■第二十三夜:鹵獲(ろかく)
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「出てこい、外道。三つ数える間に返答がなければ、この〈スヴェンニール〉から飛び立った輝く翼たちがオマエを塵芥に還すだろう」
宣言どおり、聖槍:〈スヴェンニール〉を水平に構え、洞窟内に穂先を向けながらラッテガルトは言った。
もちろん三つ数えて撃つというのはハッタリだ。
それでは、イオもろとも撃ち抜いてしまう。
けれども、先ほどのラッテが見せた戦闘能力でのあとならば、これは効果のある脅しだと踏んだ。
洞窟に潜む相手に、その開口部に仁王立ちになるというのは最悪の選択なのだが、頭に来ているラッテガルトはそんなことは構いもしない。
ただ、着地前に岩棚の表面を威嚇を兼ねて焼き払いトラップを除去した。
前面に張り巡らせた強力な防護壁:《ファランクス・ウォール》を張り巡らせることを忘れていない。
生半可な攻撃ではこの障壁は打ち破れないし、呪術系の攻撃は準備も到達速度もその他の攻撃型異能に比べてかなり遅い。
いざとなれば上空へ逃れられるよう、《ウィング・オブ・オデット》は切っていない。
ただ、戦場で女を嬲るような相手に自分が遅れを取るとは毛ほども思えなかった。
洞窟内は暗くて見通せない。
ただ、イオが泣かされる声だけは聞こえてくる。
「ひとつ」
キリリッ、と己の歯が鳴るのをラッテガルトは抑えられなかった。
「ふたつ」
精いっぱいの忍耐で、ゆっくりと告げた。
なぜなら、その間にもイオの悲鳴は高まり、肉を打つ音がラッテガルトの怒りを煽るように聞こえてきたからだ。
「聞こえなかったのかッ! いますぐ、その娘を離して出てこいッ! これで最後だ、みっつ!」
ラッテガルトが言い終えるより早く、洞窟内で反応があった。
ぴたり、とイオの泣き声が止んだのだ。
「出てくるんだ、早くッ!」
ラッテガルトは叫んだが、洞窟のなかで反響する自分の声が響くばかりだ。
なんだ? どういうことだ?
ラッテガルトがためらったのは、おそらく数秒のことだっただろう。
「よお、待ったかい」
ざわわわ、と足元が波打ったかと思った瞬間には足首を掴まれていた。
槍を向け直す時間もなかった。
あっと思った時には天地が入れ替わっていた。
「かーんたんなもんだなー。ほんとはもうちっと大掛かりな狩りを用意してたんだぜ? アンタが頭に来て飛び出してこなけりゃ、こっちもだいぶの苦労を覚悟で来たのにな。いや、オレの部下たちには悪いことをしたが、犬死にではなかったってわけだ」
ラッテガルトはムチャクチャに暴れようとしたが、もう身体が言うことをきかなかった。
反射的に《スピンドル》で対抗しようにも相手のほうが圧倒的に強い。
万力で手足を押さえ込まれたようにぴくりとも動かせない。
当然だ。《スピンドル能力者》であるダジュラはその上に最新鋭の〈グリード・ゲート〉:“寄居蟲”を受け入れた身。
それは異常なほどに増幅された《ちから》だ。
「このっ、離せッ、離せッ!」
「それで離すバカはいないわな」
「貴様ッ、どうやってッ!」
「洞窟に引っ込むオレを見たんだろ? だからいたさ、なかにな。もちろん、問答無用でその槍をぶち込まれたらアウトだった。内心ヒヤヒヤもんだったんだぜ?
だが、オマエはぶちかまさなかった。それどころか三つ数えるときた。おまけに出てこいだ? オレの姿を見て、どうするつもりだったんだ真騎士さんよ? まさか、花婿候補ってわけじゃあるまい? アンタ等の基準じゃ、オレはおそらく最低点だろうからさ。
オレに興味がないなら、あとはもう、このイオにしかないだろうが? どういうわけか、オマエ、ずいぶんとこのイオと仲がいいみたいじゃないか。
土蜘蛛をやめちまったバケモノと真騎士の友情か? わかんねーな、女ってのは」
絶え間なく責め抜かれ、息も絶え絶えなイオの肢体が組み伏せられたラッテガルトの脇に転がされた。
「貴様ッ!」
「無駄だ、暴れても、もう遅い──ほら、宿借り完了だ。オマエはオレに取り込まれたんだ。オレたちは一心同体。いや、オマエたちはオレの手足というべきかな? 絶対服従のペットと言ってもいい。オマエはもう自分の意志でオレを傷つけることはできないんだ」
さて、それでどうやって、と聞いていたな? 教えてやろう、とダジュラが言い、倒れ伏すイオの背筋に指を走らせた。
ヴァイオリンのようにイオが鳴いた。
イオの手足は腐臭を放つ泥のような呪詛の内側へ囚われている。
ダジュラの指はイオの尾骶骨まで下るとその泥のなかにぐぷり、と音を立てて沈み込んだ。
あああっ、とイオが背筋を反らした。
「洞窟のなかに? いたさ、確かに。ただし、半分以上、さっきみたいに異空間に隠れてな。これがなんだかわかるか? 拡声器という。薄い紙を貼り付けた筒だ。
この使い捨ての呪物に《ヴォイス・コネクト》を結びつけると、離れた場所で声を再生することができるのさ。それで位置情報を誤魔化して……まあ、洞窟内は反響が凄いからやりやすかったね」
得意気に狩りの手段を語るダジュラからは耐えがたい腐臭がした。
ラッテガルトは顔を背ける。
「そう嫌うなって、オレの体臭じゃないんだ、こいつさ、イオとその仲間たちが溜め込んだ悪意が臭うんだ。それにこいつはもう、オマエの匂いでもあるんだ。早く馴染めよ?」
それで、どこまで話したかな?
