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■第二十四夜:〈傀儡針〉


「ダジュラ──殺して差し上げますの」

 凛、とした声が沈静化に向かいつつあるとは言え、熱せられた大気を切り裂いて届いた。

 んあ? とあきらかにお楽しみを邪魔された不機嫌な顔でダジュラが面を上げた。

 

 真騎士の乙女:ラッテガルトの窮地に現われたのは、土蜘蛛の姫巫女:エルマだった。


「なんだぁ? だれかと思えば、愛玩奴隷二号のエルマじゃないか。どうした? イズマにたらし込まれて、ついにオレを呼び捨てにするようにまでなったか」

「オマエたちの吹き込んだデタラメが、わたくしをそうさせていただけのこと。とはいえ、屈辱の日々忘れてなどおりませんことよ」

「ずいぶん使い込んだからな」

「思い出までも灰にして差し上げますわ」 


 下卑たダジュラの視線を真っ向から受け止め、エルマは言い放った。鬼火の扇を差しあげる。


「〈カラン・カラクビ〉! おお、こわいこわい」

 ダジュラが大仰な仕草でのけ反り、両手で顔を隠すような、おどけたポーズをつけた。

 ラッテガルトに投与したクスリが一心同体であるダジュラにも効果を及ぼしはじめていたのだ。

 快楽中枢に作用し、恐怖心と痛み、無意識的な制約を押さえ込む戦闘薬の類いだ。

 ダジュラはこのクスリの効き目を長年の訓練である程度以上コントロール可能で、冷静な判断応力を残したまま、純粋な戦闘本能を解き放つことができるのだ。

 いっぽうこれが初体験となるラッテガルトは、薬の効果がわからず、恐ろしいほど鋭敏に感覚を伝える肉体に翻弄されていた。

 ダジュラが言う。

 

「こわいから、オレはふたりを手放せねえな。おっと、言っておくが、いまオレたちは三人でひとつなんだ。オレと、イオと、この真騎士の美人と。オレだけを焼き払うことなんざ、できやしねえぞ?」

「お馬鹿さん。昔日の恨みを晴らすため、ジワジワと嬲り殺すだけのこと。人質など、なんの意味もありませんの」


 エルマの切りつけるような言葉を受けてもダジュラは動じなかった。

 いや、あの下卑た笑いをますます広げる。


「それはおかしな話じゃないか。なんの意味もないというなら、軽く炙るくらいはしたろうさ? そうだろ? どうした冷酷非情で鳴らした凶手のオマエが」


 ダジュラが言い終わるか否かの刹那。

 その左肩に棒状の手裏剣がめり込む。

 エルマの抜く手も見せぬ一撃だった。

 だが、平然としたダジュラのかわりに、あああああっ、悲鳴を上げたのはとラッテガルトとイオだった。

 ダジュラが言う一心同体がハッタリではなく、その言のとおり痛みはふたりにも伝達されるのだということがわかった。

 けれども、エルマは表情を変えもしない。

 冷酷に言い放つ。


「お馬鹿、と申し上げたはず。汚らしい糞虫イオと、羽虫ラッテガルトが一匹、どれほどの躊躇が必要と言うの?」

「ひでえなあ。いきなりかよ。だがな、いまの手裏剣はわざと躱さなかったんだ。オマエに因果をわからせるためにな? もちろん、痛いのは一瞬で、いまはもうキモチよくなってしまっているだろうがな? オマエの調教にもお世話になったクスリだぜ? 依存強度の極めて高い、使いすぎると廃人になるやつだ」

「減らず口をべらべらと」


 言いながらエルマは〈カラン・カラクビ〉を振るった。

 吹き出した炎があたりを舐め、その青い炎が消え去ったとき、投げ返された手裏剣が撃墜されて岩棚に転がった。赤熱し、なかば溶けかけて。

 

「やるもんだ。仕込みがよかったからかな?」

「ダジュラ──オマエを殺しますわ」

 エルマの声に、やってみろ、とダジュラが笑い、ラッテガルトを抱きかかえると無防備な胸に顔を埋めた。

 必死で声を押し殺すが、耐えがたい官能が想いとは関係なくラッテガルトを責める。


「どうした? できんか?」

 くっ、とエルマが歯噛みした。

 だろうなあ、とダジュラが笑い付け加えるように言った。


「オマエ、駆け引きが決定的になってねえよ。まあ、ちょっと前までは箱入りのお姫さまだったんだ、カンペキは無理だわなあ」

 まあ、興味はそそられたぜ? ダジュラはわらう。

 

「どういう展開があったかしらんが、土蜘蛛の元姫巫女と真騎士の乙女が共闘するなんざ、前代未聞の珍事ってやつだ。おまけに自分たちを喰らおうと画策した元侍従長にまで情けをかけようとは……徹底的に叩き込んだ凶手としての観をすっかり失っちまったようだな?」


