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■第三十夜:〈バースト・ヘッド〉

         ※


 差し込んでいた陽がかげると、森は様相をとたんに変えた。

 茸たちはみずから淡く発光した。

 何種類もの茸が競うようにしげり、それぞれに異なる色の光を発する森は幻想的でもある。

 また強い芳香を放つものがあるのだろう。

 外界から厚い岩盤によって隔絶され、地下世界に咲いた秘密の花園であった。

 

 余談だが、地上世界・人類圏の茸のなかにもカゴタケという変わり種がいる。

 その特異なビジュアルも驚きだが、グレープフルーツそっくりの薫りを放つのだ。

 だから、状況さえ、そして、この患い茸が秘める毒性の凄惨さから目を背ければ、素晴らしい光景であったろう。

 

 だが、身を屈め走るイズマは、その光と薫りの饗宴の影に蠢く悪意を見いだしていた。


 凶悪にしても過ぎるシルエットを、それは備えていた。

 四足獣の姿をしていた。

 だが、そのすべての脚は、無数の指を供えており、同時にその指とはすなわち牙でもあった。

 四足獣の脚のすべては己を支える歩行器官であると同時に、その底に開いた口、捕食器官、そのものでもあったのだ。

 そして、四足獣の頭部にあたるべき場所からは巨大な腫瘍が膨れ上がり、さらにはそれが弾けて内容物を露出させている。

 五角形を合わせて立体格子状に編まれた幾何学模様としか言い表しようのない器官。

  

 イズマは、その格子にはりつけにされ祈り続ける女神像のごとき存在を観ていた。

 白色で皮質の体表面からうかがえる骨格の不気味さと、その女神の顔に浮かんだ表情のあまりの穏やかさが、イズマにさえ悪寒を感じさせた。

 それはあの〈ハウル・キャンサー〉:セルテと同じ種類のもの。

 

 やはり、この森にも“ヒルコ”は潜んでいたのだ。

 

「毎度思うけど、“老博士”どもって趣味が悪いよねー」

 イズマがそう毒づいた瞬間だった。

 屹立していた四足獣:〈バースト・ヘッド〉=とっさにイズマが「破裂頭」と命名した──が上層を見上げた。

 

 岩壁に刻まれたつづれ織りの道。

 そこを降りる脚長羊とエルマを認めたのだ。 

 

 エルマは数秒、相手の視線(意識の方向性とすべきだろう)を真っ正面から受け止め、この〈バースト・ヘッド〉の性情を見極めようとした。得体の知れぬ相手との交戦が危険であることは言うまでもなく、エルマにとっては同胞の成れの果てなのだ。

 できるなら説得によって──救うことは無理でも、交戦を避けたい相手ではあっただろう。

 これまでの遭遇──セルテとイオのこともある。

 

 エルマはすでに資格を失ったとはいえ、彼らの指導者的立場──姫巫女であったのだ。

 

 だが、その対応を〈バースト・ヘッド〉は、あるいは侮られたと感じたのかもしれなかった。

 途端に〈バースト・ヘッド〉の四肢が、落雷を思わせる大音声を上げて吠えた。

 俗に《バインド・ヴォイス》の名で呼ばれる魔獣の咆哮は恐慌を始めとする精神錯乱から心神喪失、気絶、最悪ショック死にいたるまでのバッドステータスを引き起こす立派な攻撃行動だ。

 魔獣との遭遇経験がなく免疫を持たない軍隊など、このひと吠えだけで潰走かいそうするほどのものなのだ。

 

 その精神攻撃をエルマは気丈にも耐え切って見せた。

 異能者たちを支えるエネルギーの根幹──《スピンドル》は意志の《ちから》だ。

 けれどもいま、まさにその《ちから》を消耗しているエルマにはキツイ洗礼のはずだ。

 それでも、かつて黒曜の姫巫女と謳われたエルマは意地を見せた。

 もちろん、羊はどこ吹く風というようすで小揺るぎもしない。

 

 だが、なまじ耐えて見せたことが〈バースト・ヘッド〉の攻撃衝動に火をつけた。

 己の威嚇に屈しない相手だと見て取った〈バースト・ヘッド〉は即座に広範囲殲滅行動に移った。 

 

 すなわち、ブレスによる無差別攻撃だ。

 

 体高五メルテに達する〈バースト・ヘッド〉は、苛立った馬がそうするように竿立ちになる。

 そうして高さを稼ぎ、前腕ふたつから一斉に高密度の毒素を叩きつけた。

 

