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■第三十三夜:境界線

         ※


「やれやれだ、まったくダジュラの不始末で大仕事だ。ああ、オマエさん、勝手に出るんじゃない──どこへいった? 逃げ足だけは速いねえ」


 逃げ去ったペットを探すように右往左往するイダ。

 どさり、と荷物のようにラッテガルトは椅子に降ろされる。

 ぎしり、と全体が軋む音がするが、それはこの椅子の特性だ。

 木材ではなく、頑丈な蔦──おそらくイワバミカズラを加工したものだ。

 

 地下世界において上質の木材は目玉が飛び出るほど高価な素材であり、まずは神殿に、次に軍需物資として扱われる。

 一般的な市民の手に渡ることはまずない。

 ここでは、鉱物や貴石のほうが木材よりありふれた素材として安価なのだ。

 

 土蜘蛛たちの住居が岩を彫刻して造り上げた宮殿に天幕を垂らして部屋を区切り、室内でさえ吊り橋のような通路を設けるのはそのような理由からだ。

 

 肉体をがんじがらめにされたラッテガルトは、その編み上げられた椅子に据えられているクッションの上に放り出された。

 その部屋には押し殺した女の苦悶とむせ返るような麻薬の薫り、そして女の肉体から発せられた屈辱と官能の入り交じった匂いが充満していた。

 

 ラッテガルトはこのときはじめて、エレと対面した。

 両手を、両脚を、ありえないほど厳重に拘束され、屈辱的な姿勢を強要されていた。

 そのかたわらにはおぞましい器具がいくつも並ぶ。

 

 おそらくラッテガルトが使用されたクスリを幾本も打ち込まれ、また、室内に焚かれた別種の麻薬による相乗効果で、強制的で残酷なほど高められた感覚によって責め苛まれているに違いなかった。

 

 それなのに、美しい、とラッテガルトは思った。

 これが、イズマの助けを待つ土蜘蛛の姫──寵姫の姿なのだ、と。

 雪よりも白い肌にいくつも走る手酷く弄ばれた痕さえ、逆に彼女の美を際立たせていた。

 

 その姫が、どちらが淫夢で悪夢なのかわからぬような現実に姿を現したバケモノ──イダを認め、まなじりを固めた。

 

「バケモノめ! 誰に断りをしてここへ足を踏み入れたッ!」

 消耗し切っているはずなのに、エレから発された気丈な言葉には張りがあった。

 ラッテガルトはエレが見た目ばかりの美しさだけでなく、強い心の持ち主であることも感じ取る。

 

「いやいや、誰の許可もとってないさ。だけどね、まあ、こりゃ、緊急対応だよ。ナンバーツーは失脚したし、ナンバーワンは施術中だ。確認も許可も取りようがない」

 また、代理宿主の顔に乗っかった肉の庇をひょいと持ち上げてイダが言った。

「キサマッ、ここはベッサリオンの棟梁と、それに連なる血筋のものしか踏み込めぬ場所だ!」

「存じておりますとも、ひいさま。んだけどね、イダはある意味でエレ、オマエさんを助けにきたんだ」


 身動きできないラッテガルトをぐい、と引っぱり、イダは言った。

 

「知らないなら教えておくけれど、エレ、オマエさん、本当は今日の日没を──ああ、もう過ぎてるじゃないかね、こりゃ急がんと──期限に、イダに下げ渡される予定だったんだ。イズマガルムをハメ獲るための罠、そして餌としてね?」


 唐突な、イダの語りに混濁する意識を修練させるため、閉じていた瞳を再び開いてエレが食ってかかった。

 

「嘘を吐くなッ! 兄さまが、カル兄さまがそのようなことを認めるはずがないッ! よしんばそうだとしても、そのような目的に使われるのであれば、わたしは舌を噛み切って自害するッ!」

「愛玩奴隷の刻印を打たれ、暗示で二重三重に括られているくせに、できるものならやってみるがいいよ。でもね、イダは嘘を吐かないよ。博士だからね。嘘つきは泥棒のはじまりさ」


