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■第二十八夜:しあわせのこわい

         ※


 ラッテガルトはイズマの腕のなかで、震えている。

 到達した場所から降りることができなくなってしまった。

 恐ろしいほどの幸福感に襲われて。

 

 真騎士の乙女にとって生涯のパートナーを確定する《ヴァルキリーズ・パクト》は、その誓約対象である英雄に比類なき《ちから》を授ける。

 そして、その《ちから》を授けるたび、他のものでは代替しようのない幸福感を真騎士の乙女にもたらすのだ。

 

 それは生涯でたった一度の選択肢というハイリスクに対して肉体が起こす本能的な報酬系の働きであったとも言えるし、逆に愛した男への依存を深める猛毒であるとも言えた。

 愛した男の腕のなかで果てなく襲いかかるしあわせ・・・・に、ラッテガルトは激しく恥じ入って泣きながら震えるしかできない。

 歓喜の涙が止まらないのだ。

 それは欠けていた己にとって、たったひとつしか適合しない片割れを見出した喜び。

 |かけがえのないひとかけら(ワンピース)だという確信がなさしめる情動。

 

「《ヴァルキリーズ・パクト》って、なるほど、男の側にだけ報酬があるわけじゃないんだねー」

 それなのに、イズマはそんな意地悪を言うのだ。

「ひ、他人事だと思って──」

 泣きながらラッテガルトは反論するが、イズマが抱きしめる腕にすこし力を込めるだけ、たったそれだけで、また意識を持っていかれそうな感覚が襲いかかってくるのだ。

「そりゃ、そうなるよ。《ヴァルキリーズ・パクト》の効果に、土蜘蛛のクスリ、おまけに〈イビサス〉の寵愛の呪いまで受けてんだ。三重苦だよ」

 イズマに改めて指摘され、ラッテガルトの心は恐怖で壊れそうだ。

「ボクちんなしじゃ、生きていけない身体になっちゃうぞ?」

 そんなふうにささやかれれば、頭蓋のなかで幸福感が暴れ回り、喉を反らして泣くことしかできないかない。

 

 恐いくらいしあわせ・・・・だという表現は、単なる修辞レトリックにすぎないと思い込んでいた。

 そうではない。そうではなかったのだ。

 恐くてたまらない。

 しあわせすぎて、どうなってしまうのかわからない自分が、おそろしい。

 これがしあわせという名の穂先の鋭さなのだと畏怖を憶えた。

 いくども心臓を穿たれる己を幻視した。

 

 契約なのか、クスリなのか、はたまた呪いの効果なのかとっくに限界を振り切っているのに、気絶して逃げることもできない。

 おそらくあのクスリには強力な強心作用もあるのだろう。

 対象の心の限界をむりやり高めてしまう、そういう効果が。

 

 だが、ラッテガルトを震え上がらせたのは、それだけではない。

 

 イズマとの契約を結ぶさなか、幾度となく荒神:〈イビサス〉が主導権を奪うため、イズマの肉体を乗っ取った瞬間があったのだ。

 突然、ラッテガルトの頭を〈イビサス〉の指が地面に押さえつけ隷属を迫られた。

 所有物の刻印を刻んでやる、と脅された。

 

 事実、刻まれかけた。

 

 そのたびにイズマが荒神:〈イビサス〉を押しのけ、ラッテガルトを助けてくれるだが──同じ肉体を持つふたつの精神にラッテガルトは翻弄された。

 奪い合われ、懸命に護られ、必死に取り戻されるしあわせ・・・・を体験してしまった。

 自分のなかに、そんな願望があったことを思い知らされてしまった。

 

 思い出すだけで身体が火をかけられたかのように熱くなる体験。

 正気のまま、鮮やかすぎるしあわせ・・・・で切り刻まれる感覚に、ラッテガルトの歯の根は合わなくなる。

 

