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燦然のソウルスピナ  作者: 奥沢 一歩(ユニット:蕗字 歩の小説担当)
第一話:降臨王のデクストラス
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■第十五夜:理想の果てに(1)


 アシュレは通路を走った。

 幾枚もドアを潜る。

 そして、ついに〈パラグラム〉の深奥に転がり込んだ。


 そこには亡霊がいた。

 心臓が飛び出るのではないかというほど、アシュレは驚くことになる。


挿絵(By みてみん)


 それこそはグラン、本人だった。


 なぜだ、という問いは言葉にならなかった。

 ならばいま前庭で、シオンとイズマが戦い、足止めしているのは、いったいなになのだ?

 とっさにイズマの例え話が脳裏を過る。

 あの――“故人を完璧に真似る姿見”の話だ。


「オマエは……だれだッ!」

 ぜいぜいと肩で息をしながら、それでもアシュレは叫んだ。

 この亡霊が、だれかなど、わかっているはずだった。

 ここにいるのが、だれであるのかなど自明のはずだった。

 だが、叫ばずにはいられなかった。

「ユーニスとアルマはどこだ、どこへやったッ」

 反射的に、予備武器のグラディウスを抜く。


「質問はひとつずつ、人の名を聞く前に自ら名乗れ、とは教わらなんだか、童よ」


 ぐう、とアシュレは全身に重しをかけられたかのような感覚を味わった。

 なんの前触れもない。それはグランの異能だった。


 下げられた掌に回転する《スピンドル》が見える。

 剣が手を離れ吸いつけられるように床面に落ちた。立っていられない。

 アシュレは膝をつかざるをえない。

 貴賓きひんに対する礼の姿勢をしつけられているようだった。


「我が名はグラン。グラン・バラザ・イグナーシュ。かつての王であり、その残滓。ゆえあって、この浅ましき身をさらしておる」

 礼儀正しくグランは名乗る


 アシュレは混乱していた。

 眼前の存在がグランだというなら、いま〈パラグラム〉の、王家の谷の前庭で戦っているのは、だれだというのか。


「戸惑うのも無理はない。もうひとりの我に会ったのであろう。あれもまた我。《皆》の《悪》を引き受けるため、我が亡骸に《ねがい》を練りつけ造られしもの」

 アシュレは衝撃を受けた。

 もうひとりの我、と眼前の亡霊は言ったのか?