 ただまあ、とイダは珍しく荒くなりかけた語気を鎮めるように溜息をついて見せた。

 

「今回は、このコに助けられたねえ。正確にはイダに助けられたねえ。たまたま、だよ。ダジュラのやつを見張ってたときのことさ。引き際さえ誤らなければ、妹のほうも確保できたのに、やつめ失敗しやがったんだ。身分不相応な野心と肉欲や執着が結びつくと、ろくなことにならないという見本さね。ひどいもんだ。

 それまで稼いだアドバンテージがこんどは逆手落としにペナルティとして働いた。だめだだめだ。いや、あれはイズマガルムの狡猾さ、ずっと先を読み通す能力を称賛すべきだろうねぇ」

 

 イズマがダジュラを撃破したこと、それによってエルマが無事であることを確認したエレの顔に安堵と希望の光が宿った。

 

「うれしいかい? だろうねえ。くやしいけど、やっぱりアイツは飛び抜けているよ。とくにその謀略の手の長さ、自然さ、仕掛けの息の長さ……半端じゃない」


 能力の、あるいは技の、あるいは頭脳の優秀さは、イダにとって敵味方という関係性を超越する概念なのだろう。

 手放しでイズマを褒め称え話を続ける。

 

「ダジュラのやつも呪詛に焼かれてしまってねえ。それはいいんだけれど自信作の〈グリード・ゲート〉:“寄居蟲ゴウナ”までもアレでは燃え尽きちまうじゃないか?

 せめて断片でも、とうろついていたら、くたばりぞこないのダジュラと、このコを見つけたのさ」

 

 肉屋が入荷したばかりの野禽ジビエの鮮度を確かめるように、ラッテガルトの細い首を頭足類の腕が掴み、ねじるようにして無理やりエレと対面させた。

 

「ほんとは生娘のまま捕獲したかったんだ。だが、もうコイツはそうじゃない。イズマガルム、あのスケコマシ。一番美味しいところだけ食い散らかして──せっかく貴重なサンプル入手の一大チャンスだったのに。五十年近くも噂を垂れ流して、かかった獲物はわずか数匹。どいつもこいつも、肝心の触媒を失っている。ようやく、手垢のついていない新品で実験できると思ったのに、僅差でこのざまだ」


 身動きできないラッテガルトをおぞましい触手で確かめ、溜息をついてイダは喚いた。

 

「傷モノの真騎士では、商品価値は十分の一だよ!」

「真騎士の……乙女」

「もう乙女じゃない! イズマに、あのクソッタレが──失礼、ちょっと汚い言葉遣いだったね──全部、かっさらっていったんだよ!」


 だが、エレの問いかけはイダに対して発されたものではなかった。

 その狼藉と罵倒に耐えながらエレを見つめるラッテガルトへと、それは注がれている。

 全身を拘束され、これから己がおぞましい人体実験の検体となるであろうはずなのに、その瞳には光が燃えていた。

 それはエレを勇気づけようとするものであり、同時に強い信頼に起因するものであった。

 すなわち、イズマへの。

 必ず、イズマはここへ、わたしたちを助けに来る、という。

 

 エレはラッテガルトの瞳が訴えかけるメッセージに、折れかけていた心が当て木され、もう少しだけこの苦境に立ち向かうための勇気をもらった気がした。

 そして、おそらくいま、イズマは最大に近い《ちから》を振るえること、そのための恩寵を、眼前の娘が与えたことを知った。

 

「どうして、こんなのを拾ってきちゃったのか──いや、美しいお嬢さん、オマエさんを罵倒しているんじゃない。オマエさんがたの貞操観念を疑っているんだ。どうして、もうちょっと身持ちを固くしないんだ。重要なのは処女性なんだよ! ああ、でも、嘆いたってしかたがない。これまで幾例かある実験の成果を試すときだよ、イダ!」


 そういえば、とイダは思い出したようにラッテガルトの首を捻り返し、自分に向けさせてから訊いた。

 

