■第三十四夜:咀嚼(そしゃく)
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身の毛もよだつような叫びとともに始まった怪物同士の対決。
凶獣:〈バースト・ヘッド〉と、イズマに召喚された暴食の王:〈ガラン・バウ〉の戦いは、召喚が不完全なこともあり、一瞬、互角かと思われた。
だが、暴食の王:〈ガラン・バウ〉に毒素は効かない。
それどころか、暴食の王にとって、それはちょっと風変わりなアミューズでしかない。
北方の宮廷料理において前菜の前に出される、ひとくちかふたくちで食べ切れてしまう「おたのしみ」という名の先味程度でしかないのだ。
噛みあっていた互いの四肢と顎門が離れた瞬間、〈バースト・ヘッド〉は必殺の一撃のつもりで毒の吐息を吹きかけた。
暴食の王:〈ガラン・バウ〉はその直撃を受ける。
それも口腔内に、だ。
通常の生物であるのなら、この一撃は、たとえ毒物に対し高い耐性を誇る竜であっても無事では済まなかっただろう。
だが、〈ガラン・バウ〉はその吐息をものともせず、むしろ、気のきいたスパイスの薫りと認識し、もうもうたる毒煙ごと〈バースト・ヘッド〉の脚であり、かつ首であるところの器官にかじりついた。
たまらないのは〈バースト・ヘッド〉のほうだ。
必殺の攻撃を放ち終えた瞬間、巨大な〈ガラン・バウ〉の顎門がその喉笛に喰らいついたのだ。
異形の怪物:〈バースト・ヘッド〉はメチャクチャに暴れたが、一度食いついた顎門を暴食の王は二度と離さなかった。〈バースト・ヘッド〉の四本ある脚のうち一本が、力任せに筋繊維を引きちぎられ、白色の体液をぶちまけながらのたうち回るまで、決して。
そこが分水嶺だった。
暴食の王:〈ガラン・バウ〉は次々と四肢に喰らいついた。
イズマは凄惨を通り越し、地獄そのものとしか表現のしようがない光景を注視している。
一瞬も気が抜けなかった。
入念に調教したわけでもない召喚獣をリアルタイムで維持しながら、コントロールしているのだ。
それも小物ではない。
いま、眼下で真っ白い血の池地獄を作り出し、異形の怪物:〈バースト・ヘッド〉を踊り食いにしているバケモノは、なかば神格的な魔物のうちの一柱だ。
人類ではなく、ハダリの野からはるか東側に広がる凍えた針葉樹林帯に群れをなすオークの一族が崇める一種のトーテムである。
ちなみにこのゾディアック大陸におけるオークは直立歩行をおぼえた豚といった感じの外見で、その行動原理のほとんどを食欲に支配された生物だ。
腹さえ満たされていれば寝ているばかりで温厚この上ない性格だそうだが、大概のオークはひどく飢えており、どのようなものでもとりあえず口にするし、同時に食料を得るために徒党を組み、軍団となって襲いかかってくる。
発達した筋肉の上にぶ厚く乗った脂肪の層は天然の鎧であり、恐るべきタフネスと相まって人類にとって脅威となる。
つまり、人類にとって相対するときオークは、ほぼ間違いなく敵としてなのである。
さらにどんな種族とも交配する、という噂もあるが──それは、およそイズマの知る限り人類=厳密にヒトとだけである。
ただし、これもごくごく稀な事例というだけでしかない。
生き延びた子供は、ややふっくらとした肉付きに大きな耳と発達した犬歯に敏感な嗅覚、旺盛な食欲を除いては、母体となった種の特徴を強く受け継ぐようだ。
イズマの知るハーフオークはかなりの美少女だった。
ただ、食事量が普通の大人の三倍からある、というくらいだ。
それも毎食だから念が入っている。
なお、余談の余談だが、オークという種において料理人は相当に地位の高い、尊敬の眼差しで見られる職業なのだそうだ。
噂では某国の人類の王の宮廷にはオークの料理人が招請され、その国の王は美食の限りを尽くしているという噂もある。
オーク社会で学問と言えば、これはすなわち宮廷料理学のことなのだ。
そういえば、ハーフオークの美少女も料理人の娘だった。
もちろん、とびきり濃い情念たっぷりの裏話があるのだが、それは脱線が過ぎるので割愛する。
そんなオークたちがトーテムと崇め、畏怖の念を抱くというのだから、なるほど暴食の王:〈ガラン・バウ〉の食欲は凄まじいものであった。
異形の怪物:〈バースト・ヘッド〉が肉体を再生していくのを、これさいわいとばかりにかじりつき、ろくろく咀嚼もしないまま飲み干してしまう。
畏敬すらおぼえる異常な食欲によって、均衡はすぐに破られた