「壊れる。わたし、壊れてしまう」

「やっぱり、嫌だった?」

 後悔してるのかい? 見計らったようにイズマが訊くものだからラッテガルトは歯を食いしばりながら首を振る。

「こんな風になるなら、やっぱりよしておくべきだった?」

「ち、ちがっ、後悔なんて、ない」

 呂律の回らない口調で、だが、必死に訴えるラッテガルトをイズマはいっそう抱きしめる。

「でも、お願い、お願いだ、せめて解毒だけ、クスリの効果だけでも解除してくれ!」

「ダメ。自分から誘っておいて、都合がよすぎるよ。このチャンスにたっぷり、ラッテの弱みを握らせてもらいまーす」


 くすくす、とイズマが笑いラッテガルトの首筋を嗅ぐ。

 ぶるぶる、と震えることしかラッテガルトにはできない。

 どうして、手をつけるまではあんなに奥手ヘタレなくせに、いざことに及ぶやこれほど積極的になれるのか、ラッテは理解に苦しむ。

 もちろん、イズマに言わせれば実戦に及んだとたんに狼狽しまくりのラッテ、かわゆい、となるのだが。

 

 ラッテガルトの肉体は、恐ろしく手の込んだレース地の、シルクのような手触りと光沢を持つ衣装で覆われている。

 それはあくまで薄く、衣類というより女性という貴石を包むための装飾であり、同時に肉体をくるみこんで束縛する役目も持っていた。

 

「それに、この服──身体の自由を奪われて」

「コイツはね、土蜘蛛の古式の花嫁装束なんですよー」

 その言葉が、ラッテガルトの頭に浸透するには少し時間が必要だった。

「え?」

「土蜘蛛の社会では、男の側がプロポーズする相手に衣装を送る習慣があって──機織りから、型紙起こしに裁断、刺繍まで──贈られた娘は、それで相手がどれほど自分を想ってくれているのか汲み取ったし、同時に男の側の技量や甲斐性を計ったわけです」


 イズマはラッテガルトの瞳を見つめながら、微妙にラッテガルトの疑問とは違うことがらに言及する。

「まあ、そういうみやびなしきたりなんだけど、裏を返すと、実は土蜘蛛の女性ってけっこう恐いところがあってね? その、なんていうの、ことの終わりにあって、愛の究極のカタチとして相手を傷つけたり、最悪、殺してしまうような? 

 カマキリとか、蜘蛛とかにはときどきあるでしょ? そういうの。

 もちろん滅多にないんだけど、古い、それも濃い血筋ではときどきあったことなんで──男の側はイセリアル・スパイダーの糸を使って特別丈夫な衣装を送るのです。

 ま、簡単に言えば身も心もこれから束縛しますよ、みたいな? ただ、そいつを言葉で確認しあうのは、どうにもアレだからって、贈り物でね?」

 

 だから、女性の側はその束縛を受け入れる意志があるかどうか、を問われるわけで。

 どの種族、民族でも社会制度の確立に根ざす婚姻の証ってのには、すくなからずそんな意味が隠されてるのも、事実なんだけどね。

 

「時代遅れな風習とは思うんだけど、手持ちの衣装がそれしかなかったんだよ」

 まさか、いつまでも裸のままにしとくわけにもいかないしさ。イズマは鼻を掻く。

「これは、では、大事なものではないのか?」

「渡せなかったモノをいつまでもしまい込んでおいても意味なんかないっしょ」

 しれっと、大事なことを言う。


「それに、ボクには、いまこれぐらいしかキミに返してあげられるものがないんだ」

 ごめんよ、と謝られた。


「もらってくれる?」

 期待さえしていなかった贈物に、ラッテガルトは声が詰まって返答できない。

「ボクちんにはできることしか、できないよ?」


 充分だった。イズマの言う“できること”とは、“命を懸けて”という意味なのだと、もうラッテガルトにはわかっていたのだから。

 言葉ではなく、イズマのこれまでの行動がすべてを示してくれていた。

 真騎士と土蜘蛛のつがいなど、おそらく前代未聞だろう。

 前途が多難なことはわかっていた。

 

 それでも、“できること”を為していく。

 ラッテガルトは自らが選んだ男がそうするように、己もそうすることを決めたのだ。





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