「名前を聞いてなかったね、お嬢さん?」

 カルテに書かなくちゃならんから、教えてくれるかな。

 イダのそんな申し出を、普段ならラッテガルトは跳ねのけただろう。

 替わりに唾を吐きかけ、呪いの言葉を投げつけたはずだ。

 だが。

 

「ラッテ──偉大なるヴォーダの血を引く者にして、ミルヒメイヴの娘、真騎士:ラッテガルト・フィオレ・ダナーン」


 素直に応じたのは、イダの命令に屈したからではない。

 その言葉はいま、窮地にあるもうひとりの娘:エレに向けられたものだった。

 だから、苦しい姿勢であるにも関わらず、まるで戦場での名乗りのように堂々とラッテガルトは言った。

 

「立派な名前だ! 強さを秘めているのに、可憐で品がある! ダジュラとかいうのとは、もう名前からして違うじゃないか。

 ああ、これで傷モノでさえなければなあ。いや、もうよそう、嘆いてはいけないイダ、涙を拭くのよ! その名で呼ばれることが恥ずかしくて死んでしまいたくなるような見事な罠に、イダがしてあげるからね。もう傷モノの自分を嘆くことなどないくらい美しく堕としてあげるからね」

「まてッ! そのひとに手を出すことは、わたしが許さんッ!」


 だんだんと狂的な色を帯びてきたイダのつぶやきを、エレの声が切り裂いた。

 ああん? とずり落ちてしまった肉の庇をもう一度手で押し上げながらイダが目をすがめた。

 囚われの姫巫女:エレは、その醜悪な光景を直視したまま断言する。


「これは、われわれ土蜘蛛の、ベッサリオンの氏族の問題だ──部外者の血を持ち込むな」

「これこれ、わがままを言っちゃいかん! アンタ、オマエさん、エレ、いいかね? オマエさんは、イダの足労とこの真騎士の娘の献身で、お目こぼしされたんだ。そりゃ、クライアントとの約束だからね。守らなくちゃならんよ」

「兄さまはどこだッ。話をさせろッ」

「だーかーらー、いま、カルはイダの本体とすてきな仲間たちで施術中だよ。話なんてできるもんか」

「なん……だと……施術? なんのだッ!? いつからだッ!? 会わせろッ! そして、そのヒトを解放するんだ!」

「やめろう。矢継ぎ早にイダに質問や命令するなあ! 頭が混乱してイライラする。美人さんでも、やっぱり女は女だ。煩いったらありゃしない。もう頭に来た。質問できないようにしてやろう」


 イダが真騎士の乙女:ラッテガルトから手を離し、エレに向かう。

 だが、エレの心はいまから我が身にふりかかる災難よりも、兄:カルカサスへの想いでかき乱されていた。

 

 兄であるカルカサスが自らの肉体を“狂える老博士”どもへの献体として検討するほど追いつめられていたこと。

 それ自体はエレも薄々とだが気がついてはいたことだった。

 けれども、それを検討することと、一線を踏み越えてしまうことの間には大きな違いがある。

 思うこと、悩むことと、行動の間には巨大な壁がある。

 

 それを、兄は、カルカサスは踏み越えてしまった。

 

 わたしだ、わたしたちのせいだ、とエレは思う。

 氏族の凋落ちょうらくを図らずもとはいえ許し、他の土蜘蛛氏族から注がれる蔑視に耐え、屈辱の泥水をすすり汚名を着て、それでもギリギリ最後の一線で保たれていたはずの兄:カルカサスの心のタガが弾け跳んだのは、エレとエルマが揃って、こんどこそ完全にイズマの側に着いたからに他ならなかった。

 

 かつての“神”:〈イビサス〉の肉体を持ったイズマの襲来にあっても、エレとエルマがカルの側に留まっていたのなら、兄は決してそのような取引きに応じなかっただろう。

 いや、応じようとしたとて、エレとエルマがすがりついて懇願して引き止めただろう。

 

 エレは目の前が真っ暗になったような衝撃に襲われた。

 

