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■第二十九夜:わたしのあなた

         ※

 

「さて、まずはエルマと合流かな。〈スヴェンニール〉も回収しなきゃ、だね」

 イズマがそう宣言して立ち上がった。ラッテガルトを横抱きにしたままだ。

 水底から差していた光は弱まっている。

「たぶん、鉱床のある位置から日差しが傾いたんだね。なるほどなー、この辺の地衣類や茸はその光とこの大空洞内に吹く風で育ったのか──ただ、この地面はどうやって出来てるんだろ? 養分はなに?」

「奇妙に温かい地面だった。地衣類の堆積がそうさせているのか、柔らかいし」

 そんなことを話ながらふたりは、光源であるタシュトゥーカの水穴にまで戻ってきた。

「これ、我ながら、よく飛び込んだもんだね。助かったのは奇跡だよ」

「真騎士が墜落死など、末代まで語られる恥ずかしい死に方をするところだった。ありがとう。心から礼を言う」

「たっぷりお礼してもらうけどね」


 イズマの切り返しにラッテガルトは赤面して黙り込み、すがりついて返答に替える。


 事実、イズマの指摘は正しかった。

 落着地点が水であれば助かるなどというのは、まあ正直、あるていどの高さまでだと考えたほうがよい。

 充分に加速度の乗った落下になれば、水面だろうと鋼鉄だろうと変わらない。

 全身の骨が砕け散り即死──あるいは自重によっては圧壊が待つ。

 

「あのとき、貴方が来てくれなかったら、わたしはこうしてはいれなかった」

 貴様ではなく、貴方とラッテガルトはイズマを呼んだ。

「どんなことでもする。貴方の求めに心から従う」

 わたしのあなた、とちいさく付け加える。


 ラッテガルトのまっすぐな視線にイズマのほうが照れてしまい視線をそらした。

 そして、そらした視線の先に、くるくると滞空しながら落ちてくる鳥を思わせる飛行物体を見つけた。


「アレ、なんだろ?」

「紙で折られた鳥のようだな。文字が書きつけられている。共通言語:〈エフタル〉だ」

「さっすが真騎士、目がいいね」

「空中戦では目が頼りだ。解像度を望んで変えられるのだぞ、真騎士は」

 いけるかな? イズマは糸を指先から繰り出し風に乗せてそれを伸ばした。

 糸で風を掴み飛んでいく蜘蛛の仔のもののようにそれはどんどんと伸びていって、やがてその鳥を捕まえた。

 

「よっし、いいぞ」

 水面に落ちないようにイズマが糸を手繰り、ラッテガルトが手を伸ばしてそれをとらえる。

「つばくらめの折り紙──エルマだね。ボクちんたちへのメッセージだ」

 折られた紙片を開くとそこにはよくまとめられた行動方針が書かれていた。


 要約すると、ふたりの生存を疑っていないこと。

 脚長羊が垂直降下を拒んでしまったこと(馴れぬシリアス顔を長時間続けたため消耗したらしいこと)。

 羊とともにつづれ織りの洞穴を抜けて、タシュトゥーカの水穴を目指すこと。

 

 そして、念のいったことにふたりの落下からのおおよその経過時間がそこには記されており、文字が自動的に書き変わる仕組みだった。

 

「便利な能力だ」

紙魚砂しみずな使いの技法だよ。エルマの得意技さ。こいつら、文字みたいに見えるけど、呪いで組まれた疑似生物なんだ」

「蟲ッ? エンガチョ!!」


 どうやら蟲はお気に召さないらしい。

 慌てて手紙をイズマに叩きつけ、ラッテガルトは真顔になった。

 

「二刻(約四時間)、ずいぶん時間を食ってしまっているな。エルマとも合流できていない」

「いくら脚長羊に乗ってるからって、垂直距離で数百メルテ分、迂回路を通るんだ。時間は相当かかるはずだよ。迷いはしないと思うけど、まっすぐこの水穴に向かうことの出来ないルートだから……。ああ、こっちにおおまかに地図も描いてある。さっすがエルマ、手回しがいいや。

 こっち側から迎えにいくなら、やっぱりこの患い茸の森を抜けるんだな」


 ふたりは顔を見合わせ、それから患い茸の森を見た。

 おおおおおおおおん、と風の唸りともなにかの咆哮とも思えるような音がして、潅木かんぼくのような大きさまで育った茸が揺れた。


「なにか、やはり、いるのか」

「関係あるのかわからないけど……陽の光が弱まったとたん、だねぇ」

「とにかく聖槍:〈スヴェンニール〉を回収しよう。近くにあるなら、すぐにわかるはずだ」


 ラッテガルトの提案にイズマは従った。

 ラッテガルトは水面に手を差し入れ、微量の《スピンドル》エネルギーを流す。

 すぐさま反応があった。

 