 それこそはこの森が育てた患い茸の毒素の集積──流行り病に酷似した症状を引き起こす毒素を抽出、精練したものと同等の猛毒ガスであった。

 危険を察した脚長羊はメチャクチャに走り回った。

 仮にも神獣とは思えぬ小心ぶりである。


 だが、ひとつ言い訳をさせてもらえるなら、羊が慌てたのは保身のためではない。


 実際、〈バースト・ヘッド〉の叩きつけた毒素は高密度・高濃度であったにも関わらず、脚長羊:ムームーはこの影響から完全に護られていた。

 位相の違う存在に物質界の毒物は極めて効果が薄い。


 問題は鞍上のエルマであった。

 呼吸によって体内に、あるいは肌に付着した毒素はたちまちのうちに肉体を侵食し、獰悪な効果を現す。

 高熱、悪寒、幻覚、出血、下血──悪性の病魔に取り憑かれたのと変わらぬ症状で犠牲者はのたうち回ることになるのだ。


 脚長羊はその最悪の吐息からエルマを守るべく、全速力で駆けた。


 だが、〈バースト・ヘッド〉の放出する毒のブレスは、尽きることがないように思えた。

 また毒素系の攻撃の陰湿なところは、その持続時間の長さである。

 異能でも、生態的な器官で造り出されたものでもそうだが、一度現出した毒素はその滞留時間が極めて長い。

 広範囲に毒素をまき散らす魔物のせいで、その魔物の討伐に成功した後、国土が除染できず滅びてしまった王家もある。


 見れば、ひとつの首が毒の吐息をまき散らす間、そのほかの首が患い茸を食み、その毒素を吸い尽くして補充しているのだ。


 厄介な魔物、そして厄介な植生であった。


 そして、二重三重に交差する毒の吐息が、ついにエルマたちの退路を完全に包囲した。

 そのことに気がついて羊は脚を止めるが、それはほんのわずかの猶予時間を稼いだだけだ。

 

 ごおう、と〈バースト・ヘッド〉がひときわ大きく息を吸い込む音がした。

 

 エルマには逃げ場などない。

 だが、そのブレスが吐き出されようとした瞬間、その口腔に閃光が走った。

 炸薬を仕込んだファルファッレがその口腔に飛び込んだのだ。

 ほとんど同時に、いや、体感的には音の方が早く──灼熱の業火が巻き起こった。

 

 異形の怪物:〈バースト・ヘッド〉の首のひとつ、その口腔内で連鎖的な爆発が起ったのである。

 

 それは空間内に高密度で飛散した細かい粒子が発火、高密度であるがゆえに次々に連鎖的に燃え移り、結果としてガスが充満した室内で火花を散らしたかのような大爆発を引き起こす現象である。

 石炭鉱山などの閉鎖的環境での採掘時に引き起こされることは、年季の入った炭坑労働者たちの間では知られた現象だった。

 

 イズマの仕業であった。

 竜の炎と異なり〈バースト・ヘッド〉の吐息は微細な毒素の粉末を吹きつける攻撃である。

 そして、それを喉の奥にある貯蔵器官から送り出す際、その内側はまさしく微細な粒子が充満した坑道とそっくりの環境となる。

 イズマはそのことを瞬間的に見抜いて、最小限のきっかけで最大限の効果を引き出したのだ。


 首ひとつが吹き飛ぶ。

 だが、イズマの目的は〈バースト・ヘッド〉の殲滅ではない。


 文字通り、疾風の速さでエルマの元に駆けつけ鞍上からかっさらう。

 そのまま胸に抱いて毒の雲を突き破った。

 吐息の届かぬほど高所へ。

 イズマの通り抜けた場所の毒素が消滅している。

 それは〈イビサス〉の肉体が持つ神性。

 己のレベル以下の病魔や毒素からの干渉を完全に無効化する能力。

 

 階下から地震と捉え違えるような振動と、雷轟のごとき咆哮が響き渡る。

 怒り狂った〈バースト・ヘッド〉が無差別に暴れ回っているのだ。

 なぎ倒された茸が上げる胞子の雲と己の吐き出したブレスの滞留ですっかり視界を失った〈バースト・ヘッド〉は飽和攻撃で自らに痛手を負わせた怨敵を叩き殺すつもりなのだ。

 