 これは、再調教が必要だな? 新たな楽しみを見いだしたかのようにダジュラは上機嫌で言った。


「オマエがどんな女だったか、思い出させてやろう」

「あら、できますの? 女を嬲って楽しむゲスが」

「んー、悪くない。自分に注意を向けさせ、さらに煽ることで戦闘状態を誘発──だが勝つ必要はない。時間が稼げればそれでいい」

 イズマの到着まで。

「図星だろう?」

 あっさりとエルマの意図を見抜いて、ダジュラがまたわらった。


「恐いんですの?」

「そうだ。恐い。オマエが、じゃない。イズマが、だ」

「腰抜けめ」

「彼我の戦力差を認識することは恥でもなんでもない。恐れを知ることも──だから、オレは逃げることにする」

「おっ、おまちなさいのっ」

 もっとも恐れていた手を打たれ、エルマが動揺した。

「待てと言われて待つのはバカのすることだ」

「くっ」

 そして、ダジュラはそのまま後退し洞窟に消えようとした。 

 

 だが、焦りを浮かべたエルマの顔に後ろ髪を引かれた。

 端的に言えば、下劣な性情──強者との戦力差を見誤ることのない冷静な分析力の裏返しとして、弱者を嬲らずにはおれない性癖を煽られたのだ。

 ただ、と言い添えた。

 

「ただ、もしオマエがどちらかの娘とその身を差し替える、と言うのなら交換条件を飲んでやらんでもない」

「なん、ですって?」

「この真騎士、オマエの、なんだ……? どういう関係だ?」 

「…………」


 黙り込むエルマにダジュラは釣り上げたラッテガルトを背後から荒々しく扱った。

 食いしばった口から時おり唾液とともに漏れる声が痛々しい。

 

「答えろ。時間稼ぎするなら、この話はなしだ」

 ありえない条件であることはわかっていた。

 エルマに刻まれた服従の刻印は手を触れられ《スピンドル》を通されれば、相手を無条件で服従すべき支配者と認める残酷なものだ。

 心ではなく、肉体が屈服する。

 交換条件と言いながら、ダジュラが濡れ手に粟の、つまり、一挙両得を狙っていることはあきらかだった。

 

「ダメだ、エルマッ! 聞いちゃいけないッ! コイツに取り込まれたら最期だッ! イオも、コイツに、乗っ取られてッ」

 ラッテガルトが苦しい息の下で言った。

 クスリを中和するための異能をも行使を封じられているのだ。

 ダジュラのあの異様な肉体は、どうやら取り込んだ相手の能力を自在に使えるらしいとエルマにもわかった。

 

「おっと、そこまでだ」

 ふたたび両手でラッテガルトを弄び、悲鳴を上げさせ口を封じてダジュラが言った。

「仲間──ですの」


 白状させられてしまった、という顔でエルマが言った。

 ラッテガルトが目を見開き、言葉を失った。

 

「オマエと交換じゃあ、新品と中古という感じでちょいと釣り合わないが、今日のオレは気分がいい。オマエがすべてを差し出し、オレ専用の愛玩奴隷として一生尽くすと約束するなら、考えてやらんでもない」


 ダジュラにしても、エルマの発言は予想以上のものだったのだろう。そそられたのだ。最低の性格だ。


「どうする?」

「約束は守ってくださいますの?」

 怯えを含んだ問いかけに、ダジュラの口元が緩んだ。

 土蜘蛛の口約束を信じることは、自分の低能ぶりを世間に吹聴して廻ることだという寓話が人間世界にはあるぐらいで、そして、ここでは寓話ではなく実話どころか現在進行形の現実なのだ。

 

「なんだなんだ……まさか、オマエたちあれか……女同士の関係か?」

 ダジュラの指摘に、エルマはうつむき耳まで朱に染まっている。

「だとしたら、たしかに助けねばならんだろうよ。このままオレがカルカサスの命令どおり“狂える老博士”どもにコイツを渡したら、オマエの姉:エレの替わりに取り返しのつかない施術の贄になるところだったのだからな。だが、エルマ、オマエが戻るというのなら、オレがいいように取りなしてやってもいい」


 エルマがダジュラを見た。カル兄さまが、エレ姉さまを“狂える老博士”どもの施術対象に──そういうショックを隠し切れない表情だった。

 

「嘘、ですわ。そんなの、嘘ですの」

「嘘なものかよ。だから、オレが来たんじゃねえか」

「そんなことをして……なにを、なにをしようって言うんですの!」

「さあな? 訊いてみろよ直接。そんで、ここまで聞いても決意が変わらないなら──さっさと降りろッ、そして脱げッ」


 自らが強者であることを確信したダジュラが高圧的に命じた。

 声にさえ反応するのだろう。

 命令が刻印に伝わったのか、エルマがびくりッ、と背筋を正す。

 響き、疼くのだ。

 その態度に、ダジュラはいまだ己の施した刻印と肉体に刻み込まれた屈服の日々が縛鎖としてエルマを縛っていることを確信した。

 脚長羊をのろのろと降り、涙をこぼしそうになりながら衣装を解くエルマをダジュラは残酷に急かす。


「急げッ、さもないといつまでもこの女が純潔を保っていられる保証さえないぞ」

 吐き捨てるように言いながらも、ダジュラはラッテガルトの体力を代償に真騎士の異能:《ファランクス・ウォール》を重ねがけしていく。

 計六層の防御壁はなまかまな攻撃を通さない。

 おそらく聖槍:〈スヴェンニール〉による砲撃でも一撃では打ち破ることができないだろう。

 エルマからの攻撃は、これでもうほとんど無効化できる。

 

