連戦を続けてきたのだ。

 肉体ばかりではない。精神も消耗していた。

 

「《転移門ゲート》で強襲しよう!」

「いけません」

 短絡的で直線的な提案をぴしゃり、とエルマが封殺した。

「シダラの大空洞がそうであるように、カラム宮もまた堅固な結界で多重に守られています。転移系の異能で直接侵入するには、その選択式の結界を潜り抜ける印章が必要ですの。そうでないなら、転移系の異能は座標は狂わされて、はじき返されてしまいます。運が良くて高空、悪ければ岩塊や深海のなか。やつらの思うツボですわ」

「そんなの、こう、なんか力技でさ!」

「獲物を罠にかけるときの初歩──頭に血を昇らせて逆上させること」


 エルマの言葉は冷静で、イズマを責めるような調子は微塵もなかった。

 それが余計、イズマにはこたえたようすで、よろめく。

 

「なんか、なんかあんでしょ、方法がさ。その選択式の結界を潜り抜ける方法が!」

「もちろんですの。たとえば、その印章はわたくしの腰から尾骶骨に刻まれていますわ。所有の刻印が」


 転移系の異能を使った瞬間に、エルマを鳥カゴのなかに連れ戻す、忌まわしい縛鎖の刻印。

 エルマは掌を己の胸に押し当てて、背筋を正し、声を張ってイズマに正対した。

 

「そんなに行かれたいのなら、エルマの生皮を剥いでくださいまし。そうすれば、その印章をその身に縫い付けられれば、イズマさまだけはその結界を潜り抜けられるでしょう。でも……エルマは行けません。ここで、ラッテと同じように待つか、さもなければエルマだけ、どこか人知れぬ場所に転移させられて、死に果てるか」

 でも、イズマさまがどうしても、とおっしゃられるなら、エルマは従います。

「怨んだりしません。大好きです、イズマさま」


 血を吐くようにエルマが言った。

 その言葉にイズマは打たれたように身を震わせ、両手で顔面を拭った。

 そして、次にその顔が現れたとき、憔悴はあったが、イズマの顔には冷静さが戻っていた。

 なにかをねじ伏せるように、だが、決然と言葉にした。


「そんなこと、できるわけがない。エルマも、ボクちんにとって同じくらい大事な存在なんだ」

 それから、大きく深呼吸するといつもの口調を取り戻してイズマは言った。

「手がかりを探そう。さっきの座標図と現場に残された痕跡を手繰れば、かならずラッテに辿り着ける。思うに、シビリ・シュメリの連中はかつての参道とは別に、要所要所で抜け道を使っているんだ。ショートカットかつ、安全な道だ。もちろん……罠は仕掛けてあるだろう……侵入者に対してだけじゃない。このシダラから、“ヒルコ”たちが逆流しないように」

 だけど、手に触れる結界や罠なら、ボクちんがこの手で食い破ってやる。


「ごめん、心配かけたね」


 イズマが笑顔でエルマを見た。

 エルマはその笑みに、自分がイズマのなにに心奪われてしまったのかが分かって泣き出してしまいそうな、でも嬉しさで微笑まずにはいられないような、そんな気持ちになってしまう。

 エルマは、イズマの、この踏み折られても踏み折られても、決して諦めない、その不屈の精神にこそ魅了されたのだ。

 たとえ、いっとき心砕かれても、どうやって現実を変えればいいのかという問いかけに必ず帰ってくる男に。

 

 きゅううううっ、と胸が先ほどよりも激しく強く締めつけられ、エルマは息ができなくなる。

 気がつくとイズマの腕のなかにいた。

 気を失って鞍から落ちたのだ。

 瞬応したイズマが、地面に着くより速く抱き留めてくれていた。

 

「ごめんなさいですの。イズマさまに口答えなんかしたから……バチが当たったんですわ」

 消耗しきったエルマが気力を振り絞って相対し、諌めてくれたことの意味を理解しないイズマではなかった。

 思わず抱きしめる。

 与えられる抱擁の強さが、無言の感謝を表している。

 エルマにはわかる。

 

「行こう。痕跡を探して、最速で追跡する──もちろん、エルマの回復も考えなきゃね」


 はい、とエルマは応じる。

 必ず、ラッテガルトを、そしてエレを助け出すと誓う。 


         




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