「《悪》を引き受けるために、だと?」

 こんなヤツに頭を垂れることはあってはならない。アシュレは渾身こんしんの力で荷重に抗いながら、グランをにらんで言った。


「祖国は滅び、理想には裏切られ、飢餓にあえぎ、業病にのたうち回る。このような運命をだれもが、“だれかのせいにしたい”であろう。

 そうすることで己の無謬むびゅうを、無罪を保ちたいであろう。

 ゆえに、その《悪》を我が引き受けた」


 おまえはいったいなにものなんだ――。

 がくがくと疲労ではない震えが、アシュレの全身を襲った。

 イズマの言う敵の本質が、その異質さがアシュレの本能的な恐怖を呼び覚ましていたのだ。


 ああ、だから、あのときイズマは告白したのだ、とわかった。

 わかりつつあった。

 おまえは、なんだ。アシュレはもう一度言った。

 グランの本質、その背後にうごめく力の正体に。


「我は王。臣民の《ねがい》の体現者にして、《ねがい》の成就を助くものなり」

 正体など、それにはなかった。


 さあ、名乗るがよい。グランのカタチをしたものは、命じた。

 加重が一段と強さを増す。

 命をやりとりしようかという状況にあってさえ、王を前にして名乗らぬアシュレの無礼をグランは指摘していたのである。

 段階的に強まる加重に、ついにアシュレは屈した。


「ぐっ、あ、アシュレダウ……バラージェ。おまえを討伐するッ」

「よきかな」

 アシュレは目を剥いた。

 叶えるがよい、とグランが同意したからだ。


「その《ねがい》聞き届けよう」

 嘘偽りのない様子でグランが言う。

 アシュレは生まれてはじめて、心の底から恐怖した。

 嘘と偽りがないだけではない。

 そのような、なまやさしいことではない。

 眼前のアレには“ほんとうになにもないのだ”と気がついて。


 まったき、がらんどう。


 ただ、眼前の者の《ねがい》に反応する繰り人形。

 アレはヒトのかたち、グランのかたちを真似て造られた虚無なのだ。

 まさしく底なしの穴。


 ヒトが《ねがい》を投棄するためだけに造営された、穴だ。

 

 その底なしのくらさが、アシュレの四肢を、あごをがくがくと震わせる。

 それは《意志》の力では押しとどめようのない震えだった。

 食いしばりすぎた奥歯が欠け、血が噴いた。


「オマエは、うつろ、まやかしだッ」

 アシュレの怒号を受け、グランが目を細めた。

 すっ、と滑るように間合いが詰まった。

 なにをするつもりか、アシュレは身を強ばらせる。

 それが精いっぱいだった。


挿絵(By みてみん)


「アシュレッ」

 そのときアシュレとグランの間に純白の乙女が飛び込んできた。

 身を挺しアシュレをかばうように。


 ユーニス、とアシュレは思った。

 その後ろ姿に間違えようもない想い人を感じたからだ。

 だが、そのヒトが振り向きアシュレの首筋に顔を埋めたとき、別人だと知れた。

 アルマステラ、いや、やはりユニスフラウなのか? 

 懐かしい匂いと、おろしたての真新しいシーツの肌触りが同居しているかのような感触に――アシュレは幻惑されてしまう。


 なんと呼びかければいいのか、わからなかった。


「ユーニス……いや、アルマ……なのか?」

「はい」

 まったく違和感なく、ふたりがひとりの口調で応えた。

 アシュレの戸惑いにグランが慈悲の笑みを浮かべて、とりなす。


挿絵(By みてみん)