「理性的な話し合いは無理そうだね」

 うひゃあ、と高台にある岩棚の陰から階下を覗き込みながらイズマが言った。

「イズマ、さま」

 その胸に顔を埋め、瞳をうるませてエルマが言った。

「むかえにきてくださったんですのね」

「ごめんよ、遅くなったね」

「そんなっ、とんでもない──エルマこそ足手まといになってしまって」


 陶然とエルマが言う。毒の雲を突き抜ける際、イズマは己の胸襟を文字通り開いて、〈イビサス〉の神気を放出することでエルマの身を守った。

 だが、その身を貫かれ、すでに〈イビサス〉の寵愛を深々と刻印されてしまっているエルマにとって、その息吹は媚薬を直接嗅ぐに等しい効果があるのだ。

 

「大丈夫だったかい?」

「エルマ、もう、もう、ダメに、なりそうです」

 イズマとの再会の喜びと寵愛の刻印の疼きに蕩けそうな顔を胸に埋めて隠し、エルマが訊いた。

 

「ラッテは──無事ですの?」

「命に別状はないよ。それに、助けられたのはもしかしたらボクちんのほうかもしれない」

「そういえば、イズマさま──すごく充実されているように感じます……逞しい」

 すてき。うっとりとその胸郭に指を這わせながらエルマが感想した。

「そして、強くラッテの匂いがします」

 娶られましたの? ごく自然に、エルマが訊いた。

「なんども断ったんだけど──必要なことだ、と諭されちゃってね」

「喜んでいたでしょう?」

「告白されちゃったよ。まいったなー、ガラじゃないんだよねー」

「イズマさまはどうですの?」

「こう、なんていうか、育んでいきたい、というか」


 でもなー、ボクちんみたいないい加減なのでいいのかなー。

 イズマはわきわきと長い指で空を掴むような仕草をした。

 その動作は、一言でこう言い表されるものだった。

 卑猥、と。

 ふふっ、とエルマは笑った。


「わたくしの言う通りになったではありませんか。先妻としては、躾け甲斐もありそうですし」

 楽しみですこと。コロコロと笑う。

「それで、連れては来なかったのですね?」

「タシュトゥーカの水穴のほとりで、休ませてる。もちろん入念にカモフラージュしておいたけど」

「賢明な判断ですの。もし、連れたままだったなら、いまの遭遇でわたくしか、ラッテか、命を落していたかもしれません」

「ボクちん的には、一緒に来るのを主張したんですがねー」

「あら、なんのかんの言って、お気に入りですの?」

「ボクちんって、もしかして、ああいう健気さに弱いのかなー」

「まあ、くやし。健気さなら、エレ姉さまにも遅れは取らぬと自負しているエルマですのに」


 でも、とエルマは言う。嫉妬など本当は感じてすらいない、そういう口調だった。

 信奉するほどに愛しているイズマを己と同じようにラッテガルトが愛してしまったなら、それは仕方のないことだと悟り切った様子。

 だからこそ、すっ、とその目が冷たさを帯びる。

 

「だとしたら、コイツだけは完全に息の根を止めなければなりませんわね」


 逃げながらは論外、交渉など埒外。

 毒雲のなかで蠢く〈バースト・ヘッド〉の影を見ながらエルマが断言した。


「喰らうべき餌か、それ以外か、という感じがしたね」

「無差別な感じ、判断しない感じ。たしかに」

「それに、ボクちんは、あの女神像を知っているよ──《御方》の」


 そこまで口にしかけて、イズマはぞわり、と首筋の毛が総毛立つのを感じた。

 エルマを抱え、慌てて岩棚から飛び退く。入れ替わりに、岩棚の下から現れた〈バースト・ヘッド〉の手が岩の表面を耳障りな音とともに削り取った。

 暴れ廻る肉体とそれが巻き起こす胞子の煙、そして己が吐き出す毒の吐息をカモフラージュに〈バースト・ヘッド〉の残された首にして脚が岩棚の死角を這い、まるで蛭がその身を伸ばすようにしてイズマとエルマを直接狙っていたのだ。


「キッモッ!!」

 イズマの感想はエルマの心中を代弁していてくれた。

「まるで、巨大原生動物みたいな反応ですの──アメーバとかスライム、プロカリョーテの仲間」

「可燃物が多すぎて焼き払うわけにもいかないし……さっきの連鎖爆発のでかいヤツが起きそうだよ、このまんまじゃ」

「せめて、もう少し、相手を観察しないと対処法が立てられませんの」


 そうやってイズマたちが戦い続けていたときのことだ。




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