「あるな。途中で引っかかっている」

 基本的に超常の品である《フォーカス》は特定の使用者にパーソナライズされており、たとえ手を離れても使い手は、その所在をかすかにだが感じとることが出来る。

 気配のようなものを感じられるのだ。

 かつて、漂流寺院での戦いで喪失した竜槍:〈シヴニール〉をアシュレが探し当てたときのことを思い出してもらいたい。

 つまりこれは《フォーカス》が使用者との間に関係を構築する、その副次的効果だと考えればわかりやすいだろうか。

 土蜘蛛たちの言葉を借りれば“えん”となる。

 ラッテガルトの指示に従い、イズマは潜水し、見事四度目のチャレンジで回収に成功した。

 

「さて、じゃ、いこうか」

「そのことだが」

 ライオンのように全身を震わせて水をはじき飛ばしたイズマの提案に、ラッテガルトが異を唱えた。

「わたしはここで待つ。貴方は、ひとりで行ってくれ」

「わかった……てー、わかるわけないでしょ! できないっしょ」


 言ってる意味がわかんないですよ? イズマが座したラッテガルトの周囲をぐるぐる歩いた。

 だが、そんなイズマをラッテガルトは愛おしそうに見つめると言った。


「見ろ、わたしの身体には《ちから》が残っていないんだ。自力では満足に立ち上がることもできない。この腕には槍を保持するだけの《ちから》すら残されてない」

「抱えて、こうお姫さま抱っこでどこまでも行きますよ?」

「申し出はすごく嬉しい。だが、断る──足手まといはごめんだ」


 微笑んで、ラッテガルトは言うのだ。


「冷静に考えろ、イズマ。貴方が向かう先には、どんな困難が待ち受けているかわからない。いや、必ず待ち受けているだろう。セルテやイオ、それにダジュラ──あんな化け物相手に、わたしを抱えたまま戦えるか? 盾として使ってくれるならまだいい。でも貴方のことだ、身を挺して全力でわたしにかすり傷さえ負わせぬように立ち回ろうとするだろう?」

「とんでもない。ラッテを盾に使うよ、約束する」

「自分でなにを言っているかわからんのだろう、バカ」


 必死に反論するイズマの鼻をつまんで、ラッテガルトは言った。

 それからイズマのまだ生乾きの頭を抱きかかえた。

 愛しさが胸に溢れて苦しい。

 それから諭すように言った。


「よしんば、それらの脅威を掻い潜って辿り着いたとして、その先で合流するのはわたしと同じか、それ以上に疲弊したエルマなのだぞ? 回復手段? まあさか、あの《エナジー・ドレイン》でのエネルギー補給か? イズマ、貴方からの? 

 ふふ。それが不可能に近いことは、貴方自身がいちばん分かっているはずだ。

 圧倒的に格上の存在である〈イビサス〉の肉体に《エナジー・ドレイン》の回路を直結することは危険すぎてできないのだろう? 

 おそらく荒神としての〈イビサス〉の肉体ボディは、出力が大きすぎてエルマが己の回路を繋いだ途端に、回路ごと焼き切れてしまうのではないか?」


 だからこそ、ダジュラも貴方を標的にしなかった。

 憔悴していても、優れた戦士としての観察眼でラッテガルトは本質を見抜いていた。

 

「つまり、エルマと合流した途端に、足手まといがふたつに増える算段だ。“ヒルコ”やシビリ・シュメリの暗殺者どもを躱しながら、護り切れるか?」


 そして、その後で貴方の愛する娘──エレを救えるのか?

 

「どうだ」

 胸からイズマを解放し、瞳を見つめて言った。

 イズマが言葉に詰まって、身振り手振りでなにかを訴えようとした。

 そのゼスチャーの意味がラッテガルトにはわかる。降参だ。

 

「それにな、もしかすると行き違いになるかもしれないではないか。森のなかの、どの地点に出るルートなのか、私たちにはわからんからだ。そして、森のなかが、どれくらい入り組んでいるかわからんからだ。だが、なにしろ、エルマはここを目指してくるのだろう? やっとの思いで辿り着いたのに、ここに誰もおらんでは、動転するだろうしな」


 議論はこれでおわりだ、とラッテガルトは言った。

 