 いっぽう衝撃を受けるエレの対岸で、一時的に解放された真騎士の乙女:ラッテガルトは感慨に胸を打たれていた。

 たったいま邂逅したばかりの見も知らぬ異種族の娘のため、我が身を挺してイダに抗弁した土蜘蛛の姫巫女:エレヒメラの姿に。

 ああ、これが、イズマが愛し、愛されたひとなのだ、と思うとなぜか自分まで誇らしい気持ちになる。

 

 だが、抗弁の代価は高くついた。


 イダはエレに並べおかれた醜悪な器具におぞましい薬液をたっぷりと塗りたくると、それらを例の頭足類を模したいくつもの触手で繰りはじめた。

 指揮者のタクトを思わせるような仕草で。

 その手慣れた運指に、とても声をあげずにはおれないのだろう。

 全身が痙攣し、白目を剥くほどの感覚に責められても、クスリの効果で気絶して逃れることもできない。

 

「やめろッ、もう、もうやめろッ」

 制止の言葉がラッテガルトの喉から迸り出る。

 そのラッテガルトに見せつけるように、その屈辱に満ちた演奏会はしばらく続いた。

 あまりの光景に、ラッテガルトは泣いてしまった。

 為す術がない己を恥じてのことだ。

 

 ずいぶんと長い時間に感じられた。

 

 ラッテガルトの自発的ななにか・・・を待つように、おもむろにイダは手を止め、振り向いた。

 責め立てられ続けたエレをまっすぐに見ることは、彼女を辱め、貶めているような気になって、ラッテガルトは顔を逸らした。

 イダがなにを期待し、ラッテガルトに言わせたいのか、もうわかっていた。

 

「わたしが……検体になる。だから、いますぐその恥ずべき拷問をやめろ。逃げられぬよう拘束するにしても、せめて、もっと楽な姿勢で……彼女の尊厳を足蹴にするような真似は、よせ」

「言ったはずだよ、イダは命令は嫌いなんだ。反抗的な検体もね」


 めらり、とラッテガルトの内側で怒りの炎がひらめいた。

 イダの腐りきった性根とそれに屈さねばならぬ恥辱とに、だ。

 だが、堪えねばならなかった。

 エレを解放する。それが第一だった。

 

「わたしが検体になります。だから、もう、そのひとを──エレヒメラを休ませてあげて」

 言葉を改めて、ラッテガルトが言う。屈辱に全身が震える。

「いけない」

 と苦しい息の下から制止の言葉が、こんどはエレからラッテガルトへ向かって投げ掛けられたのはそのときだ。

 ラッテガルトは弾かれたようにエレを見る。

 

「こいつの言葉に耳を貸してはダメ。心を蝕む忌まわしい酸のようなもの。身を任せるなどもってのほか──これは土蜘蛛の氏族:ベッサリオンの血統の責任──わたくしに、任せればよいのです」


 瞬間、ラッテガルトとエレ、ふたりの視線が交差した。

 エレが安心させるように笑った。

 ラッテガルトの汚れを知らない姿、心のありさま、その勇気と気高い精神に、エレはイズマの女を見る目は確かだと改めて思い、同時にこの娘を穢してはならないと覚悟したのだ。

 それがゆえの笑みだった。

 一方でラッテガルトが再び涙を流した。

 エレの、どれほどに痛めつけられ恥辱に傷つけられても、他者を庇おうとする──それも、恋敵であるはずのラッテガルトのために──姫君としての高貴な精神に。

 

 この短いやりとりで、互いの心に生じたものは尊敬だった。

 だが、そのことを快く思わない者もいる。

 自らが疎外されたことを感じ取ったのか、それとも己の書いた筋書き通りにことが運ばなかったことが気に障ったか、そのどちらかなのかはわからない。

 イダが、とつぜんあきらかに限界を迎えているはずのエレに加虐的に手を加えた。

 そうやってエレを悶絶させて尊厳をはぎ取り、イダは己の舞台を作り直す。

 