暴食の王:〈ガラン・バウ〉は手すきになった顎門で、周囲の茸まで貪り喰う。
ついに、肉体のほとんどを喰らい終え、残されたのは肉腫と神像、そして幾何学模様的な組織だけである。
むろん、とても食欲の湧くような光景ではなかったが、〈ガラン・バウ〉にとってその程度の事柄は気にするまでもないようなものであったのだろう。
なんのためらいもなく喰らいついた。
イズマはエルマを胸に押し当て、その光景を見ずにすむようにしていた。
これまで幾度も残酷な場面に直面してきたはずのエルマにそれは無用の気遣いかもしれなかったが、女のコ扱いされたエルマの方はまんざらどころか、喜色を隠そうともしない。
むしろ不気味な断末魔とイズマの肉体から立ち上る〈イビサス〉の香気、そしてシチュエーションが相まって、昂ぶってしまっていた。
なかなか難儀な性癖では、ある。
「終わりましたの?」
「もうすぐだよ」
「わたくしも、観たいです」
主が勝利を収める瞬間をともに観るというのは、土蜘蛛の女性的には最高に誇らしい場面であるのだ。
炎と鉄と血が、いまだ世を縁取っていた時代のことである。
勝利に血の薫り、残虐のスパイスは、むしろ当然のことであったかもしれない。
「すごい、ゴリゴリッて、骨の噛み砕かれる、肉の引きちぎられる音──」
エルマの声は限りなく艶声めいている。
そして、〈ガラン・バウ〉は最後の一片まで喰らい終え、同時にイズマが送還の法に意識を移した瞬間だった。
とつぜん、〈ガラン・バウ〉が咆哮を上げ、暴れはじめた。
「なんだ? ボクちん制御は外してないぞ?」
イズマでさえ、本気で焦った声をあげた。
それほどに予想外の暴走だった。
「やっぱ、いくらなんでも食べちゃいけなかった? 〈グリード・ゲート〉は」
慌てて送還の手続きを行う。
すぐさま送還門が開かれ、己が本来いるべき階層に沈んでいきながら暴食の王:〈ガラン・バウ〉は暴れる。
非情なようだが、元来イズマにとって暴食の王は敵でも味方でもない。
それがこのように暴れ回りはじめたら、すでに障害であった〈バースト・ヘッド〉の除去という目的を果たしたイズマにとって、取りうるオプションはひとつだけだ。
門を開いて暴食の王:〈ガラン・バウ〉が本来いるべき位相に送還すること。
次に出会ったとき、もしかすると恨みを買ってからのスタートとなるかもしれないが、会わなければいいだけのことだ、とイズマは判断した。
だが、〈ガラン・バウ〉は、置き土産をきっちりしてから還っていった。
激しく振られた首が、去り際に異物を吐き出したのだ。
それは遠投の要領で、イズマとエルマの潜む岩棚の近辺に激突して突き立った。
神像とそこから根のように張り出した〈グリード・ゲート〉。
「あー、こりゃ食えねえわ」
もうもうと立ち上った胞子の煙が去ったあと、イズマはその不思議な光景を見て感想した。
「なんですの、これ。綺麗だし、包み込むような包容力のあるお顔なのに──どこか、悪寒がする」
「エルマ、あのね、もしかするとこの〈グリード・ゲート〉の原材料こそは、ボクちんの本当の敵──《御方》どもと関係があるのかもしれない。この世界から完全に消し去ってやろうとボクちんが決意した連中の一部なのかもしれない」
いや、とイズマは内心で否定する。
かもしれない、ではない。
間違いなく、これは、そうだ、と。
それから──ちょうどいいかもしれないね、と。
突き立った神像は弱った蟲のように〈グリード・ゲート〉を動かし、ちきちき、と音を立てる。
「消し去ってやる。荒神:〈イビサス〉のなか封じられた暗密で、素粒子や模倣子どころか、概念に至るまで分解してやる。もう二度と、カタチが思い出せなくなるまで──」
そっとエルマを下ろし、イズマは両腕を広げた。
胸部装甲が展開し、再び〈イビサス〉の顎門が現れる。
「こいつは物理面からのアプローチだけじゃない。概念としてオマエを消し去る装置だ。そう、オマエらお得意の《ねがい》を動力に駆動する半永久器官さ!」
ちょうど良い試金石だ──イズマは不敵に笑う。
ただし、ボクちんはオマエらと違って、ボクちん自身の《ねがい》でしか、これを行使しない。
すなわち《意志のちから》=《スピンドル》によってでしか。
その光景を見つめるエルマは、嵐の晩、風になぶられる森のなかにいるような音を聞いた。
それは、無数の蝶が羽根を打ちつけあう音。
完成形となった《ムーンシャイン・フェイヴァー》。
ほんとうの《ちから》。