 ぐううううっ、とラッテガルトが苦痛のうめきを上げる。

 

 文字通り血管から直接血液を抜かれるような感覚が全身にあるのだ。

 どんどん《ちから》が失われていく。

 先ほどから大技を連発したツケが確実にラッテガルトの体力を削り取っていたのだ。

 

「来いッ」

 両手で身体を隠し恥じらいながら歩いてくるエルマに、ダジュラは昂ぶりを覚える。

 失われたはずの羞恥心を見たことが、はじめてエルマを蹂躙した晩をダジュラに喚起させた。

 

「手をどけろ。暗器などなかろうな?」

 震える手をエルマがどける。すべてがあらわになり、ダジュラはエルマの細い身体に刻み込まれた刻印がいまも効力を失っていないことを確認する。

 

「ラッテガルトを放しなさいの」

「宣誓がまだだ。一生の愛玩奴隷宣言だ」

 ダジュラは念入りにエルマに誓わせる。

 それから、ラッテガルトを解放した。

 だが、無理やりに行使された異能のせいで疲労は極みにあり、倒れ込んでしまう。

 昏倒しなかっただけでも大したものだった。

「どうした? オレは約束を守ったぞ?」

 来い。伸ばされた手をエルマは避けなかった。

 

 ダジュラからすれば、ここでラッテガルトを分離しエルマを取り込む必要はなかったかもしれない。

 だが、エルマが強制的にダジュラたち土蜘蛛の男への依存を馴致させられていたのと同じく、彼らもまた強い執着を、そうとは気づかぬままエレ・エルマの姉妹には抱いていたのである。

 貴重な宝。かつて己たちが恋い焦がれた姫巫女。

 なにより、恥じらいを取り戻したエルマの肉体と心の両方を玩弄するという欲望に、ダジュラは逆らえなかった。

 

 ベッサリオンの氏族、そして、シビリ・シュメリ随一の霊力を取り込めば、あるいはカルに勝れるだろうかという計算が、その欲望の本質を糊塗ことしていた。

 ぞぶり、と取り込みエルマの肉体の隅々に己を浸透させながら、ダジュラは嗤った。


「あいかわらず可愛らしい尻だな、エルマ──壊れるまでしてやるよ」

 それに──。

「やはり、棟梁の命に逆らうのはよくないわなあ」

 クスリの効果と消耗からもはや息も絶え絶えなラッテガルトを、イオの触椀で吊り上げ、ダジュラは言った。

「そんな! 卑怯者! 助けると言っておきながら!」

「可愛いことを言うじゃないか。土蜘蛛の男に、卑怯は褒め言葉だろうが。ダメだ、エルマ。オマエはもうオレのものなんだ」

 エルマの肉体に乱暴に押し入りながらダジュラは宣言した。


「それに、コイツを連れ帰らなければ、カルはエレを“狂える老博士”どもに下げ渡すだろう。もしかしたら、オマエでもいいのかも知らんが……こうしてオレに組み伏されて愛玩の人生を送るのがオマエの幸せなんだ」


 独善そのものの人生訓を垂れながら、ダジュラが本格的にエルマを嬲ろうとしたときだ。


 異物、にダジュラは気がついた。

 それはエルマによって持ち込まれた。

 だが、どこにも隠す場所などなかったはずだ。

 手足は言うに及ばす、隠し場所となるあらゆる場所をダジュラは捜索したはずだ。

 それなのに見いだせなかった、それ──《フォーカス》:〈傀儡針〉:〈コクルビラー〉。

 イズマの持ち物であり、かつてカテル島の戦いではそれを奪い取り、エレとエルマはイズマを操り人形にした。


 相手の肉体と心とを縛りあげ傀儡とするその針を、エルマは事前にその肉体の奥深くに突き立てていたのである。

 己自身を餌とする釣り針。

 

 ぞ、とダジュラの総毛が立った。

 そして、それが落ちてきた。

 羊の、ナイスキャッチがその自由落下体を受け止めなければ、ぺしゃんこになっていただろう。


「ふぃー、や、ドモドモ」

 そんな登場のセリフがあるか。オマエは自覚があるのか?

 英雄としての。

 吊り下げられたままのラッテガルトはそう突っ込みたかった。

 他に誰がいるだろう。

 こんなふざけた英雄譚サーガの主人公が。

 

 イズマガルム。

 忘れられた土蜘蛛の──帰還王。





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