「イダ、良いことを思いついたよ」

 奇怪なバケモノが子供のようなセリフを吐き、ラッテガルトはこんどこそ背筋に最大級の悪寒を覚えた。

「カルの施術にはあと一日はかかる。さらに罠の完成を間に合わせるにも一日かかる。ギリギリの滑り込みだ。忙しいね、イダ。寝る間もないとはこのことだ。でもね、悪いことばかりじゃない。イダは思いついたよ。これはあきらかにポジティブな思考」


 なんだと思う? 無邪気に振り返るイダの背中越しに痙攣し続けるエレの姿をラッテガルトは見てしまう。

 

「それは、あと一日、カルはいませんってこと。時間いっぱいまでイダは待った、けどダジュラのヤツは失敗したのか、定刻になっても戻ってこない。イダはしかたなく当初の計画通り、エレを改変する。遅れて真騎士の乙女が送り届けられたけど、やっぱりダジュラは死んじゃってた。しかたがないから、イダはその娘も改変した。二段構えの罠。イダは約束を守っただけ」


 これって、グッドアイディアじゃないですか?

 幼稚な詭弁。

 ひどいつじつま合わせの言い訳だと、ラッテガルトは思う。

 だが、イダにはそれを実現してしまうだけの力があり、実際に改変されてしまったあとでは、エレにもラッテガルトにも、そして件の首領:カルにも事態を打開する術はない。

 改めて、“狂える老博士”どもへの憎悪を滾らせるとともに、幼稚な発想が、ある種の天才性と結びついた瞬間に生まれる醜悪さ──真に怪物と呼ぶべきもの──に、ラッテガルトは恐怖した。

 

「これ以上、検体が反抗的なら、そういうオプションも視野に入れていく、とイダは断言するよ」


 また、なにかを期待するようにラッテガルトを見てイダが言った。

 なにを言わせたいのか、ラッテガルトは察する。

 屈辱であった。恥辱であった。だが、それでも、エレを助けたかった。

 このひとは、報われなければならない。その、あまりにも凄惨な人生の結末が、こんなものであっていいはずがない。

 

 見ず知らずのラッテガルトを必死に庇おうとしたエレの行動が、同じ鏡をラッテガルトのなかにも造り上げていたのだ。

 ふたりは、互いのなかに自分自身のあったかもしれない姿を見いだしていた。

 だから、言った。

 恥辱に震えながら、たどたどしく、どもりながら。

 

「わたしを──ラッテガルトを、改変してください。改変、されたい、んです。イダに」


 ラッテガルトはイダの顔を見て言う。

 だれに、どうしてほしいのか、それをきちんと自分で言うまで、イダは許すつもりなどないと知っていたからだ。

 イダが大きく息をついた。

 ラッテガルトの言葉が怪人の歪んだ心の的を射たのだ。


「ああー残念だ。そんな風にお願いされたなら、イダはラッテガルトを優先せざるをえない──」


 同じくふざけた口調なのに、どうしてイズマなら愛しくて、このイダには吐き気を覚えるんだろうか。

 ラッテガルトは思いながら、その芝居がかりすぎたご満悦の振る舞いを見る。

 それから、その理由に思い至る。


 きっと、イズマのおふざけは、だれかを貶めるためのものではないからだ。

 あんないい加減な男でも、なんら恥じることなくのうのうと、ひょうひょうと生きている。

 自分が蔑まれれば笑い飛ばし、あるいはそれすら好機チャンスに変えて……例えるなら、つまずいて転んでも、これは前転だと言い張って。

 だが、他者を傷つけたり辱めたり貶めたり、そういう言動をどこか憎んでいるようで。


 老成しているのか、子供なのか、天然なのか養殖なのか、遠謀深慮なのか短絡的な思いつきなのか、とにかく掴みどころのないままに、たぶん自分だって自分のことがわからないままに《ちから》を尽くして、ただ、ぴょこっと、一匹、生きている。

 

 その姿に、イズマは別に救おうだなんて思ってもいないだろうに──ただ、全力でイズマであるだけなのに──救われてしまう人間が、いる。

 少なくともここにひとり。

 もしかしたらふたり、いるのだ。

 

 逢いたい、とラッテガルトは思う。






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