「少なくとも二刻以上の時間を、ここで無事に過ごした。ここは比較的にせよ、森の深部に比べればセイフティ・ゾーンだと言えるのではないか?」

 だから、わたしはここに留まる。

「それとも、一思いに喰らってくれるか? イオに見せた慈悲のように」

「ラッテ!」


 冗談めかしたラッテガルトの言葉に、イズマが声を荒げた。

 怒っていた。本気で。

 ラッテガルトは蕩けるように笑う。


「どうしよう、イズマ。わたし、貴方のことが、どうしようもなく好きだ」

 手を伸ばし、ハグを要求しながらラッテガルトはうわ言のように言った。

「でも、だからこそ、一刻も早く、エルマのもとに行ってあげて。わたしと同じように、不安に震えているはず。いいえ、あんな思いをした後ひとりでいたのだもの。そのうえ、困難な道のりをひとりで乗り越えようと奮闘しているのだもの。助けがいるのは、こんどはエルマの方だ」


 すぐに行って。そして必ず合流を果たして──帰ってきて。


「迎えに来てくれるまで、待っている」

 信頼とは、なにも積極的な行動だけを差してそのしるしとするものではない。

 あえて、一時的な置き去りを自発的に言い出したり、受け入れることも、たとえばそうだ。

 イズマはラッテガルトが震えていることに気がついた。

 官能にではない。純然たる恐怖に、だ。

 

「ダメだな……わたしは……恋をしたとたん、こんなに弱くなってしまった。恐いんだ。貴方に置いて行かれてしまうのが、たまらなく、恐い」

 ほんのちょっとの間だけなのにな? 泣き笑いで言うラッテガルトをイズマは抱いた。

「行ってくれ。そのまえに、強く抱擁して」


 骨が軋むくらい、痣になるくらい、強くして。

 イズマはラッテガルトの要求に応える。

 強く抱きしめる。ラッテガルトの唇から吐息が漏れる。


「なに? またですか?」

「だって──だってしかたないだろう。クスリや呪いや」

 なーるほどねえ。イズマのつぶやきはなにか揶揄やゆするようなニュアンスがあったが、そういう意地悪さえ愛しく感じるのだから、なるほど恋は盲目だ。

 

「いいコで、まってるんだよ」

 足腰の立たないラッテガルトを茸の陰に隠しながらイズマが言った。

「そういえば、クスリに関してはとっくに解毒してあるし、〈イビサス〉のやろーの呪いも効果も、《ヴァルキリーズ・パクト》の能力で一時的にだけれども、封じるのに成功してんですけどねー? いまや圧倒的にボクちんパワーもらってますから?」


 くすくす、と意地悪く言い残すあたりがイズマなのだろう。

 かあああああっ、とこれまでにないほど赤くラッテガルトの顔が羞恥に染まった。

 

「うそ、うそだ、うそだ」

「《ヴァルキリーズ・パクト》の分は知らないけど、そんな得体の知れないクスリに自分の奥さんが苦しんでるままで済ます男はいないっしょ?」

 まあ、つまり、いまのこの反応は、ラッテの生来的な感度によるもので?

「これから先、どうなっちゃうんでしょうねー」


 あっ、あっ、と恥じらって震えるラッテガルトに、イズマは腕の装甲をスライドさせてリングの様なパーツを取り外し見せた。

「ほんとは、これ、隷属させた姫巫女にはめるものらしいんだけど。望んだときに位置情報を割り出せるものなんだ」


 イズマがそのリングを右手でくしゃり、と握りつぶし次に開いた時、そこには瀟洒しょうしゃな金色のアンクレットが現れていた。

「ヒトを所有物扱いするって、けっこうグロテスクな思考だと、ボクちんは思っていてさ。例外は互いがそう望んでいる時だけ──だから、エレにもエルマにも、渡してないんだけれど──」


 どうする? イズマは問うた。

 ラッテガルトは両手で顔を覆って震える。

 しばらくしてそっと左脚を差し出した。

 所有してください、という意味なのだとイズマは了解した。

 

「じゃ、行ってくるね。偽装スクリーンも張っておくから出てきちゃだめだよ? 内側からは外が見えるけど、外からは見えないようにするヤツね。音も匂いも遮断するから、そうそうは見破られないはずだけど」


 そう言うイズマの顔は、いつもの飄々ひょうひょうとした雲みたいな掴み所のない男のものに戻っていた。

 ラッテガルトは半身を起こしてその姿が見えなくなるまで見送る。

 イズマが一度だけ振り返ると、まだラッテガルトは見送りを続けてくれていた。

 

 そして、それがラッテガルトの、真騎士の乙女としての最期の姿だった。





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