イオに悲鳴を上げさせながら、ダジュラは狩りの顛末を語った。
「それでだ、注意を充分に洞窟に向けさせておいてから、オレたちはこの《イセリアル・シフト》でオマエの足元までやってきたってわさ。
そのあとは、ほら、この〈グリード・ゲート〉:“寄居蟲”で取り込んだ。
まあ、取り込んだと言っても宿を借りてる状態でね。とりあえず、大家はオレということになる。仲良くしようや」
イオはその得意げなダジュラの顔に唾を拭きかける。
ダジュラの顔から表情が消え、手が目元を拭った。
そして、ふたたびその顔が現れたとき、そこには獰猛な笑みが浮かんでいた。
「オレはよがり狂う女の声にますます欲情するタチでね。口の自由はだから、奪ったりしない」
拭った手に残るイオの唾液を舐めとると、美味そうに飲み干した。
ぞくり、とラッテガルトの背中を寒気に似たものが走り抜けた。
最大級の嫌悪感だ。
真っ黒な腐臭のする泥土がラッテガルトの両手を掴み上げ、手首を捻って聖槍:〈スヴェンニール〉をもぎ取った。
張り巡らされた《ファランクス・ウォール》も、なんの妨げにもならない。
いまやその強力な防護壁が護っているのは、ダジュラなのだ。
「気に入ったよ、アンタ。気位の高い女を征服するのは、こたえられない楽しみだからな」
言いながら、ダジュラの指がラッテガルトの衣服をむしり取った。
「!」
ラッテガルトの顔が羞恥に染まる。
「よく育っているじゃないか。嬲り甲斐がある」
言いながらダジュラはラッテガルトの首筋から、胸へと舌を這わせた。
「カルのヤツから、できるかぎり無傷で、とは言われているんだがな──」
「やめろッ、触れるなッ、外道ッ!」
「あのスケコマシのイズマガルムといたんだ。純潔かどうかは確かめないといかんわな」
ダジュラはラッテガルトの胸を弄びながら、谷間を、へそを過ぎ、舌を這わせていく。
ラッテガルトは罵声を浴びせるが、肉体はぴくりとも動かない。
「そう泣きわめくなって──クスリを使ってやるから、楽しめ」
ダジュラは一度、身を起こすと、馴れた手つきでラッテガルトに針を突き込んだ。猟人蜂の毒針を流用したもの。もちろんそこには、たっぷりと薬液が溜め込まれている。
「こいつは、オレたちが躾けに使うやつさ」
わざと薬液が注入されるさまを見せつけるあたり、ダジュラの性根の腐りようがわかるというものだ。
「安心しろ……舌で確かめるだけだ……あんまり時間をかけすぎると、イズマが来ちまうからな……正直、まだ、アイツとはやりあうのはリスクが高すぎるんでね」
「わたしを、どうするつもりだ」
カチカチカチ、と恐怖に強ばったラッテガルトの歯が鳴った。
「震えてんのかい? 可愛いねえ。アンタの選択肢はふたつ。どちらかさ。
ひとつはオレが棟梁であるところのカルカサスの命令どおり、オマエを“狂える老博士”どもの手に渡すこと。まあ、取り返しのつかない改造を施してくれるだろうさ。
もうひとつは──これはそう、オマエの頼み方次第では、その両方からオレが守ってやる。オマエが生涯、オレの愛玩奴隷として絶対の忠誠を誓うというのならな」
「ふざけるなッ!」
「もちろんそう言ってくれると思っていたよ。だからオレは折衷案をとることにした。このまま、制限時間いっぱいまで美食の旅としゃれ込もう。追ってくるイズマをまきながらの逃避行だ? 雰囲気あるだろ?
このシダラにはまだ幾匹かこのイオに匹敵する大物がいる。
小さいのもかき集めればけっこう足しになるかもだしな? そうしてしっかり《ちから》をつけてから、改めてそろばんを弾き直す。カルに従うべきか、否か」
むろん、合わせる酒は、オマエだ。
しゃぶり尽くしてやる──そう囁くダジュラの息が肌に触れてラッテガルトは震えた。
おぞましいと思うのに、男の吐息がかかった場所を熱く意識してしまう。
魔性のクスリが効果を現しはじめていた。
「まずは、味見だ」
そう、ダジュラが言い、行為を再開しようとしたときだった。
「おやめなさいですの」
ゴウッ、と猛る炎が地面を舐めた。
音もなく、崖の縁から脚長羊が現れ、続けてその鞍に跨がった女の髪飾りが、しゃらり、と音を立てた。
ダジュラは思わず顔を見上げる。
「ダジュラ──殺して差し上げますの」
凛、とした声が沈静化に向かいつつあるとは言え、熱せられた大気を切り裂いて届いた。
んあ? とあきらかにお楽しみを邪魔された不機嫌な顔でダジュラが面を上げた。