「そなたの想い人は死にゆく定めであった。それを我が孫娘の挺身によって繋ぎ止めた。ふたりの記憶は溶け合い、融合・癒着して、新たなひとつとなった」

 それがふたりの、たったひとつの《ねがい》であったがゆえに。

「夢ではない。まやかしではない」

 そなたのかたわらにはべるため、ふたりは互いに、互いであることすら放棄したのだ。


「おじいさま、この方を傷つけないで」

 アルマステラの声で娘は言う。

 だが、その凛とした眼差しは間違いなくユーニスの発露だった。

 首筋に顔を埋める愛撫の仕方を、アシュレはよく知っている。

 それなのにまるではじめてのように恥じらう仕草を、まったく知らなかった。


 グランの語ることの成り行きが、夢の中のできごとのように、まるで頭に入ってこない。

「きみは……だれだ」

 アシュレの口を言葉がついた。


 ごとり、と出し抜けにグランが亡骸を差し上げた。

 野犬に食い荒らされたのかのごときそれは直視に耐えぬありさまだったが、アシュレにはわかった。

 ユーニスのそれに他ならない。

 獣のような慟哭どうこくがアシュレの喉から漏れた。


「案ずることはない。これはぬけがらぞ。本質はきちんと受け継がれた」

 グランの物言いに、がぶ、とアシュレは嘔吐おうとした。

 吐いても吐いてもとまらなかった。胃液だけを何度も吐いた。


 ヒトの心をい合わせる所業に、ひどすぎる偽善を感じた。

 かたわらでアシュレを案ずる女を、ヒトと認識することをアシュレの本能が拒んでいたのである。


「殺す、グラン、オマエだけは殺しただけじゃだめだ。その屍を犬に食わせてやる」

「なれば、その《ねがい》叶えるがよい」

 グランはまたあっさりとアシュレの言葉を肯定した。

 アシュレはその様子に、生まれてはじめて敵を憎んだ。

 獰悪な呪いの言葉がアシュレの口から迸った。

「呪われろッ、悪魔めッ!」

「だが、まずはその哀れな娘ふたりの献身を受け入れてやるがよい。なぜ、拒むか」

 グランの言葉は穏やかだった。

 ゆえにアシュレの胸のやましい部分を、それは的確に踏む。

 親に拒絶された子供のように、アルマ・ユーニスは怯えていた。


「アルマ、なぜなんだ。ユーニス、どうして、どうしてこんなことに」

 責めるつもりなどないはずだった。

 だが、アシュレの口調は《意志》に反して詰問の色を帯びている。

 眼前の女は愛する男に断罪される痛みに震えていた。


「助けたかったの。あなたの愛するひとを」

「なぜ、なぜ死なせてやらなかったんだ。ヒトでいるあいだに、なぜ」

「アシュレ……わたしは、もう、あなたにとってヒトじゃないのね。

 死んだはずなのに生きている、ひとりのはずなのにふたりいる。

 おぞましいバケモノね」


挿絵(By みてみん)


 アルマの瞳から涙がこぼれる。

 アシュレは言葉を失う。

 その表情が、はじめてアシュレが愛を告げたときのユーニスにそっくりだったからだ。

 ユーニスのごとき娘は言った。


「死にたくなかった。いっしょにいたかった。愛してほしかった。あなたを愛していたかった。たとえ、ヒトとは異なるものに成り果はてても」

 それはユーニスの《魂》の叫びであり、同時にアルマの叫びでもあった。


「どうしようもなかったの」


挿絵(By みてみん)


 ずしり、とアシュレはふたりの《ねがい》の重さを女の肉体に感じた。

 どのような偽善がなさしめたことであれ、アシュレに向けられたふたりの愛は本物だった。

 だが、眼前の完璧に美しい娘は、アシュレの愛し、あるいは敬愛した女のいずれでもなかった。


「グランに、アイツにそそのかされたのか」

 ひどく傷ついた顔をその娘はした。

 だが、傷つきながらもアシュレに言った。きっぱりと否定した。

 わたしの、わたしたちの《意志》だと、はっきりと告げた。


「わたしは生きたかった。生きてもう一度、あなたに会いたかった」

 ユーニスだった。

「わたしは、彼女を死なせたくなかった。そして……秘めた愛を――成就させたかった」

 アルマだった。


 そして、ふたりが言った。


「あなたのかたわらで生きたかった。……だから、ふたりの《ねがい》をあわせたの」

 アシュレはついに耐えきれなくなって、泣いてしまう。

 子供のようにいやいやをする。

 心が砕けてしまう、そう思った。

 ここで彼女を認めてしまったら、グランの所業を黙認したことになる。

 だが、このままでは、彼女たちをいたずらに傷つけ続けることになる。


「やはり、こうなってしまったか」

 不憫ふびんな、とグランはかぶりを振った。

 孫娘であるアルマとユーニス、そしてアシュレ、そのだれをも憐れんでいる様子だった。

 グランの手がアルマの頭を撫でる。

 蜂蜜色だった頭髪は融合の結果か、色素を失っていた。

 アシュレに拒絶された痛みに震えていた。


「おじいさま」

 耐えきれず、アルマが祖父にすがった。

「アシュレダウ、なぜ認めてやらぬ。半身は、紛うことなくそなたの愛した娘のものぞ」


 反撃すべき言葉がアシュレにはない。

 己の信念が踏み割られていくのが、わかった。

 これがグランの手なのだとしたら、恐ろしい敵だった。


 アルマとユーニスを傷つけないで、どうやって相手を攻めればいいのか、見当もつかない。

 相手の《悪》のなにを指摘すればいいのかわからず、慄然とした。

 眩暈めまいを感じた。吐き気がして、歯の根が合わない。

 ぐらぐらと世界が基底を失いつつあった。


 戸惑うアシュレを一瞥し、グランが決定的な行動を起こした。


「アルマ、ユーニス……〈パラグラム〉を使う。準備をなさい」

 はっ、とふたりの娘がグランを見上げた。

 やめてください、とすがる瞳。

 実際に追いすがった。このヒトは、このヒトだけは。

 その決死の行動に、アシュレは胸が痛んだ。


 間違いない。彼女は、アシュレの知るふたりの女性そのものだった。

 

 アシュレに拒絶されたのに、アシュレの身だけを案じてくれていた。

 涙がとまらない。どれほどひどい拷問を受けようと、こんな風にはならなかっただろう。

 アシュレは身体ではなく、心が軋む音を聞く。


「勘違いをせぬことだ。我が強制したことなど、一度しかない。己に強いた以外、一度もない。安心するのだ、娘たちよ」


 見よ、とグランはアシュレの頭部のかすり傷に手をかけた。

 前髪に隠れていたが〈ニーズホグ〉の傷がそこにはある。

 青黒く変色していた。

 先ほどグランが間合いを詰めたのは、この傷を確認するためだったのだ。


 ぐらり、とアシュレの視界が揺らいだ。

 加重の戒めが解かれた瞬間、アシュレは平行を失ってくずおれた。

 寒い。全身がおこりのように震えている。精神に起因するものではない。

 毒か病魔か、あきらかに物理的害毒。その症状。

 さきほどまでの悪寒は、この先触れだったのだ。


「〈ニーズホグ〉の毒を受けておる。死にいたる猛毒じゃ。このままでは手遅れになろう。急ぐのだ。そなたら、この者を助けたかろう」

 あるいは、我が身のこととなれば、そなたらふたりの悲歎と悲痛を、この若者もわかってくれるやも知れぬ。

 グランはつぶやいた。


 毒は瞬く間にその症状を進行させた。

 アシュレの唇は紫を通り越して黒になりはじめている。

 神経毒による呼吸困難か。毒は少量だったが致命的な強力さだったのだ。

 痙攣けいれんが止められない。


 グランとアルマに支えられ、アシュレは祭壇に固定された。


だめだ、アルマ、ユーニス。  挿絵(By みてみん)


そう告げたつもりだった。

 だが、実際には唇が震えただけだった。


「〈デクストラス〉とひとつとなった〈パラグラム〉は《ねがい》を収束させ伝達させるに過ぎぬ。

 そなたらふたりの《ねがい》と〈パラグラム〉に集められた民草の《ねがい》が《ちから》となって対象に流入する。しっかりと舵を取ることだ」


 有象無象の、烏合の衆の、勝手な《ねがい》のとおりにまかせてはならん。


「はい」

 グランのレクチャにアルマは目を据わらせた。

 すでに、やりかたは知っている。

 その権能を使い《ねがい》を打ち込んだ本人と、打ち込まれ受けとめた本人が、いまやひとりとなっていたのだから。


「理想を《ねがう》がよい」


 グランのささやきは誘導催眠のようにアルマの瞳を虚ろにさせてゆく。

 それに従って〈パラグラム〉の尖端、〈デクストラス〉を備えた腕が持ち上がる。


 アシュレは、なす術なくその様子を見ていた。

 それを《そうする》力、と言ったのはだれだったか。

 父か、イズマか、シオンであったか。


 その力がいままさに己に向かって振われようとしていた。

 恐かった。寒くて、孤独だった。

 死の間際、ユーニスもこんな心持ちだったのか。

 だれかに、なにかにすがりたくて堪らなかった。


 ゆっくりと音もなく〈デクストラス〉が侵入してくる。


『《スピンドル》を想え』


 アシュレは幻を聞いた。

 消えかけた自我の端に、それが引っかかる。

 無意識に手を伸ばし、アシュレはその言葉が喚起したものにすがった。

 小さなそれはアシュレの手の中で生きていた。

 その鼓動だけがアシュレを保つ気がした。


 そうして、《ねがい》の奔流ほんりゅうに呑まれていった。




 

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